第26話 一路勇躍
遠征軍は士気高く、勇者に率いられて出発した。参加者の七割が都市の傭兵である。三割は志願兵であるが、富裕層による産業将校たちが多く含まれている。彼らがとんがりを抹殺してまで行いたかったことがついに実現された。それはリモスの金によってもたらされた経済力が、とんがりの失敗によって解き放たれた人間の欲望と手を取り合って、さらなる成功を求めて進む、さながら獅子の集団であった。しかし、人間は変幻自在な生き物でもある。いつまで彼らを獅子であり続けさせることができるかが、この遠征の提唱者たる勇者黒髪の双肩にかかっていた。
魔王の都まで、軍を率いて順調に進めば三か月で到着するという計算だ。単身であれば一月半で消化できる距離だが、志願兵の補充の他、軍事物資も維持しながらの行軍である。
勇者黒髪は、考え得る万全の体制を、都市に残して出発した。自派で固めた有力議員団は、みな勇者黒髪の個人的な友人でもあり、大胆不敵な勇者黒髪しては慎重に慎重を重ねた用心を持って、「勇者の党」と呼ばれたこれらの人々を支える体制を残していた。川向こうの王国で仲間にしていた騎士数名を「勇者の党」の相談役として残し、有事には信用に足る他国の力を得られる状況も整えた。リモス一党との金や銀のやり取りを含む実務担当者として、商人を配置し、勇者との連絡を欠かさないようにもする。この男は、怪物専科で討伐を主としていた時代に知り合った人物だった。都市の富裕層の動向は他国の騎士が、下層民の動向は商人、がそれぞれ対応できる体制だ。
軍事も疎かにしていない。グロッソ洞窟との協力体制構築は済んでいる為、少数の傭兵隊を残すのみだが、予てより懇意にしている東洋人に、居留守部隊の総指揮を任せてある。この部隊の役割は、怪物との戦いより、都市の反勇者勢力出現への備えだ。反対勢力の候補は、今や袂を分かった戦士ハゲ、釣り目の僧侶がその筆頭だろう。しかし彼らも対決する糸口など持っていない為、今は雌伏するしかない。黒髪は、「勇者」の令名とテロ撃退後の演説によって背後は敵なし、考え得る最善の状態で遠征に出発したのだ。
出発から二週間後、エローエ市議会は、遠征軍が無事に川向こうの王国に入り、大歓迎を受けている旨を記した勇者からの報告書と当地の王の書簡を受け、感激と興奮の只中にあった。きっとエローエ市民はその王国の領内で、特別な地位を得る事もできるだろう。何もかもが順調に進んでいるようであった。
一方のグロッソ洞窟でも、怪物衆はささやかな幸福を噛みしめていた。まず、エローエ市の人間の大群が遠征に出て洞窟周辺から離れたこと。これだけで、洞窟の安全はかなりの部分で保障されたと言って良い。そして黒衣の監察官の勇者を利用した暗殺に成功したこと。これはリモス一党の安全を保障する。また、監察官の死に慌てふためくインポスト氏曰く、彼は報告を魔王の都に行う前に死んだため、翼軍人の死に関するリモスの責任は全てがうやむやになった。猿はこの陰謀が上手く行き、さすがの彼も有頂天になった。
さらに、さすがの怪物世界でも、勇者による軍隊遠征の噂は遠く広く伝わったため、魔王の都も次の監察官を派遣してくる余裕は無かったようだ。監察官の与党であったゴブリン軍人も、どこからかお声がかかるまでは、とバカンス気分で時が過ぎるのを満喫するようになる。彼は、トカゲ軍人や翼軍人とは異なり、怪物衆の編成や訓練などには一切関心を示さなかった。鬼、というのは生まれつき中々に強靭であるため、自分や他の輩を鍛える、という発想に至らないものなのかもしれない。洞窟内部でリモス一党に反対する勢力も、なしのつぶてという状態だ。
それでも、完全に気を抜く事は出来ない。勇者黒髪の代理人である太った商人がしばしば金と銀を引き取るために来訪するためだ。対応は猿が行うがその印象を曰く、
「金の計算には正確で速いし、嘘はつかないタイプだ。しかしそれは、勇者からそうせよと言われているからで、奴自身の性格の発露ではないな。とんがりのように全面的に信頼できる相手ではないぞ」
事実、商人デブはエローエ市民ではなく、河向こうの王国が本籍地だ。勇者の経理秘書、財産管理人として、エローエに勤めているというのが実態だった。だが、商人デブは勇者と手紙のやり取りをしているため、何か勇者に伝えたければ、彼に掛け合う事でそれが可能でもあった。そしてそのような関係を維持するためには、勇者との約束を守り続けねばならなかった。
政治の実務は猿に任せっきりで、我らが粘液体リモスは何をしていたのか。本来の仕事である金の採掘に熱中していたのであるが、それに派生する大きな事業を計画していた。採掘の最中に掘り当てた温泉地の湯を逃がすため金を掘りつくした坑道を利用しようという計画だ。かつて、洞窟に侵入した陸送隊の用心棒に追われた猿は、熱湯の温泉地を板と棒を持って湯面を進む事で生き延びたが、排水施設が出来上がれば湯面の高さを調整することも可能になる。がいこつ作業員を駆使し、この計画は成功した。排水施設に湯の川が誕生した。また、湯はその下流、といっても洞窟内の事ではあるが、その部分では温度も幾らか下がり、怪物衆が入浴を楽しめる温かさになっていることが判明すると、快楽におぼれやすい怪物たちはこぞって湯治を営むようになる。元来、病気に強い怪物たちだが、これでさらに病気知らずになることとなった。温泉は怪我の治療にも効能がある事が経験則で知れると、人間との戦いで負傷した怪物が傷を癒しに来るようになる。傷の直りが早ければ、再出撃するのも早くなる。グロッソ洞窟周辺を通過する人間たちにとって、これは多少なりとも危険が増したことを意味した。
余談だが、歴史の動きとは、このような小事が重なって大事となるものなのかもしれない。なぜなら、勇者による遠征軍出発によるグロッソ洞窟の平和は、永続的な物にはならなかったのだから。
さて、温泉地もできて新道区への怪物の密集が決定的になると、新道区の拡張の必要が生じるようになる。金の採掘以外関心の無かったリモスだが、それを維持する事業に関心を向ける必要がある事を、これまでの事象で幾らか学んでいた。そこで、使用していない坑道を居住地として開放するとともに、リモスが安心して仕事に埋没するためには新道区の再編成も必要になってきた。それぞれ主たる用途属性ごとに区割りを行う、ということだ。このような行政的仕事を行うには、本来インポスト氏に伺いを立てる必要があるが、実務を担える猿はインポスト氏との面会を危険として避けている為、独断専行型の業務進行にならざるを得なかった。幸いしたのは、黒衣の監察官が死んだ後、インポスト氏はよほどがっかりしたのか、しばらく邸宅い引きこもってしまったため、彼の許可や協力を得る事がそもそも不可能になってきたことだろう。また、暇を持て余して洞窟内をぶらぶらしている監察官派であったゴブリン軍人も、リモス一党に敵意は無いようで曰く、
「この件で洞窟長からいちゃもんが来たら俺が証言してやろう」
と意外な厚遇ぶりを示してきた。基本的に上司が見ていない所では不真面目なこの怪物は、カジノと売春窟に入り浸って日々を送っている為、カジノのオーナーであるリモスや、売春窟に顔が利く猿と仲良くしたい風であった。この良好な変化には、リモス一党は笑うしかなかった。
この頃になると固有の名詞「リモス一党」として認知されていたこの集団の一角、魔女はがいこつ作業員を統括している。とんがりらが埋葬された墓からの人骨回収が順調に進み、新たなるがいこつ作業員が加わり始めていたが、その中にどうやらとんがり自身が混じっていた事が分かった。だが、肉も臓腑も離れがいこつだけになったがいこつ作業員には生前の記憶や感情は無いのが通常だ。かつてとんがりだったがいこつも同様であったが、それが判った理由が、この個体は鍵を開けるのが極めて巧みであったためだ。その作業風景を見たリモスは、その手さばきに見覚えがあったため、特定可能であったのだ。かつての恩もあり、またその特殊技能を重宝したいリモスは、このがいこつにだけトレードマークであったとんがり帽子を被せ、自分の家に住まわせた。ちょっとした特別待遇であるが、こんなことをしても、その他のがいこつは不平不満を言わない。もう死んでいるためだ。
ところで、翼軍人のがいこつも見つかったが、リモス一党はこればかりは礼節を持って埋葬することに決める。その為の霊廟を造り、生前の功績を慰めたのだ。リモスは、亡きとんがりの霊廟も造る事を計画するが、彼は生前人間であったため怪物衆の反対の声が大きかった。
「人間の霊廟など不要である。なぜなら、我らとは異なるのだから」
「確かにとんがりは我ら怪物衆のために役立ってくれたが、人間の都市の支配者であった事実は変わらない。それに、とんがりは都市郊外に自分の墓を持っている。洞窟に造れば二つできてしまうことになるぞ」
「その死後、スケルトンになったとしても違和感がある。スケルトンが動かなくなれば、スケルトンとしての墓を造ってやることには賛成しよう」
リモスはこの種の無理解に珍しく怒りを滲ませたが、強行すれば彼らの不満と怒りを買う事になる。こういう時、魔女に相談するのが習慣になっていたが、頭の柔らかさではリモスに近いこの老嬢は、とんがりの歯を一本、翼軍人の骨壺に入れてやればよいだろう、と助言したから、リモスはその通りにした。そして、骨壺の裏に、
「その生前は都市エローエの統治者としてグロッソ洞窟の協力者であった魔法使いとんがりの鎮魂をここに願う」
と刻んだ。一連の行為を見たリモスの家で働く人間の下女は、死んでもまだ休めないの、ととんがりを哀れんだ。が、魔女は優しく反論した。
「とんがりの鎮魂を願いつつもがいこつを働かせる事は偽善でもなく、感傷に矛盾するのでもない。怪物にとっても人と同じく、死ねば終わりであるのは変わらないが、全てが終わる訳では無い事もまた、変わらないのだ。そしてこれは、死後のがいこつを労働させる事とも矛盾しない。聞けば人間の世界でも、臓器を別の体に移植させる凄まじい医術が存在するという。これもまた同じ行為であるのだから」
移植の技術は本当に一部で行われていただけで成功率も低かったが、事実ではあった。
リモスの家で働く人間の少女、「下女」「娘っ子」等と呼ばれていたが、彼女はがいこつ作業員の中にいるはずの両親を見つける事はついにできなかった。がいこつ側もそれほど記憶が残っていなかったし、人間の少女も、親とはいえ骨だけでは見分けがつかなかったからである。そして、骨のみで識別ができるような能力が、彼女にも両親にも備わっていなかった。人間の少女曰く、
「リモスととんがりの厚い友情は本物だった」
と魔女や猿に感想を話すと、二体とも同感であったようで大きく肯いた。
だが少女の素直な心情を聞きながらも、猿は自分が勇者黒髪とそのような友情を打ち立てる事はできないだろう、と考えていた。リモスもとんがりも理想を追い求める。猿は自身を現実的だと考えていたし、脅しや策略もこととする勇者黒髪こそ同類だと考えていた。厚い友情とは同類同士ではなく、理想を共有しあう間柄でこそ発揮し得るのだ、と。遠征に旅立った勇者だが、猿は彼が事業に失敗し引き返してきた時の事を想わざるを得なかったのである。これはすなわち、グロッソ洞窟にあって、猿だけは勇者の遠征軍から意識を離していないということでもあった。
キャスト
リモス:リモス一党。金鉱開発を統括する。
猿:リモス一党。洞窟内政治を統括する。
魔女:リモス一党。がいこつ作業員を統括する。
下女:鉄人形にさらわれてきて以来、リモス邸でメイド仕事をする。
インポスト氏:安定の洞窟長。洞窟の無為と無策を代表する。
ゴブリン軍人:翼軍人の後任。何を考えているかよくわからない。
とんがりのがいこつ:生前魔術師とんがりであったがいこつ。鍵開けが得意。
勇者黒髪:ついに魔王の都へ向けて遠征を開始した。その司令官。
デブの商人:勇者黒髪が都市エローエに残した経済面での代理人。洞窟と交渉を持つ。




