第103話 史上初の女権政府誕生
部下へのコントロールという点では、魔王ほど秀でている存在はいないだろう。勇者黒髪は配下の部隊に裏切られたりしているが、広大な地域を運営する経験だけは無かったから、それ以上の運営にかかる苦労を、魔王は背負い込んでいたのは間違いない。魔王自身、怪材配置に失敗して後悔したこともある、つまり裏切りに無縁ではない。ニヤケ面の遊び人、リモス、そして前魔王に仕えていた時分の、時の地位ではともかく生まれは上位にあった近衛衆の振舞いも、彼にとっては大いなる裏切りであっただろう。それを置いてもなお、領域リザーディアの重臣層、下層配下層の結束は固かった。
視点を個人から集団へ向けると、魔王の治世に反逆したのは、今のところ帆船都市ただ一つ。そして反乱鎮圧後は、大人しい日々が続いていた。
怪物の間でも、時の裏切りについて話題が及んだ時、魔少女曰く、
「陛下は自省を恥じず謙虚であるという美徳がある。結果、細かな点まで目配りを行う勤勉さが、二度目の裏切りを許さないのだと思う。それに、陛下はとてもお優しいわ」
対して、人間世界の指導層を務める者。魔王が高く評価する東洋人について、副官だった鉄仮面の戦士による反乱は、確かに鎮圧された。だが、何故部下に、それも腹心中の腹心に謀反されたのかについて、彼の自省が長く続かなかったためか、再び動乱が呼び起されようとしていた。
比較的質素な生活を好んだ東洋人は、自宅の他は愛人の家を渡り歩く日々を過ごしている。その日は、部下兼愛人である二刀流の戦士の家に厄介になっていた。
「独裁者でいつづけるのも楽じゃないが、その報酬としての甘い生活は悪くない。いやはやなんとも素晴らしい。快楽に惑った君たちは、ありったけの笑みを投げかけて俺を我が物にしようとするからな」
二刀流の戦士の栗毛を繰りながらそう宣う東洋人だが、彼にも知らない事はあった。それは、女とて武力を握れば、幸運を活用して望むものへ手をかけようとするという事。東洋人の愛人たちの中で、歴代七番目である二刀流は戦闘技術を持つ初めての相手であった。
移民である東洋人が街を歩いている時、ご機嫌な市民から次のように話しかけられた。
「統領閣下、今日も町は平和です。閣下のおかげで、私はこの町を息子や財産と同じ位愛していますよ。閣下も同様のことと思いますがね」
これに笑顔を返す彼だが、二刀流には思いを伝える。
「君も俺も移民だ。あの男が言ったような立派な愛国心は持ちようがないのにな。軽蔑するかね」
「いいえ閣下、同感です」
「鉄仮面はこの都市の生まれではないが、どこかの上流社会出身者だったという。槍使いにしたって社会的地位の低さは、俺や君ほどじゃない。だから、名誉に突き動かされるのだろうか。無益な事なのにな。統領の俺が、はるか彼方から流れ流れてきたことを、もっと考えてくれていたとしてもよさそうなものだったが……」
二刀流は黙っている。
「我々はもう翼軍人を打ち破った頃の人員を備えていない。兵数はあっても、指揮官がな。俺に君、そして槍使い。鎌使いは請われて魔王の配下になってしまった。新しい指導層を定めないとならない」
「指揮官クラスのですか?」
「そう。この世を去っていった鉄仮面や斧使い、針使いに代わり得る、ね」
相変わらず表情を変えない二刀流は尋ねる。
「どこへその人材を求めますか。さしあたって、現状の傭兵隊の中から、優秀な兵に声をかけますか」
「そうだな。加えて言うなら、この都市の人間たちからも幹部候補を探すつもりだ。自薦他薦もいろいろとあるのだ」
この時、二刀流は感づいたのだ。東洋人は囲う愛人たちの親族に連なる男たちを迎え入れたいと考えている事を。未亡人や怪物の女、食人鬼の報告では亡霊をすら愛人にしている東洋人だが、愛人の多くは都市エローエに縁をもつ女たちだ。その父兄ら男たちだって、その伝での立身を望む者だっているだろう。
「だがそうなると、私はどうなるか」
東洋人が去った後、二刀流は独り自問した。彼女は天涯孤独の移民である事では東洋人と同じだが、統領を思慕する事ひとかたならぬ点で恋人や愛人を持たない。ここが、東洋人と決定的な違いであった。だが、剣を握り命がけで栄達してきたのだ。
「いずれ、私の居場所は小さくなるのだろうな。それならば……」
ここまで殆ど完璧に近い目算で地位を獲得し維持して来た東洋人だが、ここに二つの計算違いがあった。愛人たちにはこの上なく大切にされている彼ではあったが、その実、女たちの家族からは概ね嫌われていたのだ。
「クソ、あの移民風情が。娘を傷物にしやがって」
「お前の家は、妹が恥知らずにも独裁者殿の婢女をなさっておいでだったな」
「おいおい、お宅もそうだろうが」
一族の女が慣例を破って、部外者や被差別的な身分の者とくっ付けば、大抵そうなる。そして自分が移民であることは忘れない東洋人だが、これまでの武勲功績で市民の心に眠る差別の心にについては、忘れがちであった。そして彼らは、武力を独占する東洋人に立ち向かう術を持たない。この袋小路にこそ憎悪と屈辱が燻る。
立ち振る舞いが見事に都市の伝統に適ったものであれば、この手の憎悪は幾分か和らげられたかもしれない。だが、傭兵上がりである彼は、その手の配慮には目もくれない。都市有力者の養子になる話しを持ちかけられても、束縛を嫌い拒絶しているくらいだ。
「立派な人物といったって、所詮この都市における、だろ。話にならん。それよりもさ、戦いの気配もないから、来週の祝日に俺と遊びに行こうぜ。馬出すよ」
彼は掌中に収めた娘と、所構わずいちゃつく癖があった。狭い都市で、その父兄関係者が目撃している可能性は考えなかった。情熱的でもあったのだが、その関係を良く思わない人達からは、家族公衆の前で陵辱する非道を好むフェチ男、野蛮人と思われないでもない。
募兵官から統領に昇格してからは多少静かになったものの、この手の振る舞いが皆無にはならなかった。すると悪い噂が流れだす。
「結構、女を泣かしているらしいなあ、統領閣下は」
「たくさんの愛人たちたちと、夜な夜な乱行パーティを開催しているらしいぜ」
「うーん、カスだな」
また、東洋人の愛人たちはどちらかと言うと自身も恋愛経験が豊富とまではいかなくとも、生娘でない女たちが多かったのだが、近年愛人名簿に加わったナンバー11、12、13はみなおぼこい娘たちだった。当然、さらなる噂が流れる。
「統領の趣味も変わったのかな」
「聞いたか11番目の娘は10番目の女の娘らしいぜ、親子どんぶりだ」
「12番目と13番目の娘は友人だっていうぜ。あの野郎、本当にカスだな」
実際は、10番目の愛人は難民の娘だが、徳のある活動から人々に尊敬を受けていたことから、東洋人は縁と興味を持ったのだ。そして11番目の娘は確かに10番目の愛人の娘であるが、素行不良で悪い商売をして母親を悩ませる恐れがあったため、東洋人が上位者として躾けたのが始まりにすぎない。12番目と13番目の娘たちが友人同士なのは事実だが、東洋人の本音は、それぞれの親たちとのコネクション獲得であった。事実、12番目と13番目の娘の親たちは、鉄仮面の反乱の時点では東洋人を憎んではいない。生前、鉄仮面は注進に及んでいる。
「閣下、さすがにお供の数が多すぎませんか。おやつれになったようにも見えますが」
「大丈夫、最近は休憩が取れるようになって来たから」
「かつて、あの統領とんがりは真剣に政務に取り込んでいたそうですぞ。そう言えば、女の影もありませんでした」
「だからこそあの末路だ。仕事中毒だな。政庁の仕事なんてやりたい奴にやらせればいい。いい加減が丁度良いんだ。それに俺たちは戦争屋だよ?」
「余り遊びが過ぎますと、その戦争にすら勝てなくなるかもしれませんがね」
だが13人も、正確には11人と2体も愛人がいれば、ご無沙汰になることもある。翼軍人の愛人だった2番目の女と、未亡人である3番目の女は何があっても東洋人の味方であったが、彼が都市に来て最初に知り合った1番目の女は、比較的若く、おぼこい側に属する。ある時、彼女が、お誘いや訪問が途絶えたことに怒った。
「あ、まずいな。次の休日の予定は全部キャンセルだ」
女を怒らせ放置するのは性分に反する東洋人。伝令兵を予定があった愛人達の下に送り込み断りを入れさせ、自らはすぐさま先方宅へ飛んで行き、フォローに入る。直接会話を繰り出すのだ。かつて、同様の事例で未亡人の愛人を怒らせた時、呆れる鉄仮面へ曰く、
「心配ない。彼女がこれで許してくれない場合は、別の理由があるはずだ。それとて時が解決してくれるだろうさ」
だが、この時は不運としか言いようのない事件が起こる。
独裁者である東洋人を狙う者は、魔王を狙う人間ほどではないがやはり居るのだ。そのテロリストは命がけであったし、魔法を扱えたためだろう、テロの現場は戦場と変わらぬ程の被害を受けた。テロリスト含め死体が散乱する現場で、東洋人が不機嫌処理をしていた1番目の女が不運にも魔法の直撃を受け、重傷を負ってしまう。
ただでさえ多忙な独裁者が、これで彼女の看病のために、他の女たちへ投入する時間が減ってしまった。バランスが崩れてしまったのだ。また、愛人たちの親類縁者の男たちも、独裁のお零れに預かることでようやく機嫌を直し不満を飲み込む事も出来ていたのだが、殿の御渡りが減って特別待遇を受ける競争相手が現れてしまうと、当てにしている女たちへ辛く当たるようにもなる。さらに、東洋人は足元の不穏に気がつかない。幾度と注進されていた事であるから、問題は無いと確信を持ってしまっていたのかもしれない。都市に嫌な空気が流れ始める。無論、噂が流れ、今度は尾ひれがつき始める。
「1番目の娘に恋慕していた男が激怒しているらしいぜ」
「ああ、聞いたよ。4番目の女と6番目の女は統領が評判を落としたせいで、家での立つ瀬がないらしい。女泣かせだね」
「こんな時、5番目の妖精の女、7番目の二刀流の戦士、8番目の亡霊の女たちは好都合だよな。同じ流れモンだから。だがよ、統領がクソだってのは変わらんがね」
家族や関係者の仕打ちに耐えられなくなった女たちは、皆、東洋人の屋敷に避難して来た。そこで彼女らは顔を突き合わせるのだ。そして、東洋人は1番目の女の看病に行ってしまう。屋敷は俄かに怨念の館となった。夜な夜な、複数の出刃包丁を研ぐ音が響きはじめると、恐怖した使用人たちは有給休暇を取得し始める。
都市に不穏な空気が漂い始めた事に、二刀流は気がつき、同僚の槍使いに治安維持への配慮を依頼する。
「それはいいが、統領はどうするつもりかな。女たちの収拾、つくのかな。お前はどうだい?」
「私は大丈夫」
気丈な二刀流だが、その表情はやはり笑っていない。
かつて勇者黒髪はトカゲ軍人の周到な準備によって運命の行方と対峙せざるを得なくなった。東洋人にもその時が来たとした言いようがない。では誰によって?周到な準備はあったのか?
数多くの噂が都市を跋扈すると、正しい情報の把握にはよほど集中しないと成功しない。その意味では、東洋人に不満をもつ男たちも、不満はあっても危機に際しては我こそが男を絶対死守すると決めて居る女たちも、現状把握には失敗したのだ。
槍使い率いる都市防衛隊が巡回を強化すると、人々は一気に不安に陥った。まさか、鉄仮面反乱の時のような内乱となるのか。
人々は噂に敏感である。都市の市民は兵隊ではないが、武器を持てば暴徒にはなる。そして、噂に導かれた男たちは、まずはせめて女たちを取り戻そうと東洋人邸宅に集まった。多少の刃物を持って。
これに、東洋人の愛人たち皆が動揺する。自分の恋に理解がなく、あったとしても出世や商売の道具としかみなさい、父兄らの軽挙へ、ここでも憎しみと軽蔑が燻っていたのだ。となれば、燃料を投下するのは容易、火を煽るのはよりそうであった。二刀流の戦士は、不安に慄く女たちを前に、力を込めて演説する。
「淑女の方々よ。閣下の部隊が都市を巡回する中、それをかい潜ってこの邸宅前に集まった徒党の目的は、方々を連れ戻す事と、あわよくば統領を始末することだろう。これを許してはならない。閣下を守るため、君たちは死力を尽くせ!調理場の出刃包丁の準備はできているのだろう。襲撃に備えよ!」
そして決定的な一言を放つ。
「最も功績ある方にこそ、閣下は恵愛を注ぐはずだ!」
その資格は自分にこそあり、と考えた愛人たちは覚悟を決めた。
機嫌の治った第1の女の面会から戻り、館の前に居る人を家人と見定め、陽気にギャグを飛ばす東洋人。
「ボクのー愛しのー……えっ?」
知らないおっさんの腰に甘えて抱きついてしまった東洋人は、すぐさま館を取り巻く異常を見る。東洋人は驚愕して立ち尽くす。
おふざけとは言え、男衆にこんな痴愚丸出しの態度をとったためか、
「統領、人が変わったな!今度はそっちのご趣味か!」
と罵倒される始末。刃物を持っていたこの寝取られ軍団は、殺すつもりはないまでも、東洋人を取り囲んで脅し始めた。会議室からそれを見つけた5番目の愛人、これはあの妖精女の妹なのだが、甲高い声を上げた!
「ああ、外を!閣下が危ない!」
一斉に窓の外を向く女達。悲鳴が飛び交うが、それを破る声を発する二刀流!
「方々、功績を立てるには今!今を置いて他にない!突撃だ、突撃!」
得物を両手に飛び出して行った二刀流の後を、遅れまじと愛人たちが駆け出る。彼女らは出刃包丁を握りしめ、身を守る防具を身に付けた女は一人もいない。
突如怪鳥の如き甲高い叫び声が館周辺に響く。狂気の兆しに誰もがキョロキョロするが、東洋人救出に猛った女達が館を一斉に駆け出し、鬼の形相で出刃包丁を振り回しながら己の父兄に達に襲い掛かった。それは万人にか弱いと思われていた愛人達の必死の抵抗でもあった。司令官たる二刀流は、事態を飲み込めない東洋人を屋敷へ押し込むや勇ましく指揮をとる。それに続く愛人達。
「でていけーでていけーここはお前達の来る場所じゃない!」
「それでも人間か!」
「この裏切者!」
自分の娘が刃物を振るって殺意を剥き出しにしてくれば、誰でも腰を抜かすだろう。怒涛の憤怒力に押し出され、父兄及び寝取られ軍団は撃破された。その勢いは止まらず、愛人部隊は疾風のごとく市内を席巻し、市内の治安を警戒中だった槍使いを見つけるや見境なくこれも難なく撃破。父兄や東洋人の敵に関連する人々を見つけるや、集団で壮絶な攻撃加えて行った。
事態をようやく把握した東洋人の下に、愛人部隊による全ての戦果報告をまとめた二刀流が戻り、復命する。だが彼女の目には、頼りない愛人としての奇妙さは失せ、そこには断固たる意志に裏付けされた女戦士の矜持があるのみ。その視線に見据えられ激しいショックを受けた東洋人は血を吐いて倒れ、運命に慈悲を請うた。
「こんなに成る前に俺など死ねばよかったものを!」
ここに史上初の女権政府が誕生。東洋人親衛隊によって緊急革命委員会が設置された。東洋人から全ての権力が失われた事を人々が知るのに、それほどの時間はかからなかった。




