奴隷様とごしゅじん~言葉のお勉強~
「ふぅ~。つっかれたぁ」
机の上に置かれた和紙に、俺は使い慣れない竹と毛で構成された筆記具を放り投げる。
「なんだユート殿。もう音を上げるのか?」
それを見て、俺の横に椅子を並べているアヤメが、感心しないぞ? と言わんばかりの様子でため息を吐く。
「いや、そうは言ってもなぁ」
「あれ、ユートまだ初めてから二〇分しか経ってないじゃん。やめるの?」
そんな無責任なことを言ってくるのは、書斎の中にあるソファーに寝転がって本を読みながらお菓子を貪っているルフだ。昔、国王に奴隷として献上されそうになっただけあって、ルフの容姿は言葉にできないほどかわいい。しかも、今はホットパンツにキャミソールというラフにもほどがある恰好で足をオアタオアタやっているので、その白くて細い脚が、誘惑するように視界の隅にちらつき、よけいに集中力を奪っていく。と、いうか、同じ白いものを眺めるなら、和紙なんかじゃなくてルフの足をずっと見ていたい。
足を上にやるときは、子どもに下はちょっとむっちりしている太ももに筋肉が僅かに浮き出て小鹿のような力強さを感じさせ、足がソファーに着くときは、ほんのわずかについている駄肉が押しつぶされてムニっと広がり、正直言って辛抱堪りません。見ているだけじゃなくて、今すぐ触りたい。ていうか、触るぞこら? ルフだってさっきからちらちらこっち見てるし、ルフは奴隷で俺は所有者なんだから、良いよね、少しぐらい? ということで、いざ行かん、ユートピアへ!
「ユ・ー・ト・サ・マ?」
「ていうのは冗談で、さーて。続きやるぞ!」
鬼や。鬼がおる。
「先ほどから一〇歳の女の子の足に興味津々のご様子でしたが、一体何をなさろうとしていらっしゃったんですか?」
「べ、別に?」
「そうですか」
「あっつぅ! リサちゃん! 今わかったって言ったよね? ならなんでお湯を背中にかけるの!? しかも、しっかりと襟を引っ張ってお湯が直接背中に当たるようにしてるよね! やけどで背中の皮なくなっちゃう! 湯剥きされちゃう!!」
「ご安心くださいユート様。『熱くて確実に痛みは感じるものの、決して痕は残らない温度のお湯』を使っていますので、まだ背中の皮は残っています」
「無駄な技術! 全然安心できないよ!」
「あら、ご主人様にお湯の温度をおほめいただけるなど、光栄の極みでございます」
「褒めてない! てか、何突然!?」
「ああ、そのことですか。全く、その程度のこともわからないから、お湯をかけられているのです」
「そうだね。だから早く教えて……あ、なんか、気持ちよくなって、きた」
「ですから、女の子に向かって性欲を爆発させてロリコンとか、ペドフィリアとか言われる前に、お諫め差し上げているのです」
「うん、そっか。わかったよ♪疑問が解決して良かった。悪かったから、とりあえずお湯止めてくれないかな。背中の皮は無事でも、中身が無事じゃないから♪」
「っち。しかたがありませんね。仕方がありませんので今回はこの程度でやめておきますが、次になさるようでしたら、分かっておいでですよね♪」
背中を湯剥きされるとか一度で十分なので、もう二度とやりません。
「それはさておき、ユーロ様もユート様です。せっかくアヤメ様が和文をお教えくださっているのに、すぐに投げ出さないでください。早漏は嫌われてしまいますよ?」
「そ、そそそ、早漏ちゃうわ!」
「ええ、まあ、いつも三人一緒なので、最後の方はそうかもしれませんが……」
「哀れなものを見る目を俺に向けるな!」
「はぁ……」
もう、やめよう。リサに言葉で勝てる気がしない。
「て、ゆーかさ」
こちらの話が盛り上がっているのが気になったのか、ルフが体をこちらまで歩いてくる。お菓子のカスがついた指を一本一本嘗めながら歩いてくる様は、相変わらず小悪魔っぷりだ。本当に、どうしてルフはこんなにも扇情的なのか。まだ十歳なのに。もしかしたら、淫魔の血でも流れているのかもしれないな。うん、そうに決まっている。ほら、歩くたびにわずかに左右に揺れる腰とか、幼いながらもくびれている腰回りとか、何がとは言わないけれど、すごいだろ?
「いでででででででで!」
「何が、すごいんですか、ユート様?」
貧乳なのに、リサは腰がくびれてて、お尻にもほどよくお肉がついて、歩くたびにムニムニ動くのがすごくエロいと思いました。
「そうですか」
「はあ」
どうやらリサの手で万力のように頭蓋骨を締め上げられていたらしい俺は、ようやくその圧力から解放されて机に突っ伏す。普段は普通の女の子なのに、どうしてこういう時だけ怪物染みた力を発揮するのか……
「ねえ、あたしが歩いてくるまでの五秒くらいの間に、何やってるの?」
後頭部に声がかけられたので顔を上げてみると、目の間には、ペットのバカ犬を見守るような顔をしてルフが、腰に手を当てて立っている。こちらは座っているのに対して、ルフの方は立っているので、見下げられる格好だ。その三白眼が被虐心をそそってゾクゾクす――「うわ、ユート気持ち悪い。また変なこと考えてる」
なんて言うことは決してないぞ。別に機先を制されたから意見を変えた、なんてことは断じて。
「気持ち悪いって言うな」
「いいじゃん、本当のことなんだから。それに、夜はそれに付き合ってあげてるでしょ?
それはいいんだけど、さっきから何やってんの? うるさくて読書に集中できないじゃん。せっかく寝心地にいいソファーなのに」
そりゃあ、応接ようのこの屋敷で一番お高いソファーなんだからさぞかし寝心地はいいだろうよ。ていうか、後でr掃除するこっちの身にもなってください。
「いや、和文の勉強だよ。今は、平仮名っていう文字を勉強してるんだよ」
俺は、さっきまで格闘していた紙と、アヤメに書いてもらったお手本をルフに差し出す。お手本の方には、見惚れるほど美しい字で、縦に五文字、横に十文字の表が書きつけてある。なんでも、これが和文の基本となる文字なのだそうだ。
「ふーん。すっご。この字、丸っこくて可愛い。あたし、結構好きかも」
それを見せた途端に、ルフの目が輝く。ああ、俺だってそう思ってたよ。実際に覚え始めるまでは。この字、見ている分にはただ綺麗なだけなのだが、覚えるとななると一筋縄ではいかない。普段使っているアルファベットと違って曲線的で、似ている字も多い。昔船の中でアヤメにスパルタ教育されたときは、本気で死ぬかと思った。
「で、こっちは?」
目をキラキラさせたルフが、目ざとくもう一枚のお手本を見つける。
「ふむ。それは、片仮名という文字だ」
さっきから静観を決め来んでいたアヤメが、ついに我慢できなくなって口を出す。ただ、この場合の我慢できなくっては、会話に加われないことに対するものではなく、ルフへの欲情に対するものだ。その証拠に、ルフからは見えない机の陰で、手がワキワキしている。
「ふーん。これも、同じだけあるんだ。形が、似てる? でもさ、えっと5×10×2で……百文字? もなにに使うの?」
ああ、掛け算が出来るようになったんだな。偉いぞ、ルフ。
「ふふふ。それはな、表現を豊かにするためだ。実はな、これは違う文字でも発音が同じで、時と場合に応じて使い分けるのだ」
「なにそれ、すっごい!」
ルフの目が、一層輝く。ついでに、アヤメの手もより高速でワキワキする。この上、漢字の存在なんか教えたら、どうなるんだろう。きっとものすごくかぁいいことになるは間違いないが、アヤメの性欲が抑えられなくなることも間違いないからやらないけど。
「でもさ、どうしてそれを今になって覚えてるの?」
「ああ、それはだな、私の父上との正式な貿易が決まってな。それで……」
「相手の文字を覚える必要が出てきたってこと?」
「そうだ」
「ふーん。そっか。ユートって意外と仕事してるんだ」
「失敬な。いつも真面目に仕事してるわ」
「あっそ。まあ、いいや」
そこで、アヤメの態度を察したのか、単に興味がなくなったのか、ルフはくるりと背を向ける。
「ところで……」
が、すぐに振り返る。しかも、その手にはどこから出したのか、大判の本が握られている。背表紙をこちらに向けられた薄くて大きい本が、手品のようにルフの手に握られている。いや、ルフの恰好と今の動きから常識的に考えると、お腹と服の間にしまっていたのだろうが、そんなところにわざわざ大判の本を入れてどうしたというのか。その本は、まるで和紙のように柔らかい紙でできているから割と簡単に入っただろうが、そうする理由が、俺にはわからない。
「ルフ様、手品、でございますか?」
「おお、うまいもんだ」
なんの脈絡もないルフの行動であるが、リサとアヤメはすっかり慣れたもので、すぐにルフに相槌を打つ。いつも――例えば勉強中――であれば、嬉しそうにそれにこたえるルフであるが、このときは違っていた。二人の言葉には答えず、肉食動物が追い詰めた獲物に向けるような、『面白いものを見つけたけれど、どう料理してやろうか』という視線を俺に向け続ける。その、扇情的ともいえる視線に、俺は興奮し……じゃなくて、首をかしげる。首を傾げたところで、いやなことに思い当たった。
まさかと思い、俺はルフの持つ本に、慌てて目を向ける。ただし、そのことにリサが気づかないように、動かすのは目だけだ。慎重に、気づかれずに。もし俺の良そう通りの出来事が起こっているのだとしたら、気づかれた先に待つのは死のみだ。
「ふふーん」
が、どうやら俺の必死の努力も、目の前のロリ悪魔にはお見通しらしく、邪悪な笑いが、その顔を歪ませる。
「ところでさ、この本の作者、その表の通りなら、『鉄棒ぬらぬら』って言う人で、分類は『春画』になると思うんだけど、アヤメのねぇちゃんはどう思う?」
オワタ
\(^o^)/
「うむ、よく読めたな。その通りだ」
ダウト! 今ルフは漢字を読みました。五十音表にある文字だけではありません。うんうん、いつの間にか成長したもんだ。
「ルフ様、それは、どこで発見なさったのですか?」
「ユートの寝室の本棚」
だから、ルフよ、俺の代わりに書状を書いておいてくれ。俺よりも外国語が達者なんだろ? 適材適所ってやつだよ。それに、俺はこれから、銀色の鬼から逃げるから。
「ユート様、どちらへ行かれるのですか?」
「ちょっと、お手洗いに……」
「それでしたら、必要ありません。いざとなったらわたくしが口でお受け止めいたしますので」
「ああ、私も手伝おう。父との貿易は、少なからず私にも責任があるから、そのぐらいは当然だな」
なんだろう、割とこういう変態的なの好きなはずなのに、全然うれしくない。
「待て、リサにアヤメ。話せばわかる。ていうか、それは男の子の生活必需ひん……」
『問答無用です!』
「お湯ぅ! てか、痛い痛い! 指はそっちには曲がらないよ、アヤメちゃん! おおう、ルフ、お前もか!」
結論。エロ本はしっかり隠しましょう。