8
盾とナイフを返却して、もう一度魔法士ギルドに向かい、そしてながーい説教も終わり――気づけば外はもう暗くなっていた。
これから先のことを考える。
リゼと一緒にいることはまず第一として、彼女たちが実際なにをしているのか――もっと言えば、彼女がどんな人間なのかもはっきりとわかっていない。
他の仲間についても知らないことばかりだ。
もっとも、一番わかっていなければならない自分のことが曖昧なままなのは、どうにかしなければならないが。
「……」
まるで暗闇の中にいるようだった。
手を伸ばしたその指先も見えない。
彼女が用意してくれた布団に転がって、窓から見える月に手を伸ばしてみた。
何かが起こるわけもない。
「眠れないの?」
ベッドから手が伸びてきて、俺の手をつかんだ。
「なんでもない」
「そう……。記憶がないってどういうことか考えてたの」
「ん?」
彼女の方へ顔を向ける。
ベッドから伸びている手――顔はこちらに見せていない。
「羨ましいって、あたしは思う。幸せなことを忘れるのは辛いかもしれない。でも、悪いことって簡単には忘れられないじゃない。だから、得したって考えてもいいんじゃない? 幸せなことはこれからたくさん探せばいいのよ」
「……ありがとな」
彼女が何を思ってそう言ったのか、昔なにかがあったのかもしれないが、それを聞く必要はない。彼女には忘れたいことがある。俺には忘れたものがある。
「おやすみ」
リゼは返事もせずに寝息を立て始めた。もう一度月を見る。いつか、こんな風に月を見上げていたことがあるような気がする――。
――――――――――
彼は失う人間だった。彼が手に入れたものは、近くに置いているものは、必ず失くなる。
それが彼の人生だった。
「もう止めてくれ」
腕に抱き上げた少女は、虚ろな目で彼を見上げる。
もう彼女は、生きていない。
人間として必要だったものがなくなっている。
「もう俺からなにも奪わないでくれ……」
彼の服は赤に汚れ、路地に鳴り響く音は静かな夜を汚してしまっていた。
「俺を連れて行け! もういいだろ! どうして俺の周りから奪うんだよ! 俺を連れて行けばいいじゃないか!」
彼は必死で叫んだ。しかし、彼女は動かない。
彼は声をあげて泣き、空を見上げた。
――――――――――
「ヒトシ、朝よ」
「……ん」
なにかをみていた気がする。
それはきっと、忘れていた大事ななにか。
しかし、思い出せない。
忘れてはいけないことだ。思い出さなければ――
「やめて。もういいのよ、ヒトシ」
「え?」
「泣いてるじゃない。無理しなくていい。きっと本当に必要な記憶なら、いつか思い出すから」
自分の頰に伝う涙を拭って、頷いた。
今は必要のないことなのかもしれない。
とりあえず急いで思い出すのはやめよう。
「さ、なに食べる? パンでいい?」
今更な話だが、一つの部屋で男女一緒にというのはいかがなものなのか。
パンを咥えて髪を結んでいる少女の姿は、なかなか見ることのない光景だ。
綺麗な茶色の髪は、頭の後ろでしっかりと結ばれる。
「パンでいいの?」
「ま、まかせる」
見惚れていたのをごまかすように立ち上がって、窓から空を見上げた。
雲ひとつない快晴だ。
「今日はみんなを呼んでるから紹介するわ。軽いクエストを受けて、武器と防具を揃えましょうか」
「幾らくらいするんだ? 武器とか防具って」
「安い盾で100、服は上だけでいいなら50ほどかしら」
持っているマナは220。十分買えそうだが。
「居候するんでしょ。頂いたわ」
「うそだろ」
もう奪われてしまっていたようだ。
一文無しである。
「でもまあ、盾代くらいは出すわよ。守ってくれるんでしょ」
「あー……うん」
「自信ないの?」
あるわけがない。
「ほらはやく食べて。リーダーが遅れるわけにはいかないんだから」
無理やり口に押し込まれ、むしゃむしゃと咀嚼する。
ほんのりとオレンジのような香りがするが、なにか味付けでもしてくれていたのかもしれない。
ジャムとかがあるのだろうか。
「まずは盾を買いに行って、そのまま魔法士ギルドに行くわ。はやく」
「わかったわかった。けど口がパサパサするから水くれ」
「はい水」
ぶつぶつとなにかを呟いて、気づけば激しい水が顔面にぶつかった。
びしょ濡れであるが、口の中はぱさぱさのままだった。
咄嗟に閉じてしまったのである。
「顔も洗えたわね」
「……」
もう一度同じことをされるのは嫌なので黙っておこう。
部屋を飛び出して外へ出る。
街は相変わらず賑やかで、バザーには多くの人間が集まっていた。
武器屋を通り過ぎて――
「え、通り過ぎたぞ?」
「ヒトシ、はっきり言っておくわ。盾は武器じゃない」
「……」
よく考えればそうである。
「いらっしゃい」
防具屋には、鎧や服、盾が並んでいた。
念のため服を覗いてみるが――60、70と、彼女が言っていた値段よりやや高めの物ばかりが並んでいる。
「盾が欲しいの。見てもらえる?」
「おおリゼ。男なんか連れてどうしたんだよ」
「どうもしないわよ。はやくして、約束があるの」
「へいへい。ったく年上相手に偉そうに」
店主のような男は、のっそりと立ち上がり近づいてくる。
かなり体が大きい。
なにか物差しのような物を持っている。
「お前さん、武器は?」
「盾です」
「……リゼ、こいつ頭いってんのか」
「犬に育てられたのかもしれないってあたしは思ってるわ」
まだそれを言うか。
まあそう言ってもらえる方が気は楽だが。
「でも本当よ。だから、防具としての盾じゃなくて、武器として盾を用意して」
「本気かよ」
まじまじと顔を見つめられる。
おっさんの顔をこうも長い間見ることはおそらく初めてだが。
「惚れたか?」
惚れねえよ。
「盾は盾以上にはならん。武器としてなんぞ作ったこともない」
「じゃあ、よかったわね。いい経験になるわ」
「しかしだな」
「なに? できないの?」
リゼの明らかな挑発に、おっさんははっきりと答える。
「できる。ああ、できるとも。やってやるが、すぐには――」
「すぐにはできないから、それまで盾を貸してくれるのね! まあ、なんて優しいの!」
「え」
「よかったわねヒトシ。きっといい盾ができるから、それまではこれで我慢してってさ」
700マナと札が貼ってある盾を持ち上げて、リゼはにっこりと笑った。
恐ろしい笑みである。
「そ、それはここで一番高い――」
「やったわねヒトシ!」
「……」
何か言えという彼女の表情に押されて、おっさんに一瞬視線を流し――
「やったぜ」
とりあえずそんなことを言う。
おっさんは諦めたようにため息をついて、盾についていた値札を剥がした。
「壊すなよ。わかったな?」
「まかせな、おっさん」
「おっさんじゃない、ボルグだ。リゼ、しっかり金は用意するんだぞ」
「大丈夫よ。見合ったお金は用意するわ」
おっさんはぶつぶつと文句を言いながら店の奥に行った。
ふふふと嫌な笑い声を漏らすリゼ。
やはりいい性格をしていない。
「さ、ギルドにいきましょ。ほら、装備して」
「おう」
重たそうな盾を持ち上げて――思った以上に軽かったことに驚きつつ腕に取り付けてみる。
自分のステータスが大幅に変わった気がする。
いい装備なのだろう。
「街にいる間は腕につけなくていいわよ。そうね背中に背負えばいいわ」
「ん? どうやって?」
「ボルグー! 紐ももらっていいー?」
好きにしろと投げやりに返事がかえってくる。
半ばやけくそのようだ。
「これを持ち手に通して、あとは前で結ぶ。簡単でしょ。ただの紐だから最悪なくしても大丈夫」
「なるほど」
言われた通りにして背負う。
これだとかなり動きやすいが、やはり上に服がほしいところだった。
紐が直接肌に触れるのも少し痛いし、なにより盾が冷たい。
「ほら急いで、みんな待ってるかもしれないわ」
リゼに付いて、走り出した。
まるで店から逃げていくようだが、しっかりお金は払いに来よう。
そんなことを考えながら、ギルドに向かった。
「おせーぞ」
と、ギルドに付いてから30分ほどして、二人現れた。
「ご、ごめんね。遅れちゃって」
ひとりはしっかりと謝罪するが、なぜか男の方は反省どころか、遅いのはお前だと指を指してくる。
頭が悪いのかもしれない。
「誰だお前」
「まずは謝って、ジャコ。私たち遅れちゃったんだから」
「すでに謝った」
謝っていたらしい。
それは知らなかった。
リゼをちらりと見る。ずいぶんとお怒りのようだ。
変に怒らせないように黙っておくことにした。
「パット、紹介するわ。彼はヒトシ。新しい仲間よ」
「新しい? そっか、よろしくね」
「ああ、よろしくたのむ」
不自然に伸びた長い前髪は、片目を隠してしまっている。
しかし表情は豊かで、人も良さそうだ。
とすれば、問題はもうひとりである。
「俺はジャコ。貴様、どこの誰かしらんが、俺の邪魔はするなよ。戦闘を舐めるな。真っ先に死ぬぞ」
「……」
なんだろう。
この、なんとも言えない雑魚臭は。
真っ先に死にそうな雑魚臭は。
◇第三魔法 水
シード:パスカル=エメリー
かつて国を襲った大水害。それを救ったのは魔法のことも何も知らない小さな農村の少女だった。第三魔法は現状彼女の子孫のみが扱える魔法である。
水を扱う単純な魔法であるが、火のように何もない場所から急に魔法を生むことはできない。近くに水場が必要になり、第三魔法を扱う魔法士の多くは水を常に持ち運ぶことになる。才能のある魔法士は、空気中にある水分だけで十分な魔法が使えるようだ。
この適性をもつ魔法士は特定のクラスになりやすいことはなく、他の魔法種の適性によってクラスが定められることが多い。
◇第五魔法 光
シード:リリト=マテュー
癒しの力を扱う魔法。瞬時に人を癒すことができるが、死んだ人間を生き返らせることはできない。強化魔法も多く確認されている。
シードになった女性は子供を作らず死亡したため、子孫は存在しない。しかし、彼女が死亡した後、次々と癒しの魔法を扱える魔法士が現れた。そのため現在は多くの魔法士がこの魔法種の適性を持っている。シードである彼女の魔法力はあまりに強力すぎたため、死んだ人間を生き返らせることもできたのではないかという話があるが、彼女の子孫がいないのであれば、それを知る方法はない。もし子孫がいるのなら、魔法適性と習得した魔法も遺伝することがあることを思えば、確認できたのかもしれない。記録にもあまり残っていないため、この魔法種には謎が多い。
この適性をもつものはクレリックになることが多く、稀にエンチャンターのクラスになることがある。
ボボリア=スピルフィア(056)『絶滅した魔法士』夏色書店




