13
ギルドに呼び出された俺たちは、ギルドの奥、いままでそんな場所があるのか知らなかったが――広い客室に通されていた。
いままでのクエストとは違った依頼なのだろう。
ふと、リゼの横顔を見た。最近様子がおかしい。
話しかけても上の空というか――話も噛み合わないことが多い。
話が終わらないうちに離れていってしまうことも多い。
一度しっかり話しておいたほうがいいだろう。
「なあ、リ――」
「お前たち、待たせたな」
と、嫌なタイミングでヒナタさんが部屋に入ってきた。
話をするのはまた家に帰ってからでもいいだろう。
ヒナタさんは部屋にだれかを招き入れる。
入ってきた男性は、体と同じくらいの大きなカバンを背負ってドアに挟まっていた。
「太陽の街ウラカまで、彼を護衛する。それが次のクエストだ」
「よろしく頼むよ。ははは」
ドアに挟まったまま、おそらく商人であろう彼は乾いた笑い声をあげた。
太陽の街ウラカまでは、おおよそ三日かかるらしい。
食料などの費用はギルドから支給されるにしても、装備や服に関しては自分たちで揃えるしかない。
なんにせよ買い物だ。
持ったことのない大量のマナを抱えて、メインストリートを歩いていく。
それにしたって――
「これだけあればなんでも買えそうだな」
「全部使っちゃだめだからね、ヒトシくん」
パットはくすくすと笑って追い越していく。
「オレとパットは服あるから、食料みてくるぜ。ヒトシは服見てこいよ。ウラカは年中暑いから、薄着でいいと思うぜ」
「ああ、わかったよ。気をつけて行けよ」
ジャコは手を振ってパットを追いかけて行った。
残された俺はすぐ後ろを歩いている――ギルドを出てから一言も話していないリゼをそっと盗み見る。
どこか遠くを見つめて、考え事をしているようだが。
なんにしたって話しかけづらい。
何度もそうしようと試みたが、いつもうまくいかないのだ。
「なあ、リゼ。マナを全部使っちゃだめだって、なんでなんだ?」
とりあえず、気になったことを聞いてみる。
リゼはまったく反応せず、並ぶ屋台に目を向けていた。
なにを話しかけたって無駄だ、そんな気がした。
諦めて服屋に向かうことにする。
「MPは眠らなければ回復しないのよ」
「へ?」
ぼそりと、リゼは呟いた。
「街の近くにいるうちは、その日のうちに家に帰って眠れるけれど、離れてしまえばなにがあるかわからない。もし眠れない状況になった時、MPを回復するためには魔力の結晶であるマナを使うのよ。普段の戦闘だって、マナを使えばMPを回復させることはできるわ」
それだけ言って、リゼは道を引き返していく。
「どこ行くんだよ」
「体調が悪いから帰るわ」
一度も俺のことを見なかった。
会話というには少し無理があるかもしれないが、それでも少しは良くなったような気がする。
人の波に飲まれて見えなくなるまで、俺はその寂しげな後ろ姿を見送った。
次の日――。
いつも通り目を覚まして、少し前まで彼パンを食べて座っていた場所には彼女の姿はなく、皿の上になにもぬっていないパンがひとつだけ。
いつからかこの部屋の中でも、会話はなくなっていた。
帰ってきた頃には彼女は眠っていて、朝起きれば彼女はいない。
どこかでずれ始めていたのだろう。
それでも、いつかは元に戻れる。
自分で言ってしまうのも妙な話だが、あれだけ仲が良かったのだから。
部屋を出てイムルタ草原に出る門の前に着く頃には、すでに全員が待っていた。
どうやら俺が最後だったらしい。
「ゲントさん、すいません待たせてしまって」
護衛対象である商人ゲントさんは、馬車に荷物を運び入れていた。
指を挟んだらしく変な悲鳴を上げている。
「いいよいいよ。もう少し時間かかるから、忘れ物がないかとか見といてね」
挟んだ指をくわえて、ふがふがと言葉を発する。
どうも落ち着かない人だ。
荷物の確認は昨日のうちに終わらせてあったので、今やることはとくにないが。
馬車の前の方でパットとジャコがはしゃいでいる。
なにをしているのか気になって覗いてみることにした。
「馬じゃない!?」
見に行ってみると、荷物を引っ張るのは馬ではなかった。
当たり前だ。
そもそも俺が知っている知識はほとんど、この世界では適応されないのだ。
見た目はラクダに似ているが、コブのかわりに花が咲いている。花が咲いている――。
「ヒトシくんはじめて? ラフラダっていうんだよ」
「くさすぎぃ」
花を抑えてジャコは笑っている。
たしかにラフラダの、おそらく花から発せられている匂いは、少なくともいい匂いだと言えるものではなかった。
ぺちぺちと体を叩いて笑うジャコ。
バカにされていると思ったのか、ラフラダはジャコに体をぶつけた。
倒れるジャコ。
彼にとっては小さな攻撃も致命傷である。
ダメージが入ったということは、ラフラダは魔物ということだろうか。
パットは腹を抱えて笑っている。
いつも通りの光景だ。
彼女がいないことを除けば――。
「準備できたよ。さあ、行こうか」
ゲントさんの声を聞いて、ラフラダ車に乗り込む。
これで三日となれば、居眠りしていてもすぐに終わりそうだ。
だんまりのリゼに気を向けつつ、外を眺める。
少しずつだが、街が小さくなっていく。
もう俺たちが知っている場所ではない。
街からこれだけ離れるのは初めてだ。
どんな街があるのか、そんなことを考えながら目を瞑った。
草が揺れている。
ガタガタと車輪が音を立て、腰に衝撃が伝わってくる。
つまり、寝れたものではなかった。
「これで三日かあ……」
「順調に行けばだけどな」
床に転がされているジャコが言う。
すでに半死のやつがいるのは、どうなのだろうか。
「そういえば、旅の途中でジャコが死んだらどうするんだよ」
「ウラカまで放置だよ」
にっこりとパットは笑顔をみせる。
ジャコは涙目で俺を見た。
蘇生なんて俺にはできないから、それを阻止することはできない。
街にしか教会はないのだから仕方ないのだろう。
それにそもそも、戦闘になると棺桶がなければパットが戦えない。
魔法だけではMPのこともあって無理がある。
マナで回復できるにしたって有限だ。
「オレが死ぬって決まってる訳じゃないけどな」
お前は死ぬんだよ。
とは言ってやらないことにしておく。
「……ジャコ、レベル上がったのね」
「おう! すげーだろ」
リゼが呟いたことに過剰に反応するジャコ。
二人で奇跡的に倒したラット一匹。
ジャコはそのおかげでHPが1増えた。
誤差である。
「もっと褒めてくれていいんだぜ」
「……」
涙目でこちらを見るな。
反応してもらえないことにかなりのショックを受けたらしく、大粒の涙を流している。
見ていて気持ちのいいものではない。
気持ちが悪い。
「ヒトシくん」
パットに手招きされ、ラフラダ車から一度降りた。
ラフラダは人の歩く速さとほぼ変わらない速さで歩いている。
のんびり歩いても十分並んで歩けるほどだ。
「どうした? リゼのことか?」
「うん」
心配なのだろう。
彼女の様子が変なのは、確かなのだから。
「いつからだったか……確か」
「あのラットの時だよ。呪種のラット。あの後から、あまり話してくれないっていうか……。でも、もう少し前から変だったかもしれない」
パットはラフラダ車を見つめる。
「なにか起きたわけじゃないからさ、いまは見守るくらいしか」
「なにかが起きてからじゃだめなんだよ、ヒトシくん」
「とは言ってもだな……」
話しかけてもだんまり。
そんなのをどうすればいいんだ。
「ねえ、お願いヒトシくん。リゼと話してみて。なんとなくなんだけど、私じゃだめなの。ジャコでもだめ。ヒトシくんじゃないとだめなの」
「う……」
「わかった?」
「……わかったよ」
パットに頼まれれば断れない。
少し離れてしまったラフラダ車を追いかけて、二人で走り出した。
――――――――
それまで自分が足手まといだと思ったことは一度もなかった。
今回の戦闘で、自分が足手まといになっていることに気がついてしまった。
少女はベッドに倒れたまま、思うように動かせない体を抱いて泣いていた。
素手という武器スキルが解放されてしまった以上、もう自分のクレリックとしての――回復係としての立場はない。
武器スキルのせいで魔力も弱くなり、回復魔法の効果も弱くなってしまった。
もう一つ、回復手段はあるけれど、ダメージをまず与えなければならない回復なんて。
「あぁ……」
自分の運の悪さが嫌になる。
いや、それは彼女自身のせいだ。
彼のせいでもなく、運のせいでもない。
そんなこと起きるわけがないと――勝手に殴りかかったのは彼女なのだから。
毒に侵された体を引きずるように家を飛び出した。
行く当てもない。
彼女の目に留まったのは酒場だった。
ヒトシはどこかに行ったまま帰ってこない。
いつもは苦手な人がいるからと近寄りもしない場所だったが、いまは何もかも忘れてしまいたいような気分だったのだ。
人の目につかない奥の席に座って、運ばれてくる酒を次々と流し入れていく。
少し離れた場所に見慣れた人影を捉える。
帰ってこないヒトシの姿と、パット、ヒナタ、そして嫌いな人。なにか話しているようだ。
彼女はただ、自分を外されているのが悲しかった。
足手まといだと、そんなことが見せつけられているようだった。
文句でも言ってやろう。
彼女はそんなつもりだった。
病人を放ったらかしにして、酒場に寄ってのんびり談笑とは――。
「あぁもうっ! 腹が立ってきた!」
近づいていく。
そこで彼女は聞いてしまったのだ。
「思い出した――」
彼が何を話していたか、そんなことはどうだっていい。
何を思い出したのかも、彼女にはどうでもよかった。
ただ、そのことだけは――思い出せないことを一番知っている自分こそが彼の過去を知る第一人者でいたかった。
思い出したことを一番に教えてもらうのは、自分でいたかったのだ。
彼はそんなこと知らないと、彼女たちに話している。
もう自分だけができることはなくなったのかもしれない。
回復は自分にはもうできない。
これから敵が強くなっていけばいくほど、自分にはどうにもできなくなっていく。
彼女にできたのは、彼の過去を一緒に追うことだけになっていた。
それすらも奪われては――。
「っ!」
酒場を飛び出していた。
がむしゃらに走っていると、たどり着いた場所は空き地。
かつて、彼女が住んでいた場所である。
失ったらどうなるのだろうと、彼女は考えた。
建物のように綺麗に消えてくれるのなら、魔法士をやめてしまうのも悪くない。
「うらやましいって、本気で言ったわけじゃないの」
彼に言ったことだった。
彼を慰めるために言った嘘の言葉である。
それがいま、彼女の中では本当になりつつあった。
「悩み事かい?」
そこに、妙な格好をしたものが現れる。
着ぐるみのようなもの――二頭身だ。
目は白眼に黒の点がひとつあるだけで、暗闇の中では恐怖感を煽るのみである。
かわいらしさは微塵にも感じない。
「ああ、ああそうかいそうかい。ふむふむ。なあるほど」
何も話していないのに、着ぐるみは短い腕をパタパタと振って動きまわる。
彼女が反応しないことにがくりと肩を落として、つまりなにかしら反応して欲しかっただけなのだろうか。
「こんな格好をしているとね、だれからも疑われるわけだよ。怪しい人間がわざわざこんな格好するわけがないって、道理だよね。つまり、僕のことは信用していいよ。君の秘密は君の秘密のまま。僕に話したとしても、君はぬいぐるみに話しかけただけだからね。女の子なら普通のことさ」
信用できないと、普段の彼女なら一言も話さないままその場を去っていただろう。
酒を飲んだ後、まるで自分を失った彼女には、その存在は救世主のようなものだった。
彼女は自分の内にあったものをそれに話した。
「君は足手まといだ」
はっきりと、彼女はそう言われた。
「客観的に見ればわかるよねえ。そうだよ。足手まといなんだ。つまり、最期の英雄――罔象均から離れるっていうのは至極当然というわけだよ。でも大丈夫、僕を君の仲間にしてよ。君の居場所を作ってあげるからさ。んふふ」
彼女はそれの言葉をもう聞いてはいなかった。
聞きたくなかったのだろう。
足手まといだとはっきり言われてしまったことで、もう嫌になっていたのだ。
「君は自分の仲間たちが信用できなくなる。信用できるのは僕だけさ。僕を信用しなよ。僕はすごく信用できるやつなんだから。こんな格好してまでこの街に入り込んだんだから――おっと、失言失言。でも君は僕と話したことも忘れるだろうから。いやあ、やっぱり才能って大事だよねえ。第四魔法なんて――こんな魔法、わっるいやつが使えたら大変だよね。でも安心していいからね。僕はすごく信用できるから」
ぱたぱたと両手を羽ばたかせる。
「君は足手まといだって思われてる。でもだれも言わない。ニンゲンって空気読むからね。僕はそのへんわかんないけど。いつか君は言われるよ。隠れてこそこそ準備してからね。それまでに出て行ったほうがいいかもしれない。僕が君の居場所をつくるまでは時間がかかるんだ。それまで君が我慢できればいいけど。その地獄のような時間にね――」
彼女は目を開ける。
がたがたと揺れる荷車の中、その場にいない二人のことが気になった。
◇ラフラダ
生息分布 ヴロロ砂漠
種族 獣種
背中に花が咲いている四つ足の魔物。
うまく調教すれば移動手段に使えることから乱獲が進み、野生のものはほとんど見つからなかったようである。背中に生えている花からは甘苦い香りが漂い、一部の魔物を除き多くの魔物たちが苦手とする匂いを発しているため、他の魔物と争うことは少なかったようだ。力もあり、魔物を近づかせにくいことも、移動手段に選ばれた大きな理由なのだろう。
基本的に食事は必要とせず、花からの光合成のみで生活ができる。
ここまでくれば、ラフラダがどれほど優秀な移動手段だったのかと思われるかもしれないが、彼らには弱点があったようである。水が苦手なのだ。川に近づくと変に暴れてしまうため、商人たちはわざわざ遠回りを強いられることも多かったようである。
だれでも、なににしても、得手不得手はあるということなのだろうか。
モーガン,オリアナ(057)『魔物図鑑』ボボリア=スピルフィア訳,夏色書店