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第87話 一人じゃない

 神を殺した対価は決して安く無い。


「…………ごぼっ、えほっ! あー、っべなぁ、こりゃ」


 賢悟の口元から零れる血の量は、控えめ目に見ても尋常な量では無い。間違いなく内臓に重大な傷があり、早く治療をしなければ死に至るだろう。


 それだけではない。賢悟が原初神へと放った一撃終幕は、文字通り全身全霊を込めた物だ。己が最悪の終点に成り果ててしまうギリギリの、その一線を辛うじて守っただけの自爆技。そうでもしなければ、単身で神を討つなど不可能だったのだろう。

 半死半生、満身創痍など、そんな言葉では言い表せないほどの瀕死ぶりで、けれど、賢悟は確かに大地を踏みしめて、帰路を歩いていた。


「あー、あのクソ神の奴め、寄りにも寄って最後に皇都から離れた座標に送りやがって。二キロ先とか、地味に面倒な距離だなぁ、おい」


 原初神の死後、アカシックレコードなる空間に閉じ込められることは無かったが、出口として用意されたゲートの先は、皇都の中心から二キロほど離れた道のど真ん中だった。そこは舗装された路面だけがずっと真っ直ぐに続く道で、周囲には住居も店もありはしない。当然、厳戒態勢の現在において、人気などあるはずがない。


「…………時間との勝負だな」


 少し待てば、仲間が助けに来る事を賢悟は理解している。

 だが、それも含めてなお、時間の勝負だと思っていた。あまりにも、原初神に打ち込んだ『終わりの因子』が多すぎる。内部から、肉体と魂が自己崩壊を始めそうなほどに。


「…………死ぬものか、死んでたまるかよ、くそが」


 悪態を吐きつつ、賢悟は痛みすら感じない四肢を動かして、前に進む。少しでも、皇都に近づくよう、歩き続ける。


 必ず帰ると約束があった。

 養うと決めた妹も居る。

 待っている片割れも存在する。

 偉業を成し遂げた友達もいる。

 ならば、ここで倒れていい道理などあるはずがない。英雄の如く、偉業を成し遂げた後、用済みとばかりにぽっくり逝く輩と同じになっていいはずがない。


「いや、ハルヨさんも、異影牙も、割と長生きだったなぁ……はは」


 段々と暗くなっていく視界に抗いながら、死の微睡を気合いで打ち消しながら。辛うじて生を繋いで、賢悟は歩いていく。

 だから、そんな中で反応できたのは奇跡に近かった。


「敵を・斬り・裂け」


 背筋に極太のつららでも差し込まれたような悪寒。それは、致死に至る攻撃に対して、賢悟の生存本能が鳴らした警鐘だ。


「――ちぃっ」


 舌打ちしつつ、賢悟はその場で脱力し、重力に任せて地面に転がり込む。既にまとも歩法や回避運動は不可能になっているので、合気と柔道の受け身が混じった即席の回避方法だった。


「…………本当に、末恐ろしいですね、貴方は。その状態で、この神剣の一撃を避けるとは」


 そのまま賢悟が歩いていたら、胴体が横薙ぎに真っ二つに成るような攻撃の軌跡だった。そして、その一閃は世界に刻まれる一線となって、賢悟にその攻撃の恐ろしさを知らしめている。


「本来なら、この一撃はあのクソッタレな神を殺す物になったのですが」

「…………はは、ここでテメェが出てくるかよ――――マクガフィン」


 その者はダークスーツでは無く、どこにでもあるようなジーンズとジャケットを着た少女だった。手に携えた神剣は、マオという魔王の魔剣。

 顔つきには一切、賢悟には見覚えが無い。ただ、クラスで三番目ぐらいに可愛いような、そんなどこにでも居るような顔立ちの少女だった。


 けれど、因縁めいた関係性が、賢悟に勘付かせる。

 即ち、眼前で敵対している少女こそ――――宿敵であるマクガフィンの本体であると。


「売られた喧嘩は買う主義だが、生憎体調が最悪でね。後でにしてくれねーか?」

「おや、随分としおらしい態度ですね。奇襲もしてみる物です……が、聞き入れるわけがありません。ええ、私が貴方を殺せるチャンスなど、この場を置いて他に有り得ないのだから」

「…………だよなぁ、まったく」


 ハードな展開だぜ、と苦笑して賢悟は拳を構える。

 既に賢悟の肉体は死に体なれど、その精神は恐るべき強度で世界の条理を凌駕している。短時間の戦闘なら可能だ。もちろん、対価は決して安くないが。


「容赦も油断も微塵にありません。貴方は、ここで…………ぐ、が……ちぃっ」

「……おいおい、テメェも死にかけかよ?」


 賢悟を殺そうと神剣を振るおうとしたマクガフィン。その口元からは、鮮やかな血が。賢悟と同様の、内部からの存在崩壊に耐えきれず、肉体が破損しているのだ。

 恐らくは、神剣という規格外の魔剣を無理やり固定化し、制御しているが故に。


「ええ、まぁ……ですが、こうでもしなければ原初神には勝てなかった。そして、それを討ち取った貴方であるのならば、私も命ぐらい賭けなければ」

「痛み入る評価だなぁ、おい。ったく、これじゃあ、互いに後、一発が限度じゃねーか」

「……さて、私は貴方と違ってまだ余裕がありますが?」

「無意味なブラフはみっともないだけだぜ?」

「ですが、死に際に意地を張らないぐらいなら、みっともない方が幾分かマシでしょう?」

「はは、そりゃ確かに」


 賢悟とマクガフィンは此処に至って、奇妙な連帯感を得ていた。

 それは互いに死神の足音が聞こえてくるほど死に近づき、なおも互いを殺そうとしているが故に生まれた、同類意識かもしれない。


「だが、勝つのは俺だ」


 賢悟は口元の血を拭いながら、宣言する。

 守るべき約束が、帰るべき場所があるからこそ、彼は奮い立つ。


「いえ、勝利するのは私ですので」


 マクガフィンは口元も拭わず、純白の長剣を構える。

 約束は守られず、恨みもはせず、帰る場所も無い――だからこそ、彼女は破滅を望む。


「行くぜ」

「行きます」


 互いに、進み出て、己の一撃を加えんと疾走する。

 一撃終幕は使えない、既に許容できる限度を超えたが故に。

 権能の霧は使えない、既に原初神に属するあらゆる力(絶望)は打ち砕かれた故に。

 だからこそ、二人はボロボロの体を引きづって、今できる全身全霊を叩き込む。


「一打百裂」

「敵を・斬り・裂け」


 一打から百に別れる打撃。

 世界を切り裂く、チートコード。


「…………くそ」


 二つの全身全霊が重なった数秒後、倒れたのはマクガフィンだった。無数の打撃に体を打ち抜かれて、内臓が破壊され、神剣を振りぬけず、敗北した。

 敗因は明白だった。

 最後の最後、己の力を貫いた賢悟と、他者の魔剣を頼ったマクガフィン。

 両者とも極限状態であるならば、この差は天地にも等しい。


「俺の勝ちで、お前の負けだ、マクガフィン」


 今にも黄泉路を渡りそうな有り様で、けれども、勝者の義務として賢悟は勝ち誇る。敗者にたいする、己の宿敵に対するせめてもの手向けとして。


「…………負け、ですか、私の……ははは、あははは……そうですねぇ、ほんと……ここまでなったら、認めないと……」


 からん、と神剣が地面に落とされ、瞬時に固定化が解除された。主亡き魔剣は、この世界には存在しえない……幻の如く消えるのみ。


「ああ……本当に、なんだったんでしょうね、私の人生は」


 乾いた笑みを浮かべて、マクガフィンはその場に座りこむ。もはや、立ち上がる力も無く、そのまま、痛みもない崩壊に身を任せるしか出来ない。


「田井中賢悟、貴方に言っても仕方ないことですけどね? 私はただ、幸せになりたかっただけなんですよ。ただ、元に戻りたかっただけなんですよ。ねぇ、確かに自分の幸せのために、他者を害した私は悪ですよ? けど、ねぇ? どうすればよかったんですか? 貴方みたいに、条理を捻じ曲げる強さも無い私は、どうすればよかったんですかね?」


 乾いた笑みのまま、涙も流さず、マクガフィンは怨嗟を吐き散らす。みっともなくとも、そうせざるを得なかったから。


「分かってますよ、全部私が悪かったんです。弱かった私が。殺戮衝動に身を任せて、悪意に身を委ねた私が。ああ、でも、くそ、くそ…………嫌だなぁ、死ぬのは嫌だなぁ」

「…………」

「嫌だなぁ、名前も分からずに死ぬのは、嫌だなぁ……独りぼっちで、死ぬのは嫌だなぁ、ああ、くそ、死にたくない、死にたくない……」


 理不尽はあれど、自業自得の結末。

 けれど、マクガフィンはあまりにも報われなかった。救われず、ただの『名無し』のまま死にゆくしかない。その結末が変わる事は無いだろうが……それでも、一つ幸いなことがあったとすれば。


「…………あ、え?」


 マクガフィンの死を看取る者が、田井中賢悟であったことだろう。


「…………何を、貴方は……何で?」


 マクガフィンが疑問の声を漏らすのも無理はない。何故なら今、マクガフィンの体は、賢悟によって抱きしめられているのだから。

 優しく、壊れかけの体で抱かれていたのだから。


「今更、同情ですか? 可愛い女の子なら、誰でも同情するんですか? はは、ひどい男……男? いや、もうわけわかんないですね、ほんと」

「うるせぇ。このままお前が死んだら、寝覚めが悪いだけだ。俺が俺のためにこうするだけだ、勝手にほざいてろ」

「…………あ、ははは、なんですか、それ」


 あまりにもぶっきらぼうな言いぐさに、マクガフィンは思わず笑ってしまう。

 ボロボロの体でも、確かに感じる誰かの鼓動に、涙を流してしまう。ボロボロと、乾いた大地に雨が降り注ぐように。


「ひどいなぁ、貴方は。ほんとうに、ひどい…………なんで、最後の最後に、こんな……」


 涙を流しながら笑って、マクガフィンは賢悟の肩に顔を埋める。埋めて、最後の最後、力尽きる間に、そっと囁いた。


「少しだけ、救われたなんて思わせるなんて……本当に、ひどい人だ」


 その声は恨んでいたかもしれない。

 その声は泣いていたかもしれない。

 しかし、賢悟は確認せずとも分かっていた。最後の最後、強がりだとしても、その宿敵は笑顔で死んでいったのだと。

 崩れ去り、マナへと還元されていく肉体を、最後まで抱きしめながら。

 賢悟は、最後までマクガフィンを見送っていた。



●●●



「おおおおお……敵に情けをかけたら、残り体力がやべぇ……分かっていたけど、俺は馬鹿だ。紛れも無い馬鹿だ……」


 マクガフィンを見送った後、賢悟は早速後悔の嵐に襲われていた。

 なぜならば、マクガフィンを抱きしめて見送った後、さて帰ろうと力を入れた瞬間、思いもしない脱力感に襲われたから。

 どうやら、本当に最後の力を使い果たすような戦闘だったらしく、指一本まともに動かすのさえも億劫な有り様である。


「…………まぁ、自己満足でくたばるのも馬鹿らしいな……っと」


 それでもなお、賢悟は己の体に喝を入れて、立ち上がる、歩き始める。

 既に視界は暗い、どうやら血を流し過ぎたようだ。

 思考も段々とぼんやりしてきて、少しでも気を抜けば永遠の微睡に落ちてしまうだろう。


「…………守るんだ、約束を……帰るんだ……」


 歩く、歩く、歩く。

 もはや、どこを歩いているのかすらも分からなくなるほど、ただ歩いて――――


「もう大丈夫ですよ、賢悟様」


 聞き覚えのある声が、耳朶を打った。

 懐かしい匂いが鼻腔をくすぐって、気付けば賢悟は、その何者かに背負われていた。いや、推測するまでも無く、その何者かはリリーだろう。

 なぜならば、賢悟が死にかけている時、何時も隣に居たのはリリーだったから。


「…………まったく、またお前か」

「はい、また私です」

「どうしてお前が最初に来てるんだか」

「愛の力ですね、もちろん。まぁ、ウリエル様にこっそりと、賢悟様がピンチの時、強制的に近くに転移する特殊な術式をかけてもらっていたわけですけれど。賢悟様にも報酬があったように、私のもそれ相応の報酬があったわけで」

「そうか」

「はい」


 一体、俺は何度、こいつに命を救われるのだろうか? そんな疑問を抱きながらも、不思議とそれが嫌じゃない自分が居ることに気付く。

 リリーは変態で、精神が不安定で、どうしようもない奴であるが、それでも自らが選んだ相手である。嫌いでは無い。だから、たまには甘えてもいいだろうと思えた。


「じゃあ、頼む。俺を皆の所に連れて行ってくれ……後、死にたくない」

「問題ありません。すぐに皆様もやってきますし、先ほど回復液もたらふく飲ませておきましたので。口移しで」

「…………記憶に無いことを惜しむべきか、喜ぶべきか」

「お望みであれば、元気になったらまたキスしましょう」

「別に良いけど、今度は倒れるなよ?」

「倒れません。押し倒すかもしれませんが」

「…………なんか、俺が男に性転換したら、お前の態度が一気に変わりそうな予感がする」

「違います、性癖オンリーではありません。ちゃんと愛してます」

「それはまぁ、知ってる」

「えへへへ」

「調子に乗らなければ可愛い奴なんだが」


 他愛ない、いつも通りの雑談を交わしながら、ゆっくりと賢悟の意識は微睡み始める。それは死へのいざないでは無く、急激に回復した肉体が体力を回復しようとする自然反応だ。冷たく、悲しい微睡では無い。

 だから、このまま微睡みに身を任せてもよかったが、賢悟はもう少しだけ起きていることにした。


「はい、賢悟君の場所に到着! 各員、緊急治療配備ぃ!」

「うにゃぁああああああ! ケンゴぉおおおお! 死ぬにゃぁあああ!」

「にゃあああああ! お兄さん、死にゃにゃいでぇ!」

「落ち着け、猫人共……ったく、ケンゴの野郎、俺のライバルの癖に死ぬんじゃねーぞ」

「賢悟ぉ! エロいキッスしてくれるって言ったじゃん!」

「あー、見た感じ大丈夫っぽいねー! と言っても、死にかけの状態が固定されているだけなんだけど! ケンちゃん無理し過ぎぃ!」


 心地よい、仲間の声が聞こえて来たから。

せめて、もう少しだけは起きてようと思ったのだ。


「よぉ…………ただいま」


 こうして、賢悟の長い長い戦いの日々は幕が下りる。

 最後に、愛しい仲間たちに囲まれて、再会の言葉を交わしながら、己の戦いは終わったのだと、賢悟は実感する。

 やっと、望んだ日常を手に入れることが出来たのだと、そう、思えたから。

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