第85話 姉妹
まず、想像して欲しい。
どこにでもいるような、女子高生の姉妹を。
歳は近く、一学年差。姉が三年生で、妹が二年生。どちらも同じ高校に通っていて、適度に仲が良い。少なくとも、喧嘩した後はすぐ仲直りが出来る程度に。けれど、ちょくちょく他愛ないことで喧嘩する程度には仲が悪い。
そんな、どこにでもあるような姉妹の話だ。
姉の名前は御剣東子。成績優秀かつ、運動神経抜群。社交的でもあり、学内だけでなく、学外の友達も多い。休日のほとんどは友達と一緒に遊びに行って、何かあればすぐ頼られるような、そんな優秀な人間だ。
対して、その妹の出来はあまり良くなかった。名前は御剣真央。姉とは違い、排他的で、己の殻に籠りがちなところがある、少々コミュ障害のある人間だ。成績は並程度、運動はさほど得意では無く、当然友達も少ない。休日のほとんどは、自宅で本を読むか、大抵、一人でできるような趣味をして過ごしている。
対照的な姉妹だった。
姉は妹をちょっと見下してはいたが、それでも手間のかかる妹の事は好きだった。
妹は姉に嫉妬していたが、それでも優秀な姉は妹の誇りだった。
そのまま人生を過ごしていれば、何事も無く、平穏に人生を終えられるような、そんな姉妹だったのだ。
異世界の神に拉致されて、身に余る力を押し付けられなければ。
妹である真央が与えられたのは、あらゆる人類を超越した優秀な肉体と、死んだ者を魔剣に変える固有能力。
それと、最古最悪の魔王の称号を。
姉である御剣東子が押し付けられたのは、人類創造に伴う絶対なる罪悪――即ち、原罪。善悪の前に存在し、世界中のどんな悪意よりも純粋な漆黒。本来であれば、『邪神』として祀られる存在になってしまうほど、どうしよもうない呪い。
けれど、東子は抗い、様々な人の手を借りてその呪いを超越した。
妹は壊れて魔王と成り果てて、姉は乗り越えて超越した。
結果、どちらとも世界最強クラスの超越者となり、数百年以上経っても、死ぬことも無く生き延びてしまっていた。
だが、姉と妹が数百年の間で共に居た期間は、ほぼ皆無だ。
それどころか、出会うこと自体が極端に少ない。出会ったとしても、互いに何も言わずにすれ違うことの方が圧倒的に多い。
なぜならば、もう手遅れだから。
妹は壊れて災厄たる最悪に、姉は世界の管理者となることを選んだ。
そう、二人が出会ってしまえばもう、まともに言葉を交わしてしまえばもう――――殺し合うことしか、出来なくなってしまうのだから。
●●●
「呪いを・斬り・祓え」
マオは――否、真央は神剣を持って、胸を貫く呪いを斬り祓う。
いかに原初の呪いと言えど、世界を斬り、改竄する神の権能には抗えない。胸を貫いていた漆黒の槍は分解され、光の粒子と共にマナに還元されていく。
「我が呪いよ、罪を貫け」
だが、止まらない。
オリエンス――東子の体から湧き出るように放たれる無数の槍は、悍ましいほど大量だ。さながら、蝗の大群のように。勢いはそれほどでもなく、音速程度。されど、それが空の一角を覆うほどの、夥しい量であったのならば?
「は、ははははっ! ははははははっ!!」
純白たる神剣を用いて、真央はアバドンの名を冠せられそうな呪いの大群を斬り祓う。斬って斬って、世界の構造すら斬り裂いて…………けれど、呪いは確実に真央の元へと辿り着く。
なぜならば、真央と東子は姉妹であるが故に。
血という、斬っても切れない縁で結ばれた関係であるが故に。
呪いは、その縁が強ければ強いほど、必ず対象に辿り着く。
これは強い、弱いの話では無い――相性の問題だ。
呪いを扱う者が、己の血族に呪いをかける。その悲劇を、滑稽なまでの皮肉を、世界は求めていたからこそ…………最古の魔王は此処に敗北した。
「ははははっ! 姉上! 姉君! お姉ちゃん! 私を! 我を! 真央を! ここまで殺したかったの? あはははっ! 気づかなかったなぁ! こんなに嫌われてたなんて!」
漆黒の十字架に貼り付けられ、呪いの槍が幾本も真央の肉体を貫いている。
ここに至れば、どんな魔剣の能力があったとしても無意味だ。単純に、質量が違う。数百年、片手間に扱ってきた能力と、たった一つ、それだけを磨き上げてきた規格外。比べるまでも無く、敵うはずがない。
不死であろうが、浄化能力であろうが、その全てを漆黒の呪いは塗り潰す。
「そうだよねぇ! 私はいろんな事をしてきたからねぇ! 悪事をたーくさん働いてきたからねぇ! そりゃそうだ! 憎むし、殺したいはずだよ! ははは! ずっと顔を隠しているのも! 私との関係性を知られたくないからでしょう?」
「…………」
東子は黙して語らない。
ただ、無言で新たなる呪いの槍を作り出し、妹の心臓を貫いた。
「――かは……ははは! そう、そうなんだ! 言葉も交わしたくないほど嫌いなんだ! ははは! 当たり前だよねぇ!? うん、知ってた! 知ってたよ!」
心臓を貫かれ、致命傷を受けながらも、狂ったように真央は笑う。
笑う、笑う、笑う。
笑うしかない、とでも言うように。
もはや嗤っているのか、笑っているのかも分からずに。
ただ、血の涙を流しながら、子供のように喚き散らす。
「知ってたよ! 知ってたけどさぁ! どうすればよかったんだろーねぇ!? 最初から、死ねばよかったのかなぁ!? きっとそうだ! そうに違いない! まぁ、自害も出来ない頑丈さなんだけどね! ははは! やばい、超うける! 笑える! ひゃはははははぁ!」
壊れて狂った妹の姿を眺めて、けれど何も言わずに東子は処刑を続ける。
魔剣の能力など無くとも、膨大な原罪に呪われてなお、死にきれないほどの強度を真央は持っているが故に。原初神から、呪いのように与えられた故に。
東子は、何度も何度も、槍を突き立てる。
憎しみを突き立てるように。
あるいは、その苦しみを一刻も早く終わらせるために。
「――――まだ、何も言ってくれないんだ?」
「…………」
「そっか。そっかぁ――――なら、いいや」
真央の狂った笑い声が止む。
だが、それは正気を取り戻したわけでは無い。ただ、笑う必要が無くなっただけだ。笑うよりも何よりも、優先すべきことが出来たのだから。
「だったらぁ! 私の黄泉路に付き合ってよ、東子お姉ちゃん!」
真央を縛る呪いが、絶大なる意思によって捻じ伏せられ、解かれる。
魔剣の能力でも為せなかったことを、真央は単純明快な力押しで為す。そして、それは不可能では無い。なぜならば、それはかつて東子が呪いを乗り越えた時と同じ方法なのだから。
呪いは能力では無く、意思によって挫かれる。
死の呪いを克服するために、自らの肉体を捨てた少女のように。
死の呪いを解除するために、仲間と共に抗った少年のように。
そして、妹を探すために、神様からの呪いを跳ね除けた姉のように。
「因果を・斬り・捨てろ」
その手に携えた神剣で、真央は自らの姉を殺そうとする。フードから覗く細い首を斬り落とすために、剣を振るう。
それは世界すら切り裂く、絶対なる神剣。
振るわれてしまえば、例え超越者と言えど、躱すしかない。防ぐ手段などない。奇襲故に、東子が避ける暇などない。
だから――――
「お前に私は殺せないよ、真央」
真央は己の意思で、その刃を止めるしかなかった。
「…………なん、で?」
しかし、真央は分からなかった。
己の意思で止めたはずなのに、何を思って止めたのか、自身が理解できないのだ。確かに殺そうとしたはずなのに。喉元まで切っ先を近づけたのに。
何故、真央は薄皮一枚も東子を切り裂けないのだろうか?
その疑問に答えたのは、他ならぬ東子だった。
「だって、お前は優しい子だもの」
「…………なん、だよ、それ」
それは皮肉な結論だった。
それは悪逆の限りを尽くした真央にとっての、最大の皮肉である。
どれだけ壊れようと、どれだけ狂おうと、どれだけ殺そうと、どれだけ時間が経とうと、結局の所――御剣真央は、たった一人の家族だけは殺せなかった。
ただそれだけの、当たり前のような結論だった。
「……ああ、本当に…………なんて、馬鹿らしい――――」
真央の体が呪いに侵されて、消えていく。
黒色に塗りつぶされて、次々と肉体が呪いの文字列へと変わっていき、やがて、最後には呪いだけが残った。
理不尽に世界を翻弄し、理不尽に奪われた少女の、馬鹿らしい結末が一つ。
それが、東子に対する絶対なる呪いとして、皮肉として残っただけだった。
●●●
作戦は無事に成功した。
元々、レベッカ自身、超越者であるマオを殺せるとは思っていなかった。故に、待ったのである。頼れる仲間が――須々木太郎が超越者であるオリエンスを連れてくることを。
幸いなことに、ギィーナの踏破によってダンジョンの最深部は解放されていた。そう、最古のダンジョンにして、『原初神が定めた神世への通路』が解放されていたである。だからこそ、原初神の干渉を受けずに、オリエンスはマジックへと帰還することが出来たのだ。
もっとも、成功率は高いとも言えなかった。交渉担当であるルイスを捕まえ、女装姿にして、堕落仙人と交渉。神世まで届く千里眼によって的確にオリエンスの居場所を探知。後は、太郎が死ぬ気で転移魔術を繰り返し使用し、何とかここまでオリエンスを連れてくることが出来たのだった。
その間、レベッカはマオを殺す気で足止めをしていた……そして、その作戦は成った。
オリエンスに手によってマオは倒され、理不尽を振りまく悪はもう居ない。だというのに、レベッカの心が晴れることは無く、もやもやとした引っ掛かりが残るのみ。
「…………オリエンスさん」
「…………」
レベッカの問いかけに、オリエンスはしばしの沈黙の後、応えた。
「悪いが、しばらくの間、一人にしてくれないだろうが? 情けないことだがね、家族を殺すのは、どれだけ長生きをしていても辛くてね。今にも泣き叫びたい気分なのだよ」
その声は淡々としていながらも、どこか震えていた。
隠し切れない激情が、今にも爆発しそうな不安を感じさせた。
だから、レベッカは頷き、この場を立ち去ることにした。己が為した正義が、意図していなかったとはいえ、どれだけの非道を強要したのかも自覚しつつ。それでも、ここで慰めの言葉を、赤の他人がかけるのは最大の侮辱だと知っていたから。
「分かりました。ただ、これだけは聞いてください」
故に、最後に残した言葉は、慰めでは無く、純然たる事実である。
「あのクソッタレな神様は、必ず賢悟が殴り殺します。だからもう、貴方が休んでも、誰も文句など言わない……それだけです」
「…………ありがとう」
最後、レベッカにオリエンスが言葉を返せたのは、ほんの一欠けら残った理性だ。
それを使い果たしてしまえばもう、何もオリエンスを――御剣東子としての感情を阻む者は何もない。
「…………もっと、早くこうすればよかったね、真央」
レベッカが去った後、誰も居ない蒼穹の中でオリエンスは呟く。
「私がもっと強ければ、お前を止められた。私がもっと強ければ、お前の罪も背負ってやれた。私がもっと、もっと…………ああ、なんて、馬鹿らしい」
誰にも見せない、隠されたフードの奥から、ぽろぽろと大粒の涙が流れていた。それが誰に対しての慰めになるのかは、オリエンス自身も分からないだろう。
ただ、世界の管理者と成り果ててしまった現在でも、オリエンスは泣けた。家族を殺した苦痛で、涙を流すことが出来た。
それが何よりの人間の証明になって。
「後悔するぐらいなら、殺さなければよかったのに」
涙が枯れるまでの間、ずっとオリエンスは自戒を繰り返す。
誰にも見られない蒼穹の中で、誰にも聞かせられない後悔を吐き出しながら。
たった一人になった姉は、亡き妹を想う。
●●●
レベッカは立ち去り、オリエンスは後悔の涙を流している。
だから、気付かない。
たった一つの切り札を手に入れるため、暗躍する存在を。
「…………概ね予想通りですね。さようなら、『僧侶』さん。来世があったら、今度はもうちょっとまともな存在として生まれてきてください」
誰も気に留めていなかった――神剣の行方。
本来ならば、固有能力の所持者の死亡に伴い、時間はかかれど消えていくはずのそれを、空から落下するそれを、手に入れた者が存在する。
それはこの悲劇を仕組み、この世界への復讐を企む者だ。
「貴方の剣は私が預かりましょう。何、今までの迷惑はこれでちゃらにしますので。それでは、貴方に良い死後がありますように」
心にもない言葉を吐き捨て、黒幕は消え去る。
己が、舞台に駆け上がるため――――今まで纏っていた暗幕を捨てて。




