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第83話 拳の行方

 一人の男が居る。

 名前をシイ・エルゲイン・アジスト。

 人類を殺すために生まれた巨人族の魔物であり、人類のために生み出された存在である。

 シイは生まれた時から当たり前のように強く、当たり前のように強さを求めた。全て、魔物という本能に導かれるままに。

 やがて、その強さは魔王に至るまで積み上げられ……けれど、そこでシイは知った。


 人間の強さを。

 馬鹿みたいな男の輝きを。

 そして、戦いの楽しさを。

 シイが本当の意味で強さを求めたのは、それからだろう。本当に強くなりたいと、魂が叫び出したのはそれだからだ。

 ただ単純に、勝ちたい相手が居る。

 それだけの理由で、己はどこまでも強くなれると知ったのだった。



●●●



 破砕音と衝撃音が繰り返され、その度に廃墟の地形が変わっていく。


「く、ははははははっ!」

「ひゃ、ははっはははっ!!」


 何かが破壊される音の合間に挟まれるのは、実に楽し気な男二人の笑い声。狂っているのではないかと思うほど恐ろしく、けれど、ひどく純粋な楽しさが溢れる声だ。


「行くぞぉ! ケンゴぉおおおおおっ!!」


 吠え猛るようにシイが叫び、大地を踏みしめる。

 足から腰へ、腰から方へ、肩から肘へ、肘から手首へ、手首から指先へ。シイの固有能力により、武術を越えた域での体重移動と力の伝達が行われる。

 それによって放たれる拳はまさしく、至高の拳。これ以上なく、シンプルに、原始的に、殴るという行為を突き詰めた極致だ。


「来いやぁ! シィイイイイッ!!」


 対して、それを迎え打つのは清流の如き美しき拳打。

 初速から最高速までのタイムラグがほとんど無く、放たれた瞬間からするりと、静かに、けれど鋭く的確な打撃となる。そしてそれは、シイの拳を柳のように躱して、肘を打つ。さながら、シイの一撃を横から薙ぐように。拳の軌道を逸らすように。

 逸らされたシイの拳は賢悟のジャージの一部を掠め、その背後の大地を大きくえぐり取る。そこだけ何か巨大な生物に食いちぎられたと錯覚するほど、大きく。


「ちぃっ!」

「ひはぁ!」


 舌打ちするシイへ、次いで賢悟は蹴りを放つ。殴りぬいた己の動きから、流れるように回し蹴りをシイの側頭部へ叩き込む。


「くは……ぬりぃんだよぉおおお!!」


 綺麗な曲線を描いてシイの側頭部へ叩き込まれた蹴りだが、シイは全く堪えていない。口の端から多少血は流れているが、それだけだ。蹴りは、賢悟の打撃の中では拳に比べて蹴りは、決定打に成りえない。

 だからこそ、その蹴りは攻撃でない――ただの次への布石だ。


「ケンゴぉ! こんなもので、我が――」

「倒せると思ってねぇよ! だから、これだ!」


 蹴り抜かれた賢悟の足は、握り砕こうとするシイの手をするりと避けて、肩に絡みつく。膝を固定し、そこから引っかけて、賢悟が乗り掛かるようにシイの肉体へ飛びつく。


「うらぁ!」


 絡めた賢悟の足が、シイの動きを阻害する、だから避けられない。一度蹴りが決まった側頭部へ、今度は右拳が添えられる。

 放たれるのはシイの直線的な体重移動とは異なる、螺旋に似た曲線的な力の伝達。寸勁に類似する方法で放たれる、密着状態における打撃だ。


「――が」

「お、ご……っ」


 賢悟の拳は確かにシイの頭部へ放たれた。完全に決まれば戦闘不能へとなるであろうその一撃は、けれど、寸前に邪魔をされた。シイのなりふり構わぬ振り払いによって。残された片腕による、脇腹への掌打が賢悟の体重移動を邪魔し、完全には決まらなかったのである。

 その結果、シイは世界が歪み、揺れるような錯覚に陥って膝を着き。

 賢悟は、振り払いによって地面に叩き付けられるように吹き飛ばされた。


「ひゃ、は……か、ははははっ」


 狂ったように笑いながら、賢悟は込み上げてきた血の塊を吐き捨てて、立ち上がる。内臓の一部が傷ついたのかもしれないし、骨が折れたのかもしれないが、まだ体は動く。ならば、万全の状態であると。


 既に、ルイスからエンチャントされた身体強化三回分……全てを使い切ってしまっているというのに。魔術の保護も無い脆い体になったというのに。

 賢悟はなおも、楽し気に笑うのだ。

 これ以上楽しい喧嘩は、そうそうない、と。


「く、はははは」


 シイもまた、賢悟に呼応するように立ち上がる。

 鼻からだらだら流れる血を拭って、己の不格好など笑い捨てて。既に内臓がボロボロになるほどの打撃を受けて、なおも笑う。

 これ以上楽しい戦いなど、あるわけがない、と。


「ひゃ、ははは……ははっはぁあああああああっ!」

「くは、はははははっ! はははははははははっ!」


 二人は磁力にでも引き寄せられるかのように、また拳を交わす。

 戦意に憑りつかれたように地面を蹴り飛ばし、笑みを浮かべながら歯を食いしばり、満身創痍を酷使して、戦闘を続行する。


 賢悟はシイの一撃をすり抜けながら、無数の打撃を叩き込んで。

 シイは賢悟から無数の打撃を受けながら、なおも強力な一撃で戦況を覆す。

 戦えば戦うほど互いが傷つき、されど、傷つけば傷つくほど……二人は戦士として高みへと上がっていった。

 既に、二人の力量は僅かな戦いの間でも飛躍的に向上していき、七英雄クラスにさえ到達していた。互いの殺し合いが、何よりの鍛錬であり、強さの糧だとでも言うように。


 もしも、この場にミツルギマオという世界最強の悪意が現れようとも、今の二人であれば、歯牙にもかけず瞬く間に殴り殺すだろう。

 強さの問題では無い。

 男二人が全身全霊を賭けて決闘しているのだ。その場に入る女が居たとしても、かつてのリリーのように命を落とすのが、その場における道理になってしまっているのだ。

 二人の戦いが、その熱量が、世界を焼きつけてしまうが故に。


「が――ぼっ……げほっ…………あー、楽しいなぁ、おい。くそ、世界の命運がかかった戦いがこの後に控えているのに、死にそうなくらい、楽しいぜ」


 殴りながら、血を吐きながら、賢悟は呟く。

 今や、賢悟とシイの実力は拮抗していた。互いに殴り合い、高め合ったからこそ、拮抗する。

 それは決して、賢悟の驕りでは無い。

 なぜならば、一撃終幕という異能の拳はシイにはひどく通じにくいのだから。

 賢悟が放つ一撃終幕は、あらゆる存在を終幕させる、まさに必殺技だろう。されど、それを放てる相手と、放てない相手が居るのだ。


 相性と言ってもいいかもしれない。

 何か特別な力で、積み上げてもいない、仮初の力で戦う強者にとって、賢悟の拳は良く効く。相性が良い。己の力量を反則で誤魔化す者にとって、一撃終幕はまさしく必殺だ。

 されど、最初から最後まで、全て積み上げた力で戦う者に対しては、賢悟の拳は賢悟自身の力量相応でしかない。賢悟自身が、それを終わらせるには惜しいと思うが故に、その積み上げた修練に敬意を払っているが故に、終幕を引くことが出来ないのだ。

 仮に賢悟が無理やり終幕を引こうとすれば、かつて己の過去を終わらせた時と同じように、自身にも致命傷を受けるだろう。


「かはっ! どうだ! 俺との死合いは楽しいかよ、戦鬼殿!?」

「おうよ。これが楽しくなくて、何が楽しいと言うのだ、不良め」


 だからこそ、二人の戦いを決めるのは、ただの拳だ。

 特別でも、なんでもないただの拳こそが、馬鹿二人の決着に相応しい。



●●●



 一人の男が居る。

 名前を田井中賢悟。

 最初は悲しくなるほど弱く、理不尽に立ち向かうために拳を握った存在だ。

 平穏な世界で、誰に求められるわけでもなく、ひたすらに強さを求めて、無為に戦いを繰り返す虚しさを抱えていた。

 それが変わったのは、皮肉にも己の強さを――肉体を一度捨ててからだ。


 賢悟は知った。

 友のために戦うことを。

 許せぬ悪を討つために戦うことを。

 愛しい誰かを守るために、戦うことを。

 そして、どうしようもない理不尽に立ち向かうために、己は拳を握っていたのだと、やっと思い出せた。

 だから、賢悟は拳を振るう。

 己の意思を通すために。

 己の想いを伝えるために。

 誰かの想いに、応えるために。



●●●



「か、ははは……」

「く、ははは……」


 その戦いが長かったのか、あるいは短かったのかは、戦っている当人たちにすら分からなかった。三日三晩戦い通したような気分だが、同時に、数分しか殴り合っていないような気分もする。それほど鮮烈な戦いだったらしい。

 ただ、どれほど時間が経ったかは定かでないにしろ、その戦いがもたらした被害は被害は凄まじい物だろう。


 神が創り上げたバベル――それも含めて、周囲の廃墟がほとんど凸凹に消し飛ばされ、既に廃墟では無く更地以下の何かになっている始末。辛うじてバベルだけは自動修復機能でもあったのか、倒れずに限界を保っているが、周囲はどこの戦闘民族が戦ったんだ? と首を傾げたくなるような有様だ。

 そして当然、周囲がそんな有り様になるほど戦った二人が無事であるはずがない。


「ああくそ、いってぇな……おいおい、笑えるほど痛いぞ、クソが」


 賢悟は体中に打撲を負い、肋骨や左腕など、骨折に及んでいる負傷もある。体の表皮は擦り傷だらけで、美しい肌のほとんどが血塗れ。戦闘服である赤ジャージもボロボロだ。


「こちらは泣けてくる程痛いぞ、貴様」


 一方、シイもまた重症だ。左足と左腕の骨にヒビが入っている。加えて、内臓は賢悟の浸透打撃によってボロボロに痛めつけられて、咳き込むたびに血を吐き出す有り様。外見だけは頑強な皮膚と筋肉にとってさほど被害は無いが、賢悟にも負けていないほど傷を負っている。


「つーか、俺は何をしているんだかなぁ。いや、マジで。この後原初神ぶっ潰すのに、何でこんなダメージ負ってんだよ、俺。レベッカあたりにばれたら、絶対やばいぞ。真顔でブチ切れられる……戸籍上の妹にされてしまう……せめて弟だろ……」

「相変わらず、人間は訳が分からんな」

「安心しろ、俺もだ」

「いや、貴様が一番わけわからんわ。なんだ? 男の癖に女だし。その癖、我をここまで熱狂させるほど強い。本当に、訳が分からん」

「はははは、いいじゃねーか、別に。他人なんざ、分からないぐらいで」

「そうだな、それもそうだ。訳が分からなくとも、殴り合える」

「殴り合えば、それなりに分かり合える」

「「では、そういうことで」」


 二人は共に満身創痍。

 今すぐ倒れてもおかしくないどころか、とっくの昔に昇天していても不思議と思えないほどの重傷だ。

 けれど、二人は決して倒れることなく語り合い、そして――互いの赤い目を見据える。

 拳を構える。

 お互いに最後の一撃になることを知っているが故に、未練が残らないように。

 最後を己の勝利で飾るために。

 二人は、奇しくも呼吸を合わせて、言葉を紡ぐ。


「行くぞ」

「来い」


 シイが言って、賢悟が応えた。


「おぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 天へと轟かんばかりに雄叫びは、大地を抉り取るような疾走と共に。

 ドラゴンの爪で抉ったかのような地面。それはシイが弾かれたように駆けだした後に出来た、足跡だ。されどそれは、至高の拳を放つための助走に過ぎない。


 固有能力と武術が一体となった、奇跡の体重移動。

 己の身体能力を極限までに研ぎ澄ませた、助走運動。

 それは、単純な物理法則を超えて、至高の拳を生み出す。


「一撃――――閃光ぉっ!!」


 まさしく、閃光の如き一撃。

 瞬く暇すら与えず、何者であるとその目を焦がすほどの、美しい閃光。

 確かにその一撃は、拳を振りぬかんと応じていた賢悟の胸元――心臓部分へ当たっていた。


「…………く、はははは」


 当たっていたが、貫いていない。砕いてもいない。消し飛ばしてもいない。代わりに、振りぬけなかったはずの賢悟の拳が、分厚いシイの胸板を貫いていた。そう見えるほど陥没させ、深く、打撃がめり込んでいる。


「――――我の、負けか」


 賢悟の右拳が砕けたのと、ずるりとシイが崩れ落ちたのは同時だった。


「お前の一撃は至高にして直線的だ。だからこそ、読みやすい。いや、俺以外の相手ならば、例え読まれていたとしても、お前の拳が上回っていただろう。だがな?」


 だらん、と砕けた拳と折れた腕が垂れ下がるが、賢悟は意にも介さない。痛みはあるが、それよりも言うべき言葉が優先された。


「一度目は死闘を繰り広げて。二度目は共に死線を潜って。三度目はこうやって、馬鹿になるまで殴り合った仲だ。ここまで殴り合えば、お前の拳が示す終点ぐらい分かる」

「…………だからこその、カウンターか」


 ごろん、とシイは仰向けになり、どこか晴れ晴れとした顔で笑い始める。


「くは、くははははは……ごほっ…………あぁ、してやられた。てっきり、迎撃する拳が間に合わなかったとばかり……くそ、我の体重移動を全て利用して、貴様の拳の威力にしやがって」

「ぶっつけ本番だったが、上手くいった。つーか、あとコンマ一秒以下のずれがあったら、俺が消し飛ばされていたわ、この野郎」

「当たり前だ、殺す気で行ったからな」

「俺も殺すつもりでカウンターしたんだが、急所外しやがって」

「当たり前だ。全身全霊で戦ったが、積極的に死にたいわけでもないのでな」


 ふら付きながらも膝を着かず、賢悟はシイを見る。

 シイの胸元からは、ごぼごぼと血か流れているが、段々とその傷口も小さくなっていく。人間では有り得ない回復能力だった。賢悟はそれを心底羨ましく思う。なぜなら、シイはこの場で退場でもすればいいが、賢悟はこの後、神殺しが待っているのだから。


「…………は、俺も積極的に殺すつもりはねーよ。敗者はそこで休んでろ。俺は先に行って、ムカつく野郎をぶち殺す」

「そうか、なら、約束通りの報酬だ」


 そう言うと、シイは何のためらいも無く己の残った眼球を抉り取り、賢悟へ投げ渡した。眼球は血をまき散らしながら、しっかりと賢悟の掌に収まる。視界が潰れているというのに、妙に正確な投擲だった。


「いいのかよ?」

「構わん。どうせ、後で生える」

「ん、ならいいや。また喧嘩する時、お前が弱くなってたら嫌だからな」

「くはははは! 満身創痍が良く言うな!」


 ひとしきり笑った後、シイはぽつりと呟く。


「なら、貴様が世界を救った後、また戦うとしよう」

「大げさだな。俺が居なくとも世界は救われるってーの。俺はただ、ムカつく野郎が居るから、殴りに行くだけだ……不良なんざ、それで充分なんだよ」


 賢悟はそれだけ言うと、用は済んだとばかりに歩き出す。

 満身創痍の上に重症で、一歩踏み出すごとにふら付く有り様だが、それでも恐れることなく、バベルへと歩いていく。

 そんな英雄の――否、喧嘩仲間の背中を、シイは盲目のまま、けれど確かに見送った。

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