第82話 それぞれの対決
全世界で魔物の消滅が確認された翌日。
ギィーナは王国の冒険者によって瀕死の所を救出され、一命はとりとめたものの、ダメージが酷くしばらくは入院を余儀なくされている状態だった。一応意識はあるのだが、『大淫婦』の能力に抗って『大淫婦』を討伐したため、自責の念で自殺衝動が生まれやすくなっている。よって、ある程度回復の目途が立つまで、意識を強制的に落として入院させているのが現状だ。
大戦果、英雄的行動の対価は決して安くは無かった。
現代まで生き残っている七英雄は異世界へ追放され、いつ戻って来られるのかは未定。『大淫婦』の討伐を成し遂げた戦士は、しばらく戦線復帰できないほどの重傷だ。
故に、必然として――――田井中賢悟が出陣しなければならない。
このチャンスを、原初神を殺す機会を逃さないために。
「……うっし、完治完治っと。んー、やっぱり体のどこも痛まないってのは良いもんだな」
「賢悟様。それが健常な人間のデフォルトですので、どうかそのままで」
「善処するわー」
「……賢悟様ぁ」
賢悟は久しぶりに、私室で己の戦闘服である赤色のジャージに袖を通す。
既に何代目か不明のこの赤色のジャージは、賢悟にとっては戦いの象徴みたいなものだった。これを着た瞬間、心の底からふつふつと戦意が湧き上がる。恐れも、戸惑いも、全て笑って誤魔化せる素敵な代物だ。
「賢悟様……本当でしたら、私も決戦まで付いていきたいのですが」
「いいって、いいって。というか、足手まといだから来るな」
「はっきり言わないでください」
「はっきり言わないとわかんないだろうが、お前」
意気揚々と準備をする賢悟の隣では、リリーがそわそわとその準備を手伝っていた。これから決戦に向かうのは賢悟だというのに、リリーの方が三倍は情緒不安定である。
「ん、もろもろ準備できたし、行くかねぇ」
準備を終えると、賢悟は私室を後にする。
そのまま屋敷の外へ出ると、レベッカ、ヘレン、ルイスが揃って見送りにと待っていた。
「ケンゴ、良いこと? あんなクソッタレの神様なんてあっという間にやっつけて、さっさと帰ってにゃさい! これからアンタは、私の妹として一緒に学園に通うんだから!」
「いや、レベッカ。妹の部分だけは否定したい……まぁ、一緒に学園に通うのは大歓迎だな」
レベッカは目に涙を貯めながら、言葉を噛みながら、それでも元気よく賢悟の背を叩いた。
「ケンちゃん! ケンちゃんにはまだまだ聞きたいことがたくさんあるだからぁーね! ちゃんと帰って来てな!? 絶対だよ! 後、一緒にお風呂入ろう!」
「絶対に帰ってくるが、お前とは風呂には入らねぇ」
ヘレンはふにゃふにゃに歪んだ顔で、一度だけ賢悟に抱き付いてから、ゆっくりと離す。
「賢悟! 帰ってきたら約束通りにキスしてよ!? 絶対だよ!」
「はいはい」
ルイスは必至な顔つきで賢悟の肩を掴んで、揺さぶっていた。もっとも、その後女性陣によって囲まれて、殴られながら詳細を問い詰められることになるのだが。
そして、最後に。
「賢悟様、行ってらっしゃいませ」
「おう、行ってくる」
微笑んで、リリーが賢悟を見送った。
賢悟も笑みを返し、そのまま屋敷の外へと歩いていく。進むべき先は、そんなに遠くない。王国から用意された、皇都へ直通の転移ゲートがあるからだ。
その転移ゲートは、レベッカの屋敷から数百メートル先に設置されていた。空間を繋げる簡易な、門型の魔導具が一基。人一人分だけ通れるような、そんな四方形の歪みを作り出していた。歪みの先は、見知った皇都の廃墟が見えている。
「さて、神殺しでもしてくるか」
コンビニにでも行くような気軽さで、賢悟は転移ゲートへ、一歩踏み出す。
もはや、慣れ切った空間転移の不快感は一瞬で終わった。吐き気も、軽いめまいすらも今の賢悟には無関係である。
「やぁ、賢悟君……久しぶり、よく来たね」
「待っていたよ、お兄さん」
転移先の皇都で賢悟を待っていたのは二人。
ボロボロの軍服を着た須々木太郎と、寂れた赤色のオーバーコートを纏う蔵森鈴音だ。両者とも、賢悟の知る姿とは違い、何処かやつれて、疲労している姿である。
「よぅ、久しぶりだな、お前等。というか、なんか疲れているけど、大丈夫かよ?」
「あははは、僕は、ちょっとアザー教のゴミクズ共の処理でちょっとねー」
「私に至っては、別世界に避難している他の世界管理者を探す旅にちょっと。オリエンスさんったら、もしもの時に備えて、私に強制的に他の管理者が居る世界に転移させられる呪いとか、そういうのを植え付けていたみたいで……」
「そうか、そうか……大変だったな、お前等。よしよし」
「「やめろ、撫でるな、抱き付くなぁ!!」」
賢悟による過剰なスキンシップを頑なに拒否する二人だった。別に賢悟が嫌いになったわけでもないのだが、これには理由がある。
「やめておくれよ、賢悟君。今、優しくされたらそのまま溺れてしまいそうなんだよ、優しさに。もう、ベッドの中で安眠したのが大分昔の出来事のように思えるんだ」
「私も甘えたくなるから、やめて。もうほんと、これが終わったら物凄く甘えるから、それまで待って。その時だったら、猫耳触っていいから」
「お、おう。分かった」
死人のような目で二人に説得されれば、流石の賢悟も無理強いは出来ない。ともあれ、二人がこうやって無事……かは不明だが、姿を見せてくれたおかげで、賢悟の意気も強まった。
「んじゃ、さっさとくそったれな神様をぶち殺さないとな」
「君一人に任せるのは心苦しいけど、僕にもやることが出来たからね。ここの防衛には、皇国の英雄たちと、残った十二神将が配置されているから安心して」
「九時原さんもお兄さんに会いに来る? って誘ったんだけど、会わせる顔が無いからって遠慮されてさ」
「…………まったく、いきなり告白した癖に、変なところで遠慮しやがる。こりゃ、後で無理やり首根っこを掴まないといけねーか」
賢悟は苦笑すると、ふと、思い出したように呟く。
「全部終わったら、墓参りにも行かないとな」
「…………お兄さん。あの、異影牙の爺さんの遺体は、ちゃんと弔ったから。お墓も、今は仮しかないけど、凄く立派なのを作るって人狼族の皆が」
「そうか。なら、さっさと終わらせなきゃいけない理由が一つ増えたな」
再会の言葉をひとしきり交わすと、三人は本題へと入った。
「賢悟君。この旧皇都の廃墟をしばらく進んだ先に、結界がある。その結界の先には、原初神が住まう最後の砦――いや、塔かな? 僕らがバベルと呼んである物が存在する」
「結界は、私が他の管理者から押し付けられた権限で何とかこじ開けられるけど、そこから先はまったくの未知。少なくとも、塔に上る時は厳重な注意が必要だよ」
「恐らく原初神が居るのは、その最上階だ。気を付けて」
「おう、分かった。やれ、煙と馬鹿は高いところが好きというがなぁ」
廃墟を進み、原初神の結界を鈴音がこじ開けて、そして、賢悟がその先へと足を踏み入れていく。天高くそびえる尖塔を目指して。
「さっさと終わらせてきてね、賢悟君。その後は、皆で打ち上げさ」
「いい加減、戸籍を入れに行かないといけないでしょ? お兄さん。だから、さっさと帰ってきてね」
太郎は別の重大な任務があるため、鈴音も結界の破壊を維持しなければならないので、賢悟には着いて行けない。いや、例えその役割が無くとも、二人は賢悟へ着いていくことを選ばなかっただろう。
それはリリーですらも分かっている事。
もはや、賢悟と共に戦場にあるということは、ただ隣に居るだけだとしても、困難になっているのだと。そこまでの高みに賢悟が至り、そうしなければ戦えない相手と、決着をつけに行くのだと知っているから。
誰もが、賢悟を見送るしかないのだ……彼の勝利を信じて。
「お、なんだ。お前も来ていたのかよ」
そして、尖塔の前で賢悟を待っていたのは、隻眼の男。
褐色の肌に、鋼鉄と見間違うほどの美しき筋肉の鎧。何一つ無駄な肉などなく、ただ、戦うことのみに特化した武人の肉体を持つ者。
シイ・エルゲイン・アジスト。
既に魔王の座を降りて、かつては共に『僧侶』――ミツルギマオと戦った戦友でもある男だった。
「来たな、ケンゴ」
「来たぜ。んで、お前も見送りか?」
「違うと分かっている癖に、何故、訊ねる?」
「ただの遊び心だよ。こういうのは大切だろ? つか、お前は『大淫婦』とやらが消滅しても、平気なのか?」
「ふん。我が魔王と成った時から、あの淫売から独立した存在になっている。故に、下手な気遣いは無用だ」
「そうか。ま、シルベの奴も平気そうだったし。大丈夫とは思っていたが、一応な」
二人は言葉を交わしながら、歩み寄る。
ゆっくりと歩み寄っていき、互いの間合いに入ると、ぴたりと足を止めた。
「ケンゴ。貴様がこれから原初神を殺しに行くのは分かっている」
「ああ、そうだ。邪魔するか?」
「いいや? むしろ、あいつは苛立つので、条件を一つ飲んでくれれば、一気に最上階まで面倒なダンジョンを省略させてやろう」
「どうやってだ?」
「我の体の一部でもあれば、塔の入り口で、自動認証して最上階まで転移する仕掛けになっている。そういうように、先ほど原初神と交渉してきた」
「なるほどな。ということは、まぁ、仕方ないな。不本意だが、これは全く仕方ない」
「…………はっ、そういうのは笑みを隠しながら言う物だぞ、ケンゴ」
「うるせぇ、お前も笑っているじゃねーか、シイ」
語り合って行く内に、両者の笑みは深まっていく。
しかしそれは、友好的なそれでは無く…………これから殺し合えることに喜ぶ、修羅の笑みだった。
「分かっていると思うが、一応言うぞ、ケンゴ――――ここを通りたくば、我を殺してから行くがいい。死合いだ。全力の殺し合いがしたいのだ、お前と」
「ははは、しょうがねーやつだな、お前は。人が忙しい時に、こんな時に限って、全力勝負を挑んで来るなんてよ、まったく…………」
ぱぁんと、賢悟は己の手のひらに拳を当てて、笑う。
「そんなことされたら、燃えるだろうがよぉ! ついつい、殴り殺したくなるほど、テンションが高まっちまうぜ、おい!」
喜びと怒りが入り混じった笑みで、けれど男として、武人としてシイを理解して。
賢悟はその決闘を受けることにした。
最終決戦も間近だというのに。帰ると約束したというのに。賢い選択肢も知っていると言うのに。それでも、やはり賢悟は馬鹿だった。
だが、そんな馬鹿でなければここまで来られなかったこともまた、事実である。
「すまんな、ケンゴ。貴様があの原初神と戦って……もしも、今よりも弱くなってしまったらと思うと、耐えられなかった。許さなくていい。だから、殺し合おうぞ」
「謝らなくてい。元からお前と俺はそういう関係だろうが」
「そうか、それもそうだった。ならば、これから先、言うことは決まっている、か」
「おうともよ」
互いに拳を構えて、男二人は相対する。
馬鹿二人は、世界の危機を前にして、己の喧嘩を優先する。
「戦鬼――――シイ・エルゲイン・アジスト」
「不良――――田井中賢悟」
されど、愚かと笑うことなかれ。
これから始まるは、愚かさが極まり果てた馬鹿二人の決闘だ。愚かさも極まれば、一種の美しささえ宿るだろう。
だからこそ、賢悟とシイ……二人の名乗りは神にすら届くほど美しく、世界に木霊した。
「「推して参る!!」」
宣言と共に二人の拳が交差し、高らかに打撃音が響いた。
馬鹿二人の、死合いが始まった。
●●●
男二人が決闘を始める頃、王都では一つの邪悪が動き出していた。
誰にも気づかれないよう、隠密を施した護封剣を携えて。
口元には、これから行う殺戮を想っているのだろうか? 隠し切れない笑みが浮かんでいる。
「――あは♪」
『僧侶』――ミツルギマオは姿を隠し、王都に潜んでいた。
目的はもちろん、無差別な破壊と殺戮をまき散らすために。
魔物の消滅という偉業に対して泥を塗り、歓喜に沸いている群衆を絶望の底に叩き落とすために。
何よりも、田井中賢悟の心を折る一環として。
「あははははっ、待っててね、私の可愛いお人形さん。下ごしらえをしたらすぐに、貴方を迎えに行くわ。貴方は私のおもちゃなの。あんなくそったれな神様なんかに渡せないわ」
影のように密やかに、マオは王都を歩き行く。
滑らかな黒髪に、修道服姿という目を引く出で立ちだというのに、誰もマオの姿は気にも留めない。隠密特化の魔剣を使用しているが故に。
最古の魔王、ミツルギマオの恐ろしい点はその圧倒的な武力もあるが、本質は大量の魔剣による多種多様な固有能力である。
町一つを滅ぼすような大火力の魔剣もあり。
賑わう人の中を誰にも見つからず、闊歩可能な魔剣もあり。
致命傷でも、あるいは死すらも超越し、肉体を復活させる魔剣もあるという。
流石に無限に魔剣を貯蔵しているわけではないだろうが、それでも、数千以上の魔剣をマオが使いこなしているのは事実だ。
だからこそ、こうして戦時警戒中の王都へと安々と入り込み――――また、街中でいきなり殲滅専用の魔剣を振るうことだってできるだろう。
「見つけたわ、ミツルギマオ」
ずっと最初から……それこそ、マオが隠密用の魔剣を使う前より、マオ対策を重ねていた者が居なければ。
「あらあら? 随分と熱い歓迎ね?」
隠密行動中のマオを襲ったのは、空から降ってきた紅蓮の火球だった。それは本来であれば、大型の魔物ですら人吞みにして、瞬く間に灰へと還す火力を持っているはずだった。
しかし、その火球はマオが振るった白色の魔剣――その刀身に触れた途端、紅蓮の炎ごと凍り付いた。まるで、時が止まったかのように。
「レディをもてなす礼儀が成ってないんじゃない? 見知らぬお嬢さん」
マオが軽く払う動作をすると、かしゃん、と硬質的な音を立てて凍り付いた炎が散っていく。さながら、それは花弁が散るように美しく……絶望的なほどに無力化されていた。
「生憎、身内を傷つけるような真似をする奴は、淑女とは認められないわね」
されど、その絶望的なまでの実力差を知りつつ、声の主は――レベッカはマオの前へ姿を現した。既に、周囲の住民たちは近くの兵士たちの誘導により、この場から退避しつつある。
「ふぅん。お嬢さんは、可愛い彼とどういう関係?」
「――義姉よ!」
「良く分からないけど、それは違う気がするわぁ」
毅然と胸を張って宣言するレベッカに、流石のマオも苦笑を零す。加えて、レベッカと会話している内は、逃げていく住民の背中を斬り殺そうともして無い。
後でまとめて殲滅するから特に興味が無いのもあるが、どうやら、マオは珍しくレベッカを『会話してもいい相手』として定めていたようだった。
「それで、その自称お姉さんはどういうつもりかしら? まさか、この私を殺そうとしているのかしら? それとも、七英雄や他の切り札が来るまでの時間稼ぎ?」
「もちろん、貴方を殺しに来たのよ」
「あららら、うふふ」
楽し気にマオは微笑む。
身の程知らずな相手は大勢いたが、ここまできっぱりと言い切った者は中々いない。
だから、マオは少し愉快な気持ちになった。
だから、気まぐれに――――できるだけ苦しまないように殺してやろうと思った。
「亡霊剣軍――居合刀・鎌鼬」
マオが無造作に振るったのは、刀のような形状の魔剣。
振るうだけで空間を超越し、自在に振るった刃の切断力を飛ばす固有能力を持つ物だ。無造作ながらも、マオの一刀は達人めいた鋭さであり、レベッカの柔らかな首など骨ごと綺麗に切り落とされてしまうだろう。
「…………あら?」
だが、そうはならなかった。
殺戮の刃を振るったはずの魔剣の方が、何故か壊れていた。それも、尋常な壊れ方では無い。刀身が、どろどろに溶かされていたのだ。まるで、超高温の何かに刃を振るってしまったかのように。
「もちろん、貴方を殺す準備も整えているわ」
毅然と言い放ったレベッカ。
その周囲が、瞬く間に赤熱を帯びて、焼き払われていく。まともな人間など、一秒も経たずに全身の血液が沸騰するような、そんな灼熱がレベッカを中心に展開されていく。
見ると、レベッカの美しい金髪は、いつの間にか輝くような緋色へと変貌していた。
「神魔顕現――――灼熱魔人『スルト』!!」
それは『魔術師』を強制的に協力させ、実現させたレベッカのオリジナル魔術。
神世に存在する魔人を、契約の下――――己の体に憑依させ、その神威を我が物とする、不遜極まりない降霊魔術。
そして、神世の住人の力を、限りなくオリジナルに近づけた状態で行使する限定的な召喚魔術だ。
「もう一度言ってあげるわ、ミツルギマオ。『私たち』は――貴方を殺しに来た!」
再度、灼熱の決意を共にレベッカは言い放つ。
最古最悪の魔王を、この場で討ち取って見せると。
「あ、あはははははっ! なるほど、そうね」
レベッカが放つ言葉を、神威を受けてマオは笑う。
笑う、笑う、笑う――――笑って、楽し気に笑った後、静かに呟いた。
「――面白いわ、貴方」
こうして、レベッカはマオから『敵』として認定される。
慈悲無く、容赦無く、殺す相手として、認められた。
男と男。
女と女。
趣が異なる二つの対決が、一つの世界の行く末を決める。




