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第80話 儚き強さは

 ギィーナは生きていく上で、強くなることに疑問を抱くことなど無かった。

 そういう部族に生まれて、字名を得るために強くなる。一人前の戦士として、認められるために。


 強さを求めることに、理由なんて要らない。

 それが憧れだろうが、信念からだろうが――あるいは、悪意からだろうが、強さは強さだ。質と量は違えど、強さを求めることは自然だと思っていた。

 強くなるために、強さを求めることも、間違いでは無いと思っていた。


 だから、ギィーナは賢悟と出会って初めて、強さを求めることに明確な理由を得ることが出来たのである。


「あいつには負けたくねぇ」


 それは、子供染みた負けん気。

 それは、男であれば当たり前の衝動。

 それは、認めるライバルが居るからこそ生まれる、競争意識。

 魂を腐らせていない者であれば、誰だって持つ、ごく自然の、当たり前の理由だった。


 けれど、そんな当たり前の理由でも、明確な目的意識を持ったギィーナの成長速度はそれまでと桁違いになっていく。

 最初は学生レベルだったというのに、複数人でパーティを組んでという限定条件の下であるものの、魔王と討伐するまでに強くなった。

 強くなった…………だが、それでもまだ、賢悟には届かない。

 少なくとも、ギィーナ自身がそう、強く確信している。


 世界最強クラスの悪意――『僧侶』。

 七英雄が討伐した悪神――原初神。

 賢悟はその両者と戦い、生き延びている。いや、生き延びているだけならまだしも、『僧侶』に至っては完全な撃退に成功しているのだ。

 その報告を聞いた時、その報告と共に賢悟が行方不明になった時、ギィーナは人生で最大の焦燥感を抱いてしまった。

 もしも、賢悟がこのままいなくなってしまったのなら?

 もしも、自分が弱いまま、強くなった賢悟と戦うことが出来なくなってしまったのなら?


 ただそれだけの仮定が、心が焦げ付くほどギィーナを焦らせた。

 だから、ギィーナは前線を自ら進んで選び、戦ってきたのである。少しでも、焦燥感を消すために。いずれ再会する時のために、強くなるために。

 そして――――賢悟が帰ってきた今、ギィーナの焦燥感は決意に変わっていた。

 いずれ再戦する時に、失望されたくない。賢悟からそういう扱いを受けたくない。賢悟の全力を出す前に倒れてしまう可能性など、微塵も許して置けない。

 弱い自分が、許せないのだ。

 故に、ギィーナはハルヨの提案を受けて、格上の存在に挑むことにしたのである。そいつを打ち倒すことが出来れば、きっと…………次に賢悟と戦う時、自分はライバルのままで居られるのだ。そう、思ったから。


 ギィーナは絶望に直面することになる。

 自らが培ってきた強さとはまるで違う力を持つ、魔王に。

 愛を操る魔王に、膝を屈することになったのだ。



●●●



 世界で一番強い力とは何か?

 武力?

 財力?

 あるいは、悪意?

 どれも、否だ。

 少なくとも、あらゆる世界を想像した『何か』はそのように世界をセッティングしてない。原初神ですら及ばぬ領域に設定された、世界さえも塗り替える力。


 それは――――『愛』である。


「お客さん、お客さん。ねぇねぇ、一緒に遊ぼうよ? あ、それともお腹空いたかな? そうだよね、此処に来るまでに凄く頑張ったんだよね? だったら、今からご飯出すから待っててね? あ、それよりも、喉渇いてない? お茶出すよ? 冷たいのと、温かいの、どっちがいい?」


 甘く、清廉な声がギィーナの耳朶を打つ。

 一言一言が、いや、一音一音ですら、ギィーナの心を撃ち抜く。何もかもが好ましい。何もかもが魅力的だ。


「あ、あつっ!? え、えっとね、失敗しちゃったけどね、何時もはこうじゃないんだよ? そのね? いつも私、引きこもっているから。その、久しぶりにお客さんと会ってね、ちょっと興奮しちゃって、えへへへ」


 少女の真っ白な頬が、羞恥で赤く染まる。

 はにかんで、恥ずかしそうに微笑む。ただ、それだけの所作で、ギィーナの心の大半は略奪された。好みの造形でもないというのに。ドラゴニュートでもなく、ヒューマンの姿の相手だと言うのに、それが己の理想だと、そう思わされてしまう。


「――――ぐ、が」


 呻きながら、辛うじてギィーナは胸元に仕込んでおいたペンダントを握り潰す。その破壊行動をキーとして、状態異常を癒す魔導具を起動させる。王国最高レベルの魔導具。しかも、使い捨てという贅沢な仕様。代わりに、どんな異常も治す、絶対的な万能回復。


「…………ん、でだよ?」


 だというのに、ギィーナの心は目の前の少女に奪われたままだ。

 一切、状況が好転していない。魔導具は確かに、起動したというのに。例え、洗脳状態であったとしても、発動させれば正常な思考に戻る。そういう魔導具であるはずなのに。


 魔導具を使用不能にする特殊能力?

 あるいは、魔導具の力さえも凌駕する、絶対的な洗脳能力?

 ギィーナは蕩けかけた思考を無理やり動かして、正解を探る…………だが、その時点で既に間違っていた。

 ハルヨの忠告を、忘れてしまっていた。

 初撃で殺せ。殺せなかったのならば、何があっても躊躇わずに逃げろ、と。寄りにも寄って、その忠告が頭に浮かんでこなかったのである。

 しかし、それも無理はないだろう。


「どうしたの? そんなに、苦しそうな顔で。どこか痛いの!?」

「――――あ、ち、近づくなぁ!」


 その少女は――ネロはあまりにも無防備で、戦闘能力が感じられなかった。

 ギィーナに近づく動作も、心配そうに顔を覗き込む仕草も、まるで素人。戦闘の心構えさえもしてない、ただの一般人のそれに等しい。ギィーナがその気になれば、槍など使わずに、そのまま素手で縊り殺すことさえも可能だ。


 故に、ギィーナは躊躇ってしまったのである。

 無防備に、無垢に、悪意も敵意も向けてこない相手を、問答無用で殺すことを躊躇ってしまったのだ。

 それは、人として正しい倫理観であり、本来であるならば賞賛されるべき感性だ。武人としても、無抵抗かつ、無防備な相手を殺すのは恥だろう。

 だが、そうだとしても。

 間違っていたとしても、恥だったとしても、それら全てを飲み込んで、真っ先にギィーナはネロを殺さなくてはならなかった。


「う、うぅううううっ!」


 ギィーナはやっと目の前の脅威に気付き、後ずさる。

 仮に、ハルヨと共に訪れていたのであれば、そんな暇も無く喝を受けて、ネロを消し去っていたであろう。何故ならば、ネロという少女は、魔王は、知れば知るほど脅威が増す存在なのだから。


「だ、大丈夫? それとも、何か怖いことがあった? 大丈夫だよ、此処は何も怖いことなんてないから。私は敵じゃないよ。うん、絶対には私は貴方を傷つけないから」


 ネロが紡ぐ言葉は本心。

 ネロの表情から伺える心配も、気遣いも、全てが真実だ、偽りでは無い。

 だからこそ、この色欲の魔王は恐ろしいのだ。


「あ、ぐ……」


 ギィーナは蕩けそうな思考で、必死に最善の行動を――即ち、逃走をしようとしていた。恥も屈辱も、何もかもが知ったことでは無く、此処に留まっていたら『ギィーナ』という人格が消滅してしまうという確信の伴った恐怖に追い立てられて。


「大丈夫だよ、ほら」

「――――あ」


 しかし、その判断はあまりにも遅い。遅すぎた。

 ギィーナの体は、優しく小さな体によって抱きしめられた。華奢な体が、自分よりも何倍も頑丈な体を抱きしめ、その体温を伝える。

 心臓の鼓動が、甘い匂いが、柔らかな感触が、猛毒のようにギィーナの脳髄を犯す。


「私は、貴方と仲良くなりたいんだよ?」


 色欲の魔王、ネロ・ハーロイス・バビロン。

 彼女に戦闘能力は無い。

 神から与えられた権能も無い。

 だた、あるのは一つの理不尽な能力だけ。

 万物に愛されるという、ただそれだけの理不尽こそが、世界すら傾けるのだ。



●●●



 ネロ・ハーロイス・バビロンは原初神が創り上げた魔王の中でも一番の異質であり、なおかつ、正しく『世界の敵』である。

 人類の敵では無い、世界という巨大な枠組みの中の敵対者なのだ。

 なぜならば、意識ある全ての存在にとって、ネロは天敵に等しいから。意識が、知性があるのならば、ネロを愛さずにはいられない。そうなるように、なっている。


 固有魔術による洗脳では無い。

 ただ、単に魅力的であるだけだ。愛という概念がそのまま服を着て歩いているような、そんな圧倒的な理不尽。

 それが、ネロという魔王なのである。

 そのため、ネロの存在を知る者は極力、彼女との接触を避けている。七英雄も、魔王も、『僧侶』も、彼女の創造主である原初神でさえも。

 皆、心を蹂躙する愛を恐れているのだ。


「えへへへ、久しぶりのお客さんだから、何をしようかな?」


 そして現在、ギィーナは抗いようのない愛によって自由を奪われていた。


「まずは一緒にご飯を食べるでしょ? その後は、一緒にいろんな事をお話ししようよ。私ね、いろんな人の話を知っているの。マオちゃんでしょ? トウコちゃんでしょ? 後はね……ああ、ムツキちゃんだけはね? 私と一緒に遊んでくれるんだよ!」


 ギィーナに抱き付いたまま、楽しげに語り始めるネロ。

 彼女はこのまま世界が終わることも知っているし、このままであれば、己も消滅する運命だということも知っている。けれど、無邪気故に、無垢故に――――死の恐怖すら知らない。ただ、あるがままを受け入れているのだ。


 だから抗わないし、抗うギィーナを簡単に堕落させようとする。

 ネロの精神性は、正義や信念、そういった大義とはまさしく対極に位置しているのだから。ただ、愛しい者を愛することができるのならば。誰かの心を奪い、肌を重ねることが出来たのならば、それだけでネロは生きている実感を得られるのだから。


「……が、が、ぐ……」


 甘い誘惑に無邪気な好意。

 一切の敵意が感じられない攻撃に対して、ギィーナはどう返していいのか分からない。既に心はほとんどネロに奪われており、ネロには愛しさしか感じられない。殺そうと……いや、僅かにでも傷を付けようと思うだけで、ギィーナの心は罪悪感に引き裂かれるようだった。


 まさしく完全敗北、為す術がない。

 生きている限り、もはやギィーナはネロに対して何もできないだろう。ただでさえ、無抵抗な者を殺すのを躊躇ってしまう武人としての気性を持っていたのだ。加えて、ネロは無防備な少女の姿。ギィーナに対して敵が感じられない。ここまで条件が揃ってしまえば、ギィーナが敗北するのも無理はない。


「苦しまなくていいんだよ? 悲しまなくていいんだよ? 全部、私が許してあげるから。どんな貴方でも愛してあげるから」


 耳元で囁かれるネロの声は、世界中のどんな美女のそれよりも蠱惑的だ。

 男であれ、女であれ――――何者であっても、ネロの誘惑からは逃れることはできない。一時的に耐えることは出来ても、完全に抗うことなど不可能だ。


「…………あ」


 ギィーナの心が奪い尽される。

 最後の心の砦が、崩された。鍛え上げてきた己への自負が。強い自分という何よりの支えが、何もかも奪われてしまう。


「――――あぁあああああああああっ! 舐めるなぁ!!」


 それでも、燃え尽きる蝋燭の如く、最後に輝きを放てたのは賢悟への対抗心が残っていたからだろう。ちっぽけな、男としてのつまらない、惨めな嫉妬が……弱い自分自身が、ギィーナに最後の活力を与える。


「ぶち殺す!」


 ギィーナは荒々しく吠えながら、手元に大型ナイフを召喚。そのまま、まとわりつくネロを払い、そして――――


「え?」


 鮮血が舞い、ネロの呆けた声が室内に響いた。


「…………ははは、殺してやったぜ……クソッタレで、弱い自分自身をな」


 だが、ネロの姿には傷一つない。

 純白の肢体が赤く汚されているが、それは全てギィーナの血液だ。ギィーナが、己の心臓をナイフで貫き、そのために流れた赤色だ。


「ど、どうして? そんな……折角、仲良くなれたのに」


 憐れむように、悲しむように、ネロがギィーナの体を抱きかかえようとする。だが、ギィーナはそれ払う。綺麗な姿を汚してはならないという……最後の最後まで、ネロに魅了された思考で。


「…………がぁ……お、れは…………」


 ギィーナの体から、急速に生気が失われていく。

 血液が流れ出て、体が段々と冷たい物へ変わる。もはや、致命傷を通り越して死に体だ。意識など、とっくの昔に途切れてしまっていた。


「う、うぅ……そんなぁ、折角仲良くなれたのに」


 こと切れたギィーナの肢体を、ネロはしばらく大事そうに抱えていた。けれど、しばらく経つところりと、表情を一変させる。


「――うん、でもしょうがないよね。人はいずれ死ぬもの。誰だって死ぬもの。だったら、死んだことを悲しむよりも、出会えたことを喜ばないと」


 晴れやかな笑顔だった。

 無垢で、無邪気で、だからこそ何よりも狂気が感じられる笑顔だった。


「さてと! お友達の死体はちゃんと火葬して弔ってあげないとね。どうしようかな? 外に居る魔物さんに、頼んでみようかな?」


 誰しも愛するが故に、誰もがネロの特別では無い。

 ネロは愛するために生きているが、個人に対して依存はしない。だからこその『大淫婦』であり、『世界の敵』なのだ。

 古来より、あらゆる者を惑わし、魅力する無垢なる悪女。

 彼女に敵う能力など存在しない。意識ある者は全て、彼女の愛によって溶かされ、生きている限り束縛される。

 まさしく、悪辣で理不尽、無敵の魔王だった。


「エルメキドン流槍術――空蝉殺し」


 たったの一人の戦士の槍に貫かれる、この時までは。


「――え?」


 今度こそ、完全にネロは虚を突かれた。何も分からず、ただ、胸を貫く矛先を眺め、呆然とするのみ。


「馬鹿は死ななきゃ治らない。つまり、馬鹿になったら一度死んで生まれ変わればいい。弱い自分を殺したのだから、次は強い自分が生まれるはずだ」


 完全な暴論を呟いたのは、ギィーナだ。

 既に胸から流れる血は止まり、傷は荒くではある物の、再生した肉によって塞がっている。それどころか、ギィーナの体中には活力が満ち溢れていた。


「はっ、なんでもやってみるもんだな」


 ギィーナがやったことはシンプルだ。

 ネロへ完全に心を奪われてしまったギィーナは一度、己を殺すことによって、そのリセットを図ったのである。生きている限り、ネロに害を与えられそうにもなかった。だからこそ、死んでから害を与えられるように動く。言うのは簡単だが、その暴論を実現させるには何よりも、ギィーナに切り札があったからこそ、だった。


 ギィーナの切り札、それはルイズが創り上げた蘇生回復の魔導具だ。

 ハルヨの指導の下、ルイズがありったけの魔力を込めて創り上げた一度きりの蘇生魔導具。それは、ギィーナの心音が完全に消え去ることによって発動された。

 傷を塞ぎ、血を補い、離れかけた精神と肉体を接続させる。意識を覚醒させる。完全に魂が肉体から離れていない生死の境だからこそ、出来た荒業だった。


「…………あ、生きて、たんだ……よか――」

「悪いな。俺は鱗の無い女はタイプじゃねーんだ」


 安堵の表情を浮かべるネロから、ギィーナは容赦なく槍を引き抜く。

 そして、死の鮮烈さによって麻痺した感性のまま、愛を殺したまま、ギィーナは己の奥義を放った。


「エルメキドン流槍術、奥義――千刃葬送」


 無数の突きが破壊の壁となり、ネロの肉を切り裂き、消し飛ばす。塵すら残らず、マナへと還元するように。

 何者よりも強かろうと、死なない者は存在しないと証明するかのように。

 ギィーナの槍は、色欲の魔王を完全に消滅させる。


「…………は、ははは」


 乾いた笑いを漏らしながら、残心を忘れず数十秒。ネロの存在が完全に消え去ったかどうかを確かめてから、やっと、ギィーナは脱力した。

 力を抜いて、己の血で汚れた床に倒れ込んだ。


「ったく、不意打ちで無抵抗な女を殺すとかよ…………ほんと、やってられねーぜ」


 己の強さを誇るのでもなく、己の弱さを悔いるのでもなく、ただ、戦いの虚しさだけを胸に抱いて。


「悪い、後は任せたぜ……賢悟」


 今度こそ、ギィーナの意識は闇に沈んで行った。

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