第79話 大罪神罰
【大罪神罰】
それは原初神が討たれた後に、魔物の発生と共に出現した最難関ダンジョンの名称である。ちなみに自称らしく、ダンジョンの入り口である祠の前にある不壊物質に名称が刻まれていた。加えて、ご丁寧にダンジョンの案内も。
刻まれている内容が正しければ、ダンジョンは全七層からなっている。
流石に階層の詳しい説明までは書かれていないが、各階層にはそれぞれ人間の大罪の名称が付けられているようだ。ちなみに、現時点で攻略されている階層は第五層までであり、それよりも深い階層に挑戦しようという者は居ない。
いや、居たかもしれないが――――少なくとも、第五層以降のダンジョンの構造を知っている人間は居ない。第五層以降に挑戦して、戻ってきた者は居ないのだ。
故に、現在判明している階層のみを説明するとしよう。
第一層、傲慢。
ある一定に達していない技量の持ち主は、強制的に排除される階層。どれだけ偽装しようとも、恐ろしいほど明確に技量を見抜き、的確に不適合者をダンジョンの外へ転移させる。逆に言えば、ただそれだけの階層であり、魔物も出現せず、安全な場所だ。
第二層、憤怒。
階層自体が超高温で熱せられ、まともな人間であれば入って数秒で全身を焼かれて死ぬ。耐熱の装備は必須である。加えて、炎熱を常温とする魔物も出現するので、武具に耐熱加工を加えてなければ、やはり死ぬ。
第三層、暴食。
ダンジョン内に多数の魔物が出現する――無限に。加えて、それらは非常に飢えており、魔物同士でも狂ったように共食いを繰り返す。そのため、従来の魔物に囚われない変異と進化を繰り返しており、圧倒的火力で速やかに殲滅しなければ、骨一本も残らず死ぬ。
第四層、嫉妬。
軽く大都市一つ分ほどの広さの大迷宮。その迷宮内を彷徨うミノタウロス型の魔物を討伐することにより、階層クリアと見做される。ただし、時間を賭けた分だけ魔物は強化されていき、挑戦者に弱体化が掛かってしまう。
加えて、複数人での挑戦の場合、ランダムで挑戦者一人に恩恵と呼ばれるサービスが与えられ、それに対して他の物たちが嫉妬を覚えた場合、やはり魔物が強化される。
第五層、強欲。
今までの地獄に対するボーナスステージ。
回復薬などは一切ないが、その代わりに、ダンジョンの外に通じる転移ゲートが設定されている。加えて、原初神が創り上げたと言われている規格外の性能を持つ魔導具がゴロゴロと転がっており、大抵の者の場合、この時点で大人しくリタイアする。
それも当然だ。地獄のようなダンジョンを潜り抜けた先に、これ見よがしに出口とお宝が準備してあるのだ。命知らずの馬鹿でなければ、誰だってここで引き上げることを選ぶだろう。
以上が、現在判明している階層である。
残りの階層は二つ。
怠惰と色欲、二つの罪が残っている。
されど、その二層に挑戦して戻ってきたという者の噂は一つも無く。それがより、第五層でのリタイア数の多さに拍車をかけているのだろう。
加えて、【大罪神罰】に刻まれた案内には、このような文が最後に記されていた。
『汝、もっとも強き力に挑め』
それが何を意味することなのか、正しく理解している者は少ない。
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「ダァーダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!!!」
「うわぁ…………」
ハルヨとギィーナは装備を整え、【大罪神罰】入り口前に居る。
いや、正確に言うのであれば【大罪神罰】入り口前『跡』だろうか?
「ダダダダダダダッ! ダーダダダダダダダダアァアッ!!」
ヒャッハー! という叫び声さえ幻聴してしまいそうなテンションで、ハルヨが魔力弾をダンジョンへと撃ち続けている。その魔力弾は本来、原初神の守護によって破壊不能とされているダンジョンの階層すらも破壊し、どんどんと地下へ掘り進めていく。
まさに力押し。
ダンジョン探索にあるまじき反則技であり、これを創り上げたであろう原初神の意向に進んで唾を吐くような所業である。しかしまぁ、このダンジョンも到底クリアさせる気が皆無のクソダンジョンマスターによる制作なので、ある意味当然の結末なのだが。
「……フゥー、これくらいで良いデスネ!」
ハルヨがダンジョンへ向かって砲撃を開始してから数分後、やっと満足したようで、砲撃の音が止む。ハルヨとギィーナの周囲は、魔力弾の砲撃の余波で平らに均されており、ほとんど荒れ地同然の有様だった。しかし、それはあくまでも余波に過ぎない。魔力弾が直撃したダンジョンには、そこが見えないほど深く、巨大な穴が穿たれていた。まるで、そこだけ巨大な隕石が地盤を貫いたかのようにも見える。
「アンタさ、人に散々準備させてこれとか……本当にさ……普段はちゃんと探索するってーのに……」
「おおっと、ギィーナ君。ミーに失望する前に、ちゃあんと理由を尋ねなさいナ! つか、こんなクソダンジョンなんざ、ショートカットする労力すら惜しむレベルのクソだヨ! まともに攻略している時間が惜しいノダ!」
大抵のダンジョンは真面目に探索しているハルヨであるが、時間が無い上に、この【大罪神罰】のクソ仕様に遠慮する気は皆無らしい。無粋であろうがなんだろうが、マンチ思考で潰してくつもりの様だった。
「それと、油断は禁物ダ、ギィーナ。ミーの砲撃で『第五層』までは潰すことはできたが、それ以降の階層は砲撃が捻じ曲げられて無効化されタ。どうやら、そこから先はさらに守護が強まっているようデスネ」
「アンタの砲撃でも、貫けないほどにか?」
「ハハッ、まーさか! 我が砲撃に壊せぬ物は存在しなイ。全力砲撃ならば、世界の壁すら貫いて見せるトモサ!」
自信満々に言い切ってから、少しバツが悪そうにハルヨは付け足す。
「タダマァ、そのため、下の方に全力で撃つと惑星が壊れるのデスガ」
「なにそれこわい」
「ハハハッ、相方にドン引きされましたヨ!」
単独で惑星破戒が可能と知られれば、ドン引きされるのも当然だった。むしろ、ギィーナだからこそドン引き程度で済んでいる。これが仮に一般市民程度の常識だったのであれば、即座に己の正気を砕くか、記憶を物理的に飛ばすかのどちらかだろう。
控えめに言っても、自分以外の他人の手によって惑星が破壊される可能性など、知っていて損でしかないのだから。
「マ、ともあれ、さっさと降りますヨ。降下速度を一定に保つ術式をかけマス……はい、オッケェイ。これでミーともども、音速の領域で一気にゴー! デスヨ」
「待てや、ハルヨさん。音速で落下移動とか、戦う前に死にそ――――」
どぎゃん! といういかにもな効果音が発せられるほどの速度で、二人は音速を越える砲弾となった。重力にも、空気抵抗にも干渉されず、一定の速度で進む音速の二人。会話する暇も無く、何かを思考する暇も無く、二人は穿たれた穴の最深部まで到着する。もとい、着弾する。
「フゥー、移動速度はやはり音速に限りますネ! 光速や雷速も捨てがたいデスが、ミーはゆっくり風景を楽しみたい主義なのデス」
「…………ぁあう……っだぁ! 味方に殺されるかと思ったわ!」
「ハハハハ! 一応、防護魔術はかかっていたデショウ?」
「それでもこの有り様だぞ!」
音速でぶつかったので、ダンジョンの地面部分に思い切り体がめり込んでいる二人であった。これで防護魔術が掛かっていなかったら、ハルヨはともかく、ギィーナは瀕死だったところだ。
「イヤハヤ、だってあまりのろのろしていると下から迎撃される可能性がありますシ? マァ、無事だったのだから、良しとしまショウ」
「…………ルイスから託された切り札をさっそく使う羽目になるかと思ったぜ」
「ハハハハハ」
手段はともかく、二人は最難関ダンジョンの中層以降まで、無傷で辿り着いた。
二人が周囲を確認すると、ハルヨの砲撃によってできた大規模なクレーターの他に、一つ。ぽつんと、土壁に木製のドアが一つくっつけられていた。ハルヨがそのドアを躊躇うことなく開くと、ドアの先には階段があり、さらなる地下へと続いている。
「フムゥ、ここから先が第六層のようデスネ。ミーの魔力砲撃が手加減したとはいえ、まったく通っていまセン。ギィーナ、暗視魔術は掛かっていますネ?」
「おうともさ、他にも各種魔導具によって耐性は万全だ」
一応、【大罪天罰】というダンジョンには原初神が要らぬ世話のつもりなのか、所々に照明代わりの松明が備えられている。そのため、ある程度の視界は確保できるのだが、どのタイミングで勝手に消えるか分からない照明ほど当てにならない物は無い。なので、二人は予め暗視魔術をかけた状態でダンジョンに挑んでいるのだ。
さらに、予め準備してきたのは暗闇対策の暗視魔術だけでは無い。
原初神の悪意が込められた最難関ダンジョン。
その、未知の第六層。どれだけ過少に見積もったとしても、環境を自在に変化させる管理者が仕掛けた罠があると仮定しなければならない。
つまり、何が起こってもおかしくない状況が待っているのだ。二人は装備に掛ける費用を惜しまずに最高クラスの各種耐性魔導具を揃えている。いきなり宇宙空間に放り出されても、目の前にブラックホールが発生しても、対応できるだけの時間を稼げるほどに。
「ギィーナ。ここから先は本当に危ないノデ、一瞬たりとも気を抜かないようニ……なにせ、あのマクガフィンの情報によるならば、十大魔王の生き残り……あの『大淫婦』が最下層で待っているらしいデスからネ」
「魔王の生き残り、ね。ハルヨさん、その『大淫婦』ってのはどんな奴なんだ? 知っている情報だけ教えてくれよ」
「…………フム」
二人は警戒しながらも、会話を交わしながら階段を下りていく。
「悪いガ、ギィーナ、それについては教えられなイ」
「ああ? なんでだよ? そりゃ、ぶっちゃけアンタ一人が居れば全部事足りるかもしれねぇけどな? 俺だってそれなりに戦えるんだぜ…………狭い場所じゃなければ」
マクガフィンという悪意の塊によってもたらされた情報。それを確かめるために、相手の懐にも等しい危険地帯に出向いているのだ。もはや、隠密行動を心掛ける意味すらなくなっているので、二人は声を潜めずに言葉を交わしているようだ。
「アァ……考えてみれば、槍使いにダンジョンとか、相性最悪デスネ」
「うっせぇ、代わりにナイフを使うからいいんだよ!」
「そうデスネ。ぶっちゃけ、ギィーナは槍よりもナイフを扱う才能の方が――――」
「今更そういうことを言うのはやめろぉ!」
メインウェポンよりもサブウェポンの方が、成長率が高い事実を知らされ、吠えるギィーナ。
それも無理はない。ギィーナとしては賢悟と肩を並べるため、七英雄クラスでしか到達できない最難関ダンジョンに挑戦しているのだ。覚悟が決まっている状態なのだ。そこでそんなことを言われば、吠えたくもなるだろう。
「つーか、誤魔化すな! ナイフの練習はこれが終わったらきっちりやるから誤魔化すな! どうして情報を教えねぇ!? 知らねぇならともかく、だ!」
「知っていることが返って仇となるタイプの存在だからネ、あの『大淫婦』は。ミーに言えるアドバイスは、『発見次第、何も考えずに最大火力をぶち込め』ぐらいダ。もちろん、ミーもそうするつもりダヨ」
「…………アンタが、そこまでしなきゃいけないほどの化物かよ?」
「マァネ。ぶっちゃけ、脅威だけで見るならば原初神より数段上ダヨ」
「――はっ、面白れぇ」
ハルヨの言葉に、ギィーナが拳を振るわせて笑みを作った。
そうでなくては、と。
原初神を殴り倒しに行く賢悟のライバルであろうとするのならば、同等以上の存在に挑まなければならない。
そうでなくては意味が無い、とギィーナは野獣の如き笑みを作る。
「…………意気揚々なのは結構ダガネ、本分を忘れないようニ。というかダネ、我々が初撃で奴を倒せない場合は大抵――」
そこで、ハルヨは階段を下る足を止める。見ると、既に下に続く階段は無く、先にあるのは四方を石材で覆われた巨大な空間のみ。
地下の大空洞。
天上からは鍾乳洞のそれの如く、つららの如く発光する鉱石が。
周囲の石材も薄い光を帯び、大仰なほど明るく空洞を照らしている。
その中央、石造りの台座の上に――『それ』は存在していた。
『七英雄の存在を確認――ダンジョン省略による怠惰を確認――これより、超広域を巻き込む自爆を開始します――』
それは天使だった。
恐らく、ベイリーワードが討ち取った百八体の天使に連なる――いや、それの最も祖なる存在。
一対の純白たる翼を背負い、人型。されど、その容貌は人間には程遠い。体全体が、のっべりと白い粘土で作られたかのような、猫背気味の怪物。それはできそこないの人形のようで。ただ、二つの眼窩に埋め込まれた赤い瞳だけが、精巧に人間のそれに等しい。
「やはり罠カ!」
魔王級の魔力を秘めたそれの自爆を止めようと、ハルヨは的確に最善の行動を取る。
脈動闊歩により、瞬く間に天使との距離を肉薄。反応する暇すら与えず、天使の体を上方へと蹴り上げ、刹那に練り上げた強大な魔力砲撃で消し飛ばす。
それは僅か数秒で行われ、ギィーナはただ見ている事しか出来なかった。
「これが、七英雄クラスの攻撃かよ。魔王クラスが何もできずに――――あ?」
そして、皮肉なことにそれが、ギィーナにとっての最善の行動になった。
魔力砲撃によって、上層ごと消し飛ばされるはずの天使。されど、それは為されず、天使は撃ちこまれた魔力砲撃を吸収したまま、形状を変化。撃ちこまれた魔力を転用、変換――刹那に世界を越える白亜の『扉』となった。
「オノレ、やはり罠だったカ! けれど、無視すれば実際に自爆する悪辣さ! えええい、だからあのクソ神は嫌いだ、死ネ!」
悪態を吐き出すハルヨの肉体が、次第にマナへ分解され、白亜の扉が開かれた先へと吸い込まれていく。攻撃では無い。異世界へと渡るための『移動手順』だ。
どうやら、ハルヨは強制転移の罠に嵌ってしまったらしい。
「おい、ハルヨさん――」
「時間が無いから黙って聞け!」
心配から声をかけようとしたギィーナを一喝し、ハルヨは残された時間で全力に言葉を紡ぐ。
「私は大丈夫だ、問題ない。だが、私は別世界に転移してしばらく戻って来られない。だからお前があいつを、『大淫婦』を倒せ。だが、初撃で殺せなかったのならば――」
似非た口調を騙ることもせず、ハルヨは告げる。
ギィーナへ送ることができる、最大のアドバイスを。
「逃げろ。一目散に逃げろ。絶対に――躊躇ったり、迷ったりはするな」
その言葉を最後に、ハルヨの体は全てマナへと変換され、扉を通して別世界へと転移させられた。役割を果たした白亜の扉は、そのまま朽ち果て、マナへと還元されていく。
残ったのは、ギィーナが一人。
一人の、英雄でもない戦士だけが残った。
「…………上等だ」
ギィーナはハルヨの忠告を胸に刻み、しかし、それを燃料へ転化させて戦意を燃やす。
絶対に引かず、必ず『大淫婦』を仕留めると決意し、前に進んだ。
大空洞の果てには、やはり木製のドアが一つ。石材の壁にはめ込まれたように設置されており、違和感の元としてそこにあった。
ボス戦の前にしては、あまりにも質素でどこぞの子供部屋にさえ取り付けられてそうな、どこにでもある木製のドア。ギィーナはそのドアノブをしっかりと握り、一歩、奥へと踏み出した。躊躇いなどは、まるでなかった。
ただ、ギィーナの胸の中には戦意だけが燃え盛っている。
●●●
ドアの先の空間は以外に狭かった。
広さとしては、六畳程度しか無く……また、そこは『子供部屋』のような造りになっていた。
綺麗に磨かれた木製のフローリングに、白亜の壁。部屋の中は、可愛らしい人形と絵本で溢れて、無造作に置かれたバケットからは綺麗な包みのお菓子が零れている。
そして、その部屋の中央に置かれた、天蓋付きのベッド。さながら、童話のお姫様が眠るようなそれの上に、座り込んでいる少女が一人。
その少女は白かった。
綺麗に整えられたショートカットの髪も。
キャンパスの白地を連想させる、肌も。
纏う衣服も。
朝霧の如く清廉な瞳も。
全てが白く、無垢で、清廉だった。
外見年齢は十代半ば程度に見えるというのに、まるでその少女は生まれたてのようにあらゆる淀みや汚れが無く、一点の曇りも存在しない。
「んー、あー?」
白い少女は、踏み込んだ侵入者――ギィーナに気付くと、小さく声を上げた。
何事だろう? と疑問に思っただけの、小さな呟き。されどそれは、どんな歌姫の絶唱よりも美しく、魅惑的である。
「あーれー? お客さんかなー?」
小鳥のように小首をかしげる仕草は、それだけで万民の心を撃ち抜くだろう。
正常な精神の持ち主であれば、自然と微笑みが生まれ、天井にも昇るほどの快楽が与えられるのだから。
「こんにちはー、お客さん。私の名前はネロ・ハーロイス・バビロン。ずっとずっと、此処で退屈していたの。良ければ、一緒に遊んで欲しいな?」
十大魔王にして、魔物の根源。
討たれれば全ての魔物が死に絶える、最大の急所を担う魔王――『大淫婦』。
その名はネロ・ハーロイス・バビロン。
全てに愛されるために創られた、色欲の魔王だ。




