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第7話 こっちの拉致は快適です

 薄く、暗い闇の中。

 とある裏路地の入り組んだ先。

 碌に日も当たらないその場所で、複数の声が交わされていた。


「では、予定通りに邪神エックスは異世界に渡ったと」

「報告によれば、そうだ。そして、かねてからの契約通り、邪神エックスの器には異世界の魂が入っている」

「なら、今すぐ拉致る感じ?」

「メイドはどーするのん? あいつ、絶対反対するわ」

「ぶちころー? 処する?」

「待て、あれでも奴は戦闘系メイド。油断は禁物で御座る」


 幼女から老人。

 ヒューマンからエルフ、セリアンスロープなど、多種多様な人種が入れ替わり立ち代わり、路地に出入りしながら、情報交換をしていく。


「邪神エックスの肉体に入れられた異世界人が、レベッカ・アヴァロンと決闘したっぽい」

「なに、あの紅蓮のか」

「しかも、今は一緒に住まわせているとか、なんとか」

「馬鹿な。邪神エックスとあいつは不倶戴天の敵だぞ。ひょっとして、魂の違いを見破られたのか?」

「どちらにせよ、今手出しするのは賢くないぴょん」

「様子見?」

「隙があったら、拉致で?」

「良い腕の術者は集まったのん?」

「最近の若いもんはだらしなくてなぁ、もっぱら就職安定志向の工業系に……」

「老害乙」

「しゃーなしじゃね? 今時戦闘系なんて流行らないしぃ」

「ま、いざとなったら外から輸入で」

「皇国からの補給人員?」


 乱雑な会話は数十分間続き、やがて、人がまばらに散っていった。

 何処にでもいるような町の住人に紛れ込むように、彼らは人の中に紛れ、息を潜め、隠れていく。

 彼らを捕まえることはできない。

 なぜなら、彼らは捕まった瞬間から、彼らでは無くなるのだから。

 捕まえたところで意味は無い。

 彼らはあくまで断片、パズルのピースに過ぎない。嵌め合わせるには、もっと多くのピースを捕まえなくては。もっとも、その頃にはピースはただの善良な一般市民に戻っているだろうが。


「ではでは、ナナシ諸君。今日も今日とて、悪巧みを始めようじゃないか」


 彼らに名前は無い。

 彼らに思想は無い。

 ただ、平和な世界で、暇つぶしにテロリズムを起こす『悪意ある一般臣民たち』である。

 それでも、名も無き彼らのネットワークを指して、こういう名では世界中に知れ渡っている。

『ナナシ』と。

 犯罪の温床となっている魔導ネットワークは、この世界で、そう呼ばれていた。



●●●



 アヴァロン家の屋敷は、アルレシア家の屋敷と同等以上の広さがあった。少なくとも、賢悟が日課の早朝ジョギングを問題なくこなせる程度には。


「はっ、はっ、はっはっ」


 賢悟は早朝の澄んだ空気を、規則正しいリズムで吸っては吐く。

 呼吸のタイミングに合わせて手足を動かし、自分の作ったリズムに乗るような気分で走り続けていた。

 ジョギングで大切なのは、走り続けることだ。変に速く走ろうとしてはいけない。まずは、最初に決めた目標をきっちりと走り切ることが肝心である。

 ゆっくりと、ゆっくりと、されど呼吸を乱すことなく、止まることなく、賢悟は屋敷のコースを走っていく。

 繰り返される呼吸と、流れていく景色。

 肌を撫でる、まだ少し冷たい早朝の空気。

 肩で風を切り、目線は真っすぐに前を見据えて。


「はっ、はっ…………ふぅー、はぁー」


 約一時間かけて、賢悟は目標の距離を走り切った。

 体中に泥でもくっついているのかと思う疲労感が賢悟にのしかかっているが、それでも、賢悟の気分は晴れやかだった。

 なにせ、当初は三キロ程度のジョギングで死にそうになっていた体が、一時間のジョギングに耐えうるほどまでまともになったのだから。これでようやく、最低限……本当に最低限の体作りが完了したところだった。


「…………ちっ、結局、一か月もかかりやがって」


 一か月。

 決して短くは無い準備期間を費やして、賢悟は己の貧弱な肉体を鍛え上げた。

 白く華奢な手足にはうっすらと筋肉が付き始め、肌も病的な白色から美白程度まで日に焼けている。雪女を連想させるような冷たいイメージだったエリの肉体が、賢悟のトレーニングによって、見事に健康的な美少女にまで改善されたのだ。


「これで残りは約九か月か、さすがにきついか? いや、やるしかねぇよな」


 賢悟はタイムリミットの約一割を、様々な準備期間に費やすことにしていた。

 まずは、体作り。ちょっとした外出程度でも、疲労がたまってしまう貧弱な体を、無理のないトレーニングと食事療法で改善。なんとか、賢悟の意思で体を『イメージ通り』に動かすレベルまで鍛え上げた。

 次に、情報取集。これはレベッカを含むアヴァロン家の協力のおかげで、充分な成果を上げていた。過去に『東の魔女』が出没したパターンや、『東の魔女』関連の逸話。その他、様々な有益な情報を得ることが出来た。

 そして、賢悟が越えなければならない関門についても。


「精が出るわね、ケンゴ」


 賢悟がジョギング終わりにストレッチをしていると、ジャージ姿のレベッカがスポーツドリンクを片手に屋敷から出て来た。どうやら、これからレベッカのトレーニングの時間らしい。


「はい。水のマナはちゃんと補給しておきなさい。魔力が無くても、水は体に必須なんだから」

「っと、サンキュー。レベッカ」


 手渡されたスポーツドリンクを、賢悟は喉を鳴らして飲み干していく。


「ぷはっ、ふぅー、生き返るぜ!」

「なんていうか、ほんと……見ているこっちが感心するぐらい、勤勉ね、貴方」

「んあ? 早朝ジョギングとか、筋トレとかか? いや、こんなの序の口というか、元の体なら温すぎてやってられないレベルなんだが」


 賢悟はタオルで汗を拭いながら、ぶっきらぼうに応えた。


「それもあるけど、全体的に、よ。いきなり異世界に連れてこられて、一年も経たずに死んでしまう体に魂を入れられて。普通だったら、もっと自暴自棄になっているはずなのに」

「はんっ、自暴自棄になっている時間が惜しいからな」

「ふふ……そうやってひたすら前向きなところは、見習うわ」

「…………ふん」


 レベッカの朗らかな笑みを、賢悟は鼻を鳴らして受け取る。

 賞賛を受けたのだから、素直に照れて見せればいいものの、賢悟は素っ気ない対応のみ。仮にも中身が男子であるのだから、金髪猫耳美少女に微笑みかけられたのなら、頬の一つでも赤く染めていい気分に浸ってみればいいというのに。


「別に、必要だからやっているだけだ」


 賢悟は変わらず、仏頂面で応じるのみ。

 これは別に機嫌が悪いわけでも、レベッカが嫌いなわけでもない。むしろ、性格的にさっぱりとした気の強い女性は、賢悟の好みな方だが、今は置いておこう。

 賢悟がレベッカに対して素っ気なく、仏頂面なのにはもちろん訳がある。といっても、そんなに深刻な理由でもなく、ただ単に賢悟は慣れていないだけなのだ。

 他者に微笑みかけられる、ごく一般的なことに、慣れていないのだ。元の世界、現代日本ではずっと、賢悟は孤独の覇者として君臨していたのだから。

 だが、嬉しくないというわけでもなく、ぼそぼそと小さな声で言葉を付け足す。


「…………だが、その……うん、感謝しているぜ。レベッカには本当。保護してもらっただけじゃなくて、家まで動かして、『東の魔女』について調べてもらって」

「旅の友は人生の友、と言うじゃない。それに、オジジーナの実は分け合うべきだ、とも」

「ニュアンス的に袖すり合うも多生の縁のような格言だとわかったが、オジジーナについては今だにわからん」

「今度持って来ようか? あ、でも旬の時期じゃないわね」

「旬とかあるんだ、オジジーナ!」


 極彩色の皮と、虹色の実が発光する果実、それがオジジーナである。割と王国に住まう者にとってはメジャーな果物らしい。


「美味しいのに、オジジーナ」

「あんな虹色の物、食えるか」

「それを言ったら、ケンゴから聞いた異世界の食文化の方がおかしいわよ。どうして蛸を食べたりするの? あんな冒涜的な生物……だって、触手よ、触手!」

「触手言うな。美味いんだぞ、あれ」


 賢悟とレベッカは他愛ない会話を交わしている。

 それは、賢悟がアヴァロン家に住まわせてもらうようになってからは、ほとんど日常風景と言えるぐらい、良く会話していて。レベッカを小さなころから見て来た中年のメイド長などは、その光景にぎょっと、目を見開くぐらい驚いたものである。

 なにせ、中途半端に事情を知る者から見ればそれは、生涯の宿敵同士が、急に手を取り合って仲良く笑い合っている姿そのものなのだから。


「…………しかし、未だに奇妙な感覚だわ。この私が、エリの外見をした奴を屋敷に住まわせるようになるなんて。やっぱり、人間って中身が肝心にゃのね……なのね!」


 そして、どうやらそれはレベッカ本人もそのようだった。

 幼い頃に邪悪と定めた相手であり、時には命すら賭けて戦った相手が、今は自分に感謝の言葉を述べている光景。それは、中身が違うとわかっていても、妙に落ち着かない物だった。


「確かに人間は中身が肝心だが、やっぱり肉体もかなり肝心だぜ? うん、強制的に入れ替えられた俺が言うんだから、間違いない」

「すごい実感が籠っているわね」

「……いや、だってさ……女の体に生理があるのは知っていたけど、まさかあんなに血が……俺、あの時死を覚悟したわ」

「ベッドを赤く染めた状態で正座して、辞世の句を呼んでいる姿は爆笑モノだったわよ」

「エリの記憶で分かっていたが、女の体ってマジ面倒だもんな。男に生まれてとよかったと、まさか女になって思うとは」


 入れ替わりコメディではある意味定番とも言えるお約束のイベントを体験した賢悟。幸いなことに、エリの生理は比較的軽い方だったらしく、そこまでひどくならなかったのだが。これで、生理の処理に関する記憶が思い出せなかったら、さすがの賢悟も軽く絶望していただろう。


「血反吐を吐く経験は何度もしたことがあるんだが……さすがに、あれはなぁ」

「その内慣れるわよ」

「慣れちゃだめだろ。慣れる前に元に戻らないと」

「それもそうね」


 賢悟とレベッカは揃って苦笑する。

 一か月前、レベッカは賢悟に提案した。

 困っているのなら、自分の屋敷に住むといい、と。ちょうど部屋も空いている上、学園の事を考えたのなら、そちらの方が都合良かったのだ。

 なにせ、久しぶりのエリの帰還で学園内は厳重な警戒態勢を敷かれてしまっていて、この誤解を解こうにも、エリの姿の賢悟が出てきたら余計にややこしくなる。そのためにはまず、決闘で勝利したレベッカが『再教育』という目的の元、勝者の権利としてエリに命令した、という形を取ったのだ。

 このような流れにしておけば、とりあえずエリの脅威はレベッカに駆逐されたということで、薄れる。加えて、異世界人の魂を持つ賢悟の保護にも繋がるというわけだ。


「そうそうケンゴ。そろそろ学園入学の手続きが出来たから、明後日あたりから登校してもらっても構わないわよ。ただ、そうね……肉体が女性だから、女子として扱われるような形になるけれど。元は男子だと言ってあるけど、さすがに他の男子と同じ扱いはね」

「構わねぇよ。エリじゃなくて、別の名義でわざわざ学生の身分を作ってくれたんだ。贅沢を言うなんざ、とんでもない」


 一か月の間、レベッカは混乱した学園内に状況説明と新しい学生の身分を作っていた。流れとしては、エリの悪辣ない悪戯によって、エリの姿に変えられてしまった憐れな男子。その男子が周りに勘違いされて、その結果、あの決闘騒動が起きてしまった。おまけにエリの姿にされた男子生徒は記憶が混濁しているらしく、間違えて決闘を挑んでしまったレベッカは責任を感じて、屋敷に迎え入れている。

 と、そのように一応の筋は通る嘘話をでっち上げて、何とか学園を納得させたのである。

 ちなみに、当然のことながら、賢悟が異世界人であることは秘密だ。


「というより学費とかマジ助かる。とりあえず呪いを解いたら働いて金を返すわ」

「その心意気は立派ね。では、私は貴方が早く呪いを解けるように応援するわ」


 ぶっきらぼうだが実直で前向きな賢悟と、誇り高く真面目なレベッカ。

 生まれた世界は異なるが、この二人は妙にウマが合い、一か月の間で大分仲を深めていた。

 もっとも、恋愛的な意味というよりは、友人的な意味合いで、の方が強いのだが。少なくとも、賢悟のことをレベッカは気に入っているし、賢悟もレベッカの事は敬意を抱いて接している。出会って一か月の上、賢悟がエリの外見をしているという大幅なマイナスを持っている中では、良好な関係と言えるだろう。

 アヴァロン家の人間も、レベッカの説明と賢悟の人柄が相まって、荒唐無稽な話を信じ、秘密を共有する仲間となってくれた。特に、レベッカの兄なんかは、


「今時珍しく、清廉な魂の男だね、君は……うん、これなら魂が肉体に汚染されることはないだろう」


 などと太鼓判を押してくれるまで、賢悟のことを気に入っていた。

 ほぼ最悪に近い状態で、『マジック』での生活がスタートした賢悟だったが、レベッカの協力のおかげで、大分環境が改善されていた。特に、ここ一か月、賢悟は日本でのかつての暮らしより、返って充実していたぐらいである。

 レベッカに出会ってから、賢悟は周りの出来事が全てうまく回っていた。

 そう、たった一つの問題を除いて。


「で、そろそろあいつが来る時間か」

「ええ、そうよ。毎日飽きもせず、私にやられにくるのはご苦労様よね」

「油断とか慢心するなよ。レベッカお前、接近戦はへなちょこなんだからさ」

「ふん、敵を近づけなければいいにょ!」


 相変わらずの舌足らずな口調で、レベッカが啖呵を切っていると、どん、という重低音が響く。その音はどうやら、屋敷の門の方から聞こえて来たみたいで、衛兵たちの怒声や、銃撃や魔術の音など、激しい音が続いて聞こえて来た。


「そういえばここ一か月思っていたことだけど、門前の警備とか強化しねぇの?」

「下手に強化しがら、余計に被害が出るじゃない。だから、衛兵には適当に戦って追い返せなかったら素直に通すように言ってあるわ」

「…………今日は結構長く頑張っているよな、衛兵さんたち」

「ええ、今後は彼らのプライドも考えて警備を考える予定よ」


 そして、一際大きな爆発音が近くで鳴り響いたかと思うと、近くの茂みから黒い影が飛び出してきた。


「―――せぇ」


 黒い影は二人の前に飛び出て、レベッカへと躍りかかる。


「流転は炎を起こす!」


 それよりも早くレベッカは、黒い影へ紅蓮の炎を浴びせかける……だが、黒い影は怯むことなく、そのままレベッカへとの距離を肉薄した。


「ちっ、対策してきたってわけ。でも、小癪よ、それ」


 レベッカは素早く魔術の術式を編み直し、詠唱破棄にして小規模な炎爆を引き起こす。もちろん、火種は黒い影のまとわりついた紅蓮の炎だ。

 どごぉ、と激しい破裂音と燃焼音が鳴り、爆発の衝撃波が黒い影を揺らす。


「――ぐ」


 黒い影はくぐもったうめき声を上げたかと思うと――その纏う外套を乱暴に脱ぎ捨て、二人の前に正体を晒した。


「…………アヴァロンめ」


 それをメイドと呼ぶには、あまりにも凶悪過ぎた。

 纏っている服装こそ、シンプルなヴィクトリアンメイドのそれだが、背中にショットガンのような物を背負っているのでは、台無しだ。おまけに、両手は明らかに市販で売られていない、強力な魔術がエンチャントされた耐火手袋で守られている。もう、完全に炎を扱う魔術師を相手に戦うことを想定した装備だった。


「憎き紅蓮の猫耳よ……主の肉体を返しなさい」


 メイドの声は淡々としていて、余分な感情など込められていなかった。そう、全て、怒りを己の内で燃やし、外にも漏らさず、襲撃への原動力としているのだ。故に、メイドは一見、いつも通りの無表情でしかない。

 だが、エリの記憶を持つ賢悟なら判別が出来る。あれは、本当にブチ切れた時に見せる顔であると。


「断るわ。こいつは私が正式な決闘の対価として家に住まわせることにしたの。それに、こいつはエリじゃなくて、エリに姿を変えられた憐れな男子って設定なの。変なことを口走らないでくれるかしら? ねぇ、リリー・アルレシア」

「…………レベッカ・アヴァロン。我らの宿敵め……」


 そう、今のところ賢悟とレベッカが一番迷惑している問題点……それは、無表情武装系メイド、リリーからの襲撃だったのである。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] そういえばリリーの家名?もアルレシアなのか [一言] もしかしたらそのままアルレシア家にいたらそのうちベッドに押し倒されてた可能性とか無いだろうか?
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