第78話 再会と作戦会議
レベッカ・アヴァロンは元々王都で魔物の侵攻を防いでいた。と言っても、ほとんど王国の兵隊たちが前に出て、レベッカがやっていたことは主に後方の火力支援だったので無傷。
ヘレン・イーグレスは戦乱の最中、皇国によって王都へ送り返される。その後、行方不明となった賢悟、リリーの捜索を行っていた。
ギィーナはヘレンと同じく皇国によって王都へ。その後は、ハルヨや王国兵と共に前線で戦い抜いていた。同じく、ルイス・カードもギィーナと共に戦場へ。ただし、前線では無く、そこから一歩手前の地点で支援活動を行っている。
蔵森鈴音と須々木太郎の両名に関しては、共に皇国から特殊任務を請け負っているので、王都には帰ってきていない。断片的な情報によると、神世に封じられた東の魔女の捜索や、別世界へ逃げ込んでいる世界管理者の捜索をしているようだ。
よって、世界のタイムリミットが決められてから一週間後。その間に、何とか帰還してきた賢悟と再会できたのは、レベッカ、ヘレンの他にはルイス一人だけだった。その他の仲間たちは、リアルに世界の危機なので手が離せない状況らしい。もっとも、少しでも状況が落ち着けば、直ぐにも賢悟に会いに来るだろうが。
「うへぇあー、賢悟ぉー、よかったよーう」
「はいはい、分かったから、いろんな汁を垂らしてこっちに来るなよ、汚い。後、再生液に浸かっている状態だから、変なの混ぜんなよな?」
そして現在、ルイスが栗色の目からボロボロと涙を流して、賢悟と再会中である。もっとも、賢悟は一日に八時間は回復液に浸かっていないといけない状態なので、必然と再会は浴槽といういまいち締まらない場所になったのだが。
「だって、だってぇ! 私らってば、あんまり役に立てなくてぇ! それなのに、安全な場所で、賢悟が異世界に飛ばされたのを堕落仙人に聞かされてぇ!」
「おいおい、お前のおかげで堕落仙人との交渉は上手くいったような物だろうが。自分の女装癖に自信を持て…………というか、え? さっきから気になっていたけどお前、その格好はどうしたんだよ?」
賢悟は不思議そうに首を傾げて、ルイスに訊ねた。なぜならば、ルイスの姿格好が、賢悟の知る物と変わっていたのだから。
長かったルイスの髪は、男子のように短く切りそろえて。いつもしていたきめ細やかな化粧もせず、服装だって王国から支給された『男子学生用』の軍服。そう、いつも女装をしていることがアイデンティティとも言えるルイスが、その女装を止めていたのだ。
「えへへへ、これ? これはね、流石にほら、前線近くに行くのに邪魔だったからさ。ばっさりと切って貰ったんだ。どう? 似合うかな?」
「似合わんな」
「うわ、ばっさりぃ」
賢悟の評価に、ルイスは特に気分を害した様子も無く、けらけらと笑う。
「いやだって、お前の男装姿なんざ、初めて見たし」
「そういえばそうだねぇ。一応、ちゃんとした学園の行事では髪はともかく、男子の制服だよ。今度、機会があったらそれも見せてあげようか?」
「そうだな、その内俺が神をぶっ殺すからな。でもなぁ、復興まで結構かかるかもしれんな」
「それに関しては、政治家の人に任せるしかないね」
二人はとりとめのない会話を続ける。
賢悟は、サイエンスで起こった出来事を。楽しいことも、悲しかったことも、悔しかったことも。
ルイスは、賢悟が居なくなってからの出来事と、賢悟が来る前のエルメキドン学園について。そして、これからのことについても。
「ねぇ、賢悟。君はこれから、原初神っていう奴を殺しに行くんだよね?」
「おうよ。まー、完治しないと出して貰えないんだがな」
「…………あのさ、賢悟。こんなことを言うと、君は怒るかもしれないけど」
少し躊躇った後、ルイスは賢悟と目を合わせて告げる。
賢悟の……銀から紅に変わってしまった瞳を見据えて、言葉を紡ぐ。
「ベイリーワード様とか、ハルヨさんとか、オリエンスさんとか、ぶっちゃけ、君よりも強い人はたくさんいるんだ。タイムリミットはあるけど、きっと原初神の仕掛けや罠も全部ぶち抜いて、何もかもを『どうにかしてくれる』と思うんだよ。だからさ、賢悟――」
「いやだ、断る。あのムカつく野郎をぶち殺すのは俺だ」
「そういうと思ったけどさー。せめて、最後まで話を聞いて欲しかったかなー」
憮然と言い切った賢悟に、ルイスは呆れたように笑った。
「というか、そこは犠牲になる人が少しでも少なくなるように、とかじゃないの?」
「そりゃ俺だってそういう気持ちは多少なりともあるぞ? さっさとこんなバカげたイベントは終わらせて、しばらくだらだらしたい。せっかく友達も、妹も…………一応、連れ合いも出来たんだ。まともな青春って奴を堪能したい」
「ん? 連れ合いって……ヘレン? レベッカ? まさかのリリー?」
「まさかのリリー」
「マジか!?」
思わず真顔になってしまうほど、ルイスは衝撃を受けてしまったらしい。そのまま、賢悟へと詰め寄り、詳しい事情を聞き出そうとする。どうやら、サイエンスでの出来事の中で、賢悟は意図的にリリーとの事は抜かしていたようだ。
「ねぇねぇねぇ、何があってそーなったの!? あ、ついに夜這いされて、その責任を取るような形に?」
「ちげぇよ。なし崩しは確かにその通りだが、うーん……あいつは放っておくと、本当に駄目になりそうだからなぁ」
「恋愛感情というか、ほぼ憐れみ!?」
「ちっげーよ、多分。ちゃんと好きだよ、多分」
「多分とか言われてるぅ! でも、多分でもなんでも、かなりの大健闘だね、リリーは!」
「まー、流石に何度も命を救われたり、しんどい時に隣に居てもらったからな」
そんな条件の中で、一応美少女でもあるリリーの想いに応えないのは、人としてどうかと思うわ、と賢悟は言う。若干、頬を染めた状態で、そっぽを向いて。どうやら、なし崩しと言うのも本当であるが、照れ隠しの好意もそれなりにあるようだ。
「えっ、それじゃあ賢悟さ。結婚式ではどっちがウエディングドレスを着るの? あ、もしかして両方とも? 大丈夫だよ、王国は同性婚にも寛容だから」
「その時には、俺が性転換して男に戻っとるわ! ヘレンに頼み込んで、男性になる魔法薬を作って貰っているわ!」
「えー、私としては賢悟が女子のままの方が嬉しいなー。だって、エロいもの」
「お前は本当に、スケベだなぁ、おい!」
「命の危機が連続して訪れると、性欲が増すんだよ、人間だから!」
幾度も死線を越えるたび、性欲が増すのがルイスらしい。
流石は女装をしている理由の半分が、女子と自然にボディタッチするため、と言い切れる男子である。
「だからあれだよ、正直ですね。今までのスキンシップとか、無防備なチラリズムとか、色々我慢してきたんだからね! そこら辺、賢悟は私と太郎に謝ってほしいよ!」
「んー? 別に、襲われたら殴り倒すだけだし」
「そういう問題じゃなくてさー」
はぁ、とため息を吐いて、ルイスは説明した。
「いいかな? 私たちは友達だけれど、肉体的には、男と女。合体できる要素があるんだよ。できちゃうんだよ、合体。うっかり、何かあって合体したら嫌でしょ?」
「嫌すぎるな、それ」
「でしょう? 私だって嫌だよ、罪悪感とか変な葛藤とかあるもん。まー、それ以外だったら、それなりにエロい事をしてもらっても良いけれど! これから戦場に戻る私に! 何かエッチなご褒美があってもいいのだけれど!」
むふふ、と笑顔で図々しく主張するルイズ。
この場にリリーが居たならば、銃殺。レベッカが居たら絞殺される可能性すらある言動だが、もちろん、本当にエロい事をしてもらえるとは露程も思っていない。
いつも通りのやり取り。
いつも通りの馬鹿みたいな言葉を交わして、戦場に戻っていきたかったのだろう。
「…………ま、今回は良いか」
「ふへっ?」
唐突な賢悟の肯定に、ルイスの思考が止まる。
目を丸くして、ぴちゃり、という水音を聞いていることしか出来ない。濡れた肢体を、赤い水着以外、何もつけていない美しい肢体が、目の前に晒されても、ただ茫然とするのみ。
「それで、何をしてほしいんだ?」
いつの間にか近寄っていた賢悟の囁きは耳元で。
くらり、とその蠱惑的な甘い声に、ルイスの脳髄が侵される。メープルシロップの中に浸けられたように、ぐらりと、視界が揺らぐ。酩酊感に似た何かで、足元が震える。
「ふ、ふふふふっ! それじゃあ! キッスを! マウストゥーマウスのキッスをしてもらおうかな! ふふん! ビビったわけじゃないけど、健全に! そう、健全にね!」
引きつった喉で、声を出せたのは奇跡に近い。
もうすでにルイスの精神はボロボロで、陥落寸前であるが、ここで暴走しても殴り倒されるだけ。ならば、半端にエロでは無く、相手が嫌がるようなあれをチョイスし、全てを冗談で流す作戦に出た。
それが、間違いだった。
「――んっ」
「――――!?」
ぴたり、顔に冷たい感触があったかと思うと、いつの間にかルイスの顔は賢悟の両手で固定されていて。それから、あっさりと賢悟の唇で、ルイスの唇を塞がれた。賢悟にとってはそろそろ慣れてきた、けれどルイスにとっては初めての柔らかな感触。
それは、ルイスの思考を真っ白にさせるには十分だった。だが、本能に身を任せるには、あまりにも甘い毒が身に回り過ぎた。ルイスに出来ることと言えば、この鮮烈な感覚を忘れないように記憶へ刻むことのみ。
「…………ぷは、こんなもんか」
十数秒後、たっぷりとルイスの思考を蹂躙した賢悟は唇を離す。その際、ぺろりと赤い舌先で己の唇と舐めとってみたりなど、動作が非常に蠱惑的だ。さながら、エリが色仕掛けをすれば、そうなるであろう、そんな魅力的な姿だった。
「ほら、エロいことをしてやったんだから、絶対に生きて帰って来いよ。男に戻る前だったら、もう一回ぐらいしてやる……ってん?」
「ほ、ほにゃあら」
賢悟が見ると、ルイスは既に顔を真っ赤に茹で上げて意識を失っていた。完全にノックアウトの状態である。
しかし、それも仕方がない。蠱惑的な絶世の美少女に長い口づけを受けたのだ。未だに清い身の上である男子が受け切るには、いささか色気が過ぎるという物だろう。
「やれ、どうして俺が能動的にキスした相手は倒れるんだか」
賢悟は肩を竦めて、微笑んで見せる。
それは既に蠱惑的な物でなく、けれど、男のそれとは言い切れない微笑みだった。
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王国における魔物との駆逐戦争――その最前線。
既に廃墟と成った町の中で、無数に蠢く魔物たちと戦う者が居た。
「おぉおおおおおおおっ!!」
緑色の鱗を持つドラゴニュート――ギィーナは雄叫びと共に槍を振るう。その切っ先は瞬く間に熊型の魔物の心臓を射抜いて消し飛ばす。次いで、空から奇襲した鴉型の魔物は、槍から片手を離し、払うように小手で弾き飛ばした。
「しぃっ!」
鋭い呼気は構えと共に。
周辺の魔物を薙ぎ払ったギィーナは、その後、前方から迫りくる魔物集団に向けて槍の切っ先を向け、一瞬のためと共に奥義を放つ。
「エルメキドン流槍術、奥義――――千刃葬送」
一つの鋭い刺突が、千に別れ、衝撃波の壁を作り出す。それは、大地を抉りながら魔物たちを微塵へ変え、瞬く間に魔物たちを消し飛ばした。
「オー、よく持ちこたえたネ、ギィーナ! 後はミーに任せるヨ!」
周囲一帯から魔物が排除されたのを見計らって、ギィーナの遥か頭上から、一人のエルフが地面に降り立った。緑髪で金色の瞳を持つ巨乳エルフ――ハルヨ。ハルヨは胸を惜しみなく揺らしながら、一息で数十の魔法陣を展開。
「パレット・バレット」
ハルヨの号令と共に、魔法陣から色鮮やかな魔力砲弾が放たれる。
色彩ごとに属性を変化させたその魔弾は、ハルヨとギィーナ以外の周囲全てを薙ぎ払い、見渡す限りを全て焼野原へと変えた。とても、一瞬前までには廃墟があった様に見えない。瓦礫撤去の手間が省け、戦争後の復興がはかどるだろう。
「…………ちっ、相変わらずアンタには負けるよ、クソが」
「ハハハハ! 戦術規模の砲台魔術師に火力で競ってどうするのデースカ! 君には君の持ち味があるデショウ?」
「接近戦でも俺より強い奴がよく言いやがる」
「それは仕方ない。ミーが強すぎるだけネー」
「事実だからムカつくぜ」
悪態を吐きながらも、ギィーナはその場に座り込み、空間魔術で水筒を取り出す。次いで、ハルヨもそれに付き合うように地べたに座り、葉巻を一本、ポケットから取り出した。
「ギィーナも吸うカイ? 予備は潤沢ダゼ?」
「はんっ、武術家に煙草は不要だ」
「そうかイ、そうかイ、それは良い心がけダ」
ギィーナとハルヨは共にペアを組み、手あたり次第湧いて出てくる魔物を排除していた。時々、魔物を湧き出させるために設置されているゲートなどを破壊したりなど、王国中を縦横無尽に駆け巡り、最前線を渡り歩いている。
そのため、ギィーナとハルヨの両名はやけにたくさん勲章の付けられた軍服の着用を義務付けられていた。どうやら、学生と言う立場であっても容赦なく戦功を押し付けていく王国スタイルらしい。もっとも、ハルヨは学生詐欺をやらかしているような物だが。
「それはそうと、ギィーナ君サァ…………ケンゴに会いに行かないのデス?」
「あいつに会わせる顔がねぇ」
「…………モー、そんなに皇国で役立たずっぽかったの、気にしているデスカー?」
「…………」
ギィーナは苦虫を噛み潰したような表情で黙り込む。
まさしく、ハルヨの言う通り、ギィーナは皇国で賢悟の力になれなかったことを悔やんでいるのだから。
しかし、それも致し方ないといえば、そうだろう。
何せ、ギィーナは学園での留守番組だった。加えて、もしも『そうじゃなかった』としても、賢悟の助けになれたのかは分からないのだ。それほどまでに、皇国での戦闘は常軌を逸していた。
十二神将という英雄クラスの者たちでさえも、ゴミクズのように命を刈り取られる理不尽な戦場。
『僧侶』と名乗る世界最強クラスにして、最古の魔王による蹂躙劇。
果てには、原初神まで降臨したのだから、一回の学生であるギィーナの技量では食らいつくことさえ難しかっただろう。
しかし、それでも賢悟は、田井中賢悟という武人はそれらに全て立ち向かい、食らいつき、最後まで戦い抜いたのだ。
その時、隣に入れなかったことが、何よりもギィーナの胸を苛む。
「…………なぁ、ハルヨさん。俺は、弱いか?」
「ンー、弱かったらペア組んでないネ」
「だが、魔王クラス――いや、世界最強クラスの戦いにおいては、足手まといにすらなってしまう程度に過ぎない。そうだろう?」
「ハー、珍しいネ。君が自虐とハ」
ハルヨは肩を竦めて、べろりと舌を出して見せた。
「強さなんて、時の運ダヨ。ぶっちゃけ、最後まで生き残った奴が強いのサ。んでもって、君は今、生き残っているだろうガ」
「…………」
「フム、納得できないみたいダネ」
ギィーナはハルヨの理屈は理解している。
どれだけ強き者だろうと一瞬の油断で死に至るし、そもそも強さなんて状況次第。それならば、最後まで生き延びた方が存在としては強者という理屈。
しかし、理解は出来ても納得はできない。
己自身を弱いと思っているままではいられないのだ。
「ハルヨさん。俺は、生き延びる強さよりも、今は……ケンゴの奴と肩を並べられる強さまで至りたい。そうでなくちゃ、顔を合わせることも出来ねぇ」
「生き延びなくては、再会すらも出来ませんヨ?」
「なら、強くなって生き延びて、再会する。そうでなくちゃ、俺じゃない。いずれ、ハバラキという名を継ぐ戦士で居られない」
ハバラキ。
それはギィーナが所属する部族における戦士の字名だ。
ギィーナの部族は一人前に戦士と認められるまでは、己の名前だけで、字名は与えられない。戦士となって、初めて字名を名乗り、それを誇りとすることが許されるのだ。
ギィーナの今の力量は、ドラゴニュートの戦士の中でもトップクラスだろうが、それでも、ギィーナは今の自分では誇りを持てないと言う。
ライバルに誇れる己では無い、と断言しているのだ。
「武人の……イヤ、男の意地ダネ、ギィーナ」
「おうともさ。意地ぐらい張らねぇと、俺は前に進めないんだよ」
「フム――――」
ギィーナの啖呵を聞き、ハルヨは思案の姿を見せる。悩んでいるというよりは、迷っているというような顔つきで……数秒後、ハルヨはギィーナに問いかけた。
「ギィーナ。君さ、世界の黒幕が仕掛けた来た罠の先にある、絶望的な格上に挑むつもりはあるカイ?」
冗談でもなく、誇張でもなく、事実としての前提。
それを踏まえた上でのハルヨの問いかけ。
「……はっ、んなもん答えは決まっているだろうが」
ハルヨの――七英雄直々の絶望への招待へ、ギィーナは笑って答えた。
鋭い歯を剥き出しに、飢えた獣が食らいつくかのように。
「――――上等だ!」
ギィーナとハルヨ・スタンフィールドの両名はこれより、最難関ダンジョンである【大罪神罰】へと挑む。
原初神が討伐されてから発生し、それ以来ずっと――――何者にも攻略を許さず、誰も最下層まで辿り着けぬ、絶死の領域へ。




