第77話 気まぐれな陰謀
とある世界に、平凡な少女が居た。
平凡だけれど幸福に生きて、幸福に死んでいくであろう少女。
けれど、そんな平凡な少女にある日、とんでもない理不尽が襲い掛かる。
「君、悪いけど今日から人類の敵になってくれる?」
それは異世界召喚。
異世界の神による、傲慢な行い。人間の権利などをゴミクズ程度にも気に掛けない、力ある者の奢りである。
しかし、平凡な少女は逆らえない。
逆らう余地すら与えられず、少女は神から絶大な能力と、死なない体を与えられた。加えて、人類に対しての絶対的な悪意を。
人を見れば、虐殺したくなってしまう衝動を。
幸せな人間を絶望させたくなる呪いを。
まともな精神など、一欠けらも残らないような存在改造を受けたのである。
その時から、平凡な少女は死んだ。
平凡な少女が死んで、マクガフィンという悪夢存在が生み出された。本人は望まず、強制的に。
平凡だった少女は、人類の敵対者となってしまったのである。
マクガフィンは、多くの人間を殺してきた。
時に、恐るべき英雄なども卑劣な策謀を持って殺した。賢い王が居たのなら、そいつを殺して愚かしい俗物へとすり替えた。
世界中により多くの悲劇が生まれるように。
ただ、それだけを本能のまま、命ぜられるようにシステムとして動いていた。
嫌悪と絶望が憎悪で塗り固められたような存在、それがマクガフィンだ。けれど、そんなマクガフィンにも、たった一つの希望と呼べる願いが存在した。
それは、元の世界への帰還である。
何もかもを無かったことにして、元の平凡な少女に戻して、元の世界に帰りたい。ただ、それだけのささやかな願いがマクガフィンの希望だ。
そして、とても長い年月を経て……ようやく、マクガフィンはその願いを叶えてもらう権利を得る。己と敵対するあらゆる存在から逃げ切って、勝ち抜いて、原初神を再臨させることが出来たのだから。
かつて、原初神はマクガフィンへこう告げていた。
充分に仕事を果たしたのであれば、その願いは聞き届けよう、と。例え、どれだけ時が経とうが、時間すら弄って元の世界の時間軸に戻してもいい、と。気安く傲慢に。
マクガフィンは思う――充分仕事は果たしただろうと。
マクガフィンは想う――かつての自分、かつての平穏を。
マクガフィンは――――長い長い悪夢から、やっと己を解放できるのだと、とてつもない安堵と幸福感に満ちていた。
●●●
「あ、悪いけどそれは無理になったから。あははは、ごめんねぇ?」
マクガフィンの希望は瞬く間に絶望へと塗り替えられた。
「…………は?」
言葉の意味が分からず、思わずマクガフィンは素で己の神へと問う。
「すみません、我が神よ。先ほど、有り得ない言葉が聞こえたのですが、もう一度仰ってくださいませんか?」
「うん。悪いけど、君を元の世界に帰すのが無理になっちゃったんだ、あははは、ごめーん」
あまりにも気安く、あっさりと原初神が言うので、マクガフィンはそれが冗談だと思った。だが、数秒後、『そういえばこの屑は昔からこうだった』と思い出す。
つまりは、真実である。
「…………」
たった今、起こった現実が信じ切れず、マクガフィンの思考は現状の再確認を行った。
現在地は旧皇都。
その中心にそびえ立つ尖塔。天空を突き刺すが如き、超高度建築物。その頂上、一番上の部屋に原初神が住んでいる。
一見するとそれは、六畳程度の個室。ただ、最低限の家具が備え付けられただけの、ホテルの一室。だが、これでもマジックのあらゆる権限が集中している世界の中心だ。そこで、原初神は人類に対して最低最悪の嫌がらせを、暇つぶしとして行っている。
原初神はマクガフィンでさえ躊躇うような方法で、次々と悲劇を創り上げ、人々を殺して、へらへら笑っている。そんな姿にはマクガフィンと言えど嫌悪と不快感以外は抱かない。相変わらず最低の屑ではあるが、問題はそこでは無い。
問題は一つ。
原初神が、マクガフィンの願いを聞き届けない、ということだ。
英雄たちにリンチにあって原初神が勝手に死んでから、マクガフィンはとても長い間、己の役目を担ってきた。正しく、人類の敵対者であり続けた。さらには、長年の備蓄を全て叩き出して原初神も再臨させたのである。
間違いなく、仕事は果たしている。
これで仕事を果たしていないとほざいたのであれば、マクガフィンは自分でも何をするか分からない状態になってしまうだろう。
「…………理由を。我が神よ、理由を教えてください。なぜ、私のささやかな願いが、無理だと仰られるのでしょうか?」
「あは、いやさぁ、私だって折角の功労者の願いは叶えてあげたいよ、うん。でもさ、私の感情とは無関係に、権限的に無理なんだって」
「………………詳しく、ご説明を」
原初神はマクガフィンへと説明する。
へらへらとした無神経な顔は変わらないが、説明自体は分かり易く、原初神よりも階位が低いマクガフィンであっても理解できるように語られた。
その内容を簡単にまとめると、こうなる。
『元々君は、私と交流のあった管理者の世界から交渉して連れてきた人材なんだけど、その管理者が殺されてしまって。その上、その世界の新しい管理者は私からの接触をオールブロックしているから、交渉も無理。ついでに他の世界への管理者へ干渉する権限も無いから無理。もう、とにかく無理だね』
簡単にまとめたらこうなったが、実際にはとても分かり易く原初神は教えた。
残酷なほどに、分かり易く。
どれだけ拒もうとも、マクガフィンが現実を理解してしまうほどに。
「…………じ、時間軸を弄っても不可能ですか?」
「無理。そもそも、あっちとこっちの世界の時間軸を同期させていたのは私の権限だったけど、それも今は弾かれている。こっちの時間軸を弄ろうとも、あっちに干渉は出来ない」
「い、因果干渉で――」
「管理者の権限が異なる世界の因果は、私は干渉できないね」
マクガフィンは質問を繰り返す。
全てが理解できているのに、なおも、ほんの僅かな光明を求めて。
原初神は答え続ける。
悪意なく、全て善意で、これ以上なく分かり易くマクガフィンに絶望を伝える。
「で、これでようやくわかったかな?」
数十分後、マクガフィンは絶望した。
これ以上なく、己の願いが叶わないことを理解してしまった。ずっとずっと、己の始まりから抱き続けていた願いが、希望が、粉々に砕けてしまった。
だからもう、マクガフィンには何も望みは残っていない。
「まぁまぁそんなに落ち込まないで、マクガフィン。君は良く頑張ってくれたから、特別に他の異世界に転生とか転移とか、まぁ、超凄い特典を付けて送り出してあげようじゃないか」
呆然自失するマクガフィンへ、原初神はへらへらと語り掛ける。
善意で、けれど無神経に労いの言葉を告げている。
「君には色々と大変な想いをさせてしまったけれど、ま、次の人生ではその分、幸せになれるようにするとも、きっと。ほら、最近はやっているじゃない? 悲惨な人生だったけど、異世界ではチートを持っていて、幸せになりました。わーい、やったぁ! っていう展開。いいよね、あれ。ああいう展開が分かり易くてとてもいい」
だが、その言葉はあまりにも空々しい……いや、それを言うのであれば、原初神の行動すべてが、虚無的だ。
なぜならば、原初神にとって世界とは全て等しく『創作物』であり、己は『作者』として、適当に、気まぐれに、思うが儘に動いているだけなのだから。
そこに熱情などはなく、ましてや信念などありはしない。
ただ、気まぐれにそうあるだけの悪神だ。
「――――もういい」
原初神の語りを遮ったのは、絶望と失望で乾き切ったマクガフィンの一言。
既に、マクガフィンの中には植え付けられた人類の対する憎悪も、使命も、人間だった時の感情も、何もかもが消え去っていた。
たった一つの例外を除き、マクガフィンは空っぽでがらんどうの何かになってしまった。
「もう、いい…………」
世界全てに見切りをつけたようにそう呟くと、マクガフィンはそのまま姿を掻き消す。転移先は、原初神ですら探知できない。なぜならば、マクガフィンの特性に、今の虚ろな性質を組み合わせてしまえば、それは限りなく『無』に近しい存在になってしまうのだから。それを探知するのは、いかに管理者と言えど不可能だった。
「あらら、折角労おうとしたのになぁ」
対して落胆もしてないように、原初神は呟く。
彼にとっては、全てフィクション。
気まぐれに動いて、気まぐれに操り、気まぐれに陥れる。
故に、己を再臨させた功労者が絶望しようと、虚ろに消えようとも、さほど意に介さない。登場人物が一人退場しただけだ。あるいは、そういう『流れ』も面白いだろうと、へらへらと笑みを浮かべさえもしている。
この出来事が、原初神にとって決定的な物になるとも知らずに。
●●●
マクガフィンは失意と絶望に沈んでいたのは、僅か一時間程度だ。
数百年を超える歳月をかけた願いが散ったことを考えるのであれば、それは刹那と呼んでも良いほど早い立ち上がりだっただろう。
だが、マクガフィンは新たな希望を見つけて立ち上がったのではない。
空っぽのがらんどう、壊れてしまった己の中に宿ったただ一つの物。
即ち、『復讐』を為すために…………マジックという異世界に存在する全ての物を、破滅に追いやるべくして立ち上がったのだ。
「もういい、全て…………全て、どうでもいい」
ぶつぶつとマクガフィンは空虚な言葉を呟く。
だが、それは果たして、ほんとうにがらんどうなのだろうか? 残されたたった一つの復讐。その中には、憎悪も、悲しみも、絶望も、全てが詰め込まれているのではないだろうか? さながら、マクガフィンを構成する全ての物が、復讐という一つに集約されたように。
「全部どうでもいい――――だから、全部壊してしまおう」
代替可能な悪夢存在は、一つの方向性を持って行動を開始する。
まずは、無数の端末の復活を。
本体の隠ぺいを。
情報収集を。
壊滅的な魔導ネットワークを復旧させて、少しでも世界との繋がりを取り戻す。
壊すために、取り戻す。
「あ、もしもし、『魔術師』さん。生きていますか? 今、特殊な念話でそっちに連絡を送っているのですが…………あ、はい、はいそうですか。王都に、ええ、うわぁ……なるほど、それは大変。ええ、そのままだと間違いなく尋問されてからの処刑ですね。なので、一つ、とてもとても役立つ情報を上げましょう。それで司法取引なさるといい」
マクガフィンの子飼いであるジョン・ドゥはほぼ壊滅状態だ。
『剣士』は死亡。『僧侶』はあてにする方が間違っている。『魔術師』は戦犯として王都に拘束されている。けれど、それでも打てる手が無いわけでは無い。全てを壊すために、埋伏の毒をマクガフィンは『魔術師』へ仕込む。
「はははは、お礼? 珍しいですね、貴方がそんなことを言うとは。いえいえ、皮肉ではありませんとも。なに、私もそれなりに付き合ってきた仲の人が死ぬのは悲しい。はい、ですので、この借りはまぁ、いずれ。私も余裕があったら、救出に向かって差し上げますので」
不利な状況は逆転の発想で活かす。
既にマクガフィンとしての権能も衰え、性能は全盛期の十分の一にも満たない。
されど、マクガフィンが『人類の敵』――否、『世界の敵』としての真なる駆動を始めたのは、恐らく現在からだ。
植え付けられた憎悪で、仮初の悪役を演じていた過去とは比べものにならない。
自分の意思で信念を持ち、復讐を果たそうとするマクガフィンは、かつてないほどの意気を位で世界に陰謀の糸をばら撒く。指先一つで、あらゆる者を躍らせる。
「どうもどうも、お久しぶりです、ええ。『大淫婦』様は十大魔王の数少ない生き残りですので。はい、分かっておりますとも。貴方がこの聖戦の要です。貴方の性能であれば、本来、人類を圧倒するのも可能であると知っております。ですが、貴方が討たれれば、こちらが不利になります。なので、こちらの指定したダンジョンの最下層に……はい、もちろん、我が神の意向ですとも」
ある時は、神の名を騙って味方を騙し。
「あ、どうもどう――いややや、待ってくださいませ、シイ様。はい、色々と因縁がありますし、貴方様が私に悪感情を抱いているのも知っています。けれど、お待ちを。はい、そうです、とても大切なことです。貴方様も、薄々分かっているのでしょう? この状況で、貴方様の本懐を遂げるためには、どうしたらいいのかを」
ある時は、決別した者すら巧みに誘導して見せて。
「どうもこんにちは、お久しぶりです――――ハルヨ様。いや、彼の名高き七英雄の『移動砲台』様とお呼びした方がよろしいですね。直接こうやって話すのは、実に数百年ぶりでしょうか? え? 念話越しなら直接じゃない? ははは、そうやってまた人の揚げ足を。はい、もちろん世間話をしに来たわけではありません」
果てには、忌むべき仇敵にさえも連絡を取って。
「――――――彼が、戻ってきているのでしょう? ならば、必要ではありませんか? 神を殺すために、情報が」
世界の全てに背を向けて、マクガフィンは駆動する。
己の復讐を果たすために。
ただの、どうしようもない八つ当たりのために。




