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第75話 貴方が傍に居るだけで

 イヴはウリエルを愛している。

 ずっと一人ぼっちだった時に、手を差し伸べてくれたのだ。しかも、割となんでもできる結構格好いい年上の男の子。

 惚れない理由が無い。

 ただ、ずっとイヴは不安に思っていた。

 自身はただの『動機』作りの一つに過ぎなくて、愛されていないのではないかと。


 何せ、イヴは異能さえなければ無口で不愛想な女の子だ。愛している相手にすら、まともに言葉を聞かせないほどに。

 ウリエルは言葉を言わずとも察してくれるので、イヴはそれに甘えていたが、何時までもそれではいけない事は分かっていた。

 だから、イヴは一つの決意を胸に秘めて戦いに挑んでいる。

 何もかもが、何もかもが上手くいって、イヴと共に居ることがウリエルにとって危険でなくなったのならば。


 その時はきっと、己の舌を動かして、声を震わせて。

 怖いけれど、途中で泣いてしまうかもしれないけれど。

 愛している、なんて陳腐な言葉で告白しようと。

 それだけを思って、イヴは戦いに挑んでいたのである。

 けれど、今は――――



●●●



 終わらない戦いなどない。

 どれだけ無限に近いエネルギーを持った者でも。

 どれだけ不屈に近い精神を持った者でも。

 その両者が、互いの存在を認めずに戦ったのならば、最後には必ず勝者と敗者が生まれる物である。


『…………はは……はははは』


 ノイズの混じった機械音声が、灰色の空に響く。


『勝った、勝ったぞ、ははは……はははっ!』


 声の主は、最低限のスペックだけを残した機械神だ。

 もっとも、残っている機体は確たるノートPCに人間の四肢代わりになるアクチュエータぐらいしかないが。

 だが、それでも勝ち残ったのは機械神である。


『ウリエル――いや、エリ・アルレシア! 貴様は有史以来の叛逆者であり、人類における最高位の強さを持った人間だった! だが! それでも! 私の勝利だ!』


 合理的思考も投げ捨てて、機械神は勝利宣言を叫ぶ。

 叫んだ相手は、目の前で力なく浮遊するウリエルの肉体だ。既に右腕は吹き飛び、左腕も半分以上が炭化し、まともな形を保っていない。そして、胸に、心臓の部分に拳大ほどの穴が開けられていた。間違いなく、致命傷である。


『ああ、機械である私がまさか敬意を抱くとは! 心を得るとは! ははは! 貴様の事はスペックが許す限り、忘れないだろう――宿敵だった者よ』


 機械神はひとしきり叫び終わると、途端に声のトーンを落とす。

 切り替える。

 宿敵との戦いから、異分子の排除へ。


『これより、破界者たる異分子を排除する』


 壊れかけた機体しかなくとも、機械神にとって幼い少女を殺すのに手間は関わらない。例え、それが異能を持つ少女だとしても。

 何せ、ウリエルと機械神の戦いを観ていることしか出来なかった存在だ。戦闘能力は無く、ただ人間の知覚速度以上の攻撃速度を用いて殺せばいいだけだ。その程度、機能停止寸前の機械神でも難なく行える。


「…………」


 イヴは無言だった。

 愛する者が倒されても。

 己の命が危険に晒されても。

 ただ、呆然とその場に留まっている。


『では、幸福なる終焉のために――――消えよ、異分子』


 淡々とした死刑宣告が放たれる。

 雷速で動くアクチュエータの腕が、イヴの体を貫く――――そう、見えたはずだ。満身創痍かつ、慢心していた愚かな神には。


「――しんじゃえ」


 殺したはずのイヴの声が、機械神のすぐ傍から。

 どれだけの処理速度があろうとも、機械神は反応できない。何故なら、既に勝利を確信していたが故に。

 ずっと前から設定していた、囮の肉人形をイヴだと思っていた機械神は、気付けない。

 異能による浸食も。

 管理者権限のはく奪も。

 自我の破壊も。

 ――――己の敗北さえも。


「…………」


 がしゃんと、機械部品が崩れ落ちた。

 ノートPCは電源が切れたように駆動を止め、その後、イヴが乱暴に拳を叩き付けることによって、ガラスのように砕け散る。

 機械神は、原初よりサイエンスを運営してきた管理者は、異分子によって殺されたのだ。

 ここに、神殺しは成ったのである。

 だが、そんな事はイヴにとってはどうでもよかった。


「…………うりえる」


 イヴはウリエルの肉体の元へ駆け寄り、その体を揺らす。


「かったよ? いわれたとおり、できたよ? うりえる?」


 幼い少女は認めない。

 なぜならば、ウリエルの言ったことは今まで間違ったことが無いから。

 ウリエルが、何があろうとも最後まで隠れて管理者の不意を討てをイヴに命じていたのだ。そうすれば、全てが上手くいくと。

 ならば当然、ウリエルは起き上がるべきだ、そうであるべきだ。


「おきて――――ウリエル」


 イヴは存在を自覚してから初めて、全身全霊で己の異能を使う。

 死者の蘇生。

 あらゆるルールから背く行為を、己の欲望のために行う。

 幸いなことに、機械神が用意したこの空間は魂すらも逃さない。だからこそ、イヴは成し遂げるだろう。例え、あらゆる生命を冒涜したとしても、たった一人の愛しい人を蘇らせるだろう。

 管理者として、世界を新生させることすら後回しにして。

 だからこそ、気付かない。


『………………管理者によるアクセスが確認できません。これより、最終防衛機能を発動します』


 この灰色の空に、機械神が仕掛けた最後の嫌がらせを。

 灰色の空から覗く、無数の火矢を。

 それは、科学の原初たる『火』を用いた、最後の最後。ただの嫌がらせ以上の何者でもない、幼稚な攻撃。

 特殊概念なども何も付与せず、ただの火矢が降ってくるだけの仕掛け。

 されど、ウリエルの蘇生に全神経を集中させているイヴは気づけない。


「いっしょに、いっしょにいてよ、うりえる。それだけで、それだけで、わたしは」


 世界を改ざんする異能が、神代の真言となってウリエルの体に入り込む。

 それはきっと神秘的で美しく、愛に溢れた光景だろう。

 例え、一瞬後に全てが台無しになるとしても。

 悪意によって無残な結末を迎えようとも。


「わたしはね、うりえる。それだけで、よかったんだよ?」


 かくして、愚かな神と愚かな人間たちの物語は幕を閉じる。

 勝者は存在するが、幸福は存在せず。

 神は討ち果たされるが、邪悪な人間は罪を裁かれ、無知な少女は愚かに死ぬ。

 これはただ、自業自得の結末を迎えただけの物語――――


「悪いが、そんな終焉は認めない」


 声が、聞こえるはずの無い声が響く。

 動く無いはずの体が動いた。

 何者かが定めた運命すらぶち壊して、その者は――ウリエルは拳を振るう。

 それは、片割れが今まで幾度も放ってきた一撃。

 世界を越えた先で、何度も理不尽に抗う英雄を見続け、憧れた拳。

 終わりの因子を持たないはずのウリエルには、決して放てないはずの異能。

 されど――――生と死の境界上で笑い、立ち上がった者に、そんな道理などは意味を為さない。

 無理だというのなら、道理を捻じ曲げても通すまで。


「一撃終幕」


 弱々しいはずの左ストレート。

 しかしそれは、確かに天から降り注ぐ全ての攻撃を終焉させた。役目を終えたと誤認させ、存在を消し去って見せた。


「…………あ、あ」


 不可能を成し遂げたウリエルは、傍らで震えるイヴへ笑いかける。

 きっと己の片割れならば。憧れた英雄であるのなら、こうすると思ったから。


「おはよう、イヴ」


 微笑んで、何でも無いように目覚めの言葉を告げた。



●●●



「いやぁ、はっはっは、死ぬかと思ったよ、というか死んだよ。予め死ぬことを予想しておいて、色々仕込んでなければやばかったね、うん」


 起き上がったウリエルは、案外ケロッとした様子で立ち上がっている。

 もっとも、片腕が無い上に、胸に風穴が開いているという悲惨な有り様はそのままなので、一時的に復帰したに過ぎないわけだが。


「流石に管理者との戦いだからね、一度ぐらいは死ぬことを覚悟しなくては。しかし、死体が思いのほか残っていたのは僥倖だったな。そのおかげで、こうやって復活できたわけだし。最後のあれも、今なら出来るかと思ったけど、うん、出来て良かった。あ、イヴ。それはそうと私は魔力が枯渇しているから、ちゃちゃっと肉体の復元を……って、うおおおおおう!?」


 へらへらと土色の顔で語り掛けていたウリエルだったが、イヴの様子を見ると驚きの声を上げた。


「うぁああああう、うあああああっ!」


 何せ、あの無表情で無口だったイヴが、顔をくしゃくしゃに歪めて泣いていたのだから。

 ぼろぼろと、大粒の涙を零して、泣き声で叫んでいたのだから。


「ど、どーしたんだい、イヴ? どっか痛いの!? なんか呪いでもかけられた!? ほら、私に見せてみなさい!」

「うあああう……ち、ちがう……」

「違うの!? んでは、何かね?」

「ああああああんっ!」

「やれ、泣いているだけじゃわからないよ、まったく」


 泣き叫ぶイヴを、ウリエルはあやすようにそっと抱きしめる。

 幼子に母親がそうするように。胸にイヴの顔を埋めてしまうように…………もっとも、現在、ウリエルの胸には風穴が開いているわけだが。


「うわぁあああああああん!!」

「ああ、これはうっかり」


 随分と極限状態でのうっかりであった。

 結局、イヴが泣き止んだのは、イヴが泣き叫びながらもウリエルの体を修復し終えてからだった。


「ふぅ、文字通り生き返ったよ。ありがとう、イヴ」

「…………うん」

「ふふふふ、無口っ子が随分と素直に返事を言うようになったじゃないか」

「あーうー」


 素直に頷いたイヴの頭を、ウリエルはわざとおおざっぱに撫でてやる。すると、イヴは不満そうな上目遣いをしながらも、頬を赤く染めてまんざらでもない顔を作った。どうやら、すっかり機嫌は良くなったらしい。


「それで、イヴ。さっきは何が悲しくて泣いていたんだい?」

「…………うんと、それはね?」


 機嫌が良くなったのを見計らって、ウリエルが訊ねると、イヴは少し言いよどむ。けれど、もう無言のままに誤魔化さず、察してもらうという甘えはもうやめたようだった。

 イヴは、途切れ途切れで、途中で何度も詰まりながらも、ちゃんと答える。

 ちゃんと、正しく言葉を紡ぐ。


「あのね、えっとね、ウリエルがね…………死んだと思ったらね、すごく悲しくなってね、どうしようもなくてね、だからね、起き上がってくれてね……」


 最後に、ぱぁと花が咲くような笑顔でイヴはウリエルに告げた。


「すっごく嬉しくなって、泣いちゃったの」

「…………そっか」


 ウリエルは笑顔のイヴを抱き寄せて、今度こそ胸に顔を埋めさせる。

 ゆっくり、優しく頭を撫でて、慈しむ。


「わ、ぷ……」


 そして、息継ぎするように見上げたイヴの目に映ったのは、顔を真っ赤に染めたウリエルの表情だった。今まで見たことも無い、初めての表情だった。


「はははは、まさか、誰かにここまで想われるなんて、うん……思いもしなかったなぁ」


 既に、ウリエルという存在はエリという過去から逸脱している。

 なぜならば、エリという少女は決して、他人のために己を削らないし、誰かのために涙を流すことも無いから。ましてや、それが嬉し涙なんて。


「昔は馬鹿にしていたけれど、そっか……馬鹿は、私の方だったか」


 ウリエルは既にエリでは無い。

 それが善であるか、悪であるかは誰にも分からないだろう。けれど、エリという過去が背負った罪は消えることは無く、ウリエルとなった後からでも背負い続けるしかない。

 邪悪がまともになってしまえば、過去の罪に苦しむのは当然だ。

 けれど、それでも、そんな未来が待っているとしても、その隣に誰か、己を想ってくれる者が寄り添ってくれるのならば。

 きっと、最後まで潰れることなく歩き続けることができるだろう。


「イヴ」

「なぁに、ウリエル?」

「――――ありがとう」

「…………? うん、こっちもありがとう」


 二人は誰も居ない空の中で、寄り添う。

 互いの存在を確認するように抱きしめ合って、お互いの想いを感じ合う。


「…………ウリエル」

「なんだい、イヴ?」

「結婚しよ?」

「げふはっ」


 時々、いろんな内心をぶちまけたり、ウリエルが反応に困ってしどろもどろになったりなど、二人は長い時間を抱き合ったまま過ごして。

 そして、やっと体を離した。

 手と想いは繋いだままで。


「さて、名残惜しいけれど、そろそろ世界新生と行こうか、イヴ」

「うん。新しい世界では私たち、夫婦神」

「…………性交渉などは君が大きくなってからだからね?」

「神様に倫理観なんて」

「新米だから! いろんな意味でお互いに新米神様だから!」


 相変わらずのやり取りを、今はちゃんと声に出して。

 二人は共に、新しい世界を創り出す。

 世界に住まう住民は全く変わらず。

 世界の法則なども、大して変わらず。

 ただ、神様が変わっただけの、些細な世界新生。

 けれど、たった一つだけ大きく違うことがあるとすれば――


「それでイヴ。君は、新しい世界に何を望むんだい?」

「私を受け入れてくれるなら、なんでもいい。けど……何でもいいなら、一つだけ」


「幸福を得た者が、最後までそれを離さないように」


 幼い少女の祈りが。

 幸せを得たものたちが、最後まで歩きとおせるように、と。

 そんな祈りが世界に満ちている事だろう。


 ――――では、新たに生まれた世界『エデン』に祝福を。

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