第74話 君のために世界を
異能者であり、破界者である少女、イヴ。
彼女は人の胎を介さず、『気づいたらそこに居た』と言わんばかりの自然発生によって、サイエンスに生まれた。
産声も上げずに、ただ一人、孤独の中で生まれたのである。
黒髪碧眼の、人形染みた美しい少女。
その造形は誰かの幻想によって形作られ、その誰かも知らぬうちに生まれ落ちた。世界を壊し、改竄する異能の保有者として。
さながら、世界の終わりを告げる反救世主。
黙示録の喇叭を鳴らすために生まれたような存在であり、イレギュラー。
世界の終わりを望まない者たち……即ち、世界の圧倒的大多数から敵意と殺意を受ける宿命を背負って、イヴは生きなければならなかった。
正直、イヴ自身も己が生きる意味など理解していない。
親も居ない。
友も居ない。
愛してくれる人など誰も居らず、心の中核にあるべき信念が何もない。
がらんどうであるが故に、イヴは生物としての本能に従い、少しでも長く生存できるように生活していた。
意味など無くとも、敵は休む間も無くやってくる。
マクガフィン。
世界のエキストラを操り、イレギュラーを排除する世界の調律者。
イヴの生まれながらの宿敵であり、やがて己の命を刈り取るであろう死神――幼いながらも、イヴは己の末路をそう判断していた。
生まれつき備わっていた知識と知性で判断すれば、女子小学生程度の自身が、異能を所持していたとしても、何時までも戦い続けるストレスに耐えられるわけがない。その内、ボロが出てあっさり死ぬものだと、イヴはそう思っていたのである。
黒スーツの少年――ウリエルと出会うまでは。
●●●
「やれ、ここまで来るのにそれなりに掛かったね、イヴ」
「…………」
「はははっ、分かっているとも、油断はしない。万全の準備を整えていたとしても、相手は管理者。この世界の上位存在だからね……もっとも、負けるつもりは微塵もありはしないが」
「…………」
「ん? 性格が賢悟に似てきたんじゃないかって? それは仕方ないね。肉体による精神の変容はある程度あちらにも出ているだろうし」
その闇の中に響くのは、たった一人の声のみ。
二人が歩みを進めているというのに、その闇は足音さえも鳴らさない。物質と非物質の境界戦場にある闇は、二人の『道』となる以外の役割を与えられていないからだ。
不要であれば、物理法則すら切り捨てる。
必要であれば、物理法則すら超越する。
既に、神に挑む二人にとって、その程度の事は造作も無くなっていた。
「私と彼はある意味、双子のようなものでね。元は私の悪意が発端とはいえ、互いに互いの奥底までを知り尽くした仲だ。いくら彼に憎まれていたとしても、互いに繋がっている物があるのは否定できないと思うよ」
「……」
「おおう、まさか君が嫉妬するとはね、イヴ。だが、安心したまえ。私がここまで尽すのは、恐らく世界で君だけだろう。最初はただの動機付けに過ぎなかったが……流石に、半年も共に過ごせば家族だ」
「…………」
「いや、わからない。なにその、よくわからないオーラ。流石の私と言えど、闇の中で未知な反応をされたら察せないぞ」
ウリエルが語り掛け、イヴが無言で返す。
傍から見れば、ウリエルが終始無視されているようだが、意思疎通は出来ているようだ。
リリー以上に無表情で、石の如く無口。感情表現すら希薄で、恐らく、イヴの意思を読み取れるのは、ウリエルただ一人だけだろう。
例え、読心能力者であっても見抜けないイヴの気持ちを、ウリエルだけは理解できるのだ。もっとも、それも場合によりけりなのだが。
「いたっ、やめなさい、イヴ。地味に脛を蹴るのはやめなさい。これから最終決戦なのに、いきなり仲間割れは駄目だろう?」
「…………っ!」
「わかった、わかったから、はいはい、大好き大好き、ラブユーラブユー」
かつての天才であり、肉体が変わった現在すら大半の人類を凌駕する頭脳の持ち主。それがウリエルであるが、どうやら幼い少女の恋心までは察せないようだった。
元々の性別が女であり、なおかつ、かつての肉体は幼女趣味ではなかったので、イヴの外見では守備範囲外なのが理由の大半である。後、付け加えるとしたら、ウリエル……エリも未だに恋を知らないので、察することが難しくなってしまうのだろう。
「はいはい、全部終わったら、アイスを奢ってあげよう。だから良い子にしなさいな」
「…………」
「うん、よろしい」
だから、幼い少女の恋の行方は、先送りになる。
そう――――為すべき、神殺しの先へ。
『来ましたか、世界を壊す者たちよ』
二人が闇の先で辿り着いたのは、白の部屋だった。
見渡す限り全てが白で塗りつぶされており、光源は無いというのに、何故か明るい。加えて、影が存在しない。
不可解で、純白で、けれど、そこには何もかもがあった。
いや、正確に表現するのであれば、部屋の中央に設置された石碑の如き台座。そこに置かれてあるノートPC。
シルバーカラーの、何の変哲もないはずのそれ。
それこそ、この世界の、サイエンスの全てであり――管理者の正体である。
「ああ、私たちはついに来たよ、管理者――いや、機械神とでも呼ぼうかな? 科学の世界をあるべき終焉へと導く者よ」
『私という個体に名称は不要です。なぜなら、私は管理者であり、それが全てです』
「なら、勝手に私はそう呼ぶとするさ」
ウリエルは眼前のノートPCと向き合う。
ディスプレイには、青い画面に何かしらのコードがずっと流れ続けており、そして、それらのコードは現存する文字、記号が一切用いられていない。恐らく、上位世界の言語なのだろうと、ウリエルは推測した。
『貴方は理解しがたい存在です、異邦人。何故、己の命を消費してまで異分子を守るのですが? 愚かにも世界を壊そうとするのですか?』
「なんだい、問答無用かと思ったら、意外と話せる口じゃあないか」
『今後の参考のために質問をしています。答えても、答えなくとも貴方たちの排除に変更はありませんので』
「ははははは、そうか、そうか」
淡々とした機械音声。
何一つ威圧するような口調では無いというのに、イヴは身震いをしてウリエルの背後に隠れた。巨大な切削機械が、無感動に自分を巻き込んでバラバラにするような、そんな恐怖を覚えたからだ。
「そうだね、思い返せば色々あったが、ざっくりまとめると」
だが、ウリエルは恐怖に竦まない。
それよりも胸を焦がす物を確かに抱いているのだから。
「まぁ、愛かな」
怯えるイヴの頭を撫でて、あっさりとウリエルは告げた。
『…………そうですか』
機械神の声は無感情で、機械的だ。であるはずなのに、何故かその声は不満そうで、なおかつ呆れているようでもあった。
『回答に感謝を。そして、愚かしい者たちに――――天罰を』
故に、そこで機械神は会話を打ち切る。
同時に、己の体を――――媒体となっているノートPCを『神』に相応しい姿にまで変貌させていく。
ノートPCを核として、そこから盛り上がる肉ように部品が創造される。無数の部品が展開され、組み立てられ、やがてそれは周囲の空間すらも組み替えて一つの『神』となった。
『神を目指す愚か者たちよ。私はあるべき終焉を望み、世界を幸福へ導く管理者である。我が理に従えぬのなら、抗ってみせなさい』
創造されたのは、一柱の龍神だ。
機械部品によって構成され、科学の力によって駆動する龍。
龍神の周囲は何時の間にか、白の空間から灰色の空へと変換されており、既に足場は無い。飛べぬ者は奈落に落ちるのみ。
くすんだ灰空に浮かぶ、鋼の龍神。
それはまさしく、科学の世界を支配するに相応しい神の姿だった。
「ははは――――言われなくとも、殺してあげようじゃないか」
ウリエルは、天使の名を騙る悪党は神へと挑む。
世界を改ざんする法則で、空を足場に。
手には無数の呪符と、その中に潜ませたとっておきの切り札を携えて。
たった一人の少女のために、世界と戦う。
●●●
「故人曰く――神は死んだ!」
ウリエルはためらいも無く、己の切り札を使った。
林檎のマークが描かれた呪符。
それにはイヴの異能をありとあらゆる神性否定で仕上げた、とっておきの魔術が込められていた。一度それを使えば、一定時間は管理者の『管理者特権』すらも絶対的に妨害する。
「行くぞぉおおおっ!!」
神の権限を簒奪したウリエルは、一息吐く間もなく、残りの呪符を全て展開。
最大魔術をもって、機械神を殺しにかかる。
『……これは、なるほど…………異能と人類の英知。組み合わさると、ここまで至ることが出来ますか…………ですが、届きません』
ウリエルが放ったのは、魔力少なきサイエンスにて半年間、溜め続けてきた戦略規模の大魔術だ。それらは全て、サイエンスの魔術では無く、別世界であるマジックの魔術構成で組み立てられており、イヴの異能の元でしか使えない限定的な切り札。
呪符によって生み出されたのは、空間すら捻じ曲げる虹色の魔力弾である。大きさは掌に収まる程度しか無いそれだが、対象に触れた瞬間、あらゆる道理も捻じ曲げて敵を圧縮、破壊する空間魔術の極みだ。
「あぁああああああああああっ!!」
普段の口調すら取り払って、ウリエルは咆哮する。
全力全開の大魔術。
肉体は違えど、魔術の天才であるウリエルが半年掛かりで組み上げたそれは、直撃すれば、神すら砕く。もちろん、直撃させるためにあらゆる誘導魔術も組み込まれている。例え、千里先へ空間跳躍されても、同じように空間を跳躍して狙い続ける悪辣な代物。
『全処理機能を集中…………出力248%で『荷電粒子袍』を起動します』
対して、機械神が取った手段はシンプルだ。
逃れられないのであれば、全力で迎え撃つ。それこそ、相手の攻撃ごと、相手を喰らい尽してしまうために。
龍神の巨大な口内に、科学の英知が集結する。
恐るべきエネルギーが生み出され、現代科学のその先。行き着く果てに生み出される、荷電粒子の砲撃。必要となる絶大な電力は、己のリソースから生み出して。対象を狙い撃つための経路は、既に砲撃を放つための適切な環境に塗り替えられている。
『異分子は排除する』
「やってみなよ、神様風情!」
二つの極大のエネルギーが衝突し、灰色の空が驚くほどの光で焼かれた。
まともな人間であれば、その光を浴びただけで蒸発する代物。けれど、機械神は当然の如く、ウリエルとイヴもまた、まともな人間などでは無い。
しかし、余波ともなく、二つの極大なエネルギーの消滅によって生み出された、膨大な熱量。それを近距離で受けてまともでいられるかは別である。
『…………パフォーマンスが68%まで低下を確認』
「はははは、まったく……この体が頑丈で、本当によかったな……」
機械神は、己を構成する機械部品の三割近くが吹き飛び、残りの七割も膨大な熱量によって歪んでしまう。体を動かすだけで、次々と部品が奈落へ落ちていく有り様だ。
一方、ウリエルも傷は浅くない。イヴに襲い掛かる全ての熱量も引き受けてしまったのだから。いくら、この展開を予想し、あらゆる防壁を組んでいたとしても…………重傷は免れない。
「――うりえる」
「大丈夫だ、イヴ」
震える声を絞り出すイヴに、ウリエルは微笑んで応えた。
本来なら、頭を撫でで落ち着かせるところなのだが、残念ながらウリエルの右腕は吹き飛ばされ、残りの左腕も重度の火傷を負っていた。常人なら、瞬く間に死に至る傷だ。
「わたしが、なお――」
「イヴ。駄目だ、下がっていなさい」
異能を用いてウリエルを癒そうとしたイヴだが、ウリエル自身によってそれは遮られる。
なぜならば、機械神はまだ駆動を止めていないからだ。
『戦闘続行は可能です――――対象の排除を続けます』
ぎぎぎ、と金属が引きちぎれ不快音を鳴らしながらも、鋼の龍神は身を捩らせる。当然、その鋼の体からは多くの部品が零れ落ちるのだが…………なんと、それらが空中で組み合わさり、無数の無人移動砲台へと姿を変えていった。
まるで、ロボットアニメで見たような無人移動砲台。
架空の兵器。
けれど、機械神が科学の英知を用いれば、それも実現不可能ではない。
「…………はっ。端末を複製しての攻撃とは、随分と弱った物じゃあないか、機械神。実際のところ、45%程度しか残っていないだろう」
『…………対象の、排除を続けます……来たるべき、幸福なる終焉のために』
無人移動砲台が音速で駆動し――――瞬く間にそれらをウリエルが撃ち落とす。呪符はもうない。残った左腕に巻かれた、最後のとっておき以外は。
「一打百裂ぅ!!」
賢悟の体術に、イヴの破戒を乗せた絶技。
それがまったく間に全ての無人機を撃ち落としたのである。例え片腕でも、ウリエルはそれを成し遂げて見せたのだ…………残りの体力の大半を使い果たして。
「――――ぁ、あああああああああっ!」
だが、それでもウリエルは止まらない。
背中に翼が生えたかの如く、ウリエルは灰色の空を駆ける。一瞬で、機械神の元へと辿り着き、残った左腕を振るう。
ボロボロの拳が、機械の体を打ち崩す。
『…………っ、舐め――るなぁ!』
機械神が、吠えた。
全て合理的な知性によって支配されているはずの機械神が、雄叫びを上げたのである。
『最低限のスペックを残し――――起爆せよ、我が機体っ!!』
崩れゆく機械神の肉体が連鎖的に、爆発し、ウリエルの体を飲み込んだ。オレンジ色の爆炎が、死にかけの肉体に止めを刺さんと牙を剥く。
「はは、舐めるなは――――こっちの台詞だともっ!!」
されど、それでもウリエルの声は途切れない。
半焼けの体を引きずって、今にも心臓が止まりそうな肉体を駆動させ、壊れかけの神へ止めを刺さんと拳を振るう。
神と人は、互いに食らい合うように壊し合う。
そして、その要因であるたった一人の少女は――――見ていることしか出来ない。
「…………」
今は、見ていることしか出来なかった。
それが、イヴがウリエルから託された役目であるが故に。
『がぁああああああああああああっ!!』
「ああぁあああああああああああっ!!」
神と人の咆哮が交差する。
どちらが勝利するにせよ――決着は近い。




