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第69話 決別は痛みと共に

 田井中賢悟という少年の話をしよう。

 まだ、彼の肉体が美少女の物へと入れ替わっていない、ただの不良少年だっだ賢悟の話をしよう。

 幼い頃、実の母親と賢悟は死別している。

 その後、父親が再婚したが、再婚相手の――二人目の母と賢悟は折り合いが悪かった。別に、その再婚相手に問題があったわけでは無い。美人で気立ても良く、血の繋がらない賢悟相手でも、親しく接しようとしていた。


 けれど、問題はその年齢である。

 賢悟が中学生の頃、賢悟の父親は再婚したわけだが…………なんと、その再婚相手の年齢は十九歳。まだ成人していない感じの大学生だったのである。愛には年齢は関係していない、と言うが、これには流石の賢悟も呆れ果てた。

 ぶっちゃけた話、ドン引きしたようで、賢悟は祖父の元で過ごすようになる。


 それからはずっと修練と喧嘩の日々だ。

 心の中で燻る、一人目の母の死。

 どうしようもない理不尽に対して、それでもどうにかしたいとひたすら拳を振り続けた日常。

 結果として、友達が一人も居らずに寂しい青春を過ごすことになったのだが、しかし、そんな日常でも、誰とも関わらずに生きていけるわけはない。

 友とは呼べなくとも、懐いてきた後輩が居た。

 かつて拳を交わしたライバルたちが居た。

 喧嘩尽くしの日々にも関わらず、なんとか退学は免れるように手配してくれた教師も居た。


 だから、友達が居なくとも、賢悟は決して孤独な人間では無かったのである。

 だから…………マジックにおいて多くの仲間と出会えた今でも、賢悟は確かにサイエンスに未練を持っていた。

 例え、肉体が変わっていたとしても。もう二度と『田井中賢悟』という個人に戻れなくても。

 それでも、サイエンスは賢悟の故郷であることは変わらなかった。

 賢悟はそれを自覚しているし、ちゃんとその重みも知っている。

 ――――知っているからこそ、賢悟はその重みを握りしめた。



●●●



「俺の選択を決めるのは、お前じゃない」


 覚悟は一瞬だった。

 不敵な笑みを浮かべたまま、賢悟は右拳を強く握りしめる。


「動く―――」


 動くな、という千花の制止の声すらも振り切って、賢悟は打撃を放つ。ただし、対象は千花ではない。目の前の千花を倒そうとも、世界中で賢悟の関係者を確保している端末たちまで打撃を届かせることはできないからだ。

 だから、賢悟は一番身近な対象に打撃を打ち込んだのである。


「一撃終幕」


 己自身の左掌へ、さながら礼をするかのように終幕の概念が伝う。


「未練もある。後悔もある。だが、それでも俺はこの未来を選んだんだ。だから、終われよ、『田井中賢悟』…………もう、幕引きの時間だ」


 ぱぁん、と柏手のような打撃音が一つ。

 その澄んだ音は、どこまでも、どこまでも、世界の深層にすら響いていく。

 そして、数秒後。


「…………なんだ? なんだ、これは? 私は……?」


 世界が書き換えられた。


「待て、待て……お前は、誰なんだ? 私はどうして、お前にこんな……いや、そもそも……どうして、私はこの場に居る?」


 千花は足もとがおぼつかなくなるほどの疑問を、今、感じていた。

 なぜならば、千花には何もわからなくなってしまっているからだ。どうして、自分が賢悟の目の前に居るのかも。何故、黒子の一人にナイフを突きつけているのかも。

 何も、分からなくなってしまっていたのだ。

 そんな千花へ、やけに賢悟は親しげに語りかける。


「おいおい、どうしたんだよ、千花。いきなりぶつぶつ言いだして。つーか、お前から演劇の練習しようって言ってきたんだぜ?」

「は? 演劇?」


 あまりにも突拍子の無い話題。

 千花だけでは無く、傍から見ていたリリーですらも首を傾げざるを得ない、そんな状況。けれど、賢悟は白々しく言葉を並べていく。


「おいおいおい、お前が演劇の練習をしたいからって、わざわざ喜助の家を借りたんだろ? 広くて近所迷惑にもならないからって。その上、俺やリリーにも手伝わせやがってさ。まったく、いくら何でも頑張り過ぎじゃねーの?」

「…………いや、あの?」


 千花は戸惑い、混乱する。

 もちろん、賢悟の言葉など一から十まで全てがでたらめだ。千花個人として対応していたのであれば、何の問題も無く看破し、偽装だと切り捨てることが可能だろう。

 だが、今に限り、千花がマクガフィンの端末として動いている限り、賢悟の言葉は世界のシステムすらも欺く。


「なんだ? どうしたんだ、お前? 様子がおかしいぞ、調子でも悪いのか?」

「い、いえ……なんでも――ひゃう!?」

「んー、熱は無いみたいだなぁ」


 さらには、千花のまともな判断力を奪うため、賢悟は己の恥もすら飲み干す手段を取った。さながら、少女漫画の主人公のように、千花の額と己の額をくっつけたのである。

 いかにマクガフィンの端末で、同性であったとしても、現在の賢悟の美貌が無防備に迫ってきたのであれば、動揺は避けられない。人間を端末として扱っている以上、万物に通じる美貌を持つ者に対して、覚悟も無しに近づかれれば当然だ。


「す、すすすすみません! ちょっと調子が悪いみたいで! その! 今日はこれまでと言うことで!」


 そうなれば、冷静さを失った千花は体勢を立て直すため、この場からの退却を選ぶしかない。


「そうか?」

「は、はい、すみません! こちらから誘ったのに」

「いやいや、構わんよ。俺も手伝いに来ただけだし。ほら、礼なら喜助に言ってくれ」

「――っ、は、はい!」


 わけの分からないまま、千花は喜助の洗脳を解く。ただし、予め、賢悟が言っていたような出来事があったと、誤認させて。


「今日はありがとうございました。そして、すみませんでした、喜助さん」

「んー? あ、ああ。別に構わないって」


 戸惑ったまま、礼を言う千花に、胡乱げなままに頷く喜助。

 結局、千花は何一つ状況を理解できないまま、逃げ去るように立ち去って行った。

 こうして、賢悟以外、誰も状況を把握できないまま、茶番劇の幕は下りる。


「あの……賢悟様、さっきのは一体?」


 茶番劇の観客だったリリーは、賢悟に訊ねる。

 だが、賢悟は何も答えない。答えず、ただ、何かを待つように沈黙していた。


「あ、あのさ……一つ、いいか?」


 そして、その時は訪れた。

 頭中に巡る疑問に首を傾げながらも、喜助が賢悟たちに問いかけて来たのである。


「君たちってさ、誰だっけ?」


 その問いに、賢悟は悲しげな笑みで応えることしか出来なかった。



●●●



『分かっていたことだけど、君は馬鹿だ。大馬鹿だ。というかだね? そういう時は何とかしてこちらに連絡を取れば、対処した物を。何? 骨を断たせて肉を切るとか、本当に馬鹿としか言いようがないわけなのだけれど』

「やめろ、かつての自分の声で罵倒されるのは、今の俺には堪える。否定形は駄目だ、否定形は。できるだけ、肯定しつつ会話しろ」

『ほらもう、根幹たる世界との関係性を断ったからそうなる。一応訊くけど、現在自覚できる症状は?』

「とりあえず、地面がスポンジみたいな感覚で、全方位視界が歪んでいる。あ、けど妙に綺麗な女性が手招きしているのだけははっきりわかるな。なんか耳元で喇叭が鳴り響いてうるさいわけだが、どうしよう?」

『存在が霧消する寸前じゃないか、馬鹿。私の片割れがこんなに馬鹿だとは思わなかった。ええい、とりあえず電話越しで存在固定するための呪詛を流すから、耳を澄ませなさい』

「おうよ」


 賢悟とリリーは現在、近場のビジネスホテルの一室に泊まっている。

 なお、その料金は殴り倒した喜助から強制的に借りた物である。将来的に返す予定があるので、あくまでも借りたとというのが、賢悟の主張だ。

 ビジネスホテルを借りた賢悟だが、その後、真っ先にウリエルの携帯へと連絡を取った。特別な処理を施した回線を使っており、通話が管理者側に探知されない仕様になっているらしい。


『どうだい? 少しは存在が固定されたかい?』


 数分間、賢悟は受話器から流れてくる呪詛を素直に受け入れ続けていた。

 電話越しのため、本来は数秒で終わる処置が数分にまで長引いてしまったが、しかし、そのおかげで何とか賢悟の体調は安定したようだった。少なくとも、ビジネスホテルに入った時の、今にも死にそうな青白い顔に比べれば、大分血色も良くなっている。


「ああ、マシになったぜ。世話になったな、感謝する」

『それを諸悪の根源に言うかね、君は』

「それはそれ、これはこれだ。その件については本当にもう、この件が片付いたら、俺の気が済むまで殴る予定だからな」

『勘弁してくれ、君の拳はマジで死ねる』

「ははは、とりあえず今は殺さねぇよ。お前の力に頼るしかなくなったわけだしな。んじゃ、回復したらそっちに行くわ」

『了解した。では、体調を万全とは言わないが、まともに歩ける程度には戻してくれたまえ』


 賢悟は通話を終えると、そのままベッドに仰向けに倒れ込んだ。


「あー、うー」

「…………あの、賢悟様?」

「うー、あー」


 ベッドに倒れ込んだまま、賢悟は亡者の如く唸り声を上げている。リリーは、その様子を戸惑いながら見ている事しかできない。

 リリーが認識しているのは、賢悟が千花と接触したのに、何か、とてつもない何かを行い、その反動で死にかかっていたということだけだ。しかも、そのとてつもない何かを行うきっかけになったのは、間違いなく自分の選択が原因であることも理解している。


「賢悟様、あの……私が……」

「リリー、こっちに来い」

「ひゃい」


 仰向けながらも、有無を言わせぬ賢悟の物言い。

 それに抗うことなく、むしろ、オラオラ系の口調にドキドキしつつも、リリーは賢悟の傍へ。ベッドに座り込んだ。


「き、来ましたけれど、賢悟様?」

「リリー、最初に謝っておくわ、悪い…………これから、しばらく甘えるわ」

「ほへ?」


 聞き間違いかとリリーが首を傾げる前に、賢悟がのっそりと体を起こす。そして、そのままリリーの体を、正面から抱きしめた。


「ほ、ええええええええええええええええええええええぇ?」


 悲鳴は上げられない。あまりの衝撃に、リリーは喉が引きつってしまい、奇妙な棒読みで言葉を垂れ流すことしか出来ないようだった。

 だが、そんなことにも構わず、賢悟の抱擁は続く。リリーの肩に胸を埋めて、グズる子供の様に、弱々しい力でしがみ付いている。


「はー、だめだわー。へこむわー」

「け、けけけけ賢悟様?」

「悪いリリー。あと三分なー。とりあえず、三分こうやったら、回復するからなー」


 普段の賢悟からはとても想像の出来ない、間延びした声で答えは返ってきた。ただし、現状はとてもまともな会話ができるように、リリーには見えなかった。

 だから、そういう大義名分の元――いや、あちら側から抱き付いてきたので、リリーは思う存分その感触を味わうことにしたのである。これが、のちにリリーが人生で度々思い返すことになる、幸福の三分間となった。


「はふぅ、賢悟様は良い匂いです……」

「あーうー」

「賢悟様の体、柔らかい……良質の筋肉はふかふかするって本当なんですね……」

「うあうあー」

「うふふふ、お肌すべすべー」

「ぬあー」


 三分後、賢悟は名残惜しむリリーを引きはがし、やっと戻る。いや、今までも充分に正気だったのだが、例えるのなら、かなり脳が働いていない状態だったようだ。


「やべえ、今更になって自己嫌悪が…………くそが、仕方ないとはいえ、無様を晒すとはな。よりにもよってリリーの前で」

「賢悟様、それは私にとって良い意味でしょうか? 悪い意味でしょうか?」

「縋っていたのは俺の方だから、良い意味に決まってんだろうが、あ?」

「やふー」


 気恥ずかしさを隠してリリーを睨む賢悟だが、リリーは全く堪えていない。それどころか、若干頬を染めての睨みつけてくる賢悟に、尋常ならざる『萌え』を感じているようだった。自制心が無ければ、今度はリリーから賢悟に抱き付いていただろう。


「はぁ、ともあれ、接触によっていくらか俺の存在もしたからな。今のうちに飯でも食いに行くか?」


 気恥ずかしさを隠すように、賢悟はそっぽを向きながら提案した。


「いいえ、賢悟様。それよりも、お尋ねしたいことが」


 しかし、リリーは珍しく賢悟の提案に乗ることは無く、質問を投げかける。


「貴方様は一体、あの時、何を為されたのですか?」

「…………あー、そうだな」


 がしがしと乱暴に己の頭を掻いた後、何でも無いように賢悟は答えた。


「俺とこの世界――『サイエンス』の関係性を終わらせた」


 返された答えに、リリーが硬直する。何かを言おうにも、思考回路も昏迷してしまい、まともに働かない。


「正確に言えば、サイエンス世界に存在していた『田井中賢悟』の情報、関係性、いわゆる縁という物を全て終わらせて、消し飛ばしたという方が正しいな。つまり、世界が俺を田井中賢悟だと認識できないようになったわけだ」


 軽々しく、淡々と。

 あまりにも簡単に語るので、リリーはそれが性質の悪い冗談に思えた。

 なぜならば、賢悟が行ったことは、それほどに馬鹿げていたからである。例えるのなら、他愛のない『かくれんぼ』をするために、断崖絶壁から飛び降りたような物だ。いや、実際はもっとひどい。

 現に、その結果として、賢悟は危うく己の存在を根底から消し去ってしまうところだったのだから。


「できるかどうか賭けだったが、まぁ、何とかできたな。その後は、世界改変の余波でマクガフィンも混乱していたし、何とかその場で取り繕えたが。やれ、約束している身で死ぬつもりは無かったが、流石の俺も焦ったぜ」

「賢悟様」

「しかしまぁ、そのおかげもあってか、今後は動きやすさが段違いだな。下手な動きをしなければ狙われることも、感知されることも無いだろうし。これでやっと」

「賢悟様!」


 強く呼びかけるリリーの声に、賢悟は気づく。

 見ると、無表情であるリリーの双眸からは、ぽろぽろと大粒の涙が流れていた。


「私の、所為でしょうか? 私が、あんな選択をしたから。だから、賢悟様は……っ!」

「ちげぇよ、馬鹿」


 ぶっきらぼうに否定して、賢悟は言う。


「どの道、何時かは決別しなきゃいけなかったんだ。確かに、しんどいが……それでも、何時かはこの世界に決別しなきゃいけなかったんだよ。体も、元に戻らねぇことだしな。ま、それが多少早まっただけのことで…………ああ、もう」


 だが、リリーは泣き止まない。

 無表情まま、涙を流し続け、声を震わせる。


「なんで、お前が泣くんだよ?」

「賢悟様が、泣かないからです」


 リリーは泣き続ける。

 賢悟が戸惑い、狼狽えても、止めることなく泣き続けた。

 さながら、賢悟の痛みを肩代わりするかのように。

 泣けない賢悟の分まで、ずっと、泣き続けた。

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