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第6話 自己紹介の異世界人

「なんだ、また負けたのか」


 鍛え始めたばかりの頃、まだ賢悟はよく負けていた。といっても、一対一ではなく、負ける時は大抵複数を相手にして負けていたのだが。

 それでも、悔しい物は悔しく、祖父に頼み込んで必勝の特訓を受けていた。

 祖父曰く、お前の拳は悪ガキ程度を殴るための物じゃない。とのことだったが、その時の賢悟は、喧嘩相手たちに復讐することしか考えていなかった。


 だんだんと負けなくなってきたのは、賢悟が中学生の頃からだった。

 どうにも、何か一線のような物を越えてしまったらしく、ただの一般人に毛が生えた程度の相手では、何人束になろうが問題なく倒せるようになってしまったのである。

 相手になるのは、武術を齧った玄人のみ。それでも、たまには強敵と当たり、敗北したり、特訓して再戦したりなどが出来ていた。


 それすら叶わなくなってきたのが、高校生の頃からだった。

 幼少の頃から続けて来た厳しい修練は、いよいよ習熟の域にまで達していた。

 当時の賢悟の五感は通常の人間の何倍にも研ぎ澄まされ、俗に言う『気配』のような物すら完全に感じ取れるようになってしまった。相手が動く前に気配を読み、先んじることも、隠れている相手を見つけることも、造作も無くなってしまったのである。

 ここまで来ると、賢悟と勝負になる相手が見つかること自体が稀だ。

 賢悟は強くなりすぎてしまった。

 その強さが、孤独を深めていく。

 誰しも、己の力が及ばない相手の隣で安らぐことはできない。ましてや、日常的に不良と喧嘩に明け暮れて、しかもことごとくを返り討ちにしている猛者ならなおさらだ。


 強くなればなるほど、賢悟は孤独になっていき……だというのに、未だにまだ『神様』とやらを殴る方法はわからない。

 ただただ、修練を積み上げていく虚しさだけが胸の中に残る日々だった。

 だから賢悟は、レベッカに敗北した瞬間、何かから解放されたような爽快感を得たのである。重く、空虚な鎖から解き放たれ、やっと人間に戻れたような気がしたのだ。

 例え、幼少の頃から鍛え上げた己の体でなくとも。

 三キロ走った程度で倒れこむ貧弱な体であっても。

 正直、筋肉痛で全身が悲鳴を上げていたとしても、敗北は敗北である。

 それについて、賢悟は否定する気はさらさら無い。むしろ、これが決闘場とやらで行われた戦いでなければ、賢悟はあっさりとレベッカの魔術によって消し炭になっていただろう。抵抗不可能で、成す術も無く。

 弱いだなんてとんでもない。

 流石はファンタジーであり、魔法使いだと賢悟は嬉しく思っていた。

 ここなら自分は腐らずに済む、と。

 だが、そんな賢悟の安堵に付けこむように、何者かが囁く。


「負けて安堵するなんて、情けないですね、賢悟君」


 気づけばそれは己の声であり、同時に、憎悪すべき女の声だった。



●●●



 賢悟の目覚めは割と最悪の部類に入っていた。

 なにせ、「うるせぇ!」と夢の中で何をそんなに怒っていたのか、賢悟は怒声と共にベッドから勢いよく起き上がってしまったからだ。その結果、賢悟の容体を診ていた、レベッカの額に強烈な頭突きをくらわせることになったからである。


「うごごご……」

「うにゃぁ……」


 両者は頭を抱えてしばらく唸った後、同時に叫んだ。


「何をしやがる!?」

「何すんのよ!?」


 きしゃあ、と互いに威嚇するように睨み合いながら、賢悟とレベッカは会話を進める。


「貴方が中々起きないから、こうして私が保健室まで連れて来て上げたんじゃない! 感謝しなさいよ! 大体、そっちが頭突きしてきたんじゃない!」

「それはマジで助かるが、頭がぶつかる瞬間、どうしてそっちもぶつけて来た!? 避けられたじゃん、あのタイミング!」

「貴族は逃げないから、よ!」

「意味わからん!」

「わかりなさい、お馬鹿!」


 子供のような罵り合いを二人はしばしの間繰り広げる。互いに「お前の母ちゃんでーべそ!」と幼稚なレベルにまで罵倒が退行するまで罵り合った後、ぽつりとレベッカが呟いた。


「ていうか、やっぱり貴方、エリではないでしょう」

「…………うぐ」


 真正面から射抜くような視線と共に投げかけられた問いは、どすりと賢悟の精神に突き刺さった。徒手空拳で殴り掛かって決闘した上に、低レベルな罵り合いまで繰り広げてしまったのだ。そりゃ、エリを以前から知る人物ならば普通にばれてしまうだろう。

 姿形は非常に似ているが、中身がまるで別物だと。


「あー、やっぱり駄目だな。俺にはこういう腹芸は向いてねぇよ」

「では、やはり?」

「ああ」


 がしがしと、乱暴に己の頭を掻いてから、観念したように賢悟は告げた。


「俺はエリ・アルレシアじゃない。肉体はそのまんまエリって奴の物なんだが、魂は別物だ。魂は異世界人なんだよ、俺」


 命すらかかっている重大な隠し事を、決闘に負けたからと、あっさりと。


「ふむふむ、なるほど…………って、え?」


 何度か相槌を打った後、目を丸くして半口を開けるレベッカ。

 完全な間抜け面であるが、それも無理はない。なぜなら、目の前に居る賢悟という存在は、己の想像をはるかに超えた者だったのだから。


「なんか寝ている間にこっちの世界に拉致されてな。その時に俺の肉体をエリに盗られて、代わりに俺の魂はこの、エリの体に入れられたわけだ」

「待って、ちょっと待って……予想の遥か上過ぎて……」

「おまけにこの肉体、『東の魔女』から呪いを受けているんだよな。十か月後ぐらいには死ぬ呪い。複雑すぎて本人には解除不可能だとか。ったく、マジクソだよな。異世界に強制的に拉致されたかと思えば、女の体に入れられて、しかもタイムリミット付きと来たもんだ」

「わ、訳が分からないわよ!」

「俺だって同じだ」


 レベッカは淡々と己の境遇を説明する賢悟と観察してみるが、残念ながら嘘を吐いている感じはまるでない。正気かどうかはさておき、当人は本気でそうであると信じて言っている。


「待って、だって異世界召喚に肉体交換なんて……しかも呪われた肉体でなんて……いくらエリでも、そんな真似は不可能……そんな、悪魔みたいな所業……って、もしかして?」


 大魔術の失敗で失ったという、エリの強大な魔力。

 その後に現れた不自然な性格のエリ。

 おまけに、そんなエリが話した内容と照らし合わせた結果、レベッカは一つの推論を得た。


「悪魔召喚…………対価としてエリの強大な魔力を差し出すのなら、確かに、可能ではあるわ。エリは以前からその手の怪しげな古代魔術の研究はしていたようだし……」

「まぁ、俺としてはお前が俺をどう思おうが知ったことじゃないけどな。ただ、喧嘩の流儀として敗者の義務を果たしただけで」

「なにより、エリはこんな古き良きヤンキーみたいな性格じゃないわね! うん、なるほどマジな訳なのね!」


 うあー、マジなのー、と呻きながらレベッカは両手で顔を覆う。


「貴方、異世界人? ちょっと頭のおかしい自称異世界人とかじゃなくて?」

「パーソナリティが不安になる問いかけをしてくるんじゃねぇよ。リリーに……あの共犯者のメイド曰く、近似世界らしいけどな」

「…………あー、そういう。え? ひょっとして科学とか使っちゃう感じの?」

「何だよ、そのニュアンス。いや、科学とか使ってテレビ見たりネットしたり、後は……こう、空を飛んだり宇宙に行くけどさ」

「何その不思議世界!? フィクションなの!?」

「俺からすればこっちがフィクション染みているんだがなぁ」


 なぜか顔を両手で隠した状態で、レベッカはいくつもの質問を投げかけ、賢悟がそれに淡々と答えていく。そんなやり取りを数分続けると、レベッカもようやく事情を理解できた。


「つまり、貴方は本当に本当の異世界人な訳ね。その、科学の世界の」

「おうともよ。田井中賢悟、十七歳。正真正銘の男だ…………男だったんだよ……」


 ははっ、と乾いた笑みを浮かべて項垂れる賢悟。未だ、エリの体は慣れていない。というより、慣れたら男として色々危ないと思っている。


「ふぅん、通りであんなに乱暴な口調だったわけね。貴方、あっちの世界のヤンキーでしょう?」

「これでも真面目に学校には通ってたんだぜ?」

「でも、女の子のお腹に容赦なく拳を叩きこむ、と」


 中身が男だとわかったからか、先ほどの決闘内容を思い出して訝しむレベッカ。レベッカの中では、女子に易々と暴力を振るう男は容赦なく、風紀執行対象である。

 そんなレベッカのジト目に、賢悟はにやりと不敵に微笑んで答えた。


「んじゃ、手を抜いた方が良かったか? それとも、大人しくサンドバックになっていた方が?」

「…………ふん、まさか」

「だろう?」


 つまるところ、賢悟は性別に関係なく公平な人間なのである。

 男と女で態度を変えることはほとんど無く、あったとしてもそれは最低限のマナー程度だ。加えて、それは自身が女になっている現在では随分と緩和されている。

 特に喧嘩となると男だろうが女だろうが、賢悟は平等に殴るのみ。

 それが対等の実力者なら、容赦も手加減も必要なし。

 ただ、対等な立場として戦いに挑むのだ。

 そして、レベッカはそういう気質を持った真っすぐな馬鹿は嫌いでは無いのだ。


「…………まー、貴方は今、魔力も無い貧弱な女の子だもんね。男の流儀を押し付ける方が無粋か。大体、決闘しかけたのは私だし。勝ったのも私だし」

「いやいやいや? 別に良いぜ、そういう価値観押し付けても。大体、次にやったら俺が勝つし。絶対負けないし」


 賢悟のあからさまな強がりを鼻で笑い、レベッカは言う。


「気絶していたくせに、良く言うわ。大体、私は貴方のへなちょこパンチなんて全然効かなかったもの。むしろ、後半は殴られる度に気持ちよくなってきたぐらいよ」

「それは別の意味でまずいと思うぞ」


 痛みを快感に変える術を覚えたことが誇らしいのか、平坦な胸を張るレベッカ。エムという性癖を知らないのは、これでもレベッカが純粋培養のお嬢様だからだ。恐らく、事実を知ったら三日は自室に引きこもるショックを受けるだろう。


「うん。何にせよ、貴方がこれでエリじゃないことが分かったわけだし。まずは言っておくわ」


 自分に厄介な性癖が生まれたことも知らず、レベッカは威風堂々と賢悟へ告げた。


「私の名前はレベッカ・アヴァロン。『紅蓮』の名を冠する、御三家の一つ、アヴァロン家の次女よ。覚えておきなさい、タイナカ」

 その姿はどこか滑稽で、けれど、やはり賢悟は思うのだ。

「は、田井中は苗字だよ。賢悟でいい」

「わかったわ。なら、異世界の流儀は知らないけど、私もレベッカと呼びなさい。生憎、家名で呼ばれるには、まだ相応しくないもの」


 目を奪われるほどに、この少女は格好いい、と。



●●●



 さて、賢悟とレベッカが互いに自己紹介を終えたところで、一つ、問題が残っている。

 それは、『異世界人』である賢悟の処遇だ。


「んで、レベッカ。こうして、お偉いさんであるお前のところに、異世界人である俺が現れたわけだが、どうする? 魂さえ合っているなら、色々と利用できるんだろ?」

「…………ふん。どうやら、何も知らずに名乗った馬鹿ではないみたいね」


 この世界、『マジック』における異世界人とは特別な意味を有する。

 これは別に異世界人が何かしらの絶大な、反則じみた力に覚醒するから――というわけでもなく、異世界の知識を欲しているわけでもなく。

 異世界人の魂は、この世界に於いて非常に希少かつ、有用な資源だからだ。


「メイドからも説明されたし、エリからの知識にもあったぜ。俺みたいな異世界人の魂は、神世の住人どもから見れば、極上の代物だってな。つまり――」

「そうね。あにゃ……貴方を利用することが出来れば、主神クラスの召喚術も思いのままってことになるわ」

「…………シリアスなんだからさ、その、な?」

「…………うるさぁい! しかたにゃいじゃにゃいか! 私は生まれつき、舌足らずにゃの!」


 決闘が終わって気が抜けたのか、噛みまくりのレベッカである。

 けれど、そんなほのぼのとしたアクシデントがあったとしても、話の内容は、賢悟にとってシビア極まりない。

 神世とは、『マジック』の世界に内包される幻想世界である。

 あくまで『マジック』内の同一世界であり、異世界というわけではない。だが、レベッカたちの暮らしている現実世界の裏側に属する存在であり、現実世界の住人と『契約』を結ばなければ、肉体を得ることも出来ない幻想の如き存在だ。

 けれど、文字通り神の如き力を持つ者たちが暮らす世界である。

 力が強すぎるあまり、現実世界から追放された神々の住まう世界である。


「はぁ、話を戻すわよ。私が使っていた《灼熱魔人の右手》は、その神世の住人の一部を具現化させる魔術よ。それも、完全な召喚術じゃなくて、火属性の形成魔術を加えた劣化品」


 一呼吸おいて、レベッカは言った。


「それでも、あの威力よ。決闘場の効果で幻に転化されてなかったら、貴方は今頃、灰塵になっていたわ」

「だろうな。そんな感じの痛みだったぜ」

「それで気絶しない貴方の精神力ってば、化物並みなんだけどね。ともかく、たった一部でそれなのに、貴方の魂を使えばそんな奴らを丸ごと召喚できる」


 現代日本に存在した賢悟の感覚が、エリの記憶からもっとも分かり易い驚異的な例えを導き出す。

 すなわち、完全顕現した神世の住人は『歩く核兵器』と同義であると。

 しかも、その兵器自体が意思を持っているのが、性質が悪い。おまけに、それが個人単位での契約に縛られる可能性があるとなると、最悪の部類に入るだろう。


「魂の質と支払う対価によるけど……場合によっては複数召喚も可能よ。そうなったらもう、現代社会の秩序は乱れてしまうわ」

「だが、進んで乱したい奴によっては格好の獲物なわけだ、俺は。おまけに魔力が無くて、碌に自衛も出来ないポンコツってありさまだ。笑えてくるぜ」

「そう、私は泣けて来たわよ」


 けらけら笑う賢悟に、額を抑えて憂鬱げにため息を吐くレベッカ。

 対照的な態度だが、この場で危機に晒されているのは明らかに賢悟の方である。


「で、どうする? 俺としては敗者の責任として、きちんと自己紹介したわけだが。このまま俺を捕まえて、国益に貢献とかするか? お前、貴族なんだろ?」

「――馬鹿にしないでくれる?」


 賢悟の言葉に、レベッカは真剣な口調で答えた。


「貴族だからこそ、貴方のような立場の人間を食い物にするわけにはいかないのよ。異世界ではどうか知らないけどね、この王国で貴族とは『敬われるべき強者』なの。そんな弱い者苛めみたいな真似は絶対にしないわ! 私の命と誇りにかけて!」

「…………そうか」


 弱い者苛め、という言葉に引っ掛かりを覚える賢悟だったが、否定はできない。現に、賢悟自身も現在スペックがポンコツ過ぎてどうしようもないと理解しているのだから。


「そうね、貴方が敗者としての責任を果たしたのなら、私も勝者の責任と貴族の義務を果たさなければいけないわね」

「えっと、つまり?」


 むん、と威風堂々に胸を張って、レベッカは賢悟を指差して言う。


「ケンゴ、貴方…………私に拉致されにゃさい!」


 そんなわけで、賢悟は異世界に来てから早々に、二度目の拉致を経験することになった。


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[一言] 拉致と言うよりお持ち帰りの可能性も微レ存
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