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第67話 秩序は来たり

 四方八方、全てが白に覆われた部屋。

 光源が無いというのに、光に包まれた、影一つない、広大な空間。

 そこは、サイエンスに置いて全てが存在する場所だ。

 アカシックレコードと呼ぶ者もいる。

 原初の部屋と呼ぶ者もいる。


 ――名前に、意味などない。下位世界の名称が意味を為す空間では無いのだから。下位世界と上位世界、その境界線上に位置する空間なのだから。

 ただ、そこが世界の中心であることさえ、わかればいい。


『報告を』


 何もないはずの空間に、声が響く。

 機械で合成されたような、棒読みの声だ。それは、女性のようにも聞こえるし、男性にも聞こえる、中性的な声だった。いや、無機質というのが正しいだろう。


「はい、我が神。現在、忌子は異邦人によって保護されており、下位端末では排除は困難と判断します。さらに、過去ケースA125から参照されたイレギュラーが再発生。どうやら、別区域から帰還したようです」


 応える声は、十代の少女の物。

 しかし、毅然と、淡々と報告する声のトーンは青さも、幼さも感じられない。ただ、冷たく完成された物である。


「イレギュラーはコード“終幕”を有しています。異邦人と接触、交渉を受けたようですが、結果は不明。共に脅威となるのであれば、最悪、マクガフィンの全機能が停止する可能性もあります。故に、デウス・エクス・マキナの起動を提案します」

『デウス・エクス・マキナは脅威度A以上の対象のみに限られています』


 二つの声だけが、白の空間の中で交わされていた。

声の主は、この空間に影すら見せていない。


「ならば、脅威度を最大まで引き上げるようにしてください、我が神よ。かつてのままのイレギュラーであるならともかく、今の彼は脅威です。忌子同様、貴方の存在に手が届く。世界への過干渉は確かですが、万全を期すべきかと」


 一瞬の間を置いて、少女の声に機械の声が答える。


『許可します。マクガフィンの報告により、対象の脅威度を最大レベルにまで引き上げました』

「ありがとうございます、我が神よ」

『正しき世界に異分子は必要ありません。マクガフィンよ、排除を急ぎなさい』

「――了解しました」


 声が止み、白の空間に静寂が戻る。

 何もなく、けれど、全てが存在する空間。

 そこに―――サイエンスの神は鎮座している。



●●●



 ウリエルとの会談が終わった後、賢悟とリリーは喜助宅へと戻ってきていた。

 色々あったので時間は食ってしまったが、時刻はまだ昼下がり。なので、二人はちょっと遅めの昼食を取ろうとしていたのだが。


「…………」

「あのよ、リリー」

「…………はぁ」

「リリー」

「…………はっ!? なんでございましょうか、賢悟様」

「目玉焼きが焦げている」

「はうあ」


 どうにも、リリーの様子がおかしいのであった。

 いや、リリーがおかしいのは四六時中であり、常に情緒不安定と言っても過言では無いのだが、今回ばかりはやや深度が違う。何せ、どれだけ落ち込もうが家事全般を完璧にこなすメイドであるリリーが、目玉焼きの焼き加減を間違えてしまったのだ。

 メイド服ではなく、私服ということが原因の一つであると賢悟は考えているが、問題の大半を占めているのは、別の事であることも理解している。


 ウリエル。

 賢悟の肉体持ち、エリの魂を持つ存在。

 世界の敵である破界者を傍らに置き、神殺しを目論む者。

 そして何より、リリーのかつての主だ。


「…………はぁ」


 結局、昼食の出来はリリーにとって最悪の物となった。

 リリーにとっての最悪は、一般と平均するとファーストフードクラスの出来栄えなのだが、それでもリリーにとっては最悪だった。本来、主である賢悟の前に出すのもはばかられるのだが、賢悟の『もったいねぇ』の一言により、それが昼食となった。

 ちょっと焦げた、目玉焼きハンバーグ。

 二人は、テーブルを挟み、向かい合ってそれを食べている。


「申し訳ありません、賢悟様。このような粗品、本来なら……」

「うるせぇ、俺が喰うって言ってんだろうが」

「…………はい」


 無表情のまま俯くリリー。

 大分落ち込んでいるらしく、昼食だというのに、箸はほとんど進んでいない。

 一方、賢悟は大口を開けて、がつがつとまったく間にハンバーグやら、ご飯たらを喰らって行く。


「んんぐ、がつがつ」


 特にマナーに反しているというわけでもないのに、賢悟の食べ方は野性的であり、あるいは、怪獣のようでもあった。

 賢悟があらかた食べ終わったのは、リリーが五分の一も食べ進めていない頃。最後に、味噌汁を吸い終えると、吐息と共に話を切り出した。


「それで、なーんでお前はまた落ち込んでいるんだよ?」

「…………いえ、賢悟様の耳を煩わせるわけには」

「うるせぇ、既に煩ってんだよ。お前の辛気臭い面の所為で、飯が不味いわ、ボケ」

「…………申し訳ありま――」

「だから、さっさと話せってんだよ」


 リリーの謝罪を遮って、ぶっきらぼうに賢悟は言う。


「いいか? お前が言ったんだぞ、俺に傍に居て欲しいってな。だから、俺はお前の傍に居てやるよ。んでもって、俺の傍に居るからには、辛気臭い顔はやめろ」

「え…………あの、賢悟様、それって…………というか、え? 私、そんなこと……え?」

「テメェで言ったのに、覚えてねーのか、まったく……人に人工呼吸までさせておいて」

「人工呼吸!?」


 驚きの声とともに、しゅぼっ、と一瞬にしてリリーの顔が真っ赤に茹で上がった。


「えあ、え? う、うそ……えええ……人工呼吸ってあれですよね? 口と口で、その……キスしている、あれな感じの!」

「医療行為だ、他意は無い」

「で、でも、人工呼吸したのですね?」

「したよ。医療行為だけどな」

「はうぅ……」


 真っ赤な顔を両手で覆い、体をくねらせるリリー。

 なにやら、奇妙極まりない動きであるが、これは喜びが限界を突破した所為である。喜びが体から溢れ出してしまい、普段以上に馬鹿な行動を取っているのだった。


「なんか元気になったから、もういいかなって思うんだが、俺」

「いえ、折角ですから、話を聞いてください。そして、私を甘やかしてください」

「…………既に顔を覆うぐらいなのに、大丈夫か? 色々と」

「大丈夫じゃなくなるくらい、甘やかされたいです」


 さっきまでの落ち込みがどこへやら。すっかり、賢悟との人工呼吸を妄想して調子に乗っているリリーだった。


「とりあえず、甘やかすかどうかは、話を聞くまで保留で。ほら、さっさとその手をどけて、話し始めろ」

「はい…………その、実は……」


 リリーが語った内容は、一言で表すならば『嫉妬』だった。

 かつての主……エリ・アルレシア。

 邪神とさえあだ名されていた彼女が、現在は違う少女を傍に侍らせている。しかも、明らかにかつての自分よりも、その少女――イヴはエリと、ウリエルと仲が良好だ。名前を改めて、邪悪さが鳴りを潜めるほどかつての主は丸くなっていた。それは、肉体が入れ替わった所為もあるだろうが、イヴの影響も少なからずあるはずだ、と。

 自分は捨てられたというのに。


「理解はしているのです。今の彼女は、かつての主とはもう違うのだと」


 噛みしめるように頷いて、リリーは言葉を紡いでいく。


「今の彼女――ウリエル様は優しいでしょう。少なくも、以前の邪悪さは感じられません。以前でしたら、イヴという少女は檻に入れられて飼育状態にされていたかもしれません」

「以前のあいつどんだけだよ」

「ですが、そうしていないということは、変わったということです。変わったから、優しくしている。仮に、私が今、ウリエル様に仕えるなったとしたら、以前よりも優しく私の主でいてくれるでしょう」


 リリーは静かに目を閉じた。

 何かを思い出すように。


「…………かつて、そうならなかったことが、私は少し寂しくて、悲しいのです」


 目を開けて、無表情を解いて。

 ささやかな微笑を、リリーが作って見せた。けれど、それはすぐにも崩れ去ってしまいそうな、儚げな物だった。


「…………ちっ」


 賢悟は、その微笑みが嫌いだった。

 わざわざ仮面を脱いでまで笑うのであれば、そんな笑みでは無い方が良い。もっと、馬鹿みたいな顔をしていた方が、リリーらしいと賢悟は思っている。

 だからかもしれない。

 賢悟が、己の性に合わない、突飛な行動に出たのは。


「え……賢悟、様?」


 無言で椅子から立ち上がり、そのままリリーの近くまで歩み寄る。本当に、近くまで。互いの呼吸すら分かるほど、近くに。


「あ、あの――」

「最初に言っておく、これは医療行為では無い」


 それは、ほんの少し、触れ合うような物だった。

 賢悟の唇が、そっとリリーの額に触れただけのような、ささやかな口づけだった。

 されど、賢悟がそれを為したのであれば。かつてないほど甘くない、そういう好意をリリーに全く見せてなかった賢悟が、口づけを為したのであれば。

 ささやかながら、重大な事件である……少なくとも、リリーにとっては。


「だから、その、まぁ……元気を出せ、馬鹿。お前は、こっちの調子が狂うくらい、マイペースで元気にやっているのが、お似合いなんだよ」


 子供同士がやるような、ささやかなキスでも賢悟の頬は赤く染まっていた。

 それはさながら恋する少女のように甘酸っぱく、見ている者が胸を引き裂きたくなるほどむず痒い物だったに違いない。


「…………」


 ただ、リリーはと言うと、どうやらそれどころでは無いようだった。

 無表情で硬直したかと思うと、茹蛸のように、先ほどよりもさらに顔が赤く染まって、そのまま目を回したのである。


「むきゅう」

「うお!? こいつ、予想はしていたけど、倒れやがった! デコチューで倒れやがった!? どんだけ耐性無いんだよ!」


 耐性の有無では無く、誰がキスをしたかが問題なのだが、今の賢悟はそこまで頭が回っていない。

 なので、仕方なく気絶したリリーを背負って、寝室へ運んだのであった。



●●●



「さて、どうするかねぇ?」


 リリーを寝かせた後、賢悟は茶の間で一人、己の右手を眺めていた。

 思い出すのは、ウリエルとの交渉。

 そして、破戒にして、破界の術を持つと言われていたイヴという少女の事。

 条理を越えた、同類について。


「いや、どうするも何も、こっちには選択肢なんざありはしないわけだが。ぶっちゃけ、今のところ、あいつの交渉に乗るしか帰る手立てが無いわけだし。でもなぁ、あいつが何かを企んでいる可能性も無きにしも非ず。つーか、神を殺した後は、あいつが管理者になるわけだろ? あいつを管理者はなぁ、ちょっとなぁ……いや、ちょっとどころじゃなくなぁ」


 ぶつぶつと、誰に聞かせるわけでもない呟きを並べて、賢悟は考える。

 選択の余地など存在しない。本来ならば、迷うことなくその誘いに乗るべきだ。かつてのエリのような邪悪さを隠しているならばともかく、現在のウリエルに関しては、多少マシな存在であることが分かるのだから。


 なにより、イヴと賢悟は同類である。

 野生動物染みた勘を持つ己と同等に、イヴも超常的な勘の持ち主と、判断していた。故に、現在のウリエルはそこまで悪では無い。何もかもを台無しにするような、邪悪では無い、と。


「だからといって、善でもなさそうだが」


 少なくとも、全世界に地獄を顕現させるような存在では無い。

 かつての邪神では無い。

 だからこそ、その誘いには乗るべきであり、もしも途中でウリエルが怪しい素振りを見せたら、その時に叩きのめせばいいのだ。それが、賢悟にとっての最善である。

 けれど、何時だって最善が最良の結果をもたらすとは限らない。


「…………後、何回俺は全力で戦えるんだろうな?」


 己の右腕を眺めて、ぽつりと賢悟は呟く。

 呟いた後、苦笑して訂正した。


「いいや、何回でも全力で戦えるか。問題は、俺が何時まで『人間』で居られるか、ってことだよなぁ」


 賢悟の拳。

 一撃終幕の拳。

 それは、まさしく条理を越えた規格外の技である。異能である。この世界ならざる反則技であり、神にすら届く魔拳だ。


 だがもちろん、相応の代償は存在する。

 条理を越えた力を扱うのであれば、条理から外れた存在になるのは当然な流れである。反則を犯す者は、罰を受けなければならない。

 世界の理から外れ過ぎれば、世界の敵になってしまう。

 さながら、破戒にして破界の術を持つイヴという少女のように。


「別に人間じゃなくなるのは構わねぇんだけど、その余波で面倒な特性が出来そうで嫌なんだよなぁ。流石に一人になるのは寂しいし。できるなら、他者と共存できる存在でありたいもんだな」


 はぁ、とため息交じりにしみじみと賢悟は思う。

 最初は、どうにもできない事をどうにかしたいと思って、拳を振り続けた。

 飽きるくらい、拳を握って、殴って、殴り続けて、その果てが全てを終わらせる終幕の一撃である。

 確かに、願いは叶っただろう。

 どうにもできないことを、どうにかする力は得ただろう。

 しかし、賢悟が本当に望んでいる物は、そんな条理を越えた力などでは無く――


「…………ん? インターホン? なんだ、新聞か?」


 賢悟の思考を中断するかのように、インターホンの音が響いた。

 喜助では無い。まだ、高校の下校時間では無かったはず。であるならば、普通に考えれば、何かしらのセールスである可能性が高い。

 それが、何の問題も無く平和な日常であったのならば。


「いや、んなわけないか」


 己の現状に苦笑し、躊躇うことなく賢悟は玄関へと向かう。

 そのドアを、開く。


「初めまして、田井中賢悟。私はマクガフィン。この個体名は赤梨あかなし 千花ちかです。貴方と交渉に来ました」


 そこには、セーラー服姿の地味な少女の姿が居た。少女の背後には、静かにたたずむ三体の黒子が。

 考えるまでも無く、イヴを殺そうとしていた者たち――世界のシステム側の存在だろう。

 賢悟は、彼女たちの姿を見ると、まるで分かっていたかのように不敵な笑みを浮かべた。


「まったく、ハードな日常だぜ」

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