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第65話 ウリエル

 生来の悪と言う存在がある。

 生まれついての悪。

 純粋な悪。

 悪を為すために悪行を働く、まさしく、吐き気を催すような歪んだ人格の持ち主。

 大よそ、まともな人間の精神では無く、周囲とあらゆる価値観が隔絶している。

 そんな存在は、確かに居る。


 しかし、その生来の悪というのは同時に優れた知性も宿していなければならない。

 なぜならば、真っ白な羊の群れでは、真っ黒い毛皮をした狼は非常に良く目立つからだ。そう、人より隔絶したその悪意は、とても目立つのである。

 人間社会の中で生まれた悪は、突出すれば容易に排除される。

 いくら力があったとしても、一人の人間が、一つの種族に敵うわけがない。真っ向から戦うのは愚かなことだ。

 故に、生き延びる純粋悪というのは、大抵、優れた知性を有している。

 それも、一般人よりも遥に高い知性を。そうでなければ、悪とは生き残れず、圧倒的大多数の善によって駆逐される定めにある。


 だが、その淘汰と駆逐を生き延びて成熟した純粋悪は、強い。

 個体として突出しているのもさながら、周囲を己の悪意で巧みに操る術を持っていることが多いのだ。

 純粋悪は、悪であるが故に、人の善を良く知っている。だから、善人を装って人に近づき、悪意を持って操ることが可能なのである。

 こうして、成長した純粋悪は、人の社会に潜み、思う存分悪意を謳歌するのだ。

 ――――いずれ、絶対的な理不尽によって処される、その日まで。

 そう、悪は大抵、どれだけ頑張っていたとしても、最後には何者かによって駆逐、及び、罰せられる。何故ならこの世界は因果応報が正しくまかり通る世界。誰かを傷つければ傷つけるほど、己も理不尽に傷つけられる可能性が高まってしまう。


 だから、純粋悪はいつか来る理不尽に怯えて、隠れ生きるしかない。

 改心すればいいのではないか? などという意見もあるかもしれないが、それが出来れば苦労はしないだろう。絶対不可能では無いが、基本的には無理だ。

 それこそ、一度死なない限りは。

 体全てを、取り換えでもしない限りは。



●●●



『親愛なる“俺”へ

 来たるべき場所で、貴方を待つ。

 親愛なる“私”より』


 そんな文章が書かれた手紙が、喜助宅のポストに入れられていた。

 薄水色の封筒には宛名も無く、切手も貼られていなかった。どうやら、何者かによって直接ポストに入れられたらしい。

 封筒には、手紙の他に一枚、地図が入れられてある。

 そして、地図の中で一つ、赤く丸の付けられたビルがあった。そこは、喜助宅からそう遠くも無い街中にあるビル。

 賢悟たちは、そこに赴くことになった。


「…………賢悟様、よく罠かもしれない誘いに乗りますね?」

「あーん? んなもん、それ以外手がかりが無かったら、とりあえず乗るだろ。罠だったら、それ事ぶち壊せばいいだけだしな」


 賢悟とリリーは共に、できるだけ目立たない服装を選んで、指定されたビルへと来ていた。まぁ、簡単に言えば二人ともパーカーとジーンズという、色気のない格好である。ただ、そこにサングラスも加えているので、ちょっと妙な物になっているのだが。


「しかし、瞳の色を隠すためとはいえ、このサングラスはどうにかなりませんでしたか?」

「いいんじゃね? ちょっと悪者気分だ」

「サングラス一つで悪者気分とか、子供ですか、賢悟様。というか、我々、悪者というより、変な外国人みたいになっているのでは?」

「別に、お互い日本語流暢だから問題ねーよ」


 二人はだらだら雑談を交わしつつ、指定されたビルの受付へ。


「田井中賢悟様に、リリー・アルレシア様ですね。どうぞ、最上階まで」


 すると、一目見ただけで受付嬢がにこやかに二人を案内する。どうやら、二人の容姿を予め教えていたらしく、奇妙な格好でもあっさりと受け入れられた。

 受付嬢の案内で通されたのは、三十階……このビルディングの最上階。そこには、ただ一つ『社長室』とプレートが掛けられたドアが一つ。壁の仕切り方から、その社長室とやらはビルの階層一つ丸々使うほどの大きさのようだった。


「ここか」


 受付嬢は、最上階まで案内すると、微笑んで下の階層へと戻っていく。あえてなのか、社長である存在へ直接通さず、その直前で戻る。恐らく、賢悟とエリの中にある確執も考えての対応だろう。


「……ふむ」


 妙に視線が泳いで緊張するリリーをよそに、躊躇いなく賢悟はドアをノックした。


「どうぞ」


 ドアの奥から、聞き覚えのある声が――――本来、賢悟自身である男の声が、返ってくる。


「ちっ」


 今更だが、やはり不愉快なので賢悟は舌打ちを一つ。

 その後、躊躇いなくドアノブを回してドアを開く。当然ながら、鍵はかかっていない。


「ようこそ、我が半身たる君よ。そして、私の従者だった憐れなる者よ。再びこの世界に戻ってきたことを、私は素直に感心しているよ」


 ドアの先は、シンプルな部屋だった。

 ただっぴろい部屋の床には、真っ赤な絨毯。その絨毯の上に、一つ、ぽつんと木製の机と、高級そうな椅子が置かれている。

 その机の上に、腰かけるようにして賢悟たちを待ち受けていたのは、一人の男だ。

 爽やかな印象を与えるための、整えられた短髪。高級そうなダークスーツ。細身ながらも、鍛え抜かれた肉体。

 そして、本来は対象に恐怖を与えるであろう凶悪な笑みはそこにはなく、代わりに胡散臭い微笑みが張り付いている。


「会いたかったぜ、エリ・アルレシア」

「ふむ、それは奇妙なことに……私も同じだったよ、田井中賢悟」


 魂の入れ替わった二人の視線が、怨嗟と懐旧を伴って、互いに絡まり合う。


「その様子だと、あの魔女から掛けられた呪いは解除されたようだね、なるほど。当時の私は、絶望に沈む君の嘆きを想像していたようだが、どうして中々」

「そうか、そうか。俺はずっとテメェの面を歪むくらい、ぶん殴ってやろうと思っていたさ」

「そうかい。では、殴るかい?」

「殴ってもいいがな、生憎、俺も打算の一つぐらいは持っている」

「うん、知っているとも。だから、君たちを呼んだのさ」


 焼けるような賢悟の憎悪を、エリは薄笑いの笑みで受け入れる。それどころか、恭しく頭を下げ、礼をして見せた。


「では、改めて――――初めまして、田井中賢悟。私はかつてエリ・アルレシアであった者だ。今は、ウリエルと名乗っているから、その名で呼んでほしい。かつての肉体を、仇敵の名前で呼ぶよりは、いいんじゃないかな?」

「はっ、寄りにも寄って、天使の名前を騙るかよ、お前が」


 野獣の如き笑みを浮かべる賢悟へ、エリ――ウリエルは肩を竦めて答えた。


「はははは、何せ、今の職業は『エンジェル』をやっているからね。そういうことにしておいた方が、覚えられやすいんだよ」

「エンジェル?」

「ま、簡単に言えば個人投資家みたいなものさ。資金が足りない企業に、個人的に投資したりしている。後は、この会社みたいに、暇つぶしにいくらか起業したりしたけど」


 かつての肉体が、なんかとてつもなく凄い勝ち組オーラを出していることに、賢悟は複雑な気持ちになる。なにせ、入れ替わり前では、己の凶悪さで就職できるかどうかすら不安だったというのに。いくら魂が違っているとはいえ、同じ肉体でよくもまぁ、そこまでできた物だと、軽く感心すらしてしまった。


「…………俺の頭で、よくそんな小難しいことができるもんだ」

「人間の脳みそって言うのは、基礎スペックはあんまり変わらない物なんだよ。ただ、開発の仕方にはちょっとコツがあってね? というか、それこそ私の方が驚きだよ」


 ウリエルはここで初めて微笑を消して、呆れたような表情で言う。


「我ながら運動不足で、おまけに魔力も枯渇した体で…………よくまぁ、魔王やら戦闘力のおかしい化物どもと戦えたものだよ。果ては原初の神に殴り掛かるなんて、人間、中身が違ったらそんな芸当もできるのだね」

「何度か死にかけたけどな……つーか、ん?」


 ウリエルの言葉に、賢悟は眉を顰めた。

 おかしい。ウリエルの物言いはまるで、その様子を見てきたようだ。


「はははははは、不思議かい? なんで私が、そんなことを知っているのか?」

「…………テメェ」

「うん、その勘ぐりは正解だとも――私はずっと、君の肉体で……君の瞳で、脳みそで、世界を越えて君の活躍を知っていたのさ」


 世界すら超える、情報共有。

 かつて、邪神とさえもあだ名された天才少女は、それすら成し遂げていた。世界を越えて、賢悟が絶望に抗う様を、堪能していたのである。

 悪趣味極まりないことだが、しかしそれは、このサイエンスにおいても、魔術の発動を続けられるという事実に他ならない。


「君の活躍は知っている。君の強さも、常軌を逸した英雄性も。そして、その拳に秘められた一撃終幕についても」


 ウリエルの笑みが、邪悪に歪む。

 己の悪性を曝け出して、ウリエルは賢悟へと告げた。


「さぁ、賢悟。取引をしようじゃないか」



●●●



 ウリエルに誤算があったとすれば、それは一つだけ。

 賢悟が予想以上に感情的だった、と言うことである。


「この、覗き魔がぁああああああっ!!」


 ただし、『予想外の方向に』が付け加えられるが。


「ごふぁああああああ!?」

「変態! 変態! この、変態野郎ぉおおおおお!!!」


 獣の如き跳躍で、ウリエルに殴り掛かった賢悟は、そのままかつての肉体に連打を決めていく。もちろん、かつての肉体なので、筋肉の隙間を狙い、的確にダメージを与えるのなど、朝飯前だ。


「よくも! よくもいろんなあれこれを覗いてくれたなぁああああ!? 人の! プライベートを! よくも! このっ、変態!」

「ちょ、まっ! 落ち着いて! 落ち着けってば! 私の中身、元女性人格! 覗いた相手、かつての肉体! ね! 問題な――」

「元女性人格ってことは、今は違うんじゃねーかぁああああ!!」

「だって、それはお互いにそうじゃん! 肉体の入れ替わりによる精神の変容は避けられないじゃんか! 大体、今の君の反応こそ、乙女――」

「誰が、乙女だこの野郎!」

「おぶばっ!?」


 顔を真っ赤にさせながら、マウントポジションでウリエルを殴り続ける賢悟。中途半端に精神が乙女になって、そして男性部分が残っているが故に反応だった。なにより、殴る相手がかつての自分だったからこそ、遠慮は無用だったに違いない。


「ちょ、やめ……やめろって! どこの暴力系ヒロインだよ、君は!」

「ヒロインゆーなぁ!」

「リアクション的に完全にヒロインだよ! 諦めろよ! それか、さっさと性転換して精神を男性に戻しなよ!」

「そんな暇無かったんだよぉ! 日々が命がけだったんだよぉ!」

「それは知っているけどさぁ!」


 ぎゃあぎゃあと、かつての己自身の肉体で叫び合う二人。

 非常に奇妙な光景だが、既に二人の会話は収拾がつかなくなってしまう。このままでは、互いが力尽きるまで無駄な時間を過ごしてしまうだろう。


「は、はわわわ」


 しかも、本来、主である賢悟の暴挙を止める立場に居るリリーだが、今回は完全に役立たずだった。エリこと、ウリエルが賢悟の肉体で姿を現した時から、もう頭の中は混乱状態であり、まともな判断は一つも出来ていない。

 なので、この混沌とした状況を変えたのは、必然として第三者だった。


「うりえるをー、いじめるなー」

「みょん!?」


 頭の中が茹だっていた所為か、賢悟はすんなりと第三者からの突進を脇腹にくらう。その衝撃は、小さな子猫が体当たりしてきたような小さなものだったが、何故か賢悟の体がそれで転がる。


「おっふ!?」


 さらに、混乱する賢悟へ追い打ちをかけるように、その第三者は――純白のワンピースを纏った幼女は、賢悟にしがみ付く。さながら、ウリエルの元へ行かせないように。


「え? ちょ、え? この幼女、どこから出てきた!?」


 賢悟へ抱き付いているのは、腰まで伸びた長い黒髪の幼女である。年は十に届くあたりだろうか? 日本人離れした西洋人形のような容姿に、碧眼。黒髪とは妙にミスマッチなそれだが、何故か、その幼女には美しく思えるほど似合っていた。

 そんな美幼女がいきなり突進して、己にしがみ付いてきたのである。流石の賢悟といえど、素に戻って困惑するしかない。

 ましてや、それが己の感知しない場所から現れた存在ならば、尚更だ。


「ああ……出て来ちゃったか、イヴ」


 奇襲から回復したウリエルは、けれど、苦々しい笑みを浮かべて立ち上がる。

 そして、スーツに付いた誇りを払いながら、ため息を吐いた。


「はぁ、君の存在は交渉が進むまで、隠して置きたかったんだけどね?」

「…………」


 ウリエルの言葉に、黒髪幼女――イヴは何も答えない。ただ、無言のまま賢悟の肢体に顔を埋めている。


「うん、知っているとも。君が私の思惑では捉えられない存在と言うことも」

「…………」

「あと、助かったよ、ありがとう」

「…………」

「ははははは、珍しく照れているねぇ、イヴ」


 イヴという美幼女は、ずっと無言で賢悟にしがみ付いているだけなのだが、何故かウリエルはにこやかに会話を続けている。イヴと、ウリエル、二人だけの間にしか分からない何かによって、意思疎通しているのかもしれない。


「……おい」

「ん? ああ、ちょっとは落ち着いたかい? 賢悟」

「落ち着いたけど、この幼女をどうにかしろ。意味不明な事だが、こいつに抱き付かれたから、体が上手く動かない」

「はははは、安心したよ、君相手にもイヴは正常に……いや、異常に機能するようだね」


 どういう原理は賢悟には理解できないが、イヴにしがみ付かれていると、体中から力が抜けるようになっているようだ。本気でどうにかしようと思えば抵抗できるだろうが、その際、イヴを無傷にする保証は無いので、渋々賢悟はされるがままなのである。


「ちょうどいいから、しばらくそのままで聞いて欲しい」

「…………さっさと話せよ」

「うん、ありがとう」


 佇まいを直し、改めてウリエルは賢悟へ語り掛けた。


「さっきも言ったけど、交渉をしよう、賢悟。私は君たちをマジックに送り返す手段を持っている。もちろん、あの忌々しい原初神にだって、感知されず、君たちの都合の良い場所に送ることも可能だ」

「お前ならできると思っていた。だから、俺はここに来た…………それで、条件は何だ?」

「話が早くて助かるね、流石賢悟」

「貴様が俺の何を知っている?」

「知っているとも。何せ、この体は君から奪い取った物で、君の活躍はずっと観させてもらっていたからね。実は、ファンなんだよ」

「はっ、白々しい」

「自分でもそう思うよ。ともあれ、条件の話だけれど」


 ウリエルは頷くと、唇を三日月のように歪めて言った。


「君には、私の神殺しを手伝ってほしいんだ」

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