第64話 己の影を追え
田井中賢悟と、小野寺喜助の付き合いは浅い。
何せ、出会ってから先輩後輩の仲であったのは、たった一か月弱ほど。けれど、その一か月弱は、賢悟にとっては珍しく己を恐れない後輩との貴重な交流期間で。賢悟が半年前に、異世界へと拉致られなければ、あるいは『友達』と堂々と呼べる仲になっていたかもしれない。
だからこそ、賢悟はサイエンスへの帰還に伴い、真っ先に頼るべき相手として思い浮かべられたのである。
「まったくもっぉおおおお! 先輩はいっつもそうだ! 俺の気持ちを踏みにじるような悪戯を嬉々として行って! 半年前も、好みの女子の恋愛遍歴を無理やり教えてきたり!」
「ばっか、お前、あれは教えてよかった情報だろ? だってあいつ、清純を気取っていたけど、かなりのメンヘラで、過去に付き合っていた男どもは皆病院行きだったんだぜ?」
「だからって、真剣に恋愛相談していた後輩に向かって『やめとけ、あいつはメンヘラビッチだぜ? 黒髪地味子は地雷だぜ?』は無いでしょうが!」
「事実を言っただけなんだがなぁ」
賢悟が喜助の家に押しかけてからの翌朝。
二人は朝食を取りながら、ぎゃあぎゃあと懐かしむように言葉を交わしている。
「つーか、その後、先輩が勧めてきた人だって、ビッチだったじゃないですかぁ!」
「ビッチはビッチでも、良いビッチだっただろうが。ちゃんと性病に気を遣って、なおかつ、童貞相手でも馬鹿にせず手ほどきしてくれる奴だぞ?」
「とりあえず、童貞を捨てさせよう感がありありの人選だったじゃないっすかぁ! 自分だって、童貞だった癖にぃ!」
「いやだって、俺は彼女とか別に要らなかったけど、お前が彼女欲しいというから……とりあえず、童貞捨てさせるかな、って」
「先輩の場合、強がりじゃない純粋な思考結果だから困る! 先輩はなんというか、戦闘欲に全振りでしたからね」
「あの頃の俺は荒れていたからな……ま、今は大人しくなったから、安心しろ」
「鏡を見ろぉ! アンタ、美少女になっているからぁ! 安心できる要素とか皆無だからぁ!」
半年ぶりの再会であったが、二人のやり取りは相変わらずである。
賢悟がわざと惚けた言動で喜助をからかい、喜助はそれに振り回されながらも笑う。どこか、漫才染みていたが、確かに絆を感じさせるやり取りだった。
「…………それで? 一体、何があったんで? というか、さっきから、無表情で飯を食っているこの銀髪美少女さんは誰っすか?」
「私は賢悟様の従者でリリー・アルレシアと申します。どうぞ、よしなに」
「うお、しゃべった!?」
喜助の驚きなんてまるで介さず、リリーは無表情のまま味噌汁を啜る。
もっとも、そっけない対応をしているが、実はリリーは内心、喜助に嫉妬しているのだが。基本的に、リリーは賢悟と仲の良い人物に対しては嫉妬する面倒な性格をしているのだ。
「ふぅむ、話せば長いのだが、簡単に説明すると異世界に拉致されたと思ったら、美少女の体に魂を入れられていたのだ。あ、異世界ってあれな。ファンタジーチックなあれな?」
「うわぁ! 漫画みたいな技使うなぁとか思っていたら、ガチで漫画みたいなイベントに遭遇してたよ、この先輩!」
「ちなみに、魂を入れられた美少女の体が余命一年にも満たない呪いに掛かっていてなぁ。つい最近まで、解除するために頑張っていた」
「しかも、難易度がベリーハード!?」
「んでもって、なんやかんやを経て、こっちの世界に戻ってきてしまった、というわけだ」
「なんやかんや!?」
細かい部分は説明するときりが無いので、適当に誤魔化す賢悟だった。
「……先輩、なんか人生が波乱万丈過ぎて驚きなんっすけど? というか、え? 半年前に姿をくらませてから、そんなことになっていたんですか? や、姿をくらませる前は、確かになんか、様子がおかしかったっすけど」
「ああそれは多分、俺の体を奪った拉致犯だな。そいつの元の体が、俺の現在の体……つまり、お前の目の前に居る美少女ってわけだ……しかし、そうか、姿をくらませたか」
箸を動かす手を止めて、賢悟は思考する。
元の体の持ち主にして、全ての元凶である――エリ・アルレシアについて。
健全な体を手に入れて、果たしてエリは一体、何をやっているのだろうか? 魔術の知識はあれど、サイエンス世界では世界の法則の違いから、マジックの魔術は起動しない。されど、邪神ともあだ名されるエリの邪悪な智謀さえあれば、何だってできるだろう。
加えて、全盛期である賢悟の肉体と、戦闘技術も持ち合わせているのだ……ちょっと賢悟が考えを巡らせるだけでも、とめどなくろくでもない事態を予想できる。
「……国家転覆……いや、世界戦争……」
「なんか先輩が物騒な事を!?」
「まぁ、いいや。考えるだけじゃ、どうしようもねーし。もう手遅れかもしれねーし」
「凄く不安な事を言わんでくださいよ! なんか凄く、俺も巻き添え喰らいそうな規模の物騒さだったじゃないっすか!」
「心配するな、後輩。お前は俺が守ってやるぜ」
「先輩の今の外見で言われると、すっげー複雑ですわ」
かつての賢悟からなら頼もしさを感じるかもしれないが、現在の賢悟に言われたのなら、男として不甲斐なさしか感じないだろう。実力はともかく、外見が美少女の相手なのだ。男として、そこは逆だろうと、喜助はついついそう思ってしまうのである。
まぁ、外見が美少女であろうが、中身は賢悟なので、あまり意味の無い見栄なのだけれど。
ともあれ、そんなこんなで騒がしい朝食は終わった。
食器等の片づけは、意気揚々と手を上げたリリーによって行われることに。どうやら、賢悟に少しでもいいところを見せたいという、想いからの行動のようだ。何せ、サイエンスでは魔術が使えないので、現状、リリーはまるでいいところ無しだったのだから。
「お任せください。ついでに、台所の清掃も終わらせておきましょう」
「え、でも悪い……」
「任せておけって、後輩。住まわせてもらう、俺たちからの礼だと思え」
「や、先輩は何もしてないっすよね? 現状」
「はっはっは、家事に関してはリリーが居れば事足りるからなぁ。あれだ、存在自体が癒しだと思えよ」
「何この人、超不遜」
久々の故郷にやってきて、親しい後輩相手に良い空気吸いまくりの賢悟だった。
今までが今までだったので、多少、調子に乗るのも仕方ないだろう。
「なんつーか、今まで行方不明になった先輩に対して真剣に悩んでいたのが、馬鹿らしくなった気分ですわ。そうだった、アンタが死ぬはずないよな、先輩」
「当たり前だろ、後輩」
良い表情で言い切る賢悟。
そんな賢悟を見て、喜助は呆れたように、けれど、どこか嬉しそうに苦笑する。
「んじゃ、先輩。俺はこれから学校っすから、戸締りの鍵はいつもの場所にあるんで、お好きに。また、夕方に色々話しましょうぜ」
「おうとも…………あ、後輩。少し、いいか?」
「ん? なんですか?」
賢悟は少し溜めた後、訊ねた。
「最初さ、お前は良く、俺だってわかったよな? つーか、普通信じないだろ、こんな出来事。加えてファンタジーみたいな話。なのに、良く信じてくれたよな、お前」
「なんだ、そんなことっすか」
恐る恐る訪ねてくる賢悟へ、喜助は肩を竦めて答える。
「だって、アンタは俺の先輩だ。田井中賢悟だ。外見が変わっているぐらいで、気付ない方がおかしいでしょうが。後、アンタの存在自体が既にファンタジーだから、そこら辺は普通に信じられるってーの。アンタなら、何があってもおかしくないって」
「…………はは、そうか」
喜助の言葉に、賢悟は胸につかえていた重い物が消え去るような感覚を得た。
かつての自分を知り、なおかつ、今の姿を自身と認める相手が居る。ただ、それだけで消し去れる重荷もあったのだろう。
「なんか、サンキューな、後輩」
だから、賢悟は素直に礼を言うことにした。
変わり果てた姿で帰ってきても、わりとあっさりと受け入れる変わり者の後輩へ。
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「それで、何を拗ねているんだ、お前は」
「別に拗ねていません」
「いや、拗ねているだろ、確実に。無表情でも、雰囲気で分かるんだよ、雰囲気で」
リリーが台所の掃除を終えた後に、今後の作戦会議をが開かれたのだが……どうにも、両者の空気と言うか、リリーの機嫌が悪いのだった。
現在は、無言で自分の入れた緑茶を啜り、露骨に賢悟へそっぽを向いている。そっぽを向いている癖に、時々、賢悟へちらりと視線を向ける。
拗ねている癖に、構って欲しくてたまらない精神状態らしい。
「お前はどこの飼い猫なんだよ……」
忠誠を誓っている癖に、直ぐに拗ねるな、こいつと思いながら、賢悟はため息を一つ。
「はぁ、お前な? 不満があるならさっさと言え。言っておくが俺は、人の顔色を伺うのが大嫌いだぞ。空気は積極的に読まない人間だ」
「存じ上げています」
「なら、言えよ」
「…………」
リリーは、しばし沈黙した後、ぼそりと呟く。
「あの人ばっかり、構ってずるい」
「…………あーん?」
リリーの呟きを聞いた賢悟は、正直、『めんどくせぇ!』と叫びだしたくなった。これが他の女子面子であれば、もうちょっと分かり易く、面倒が無かったはずだ。しかし、今の相方はリリーである。面倒くさく、無表情の癖に情緒不安定のリリーである。
定期的に構ってやらなければ、勝手に落ち込むダメ人間なのだ。
「え、何お前、嫉妬? 俺の後輩相手に嫉妬? あいつ、男なのに?」
「魂が同性でも、肉体は違います。最悪、押しかけ系ヒロイン化すると、予測しました」
「しねーよ! するかよ、馬鹿。つーか、何時までもここに居座れないだろうが! さっさとマジックに帰らないとやばいだろうが!」
「それはそうですが……」
どうやら、理屈で分かっていても、感情で面倒な行動を取ってしまうらしい。最近、どんどんポンコツ化が進んでいくリリーに、賢悟は頭を抱えたくなった。
しかし、現状では唯一の相方であり、共にマジックに帰還すべき運命共同体。
なにより、明確な好意を向けてくる相手である。流石の賢悟と言えど、いや、賢悟だからこそ、無下には扱えない。
「あー、もう、わかった、わかった!」
リリーの性格を今すぐ矯正するのは無理なので、仕方なく賢悟が折れることに。
具体的には、リリーの要望通り、構ってやることにしたのである。
「ほら、これでいいだろ?」
どが付くほどストレートに、賢悟は真正面からリリーを抱きしめた。
一切の躊躇いの無い、大胆なハグだった。
「ひゃう!?」
「ええい、耳元で叫ぶな、うるさい」
華奢なリリーの体を、賢悟が力強く抱きしめる。
互いにジャージやパーカーという、色気が無いファッションではあるが、美少女二人が抱き合う姿は、傍から見れば妖しい美しさを漂わせていただろう。
「け、けけけ賢悟様……これは一体……ワッツハプン……」
「お前が構えと言ったんだろうが」
「こ、これは構うというか、それ以上のご褒美……今日、私は死ぬのです?」
「落ち着けよ、馬鹿。お前に死なれたら俺が困る」
「はわわわ……」
結局、賢悟の過剰スキンシップはリリーのギブアップによって終了した。
今後、面倒な拗ね方をすれば、容赦なく抱きしめるという賢悟の脅しに、リリーは戸惑うばかりである。何せ、ご褒美であるのは確かだが、あまりに過剰過ぎて心臓が持たないのだ。抱きしめられながら心臓発作で死ぬのは、リリーと言えど御免だった。
「ふ、ふぅ……死ぬかと思いました。嬉しすぎて」
「顔が茹蛸みたいに赤くなるくせに、無表情とか器用だな、お前は。まぁいい。んじゃ、ようやく今後の作戦会議を開始だ」
リリーの顔色が戻るまで待って、賢悟は現状説明から話を切り出す。
「まず、現状は非常にまずい。何せ、世界の壁を超越して飛ばされた。あちらに戻る術を、俺たちは持たない。こちらの世界では魔術が使えないので、リリーの魔導具にも頼れない。俺の戦闘力は変わらないが、問題の世界間移動に関しては、まるで役に立たない。そこで、だ」
一呼吸置くと、賢悟はリリーの目を見据えて言った。
「この世界の何処かに居るであろう、エリ・アルレシアを探す。俺を拉致した実績のあるあいつなら、何か解決案を出せるかもしれない」
「……そう、ですか」
やや、リリーの声色落ち込む。
無理もない。何故なら、賢悟がエリを探すのであれば、リリーは必然と、自らを捨てた飼い主へと再会しなければならないのだから。
「辛いかもしれんが、捜索にはあいつを知るお前が鍵になるだろう。何せ、俺の中にあるエリの記憶は、所々ロックが掛けられているからな。完全に思考をトレースするのは難しい」
「いえ、お任せください。今の主は、賢悟様なので」
「そうか。でも、無理はするなよ。後、裏切る時があったら、できれば一声かけろ」
「……ううっ」
そこは裏切りません、と断言したかったのだが、残念ながらリリーは言葉を詰まらせるのみ。エリに対する愛は消えていないので、断言できないのである。ただ、だとしても賢悟を裏切るぐらいなら、リリーは大人しく自害するだろうが。
「裏切ってもいいから、死ぬなよ」
「ふぇっ!?」
しかし、それも賢悟は理解しているので、早々に自害を禁じる。
賢悟としては、裏切られるよりもリリーに死なれる方がダメージが高いので、死ぬぐらいなら裏切れ、という方針らしい。
「死にませんし! 裏切りません!」
「無表情で叫ぶなよ、シュールだなぁ」
「賢悟様! 信頼してください!」
「…………ちょっと難しいなぁ、それ」
「賢悟様ぁ!?」
基本的に、賢悟からリリーへの信頼は高くないのだった。今までが今までなので、仕方ないのである。なにせ、最初に出会いで好感度がマイナスだったのだから。
ただ、要所要所で命を助けられている件もあり、なおかつ率直に好意を告げられた事実も相まって、賢悟の中では好感度が複雑化しているらしい。
嫌いではないが、凄く好きというわけではないし、信頼できるかと訊ねられれば、頷けない現状なのだった。
「大丈夫、大丈夫、俺は背後から撃たれても躱すから」
「私が裏切った時の想定とかやめてください。私は絶対に裏切りません」
「え? フリ?」
「フリじゃありませんとも、ええ」
「……んー、それじゃあ、三割ぐらい信じるわ。後の七割は警戒するけどな」
「今後の活躍で割合を増やして見せますので、どうぞご期待を」
その後、作戦会議を終えた二人は、できるだけ外見を晒さない服装を選んで、情報収集へと向かった。
主に市民図書館でのインターネット。新聞のバックナンバーの閲覧など、賢悟が居なかった半年間の主な出来事を集めていく地道な作業だ。まず、賢悟は空白の半年の情報を補完し、それからエリを探し出そうとしているらしい。
しかし、初日の結果はあまり芳しくは無い。何せ、半年間と言えど、細かく情報を掬えば、本当に限りが無いのだから。エリが何か調子に乗って、目立った事件でも起こしていれば分かり易いのだろうが、現在の所、そんな情報は見つからない。
結局、初日はあまり成果も得られず、エリ捜索の困難さを二人が噛みしめるだけの結果になってしまった。
けれど、その翌日。
喜助の家のポストへ届けられた一通の手紙が、状況を劇的に変えることを、まだ二人は知らない。




