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第61話 死にぞこないの英雄

 賢悟は、一人目の母が死んだ時の事を思い出していた。

 ガラス細工のように美しく、脆かった母の死に目に、賢悟は立ち会えなかった。何せ、母が死んだのは深夜。唯一、父親だけが死に際に付き添っていたという。

 幼い賢悟はまだ、死を理解するほど精神が育っておらず、ただ、母が死んだと言われた事実に、納得するだけだった。もう二度と会えない、と言われても、母とはあまり遊んだことも無く、家族の中では何処か他人行儀にしなければならないこともあったので、涙すら流さず葬式に出た記憶がある。


 まったく悲しくないはずは無かったが、それよりも、やっぱり死んでしまったのか。という、諦観染みた考えが、幼いながら賢悟の中にあったようだ。

 そのことに関しては、母が死んだことに関しては、今でも賢悟はそういうものだったと納得している。どうしようもないものだったと、思っていた。

 ただ、唯一心残りがあるとすれば、それは母と交わした最後の会話だけ。


「こんどはいつ、おうちにかえれるの?」


 無邪気で、残酷な質問を投げかける賢悟に、母は弱弱しく笑ってごまかした。母が困った時は、そういう笑い方をするものだと分かっていた賢悟は、渋々頷き、後は拗ねたようにだんまり。結局、最後まで母に何も言わず、「またね」も「さよなら」も言えずに別れてしまった。

「また来てね? 私は、貴方が傍に居てくれるだけで嬉しいの」

 弱った母の、最期の願いに応えることも出来ずに。

 頭を撫でようとした手を避けて、膨れた顔で帰ってしまったことが、賢悟の後悔である。


 母が死ぬのは、どうにもならなかった。

 ただ、それでも…………もう少し、自分が素直だったらと賢悟は思わずにいられない。

 母の伸ばした手を、受け入れて、握ってやることも出来たのではないか?

 せめて、最後は笑顔で別れられたのではないか?

 そんな後悔を抱えたまま、賢悟は生きてきた。

 そして今、賢悟はその選択肢を再びやり直さなければならない。

 己に好意を向けた少女の手を、離すかどうか、選ばなければならない。



●●●



「おう、やっと起きたか、この寝坊助が」


 賢悟がやっと意識を取り戻したのは、荒々しく己の頭を搔き回される感触によって。


「お、おおおう?」

「おらおら、起きたならさっさとそのお嬢さん連れて、どっかに行ってろよ。こっちは今、取り込み中だ」


 混乱する頭で、賢悟は必死に今の状況を整理する。周囲を確認し、情報を記憶から引き出し、正確に状況を把握する。

 結界で隔絶された皇都へ忍び込んだ事。

 『剣士』と二度目の戦闘。

 次々と記憶が喚起され、段々と状況を理解していくごとに賢悟の額から冷や汗が。

 そして、自分の右手とつないだままのリリーの左手の感触を確認したところで、賢悟は酷い自己嫌悪に襲われた。


「阿呆か、俺は! 何、悩み過ぎて意識を飛ばしてんだよ、俺ェ!? ただでさえ、時間が無いのに……えー、マジかぁー」


 うがぁ、と頭を抱えて苦悩する賢悟に、再び追い立てるように声が掛かった。


「だから、さっさとどっか行ってくれねぇか? なぁ、賢悟。こっちも割ときついんだぜ? 老骨に鞭打ってんだぜ?」


 そこで、やっと賢悟は己に声をかけてきた者に――異影牙の姿に気付く。


「つか、なんでアンタが此処に? 隠れ里に居るんじゃなかったのか……よ……?」


 甚平姿の異影牙しか知らなかったことに加えて、異影牙の具足が真紅だったことにより、賢悟はそれに今、やっと気づいた。

 異影牙の脇腹を守るはずの鎧が砕け、そこからどろりと血が流れ出ていることに。


「おい、その怪我は――」


 賢悟の言葉は、最後まで言えなかった。

 なぜならば、言葉を遮るようにして金属が破砕する音が響いたからである。


「ちっ、相変わらずしぶてぇガキだ」


 吐き捨てるような異影牙の言葉と共に、砕けた短剣の破片が地面へ落ちる。先ほどの破砕音は、異影牙が投擲された短剣を手甲で殴り砕いた音だった。


「あははははぁ♪ それは、こっちの台詞よ、老いぼれ。よくもまぁ、二人を守りながら、私を二度も殺せたものね?」


 聞き覚えのある忌まわしい声。

 その声がする方へ視線を向けると、およそ二十メートル先に、『僧侶』の姿があった。

 所々千切れたシスター服に、変わらず無傷の肌を晒して。


「あら、賢悟ちゃんはやっと起きたのね? おはよう、よく眠れた?」

「……お前っ」


 歪んだ笑みを向ける『僧侶』に、思わず賢悟は拳を固める。

 そして、状況をやっと全て察した。皇都壊滅の時と同じように、『僧侶』が全てを台無しにすべく乱入し…………今、自分たちの命は異影牙によって守られていたのだと。


「やめとけ、やめとけ、賢悟。安い挑発に乗るんじゃねーよ、馬鹿野郎が」

「おおおう? ちょ、やめっ……」

「ステイステイ」

 

 再び異影牙は乱暴に賢悟の頭を搔き回し、無理やり落ち着かせる。さながらそれは、老人が孫を撫で目ているかのような光景だった。


「いいか? 基本的にあいつはガキで、かまってちゃんなんだよ。だから、人のやっていることに横から突っ込んで、全部台無しにしちまうんだ。基本、スルーが一番堪えるんだぜ?」

「いや、スルーとか……出来ればそうしたいが、ぶっちゃけ力量の差が……」

「――はっ、そこまで掴んでおいて、何言ってんだか」


 搔き回し、最後にばしん、と賢悟の頭を叩いて、異影牙は言う。


「今のお前なら、倒せる。殺しきるまではいかねぇがな。それを今から、俺が教えてやる」

「…………は?」


 あまりにも唐突で、到底不可能に思える言葉だった。

 だが、賢悟にはそれを異影牙に問いかける時間は与えられていない。


「あははははぁ♪ 随分と、面白いことを言うのねぇ――――死にぞこない!」


 異影牙の言葉に機嫌を悪くした『僧侶』が、二人へ斬りかかってきたからだ。


「亡霊剣軍――――二刀・鰐鋏」


 創造した魔剣は、鋏の刃を分解したような一対の長剣だ。ただし、その刀身は何かを削り取るように刀身がきざきざと小さな無数の刃で構成されている。

 さらに、射出用の短剣は次々と胸から創り出され、音速を持って放たれていく。


「ちぃっ!」


 両の手で短剣群を打ち落とそうとするが、未だに右手が強くリリーの手を握っていたことに気付く。すぐに離せば、まだ間に合ったのだろうが、賢悟はそこで躊躇ってしまった。

 かつて失った母の幻影が脳裏を過ぎって。

 手を離せば零れ落ちてしまう幻想を抱いてしまって。

 手を離さなければ、リリーも守れないというのに、躊躇ってしまった。


「――無様な」


 賢悟は次々と創造される短剣が、己の身を貫く光景を幻視して――――そこで、ふと気づく。己の体に、痛みが無いことに。のうのうと、悪態を吐く暇があったことに。

 疑問は、驚くほど早く解消された。


「あららららぁ? これなら、賢悟ちゃんが起きてこなかった方がマシだったんじゃない? ねぇ、異影牙」


 賢悟が叩き落とすはずだったそれらは、全て異影牙がふせいだ。音速を上回る速度の打撃で破壊し、それでもなお間に合わないのは体で受けたのである。魔力強化によって異影牙の鎧は、まともに受けなければ『僧侶』の魔剣すら弾く強度になっていたのだが…………賢悟を庇ったことにより、隙が出来てしまったらしい。幾つかの魔剣は、鎧を貫いて異影牙の体に突き刺さった。

 魔剣に付与された固有魔術が異影牙の体を蝕み、圧倒的なスペックをダウンさせる。

 それでもなお、『僧侶』の二刀を両手で受け止められたのは、異影牙の計り知れない地力故にだろう。


「――あ、異影牙……おれ、は」

「賢悟。一度しか言わないからよく聞け――――死にぞこないの英雄からの、最後の教訓だ」


 呆然とする賢悟へ、異影牙は振り返らずに、けれど強く言葉を投げかける。


「あはぁ♪ 私を前に、おしゃべりなんて――」

「黙ってろ、ガキ」


 最後の語らいを邪魔しようとする無粋な存在には、音速を越えた雷速の蹴りを。

 異影牙の蹴りは『僧侶』の心臓部分を蹴り抜き、さらに倒れようとしたところを、もう片方の足で遠くへ体を蹴り飛ばした。

 これが、異影牙の本気だ。

 最古の魔王すら、問答無用で蹴り飛ばす剛力無双こそが、異影牙の本領である。

 ―――されど、傷を受けずぎ、血を流し過ぎた…………もう、長くは無い。


「お前は今、戦いを怖がっている」


 長くは無い最後の時間を、異影牙は迷うことなく賢悟へ言葉を贈るために使った。


「俺はお前らの事情は知らねぇが、その手を離せないのは、失うのが怖いからだよなぁ?」

「…………ああ」


 異影牙の最後の言葉に、余計な意地などを挟む余地は賢悟に無い。

 素直に、切り捨てがたい物だと。守りたい物だと頷く。


「手を離せば、どっかに消えてしまうかもしれねぇ。目を離した隙に、誰かに殺されるかもしれねぇ。だが、その手を離さなければ誰も守れねぇ。何か大切な物を失った奴はな、時々、こういう悪循環に陥るんだ。昔、俺の戦場で仲間を失った奴もそうだった」

「…………」

「そういう奴は、戦いが怖くなるんだ。どんなにバトルジャンキーだった奴でも、大切な物を失うと、残った大切な物を必死で守ろうとする。戦いが、怖くなる…………でもな? 別にそれは、おかしな感情じゃねーんだよ」


 背を向けたまま、異影牙は言葉を紡ぐ。


「元々な、戦いは怖いもんなんだぜ? 戦えば自分も周りも傷つくし、最悪死ぬ。こんなの、怖いに決まっている」


 言葉を紡いだ居る間も、尋常でない量の血が流れるが……それでも、言葉は止めない。掠れさせすらしない。


「それでも、人は戦わなきゃいけねー時があるんだよ。戦わなきゃいけない理由を、拳の中に握りしめてな…………だから――――問うぜ、賢悟」


 ここで異影牙は振り返り、賢悟の銀眼を真っ直ぐに見据えて問いかける。



「お前は何のために拳を握っているんだ?」



 それは、賢悟がずっと考え続けてきた命題だ。

 何のために、どうして、田井中賢悟は拳を握りしめ、振るうのかと。『マジック』に来るより以前から、ずっと考えて来た疑問。

 己の始まりは何だったのか?

 強さを求めた理由は?

 その答えは、異影牙の視線に射抜かれた胸の奥底から。握った手の温もりから。弾き出されるように、言葉になって口から出て行った。



「どうしようもないことを、どうにかしたかったんだ」



 それは、後悔の言葉。

 死を簡単に受け入れて、諦めて納得しまった少年の言葉だった。


「俺が強くなれば。どんな奴も殴れるようになれば、何かがどうにかなるような気がしたんだ」


 思い出してみれば、素直になれば、答えは驚くほど簡単に見つかった。

 賢悟はずっと、母が死んでしまった時から、後悔していたのである。声をかけなかったことでは無い。どうにもならなかったはずの死を、どうにかしたいと願わなかったことだ。子供だから、無力だからと諦めてしまったことを、奥底で後悔していたのである。

 祖父に殴り方を習ったのも、強さを求めたのも、ルーツは全てそこだった。


「俺は、守りたかったから……変えたかったから、拳を握ったんだ」


 もはや、賢悟の目に迷いは無く、どこまでも澄み切っている。

 その目を見て、言葉を聞いて、異影牙は満足したように笑う。


「くはは……んじゃあ、どうにかしてみせろ。おじさんは、ちょっと疲れたから…………ここらで見守っていて、やる……よ」


 笑って、笑って、満面の笑みを浮かべたまま、異影牙は動かなくなった。

 ――膝すら着かず、戦衣装を纏ったまま、古き英雄はかつての朋の元へ逝く。



●●●



 『僧侶』は常に、己の中に魔剣を幾つも秘めておく。

 それらは秘剣と呼ばれるもので、『僧侶』が奇襲に用いたり、あるいは奥の手として隠して置く物である。

 そのうちの一つに、再生能力に秀でた神世の魔人を殺して手に入れた剣がある。蘇生剣と命名したそれは、『僧侶』の魂が完全に消え去らない限り、僧侶の肉体を完全に蘇生する魔剣である。多少魔力は喰うが、だとしても、充分破格の能力だろう。


「あらら、随分セクシーになっちゃったわ。あの老いぼれには、セクハラの罰として死んでもらわないと」


 胸元や脇腹など、数か所、異影牙から致命傷を受けた部位の布が破られた所為で、もはやシスター服と呼べない代物になっていた。ただの襤褸切れで、辛うじて体を隠しているような物である。

 されど、『僧侶』は恥ずかしがる素振りすら見せず、堂々と賢悟たちの元へ歩いていく。


「さてさて、続きをやりましょうか、異影牙。もちろん、貴方が死ぬまで……って、あら?」


 およそ三十メートル付近まで近づいた時、『僧侶』は立ち尽くす異影牙の体を見て、直感した。あれはもう既に死んでいる、と。


「あらやだ、本当に死んでいるわ。嬉しいわね、長い間邪魔だった老害が死ぬと」


 途端に『僧侶』は上機嫌へと変わる。

 そして、さっそく異影牙の死体を己の魔剣へ変えようと歩み寄るが、そこへ賢悟が立ち塞がった。

 賢悟の右手は拳を作り、リリーの左手からは離れていた。


「あら? なぁに、賢悟ちゃん、命乞い? ちょっと待っていてね? 今、用事を済ませたら、すぐに貴方と遊んで――――」


 ジャブのように軽い拳が、『僧侶』の頬を叩きこまれ、言葉が止まる。

 それは遠当ての一種ではあるが、威力を抑えて絞ることによって、着弾までの時間が短くなっていた。加えて、『僧侶』が自動防御の能力を持つ魔剣を使っていなかった故に、綺麗に顔面に叩きこめたのだろう。


「お前に構うのも、もう疲れた。そろそろ終わらせてやる……かかってこい」


 分かり易く、シンプルな挑発。

 嘲笑すらせず、ただ、真っ直ぐ相手を問答無用で殴りつけた挑発は、『僧侶』の機嫌をこれ以上なく損ねた。それこそ、お気に入りの人形だろうと、腕の一本はもいでしまおうと思うほどに。


「――あはぁ♪」


 怒りで歪んだ笑みと共に、『僧侶』は数十の魔剣を胸から生み出す。そして、生み出された魔剣には全て、相手の動きを縛り、意識を奪い取るような能力があった。恐らく、動けなくして嬲るための配慮だろう。賢悟の前でリリーを凌辱し、楽しむためかもしれない。

 結局のところ、『僧侶』はあまりにも圧倒的な力を持つが故に、慢心する定めにあるのだ。かつてその慢心によって、致命傷を負ったとしても、己は死なないと確信しているが故に。


「一撃終幕」


 だからこそ、この場において『僧侶』は決定的な敗北を突きつけられることになった。


「……え? あ、あれれれ?」


 たった一度、賢悟が拳を振るっただけで、数十の魔剣群は元のマナへと還元される。始めから無かった物のように、終わらせられた。

 長い年月を生きてきて、『僧侶』は今まで体験したことの無い経験に混乱する。

 疑問がとめどなく脳裏に浮かび、やがて、自らへ振りぬかれた拳にすら気づかない。


「なん、で――――」


 賢悟の右ストレートが、『僧侶』の胸元へ叩きこまれる。


「塵は塵に。灰は灰に。あるべき姿に戻りやがれ」


 己の始まりを知り、終わりを理解した賢悟の拳は、正しく『終幕』の概念を宿す。

 それは、死者を魔剣として扱う『僧侶』にとって、天敵に等しい物だ。

 なぜならば、その魔剣は始まりも終わりも、どちらも終わりへ通じているのだから。

 よって、魔剣は魔拳によって正しき終わりへ導かれる。


「が、あぁああああああっ!?」


 体内に秘めておいた魔剣は全て破壊され、傷を癒すことも出来ずに『僧侶』は地に伏せる。


「――――は、楽勝だ!」


 賢悟は、吠え猛るように勝ち誇った。既にいなくなった者へ、届くように。

 初めて、誰かのために勝ち誇った。

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