第60話 愛の言葉は血に塗れて
不純物の無い愛なんて存在するのだろうか?
純粋な愛情だけが、尊いのだろうか?
愛さえあれば、どれだけ醜くても尊いのだろうか?
違う。
愛なんてなくても、人は尊くなれる。
強くなれる。
だったら、そんな愛に縋らなければ生きられない私は、何だろうか?
そもそも、私が縋っている物は愛だろうか?
かつての忠誠心だろうか?
いくら問いを繰り返しても、愚かな私には答えなんて出せない。
だから、私は答えなんて持っていないまま、ただ動く。
愛のためなんて言わないけれど。
せめて、贖罪のために。
●●●
『剣士』が放った極致、抜かずの太刀は最速を超越した太刀だ。
気が狂うほど剣を振るい続けた『剣士』が至ったのは、因果の跳躍。斬る、と言う過程を跳躍して、斬ったという結果のみを相手に押し付ける最速の極み。
もちろん、その極致の発動には多大な大量と精神力を消耗する。連続での発動は困難であり、それどころか、一度放ったならば、膝を着かねばならないほどの疲労を『剣士』が襲う。
まさしく、『剣士』にとっては確実必殺に一撃で、かつ、己の命を賭けた魔剣だ。
予めその魔剣を知っていなければ……否、知っていたとしても、到底回避不可能。どれだけ速く動こうとも、『剣士』が斬る、と意識した瞬間に、その場はもう既に斬られているのだから。
「…………は?」
結果から言えば、『剣士』の魔剣は賢悟に届かなかった。
回避したとか、防いだとか、そういう話ではない。己の命を賭けた一撃が、あまりにも予想外の結末になって、『剣士』は呆然と疑問の声を上げるのみ。
「…………あ?」
だが、それは賢悟も同じだった。
なぜならば、賢悟に達するはずだった魔剣。あるいは、賢悟が迎え撃つはずだったそれは、賢悟に届くより前に、虚空を斬って終わってしまったのだから。
「……ご……さ」
否、その魔剣が斬ったのは虚空では無い。
斬られた空間からは鮮血が舞い散り、何もないはずの空間を伝って滴っている。加えて、賢悟の体を覆う、温かく華奢な感触が。
「けん、ご……さ、ま……」
瞬間、解けるようにして賢悟と『剣士』の視界が正常に戻る。
両者の視界を騙していた者が、その傷ついた姿を晒す。
「…………リリー?」
背中を深々と切り裂かれたメイド服の少女が、守るように賢悟を抱きしめていた。
抜かずの太刀は、『剣士』による条理を越えた魔剣である。だが、それはあくまでも『斬る』という工程を跳躍するだけに過ぎない。『剣士』の知覚外で、振るわれるはずの刀と賢悟の間に障害があれば、それをすり抜けることは出来ない。対象を指定して、対象だけを切り裂くのではなく、行われるはずだった過程を省略するだけの魔剣なのだから。
「よか…………た」
賢悟の身代わりに魔剣を受けたリリーは、そのまま賢悟にもたれかかるように意識を失った。
恐らく、リリーはエリが残した魔導具を用いて、二人の視界……いや、一時的にではあるが、自分以外の視界を騙していたのだろう。ギィーナたちから離れて隠れ潜み、賢悟が再びここにやって来ると信じて待ち構えていたのだろう。
だが、リリーが賢悟を見つけた時には、既にどうしようもなく『剣士』が必殺の太刀を放つ寸前。その時、リリーは衝動に任せて、賢悟を庇うように抱き付いた。結果、『剣士』の魔剣は賢悟に届かず、代わりにリリーが倒れることになったのだ。
背中を大きく袈裟型に引き裂かれ、致命傷を受けて。
「――リリー!!」
力なくもたれかかるリリーの体を受け止め、賢悟が思わず絶叫する。
同時に、無我夢中で地面へ、打撃を飛ばして乱打。瞬く間に、即興の煙幕を張った。
「くそ、くそくそくそ……くそが!」
悲痛な悪態を吐きながら、賢悟はリリーを抱えてその場から逃走。南門を超え、瓦礫だらけとなった皇都の中を走り抜ける。少しでも姿を隠せる場所を……辛うじて形の残った一軒屋の影を見つけ出し、身を潜めた。
外套を乱暴に外し、賢悟は傷ついたリリーの体の下に敷く。リリーの体はうつ伏せに。傷口に出来るだけ何も触れさせないようにして、治療を開始する。
「くそ……頼むから、これで治れよ……!」
賢悟が取り出したのは、赤い液体が入ったガラスの瓶だ。その中身は、シイが瀕死の賢悟を蘇らせた、特別な魔法薬である。
賢悟は慌ただしい手つきで瓶の蓋を外し、リリーの傷口をなぞるように液体をかけた。
効果は、劇的だった。
「か、あ……」
呻くようなリリーの声と共に、その傷口が恐るべき速さで復元されていく。失った血肉を代用するように、周囲のマナが仮初の肉体を作り上げて、リリーの肉体と結合。それは、復元と言うよりは、人間の一部を作り替えているという表現の方が相応しい光景だった。
やがて、十秒も経たない間にリリーの傷は全て復元され、元の白い肌が露出する。そこで、賢悟はほっと胸を撫で下ろすだが…………ふと、気付く。
「おい? なんで、息が」
リリーの肉体は息をしていなかった。
心臓は動いているが、致命傷を受けたのと、急激な蘇生のショックで呼吸が止まってしまったらしい。
「…………思い出せ、思い出せ、くそが! 散々、爺さんから教わったことだろうが!」
賢悟は祖父から教わった数々の事の中から、緊急救命に関わる事を思い出す。
気道確保と、適度な衝撃。それと人工呼吸。
思い出したそれを、賢悟は記憶に忠実に行う。
「ぜぇ……勝手に、死ぬ――――んじゃ、ねぇ!!」
三度目の人工呼吸で、ようやくリリーの呼吸が戻った。
リリーは何度か咳き込むと、薄く意識が戻ったのか、僅かに瞼を開ける。
「賢悟、さま?」
「そうだよ、俺だ…………この、馬鹿が」
ぼんやりと自分を見上げるリリーに悪態を吐く賢悟だったが、その顔が安堵で緩んでいるのは、自身すら気づいてない。そう、己の表情にすら気づけないほど、賢悟は追い込まれていたのだ。
いくら普段、悪態を吐き、ないがしろにするような扱いをしていても、リリーは賢悟が『マジック』で目覚めてから一番長く共に過ごした人間である。例え、リリーがエリに忠誠を誓う従者だったとしても、情が生まれないはずがない。
現に、賢悟の右手はひどく震えながらリリーの左手を握っている。
「いいか? お前がなんてここに居るのとか、俺とあいつの決闘を邪魔したのかとか、そういうのは全部どうでもいい。ただな? 俺の目の前で命を投げ捨てるような真似はやめろ。ああ、俺が言えた義理じゃないのはわかっているが、けどな? 物には限度が――」
「よかった」
「ああ?」
ぽつりと、賢悟の説教中にリリーが呟く。
賢悟は訝しげな顔をしてリリーを睨むが、それでも、リリーは呟いた。
「貴方が生きていて、よかった」
無表情を崩して、淡い笑みと共に、安堵の言葉を言った。
半ば、独り言のように。
「…………なぁ、おい。こんな時に言うことじゃねーけどさ。お前は、そんなにお前を捨てた奴の体が大切か? 俺が元の体に戻れないってことは、あいつもこの体に戻れないんだぞ? それでも、なんでお前は…………なんで、あんな馬鹿な真似をしてまで守ろうとするんだ?」
そんなリリーの献身へ、戸惑うように賢悟は言葉を紡ぐ。
不機嫌そうな、今にも泣き出してしまうな顔で、告げる。
「いい加減、自由になれよ、お前。どれだけ大切な思い出を持っているのか知らねーけどさ。いつまでも過去にしがみ付いてないで…………俺の体なんか放って、自由にしろよ。責任とかで、俺のメイドやらなくていいからさ。自由に、なってくれよ」
賢悟のリリーに対する感情は、複雑だ。
憐れみと憎しみと親しみが混じって、どうしていいのか、分からなくなってしまっているのだ。つい先ほど、自身への献身で、リリーが命を落としかねない状況にあったからこそ、尚更に。
「賢悟、様」
そんな複雑な賢悟の想いに対する、リリーの答えは簡単だった。
「私は、貴方の傍に、居たいのです」
薄い微笑みと共に、己の想いを告げるだけ。
ただ、それだけを返答として、再びリリーの意識は微睡に落ちていく。
「…………馬鹿が」
リリーが再び意識を失った後も、賢悟はリリーの左手を握ったままだった。
何もかもが緊急で、こうして止まっている時間などありはしないというのに、体はまだ動かなかった。
「お前も、俺も……どんだけ、馬鹿なんだよ」
傍に居たいと願った女から離れることが、どうしても出来そうになかった。
●●●
誰かが立ち止ろうとも時は進む。
時は待たず、立ち止まった者は置いて行かれるのが世の常だ。
「無粋な……あぁ、あの女! なんて、なんて無粋な! あの計画が成功してしまったら、もう、誰も抗えないというのに! だから! せめて、その前に!」
決着が延ばされ、苛立つ剣士が居ようが、秒針は歩みを遅めない。
「おのれぇ、雑魚どもめが! そこをどけぇ!!」
結界を守る上級怪異たちと戦う魔王が居たとしても、等しく進む。
何かを背負う者が居ようとも、守ろうとする者が居ようとも、誰も注がれる時の砂を戻すことは出来ないのだ。
残り、二十六分。
それが世界に残された猶予である。
刻限となれば、光り輝く球体から神が再誕してしまう。再び、原初の神たる者が、この地に降臨してしまうのだ。
もう、神を討った七人の英雄は存在しないというのに。
けれど、マクガフィンにとっても時間は等しい物だ。
どれだけ他者にとって速く感じようとも、マクガフィンにとっては世界で一番、時の歩みを遅く感じているだろう。
早く早く、もっと早く。
それだけを願い、祈るような気持ちでマクガフィンは時を待つ。
残り、二十分。
今だ、立ち止まった者は進めない。
因縁を探す剣士は、疲労で膝を屈している。
際限なく湧き出す上位の怪異に、魔王は苦戦を強いられる。
そんな、様々な想いが入り混じるように時は流れ、残り十五分。
やっと、マクガフィンを止めうる力を持った者が動き出す。
「うふふふ、みぃーつけたぁ♪」
ただし、それは立ち向かう者では無い。
圧倒的な力を振るい、何者にも理不尽を与える絶望の担い手だ。
そう、まるでこの時を見計らっていたかのように、シスター服の少女――『僧侶』は姿を現した。皇都の上空、二重となった結界の上に。
「あらあら、私を振ったのに別の女とロマンチックかしら? それもまた面白いけれど、うん、ちょっと嫉妬♪ だ・か・ら」
『僧侶』の胸元から、膨大な数の魔剣が創造され、次々と結界の上に並べらていく。
さながらそれは、ギロチンの準備を整える処刑人のようで。
数にして数百。
それだけの数の魔剣が並ぶのに掛かった時間は、十秒にも満たない。
「これはちょっとしたプレゼント♪」
そして、数百の魔剣が射出され、二重の結界を砕くのに二秒。廃墟となった皇都中に、さらなる破壊をばら撒いたのが、三秒。
合計、十五秒の絶望によって、全ての者の想いは踏みにじられる。
疲労を負っていた剣士は、魔剣群の襲撃に巻き込まれて瓦礫の下に。
上位怪異と戦っていた魔王は、怪異たちと共に、いくつもの魔剣に貫かれて戦闘不能。
マクガフィンでさえ、光り輝く球体の護りの殻、それを半分以上喪失させてしまった。これで、外部からマクガフィン本体への攻撃を防ぐことは出来ない。マクガフィン本体は、ダウンロードが終わるまで、動けない。
こうして、気まぐれによって最悪の魔王は、瞬く間に絶望を創り上げた。
味方であるはずのマクガフィンにすら、魔剣群は平等に降り注ぎ、絶望をもたらしたのである。その振る舞いは、まさしく魔王という称号に相応しいだろう。
「さぁて、うふふ。あの子の前に居る女は串刺しになったかかしら? 心持ち、あの子だけを避けてみたから、あの子は多分生きていると思うけど…………あらら?」
舌先で眼下の絶望を味わいながら、『僧侶』は己の目的へと目を向けた。
けれど、そこには望んでいた光景は無い。
魔剣群からリリーを庇う賢悟の姿も、また、リリーを守れずに絶望する賢悟の姿も無い。
あったのは、目が焼けるような紅蓮が一つ。
「相変わらず趣味がわりぃなぁ、クソ女。年を取っても、ガキみてぇに遊びやがる」
それは紅蓮の武者だ。
賢悟とリリーに降り注いだ魔剣を全て弾き飛ばし、二人を守り切った生粋の英雄。
「あらあら、結界破壊から魔剣が降り注ぐ間に侵入したのね? 怪異群も全部飛び越えて。まったく、貴方こそ相変わらずの頭のおかしいスペックね、異影牙」
四凶死人最後の一人。
柳生異影牙が、紅蓮の具足を纏って、最古の魔王と相対した。




