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第56話 風雲急を告げる

 皇都壊滅のニュースは、風よりも早く皇国中に知れ渡った。

 皇帝は首都を皇都から、旧都である蓮蛇はすじゃへ移し、残った軍隊を召集。そして、皇国全域に非常事態を知らせる玉音を告げた。

 これにより、皇国中の民は恐怖と同時に強い怒りを抱き、心なきテロリストへ非難の声を次々と上げる。


 それだけならば、まだよかっただろう。

 けれど、人はどこまでも愚かであり、誰かの言葉を己の中で都合良く解釈するのが得意な動物である。

 皇都の壊滅に関して、皇帝は魔王と魔王が率いる怪異の襲撃によるものだとその口で説明していた……もちろん、皇帝の言葉を疑う物など皇国民の中は限りなく少ない。多くの人間は素直に信じたのだが…………それをよせばいいのに余計な疑いを持って歪める者も居る。

 本当に魔王と怪異だけの襲撃だろうか?

 誰かが手引きをしたのではないのだろうか?

 それはひょっとしたら、あの化外の奴らではないか?

 皇帝は慈悲深く優しい方なので、例え真実であろうとも、暴動を防ぐためにそれを隠されているのではないか?

 ひょっとしたら、自分たちの近くに住む奴らも、いずれ暴動を起こすのではないのだろうか?


 的外れで、妄想の混じった陰謀論。

 ここまでこじつけたらただの被害妄想に過ぎないのだが――――そんな奴に限って、声が大きいことがある。立場のある人間であるはずが、そういう妄想に囚われることがある。

 その結果、三日も経たずに民衆へ不安が伝播していく。

 行き場の無い怒りが、差別感情となって化外の者たちへと向けられる。

 軍の人間たちが皇帝の命令により、強く睨みを聞かせていなければ、直ぐに暴動が起きてしまっていただろう。

 ただ、それでも…………皇国中に根付いた不安は多くの場所で影響を及ぼす。

 それは、人狼族の隠れ里でも同じことだった。


「また外からの難民か…………もう受け入れる場所が無いぞ?」

「長老が他の隠れ里を貸し出すらしい。仕方ない、困った時は助け合いだ」

「ああ、皇国民の奴らがまた何かやらかす時、一緒になって戦ってくれるさ」


 皇都から遠く離れた、とある北陸地方の森林地帯。

 そこにある隠れ里に、異影牙が守護する人狼族は移動していた。皇都の近くで襲撃を受けたため、念には念を入れて一番遠い隠れ里を選んだのである。

 しかし、皇都から遠く離れたこの隠れ里でも、皇都壊滅の知らせは一晩も置かずに届いたという。

 それは偏に、皇国が優れた情報伝達手段を持ち、各要所の役人たちの手際が良いからだ。だが、その手際の良さを以てしても、皇都壊滅の知らせは手に余る物だった。

 一部規制をかけて民衆には連絡がなされているが、本来は、民衆を悪戯に煽るような連絡はしたくないのが心情であり、常識だ。だが、皇都壊滅という事実はあまりにも大きく、隠し切るのは不可能。下手に隠せば、余計に不安感を煽ってしまう恐れもある。

 そのため、多少の混乱が起こっても、知らせざるを得ないのだ。


「悪いね、お嬢ちゃん! そっちにタオルの入った段ボールがあるから、あっちに運んで!」

「あいあい」


 皇都壊滅における様々な混乱。

 それに伴い、人狼族の元には、守護を求めて多くの化外たちが移民して来る。人狼族に古代の英雄が居るのは公になっていないが、それでも、人狼族は化外たちの中でも戦闘に秀でた種族である。加えて、同胞には情が深い。溺れる者たちがしがみ付くには、ちょうどいい板の大きさだったに違いない。


「ふぅー、忙しくなってきたなぁ」


 急かされるようなあわただしさの中を、鈴音もまた人狼たちと同じく働いていた。と言っても、出来ることと言えば、女衆たちの手伝い程度。文字通り猫の手を借りたいほどの慌ただしさゆえ、それでも充分ありがたられているのだが。


「はいな、おばさん。これタオル。後、おやつの干芋だってさ」

「おお、ありがとうね、お嬢ちゃん。悪いねぇ、客人で子供なのに、手伝わせて」

「他の子供も手伝っているからねー。私も動かないと」


 愛想よく笑って、鈴音はまた中年女性の人狼たちの間をパタパタと歩き回る。

 鈴音がこうして働いているのは、別に勤労意欲に目覚めたわけでも、周りの慌ただしさに釣られたわけでもない。八割は打算で動き、後の残りの二割は、脳裏にこびりつく不安を考えないようにするためだった。

 皇都壊滅。

 その事実は、賢悟を待つ鈴音の心に焦げ付くような不安を生まれさせた。


「…………大丈夫、大丈夫」


 小さく、自分に言い聞かせるように鈴音は呟く。

 賢悟のでたらめさは、鈴音が身をもって知っていた。

 異影牙のような古代の英雄にだって向かっていける負けん気と、特別な拳を持っている。きっと、どんな怪異にだって負けはしないだろう。

 だが、そうだとしても――――果たしてそれは、皇都が壊滅するような状況でも、生きている証になるだろうか?

 多くの軍人が、強者が守る皇都を壊滅させるような災厄。

 それと賢悟が対峙していたとしても、必ず生き残ると言う根拠はどこにある?


「…………うぅ」


 鈴音は賢悟を信じている。

 揺らぎながらも、前に進む強さを信じている。

 けれど、それでもまだ鈴音は子供なのだ。己の心一つだけで、大いなる災厄たる事実に立ち向かえるほど、強くない。

 どうしても、もしかしたらという不吉な予想が浮かんでしまうのだ。


「だ、大丈夫……」


 呟きながらも、鈴音は己の視界が滲むのがわかった。

 慌てて袖で拭っても、直ぐに溢れるように涙が零れていく。泣きたいわけでもないのに、泣いている場合でもないのに、涙が勝手に溢れてくるのだ。

 泣いていたって誰かが助けてくれるわけではない、スリで生計を立てていた鈴音は、良くそれを知っている。周りからいじめを受けていた経験を持つ鈴音は、嫌と言うほど知っている。


「うぅるる……」


 涙を拭い、俯いたまま唸るようにして鈴音は唇を固く結ぶ。

 早く涙を止めて、また歩き出すために。


「大丈夫だ、鈴音。おじさんが何とかしてやる」


 そんな強がる鈴音の頭に、ぽん、と優しく掌が置かれた。

 岩のようにごつごつしているが、温かい掌だった。


「だから安心しなさい。なぁに、おじさんも賢悟も超凄いからね」

「あ……」


 鈴音が顔を上げると、そこには優しい微笑を浮かべた異影牙が居た。

 ただし、その身はいつもの甚兵衛では無く、真紅の具足によって彩られているが。


「んじゃあ、おじさんはちょっと出てくるから……後はよろしくねぇ、若い衆」


 へらり、としたいつも通りの好々爺とした口調。

 けれども、その身を武者の如く正している異影牙の言葉に、里の人狼たちは誰しも言葉を失ってしまう。

 言葉を失い…………最初に声を上げたのは、若い衆の中でも一番の実力を持つ者だった。


「わかりました、長老。後は、俺たちに任せてください」

「ああ、任せたぜ」


 短いやり取りだったが、きっと数えきれないほどの想いが詰め込まれていたのだろう。

 彼以外は誰も異影牙に何も言うことが出来ず、ただ、もどかしさに項垂れるのみ。


「…………おじさん」


 そんな中、鈴音だけが声を出せた。

 皮肉にも、一番関わりが薄かった物だけが、声をかけることが出来たのである。


「今度は、賢悟も一緒にウサギ肉食べさせてよ」


 幼くも、賢しい少女は場の空気を悟ってしまう。

 けれど、それでも、あえて何でもないように明るく声を出して、異影牙へ行ったのだ。


「くかかかっ。そん時は、俺がとっておきの奴を出してやろうかねぇ」


 幼い少女の言葉を受けて、古き英雄は行く。

 異影牙がその身に纏ったのは、真紅の具足――四凶死人であった頃の武装だ。

 それは、例え我が身が絶えようとも、大義を為す英雄の象徴だった。



●●●



 皇都壊滅から丸一日経過した昼下がり。

 堕落仙人の元で、せっせと攻勢を仕掛けているマクガフィンは少し遅めの昼食を取っている。本来ならば、マクガフィンの端末は飲食を必要とせず、排便すらせずに動き回ることが可能だが、今回は同行者として『魔術師』が居るからだった。


「どうです? 他の端末から手料理すると好感度が上がるとの情報があったので、試しに真面目に弁当を作ってきたですが?」

「レジャーシートとパラソルも完備とか……ピクニック気分かよー」


 バスケット一杯に、可愛らしくサンドイッチやら、クッキーやらスコーンやらを詰め込んだ者を手渡され、『魔術師』は気だるげにツッコミを入れた。

 何せ、今は激戦の最中。加えて言うのであれば、普段通りの没個性青年の姿である。これが美青年や美少年の姿ならともかく、今は渡されてもあまり嬉しくない『魔術師』だった。


「なんかこう、単身赴任の父親がたまに帰ってきたら、凄く張り切って弁当作ってピクニックに誘われたような気分。むず痒い」

「おや、『魔術師』さんも、そんなほのぼのとした思い出が?」

「ねーよ、ただの例え話。私の父親は、多分、どっかで野垂れ死にじゃねー?」


 ぶつぶつと言いながらも、サンドイッチを頬張る『魔術師』。

 どうやら、中々想像以上に美味しかったらしく、次々と遠慮なく食べ勧め、やがて、当然の如く喉に詰まった・


「んごっ!? んがぐがぉ!?」

「ほらほら、慌てるからですよ。はい、お水」

「んぐんぐんぐんぐ…………ぷはぁ! あー、久々に死ぬかと思った」

「町一つ軽々と焼き払う貴方が、料理を喉に詰まらせて死亡とか……笑えないので、止めてくださいね」


 呆れたように言いつつも、しっかりと『魔術師』の元へ、紅茶やらミルクやらを並べるマクガフィン。


「わりーわりー、めずらしーく、思いのほか美味かったからさぁ」

「それはなにより」

「出来ることなら、砂肝とかレバーの方がありがたかったけどなー」

「ははは、今度はそれも考慮しましょうか」


 食べかすを口の周りに付けたまま、急かされたように食べ続ける『魔術師』。そんな『魔術師』をどこか、微笑ましく見守るマクガフィン。

 和やかな二人の食事風景だった。

 その三キロ先にある山岳地帯で、地形すら変化させてしまう壮絶な戦いが繰り広げられている事を除けば。

 轟音と共に巻き上がる大地。

 大気が唸り、切り裂かれ、あまりの衝撃に空間すらも歪むようだ。

 その激しさは、三キロ離れた場所からでも……いや、遠く離れた場所だからこそ、良く理解できるだろう。


「んぐんぐ…………あ、一人逝った。しかも、壁役のでっかいの」

「うーん、オリエンス相手だと大きさは的にしかなりませんからね」

「んじゃー、次は魔術的に防御堅い奴を呼ぶわー」


 ぺろりと、サンドイッチを平らげると、『魔術師』はおもむろにその場で立ち上がる。

 そして、強く己の親指の腹を噛み切った。皮の部分だけでなく、肉すら噛み千切るように。当然の如く血は流れ出すのだが…………それは、重力には従わず、奇妙な動きを見せる。


「古き盟友に告げる」


 血はずるずると、雫にならず繋がったまま、細い液状となった。流れ出た血液は、『魔術師』の言葉に従うように、幾何学的な模様を描いていく。

 それは、遠い昔、まだ多くの神々が現世に留まっていた時に生まれた、契約の印。

 人間と神が契約を結び、その契約の元に互いを縛る契約魔術。


「我が時を喰らいて、来るがいい、一つ目の隠者よ」


 既に原初の神によって封じられ、失われたはずの秘奥の一つである。

 過去、神話の時代においてそれは、巫女と呼ばれる清き血統でしか扱えなかったはずの大魔術。それを、『魔術師』が現代おいて再現しているのだ。


「――限定・召喚」


 現世と神世。

 二つの世界の隔たりすら、超えて…………封じられた神の一柱が、召喚される。


『オォオオオオウ? ナンジャ? メズラシイヨビカタジャナ?』


 召喚は、驚くほど静かに完了した。

 空間が渦巻き状に歪んだかと思うと、そこからひょっこりと、枯れ草色のローブを纏った老人が現れたのである。ただ、肌は緑で、目は一つ。腰は大きく曲がっていて、その手に持つ樫の杖が無ければ、まともに立てないであろうほどに。


『イケニエカトオモエバ、ゲンテイカ。フマンハノコルガ、コレタダケデモヨシトスルカァ』


 単眼の老人が発する言葉は、どこか機械音染みていて、聞き取りづらい。

 だが、『魔術師』は平然とその言葉を聞き取り、言葉をかける。


「ちぃーっす。んなわけで、契約通り、寿命分だけ遊んで来てくだせーな」

『オォオオ? アァ、ケットウハタエテナカッタカ……ヨカロウ。ワシモヒマジャシ』

「はい、オッケーね。んじゃ、適当にガンバー。いえー」

『イエー』


 単眼の老人は、『魔術師』と軽く拳を付き合わせると、そのまま空間転移によってこの場から消え去った。

 こうして、あっさりと神世の住人と、『魔術師』との交渉は終わった。

 さながらそれは、ちょっと友達に面倒な頼みごとをする程度な軽さだったが、行われた内容については非常に高度である。

 何せ、神世の住人を異世界人の生贄も無しに、限定召喚。

 肉体はマナで作った仮初だが、意思すら持たせた上での召喚だ。例え、限定、及び弱体化しているとしても、それは破格に等しい神業だろう。

 その上、気まぐれが多い神世の住人とあっさり交渉を成功させてしまうのだから、『魔術師』の召喚師としての技量は最高クラスなのだ。


「あー、親指痛い。マクガフィンよー、ちゃちゃっと治してくんないー?」

「貴方は本当に優秀ですよね。口調の軽さからは予想が出来ないくらいに」


 そんな最高クラスの技量の『魔術師』であるが、何故か、迫力というか強者が持つ雰囲気というのが、まったくない。それは、『剣士』の場合とは別に、ただ単純に、『魔術師』自身が強くないからである。

 ヒューマンの子供にも、スデゴロで負けるほど、本体は弱い。

 加えて、割と痛みにも弱く、マクガフィンに治療を受けている間は軽く涙目だったりする。できれば、己の血を触媒にせずに召喚したいというのが『魔術師』の本音だ。

 ――もっとも、その点を踏まえた上でも、『魔術師』が稀代の召喚師であることに変わりは無く、人類にとって恐るべき脅威であるのは事実である。


「はい、治りましたよ。血も、貧血の心配がなくなるまで幻術で代用しておきましたから」

「あいあいー。んじゃまぁ、飯を食って、回復すっかねー」


 どっこいしょ、と年寄り臭く『魔術師』はシートに座り込む。そして再び、サンドイッチなどをばくばくと食べ始めた。血を媒体にする魔術であるが故に、多くの食物……特に、鉄分を必要とする体質なのだろう。


「しっかしさー、マクガフィン。今回、合計で四体まで呼び出すことになるって言ってたけどさー? 戦力配分大丈夫? 普通、一体で充分で、二体で充分戦力過多じゃん? だけど、さっきのでもう四体目じゃん? 相手やばくない?」


 もぐもぐとサンドイッチを貪りつつ、『魔術師』はマクガフィンへ訊ねる。


「私と交わした契約のだと、残りは二桁もねーし? こっちは契約延長する気もねーし? あんな規格外に戦力を食わせるぐらいなら、一気に複数召喚して確実に仕留めるか、本命を固めた方がよくね?」

「ふむ……貴方の言うことにも一理ありますがね、『魔術師』さん。しかし、違うんですよ。貴方は少し、勘違いをしている」

「あーん、勘違い?」

「戦力を小出しにしているから、こうやって何とか時間を稼げているのです」


 マクガフィンは苦々しい笑みを湛えて言う。

 だが、その横顔にあるのは苦渋だけでは無く、懐かしむような感傷も含まれていた。


「仮にこちらが今、私が持っている戦力を全部投入したとしましょう。貴方との契約も、全て使い切って――――けれど、倒せない」

「…………は? んな、馬鹿な」

「いいえ。倒せないどころか、こちらが全滅でしょうね。言ったでしょう? オリエンス相手には、大きさは的にしかならないと。それは、群体による巨大戦力も例外では無い」


 大きい物、それは物理的な意味とは限らないとマクガフィンは語った。


「世の中にはね、居るんですよ。たまに……どれだけ力を持とうが、それを別の領域で無意味にするような輩が。まぁ、つまりあれです」


 マクガフィンは、三キロ先……神世の住人とオリエンスの戦いを眺めながら告げた。


「神亡き世界の管理者は、伊達ではないということですよ」



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