第54話 魔王と魔王
【雷音速破の進足】は最速の権能を持つ神器である。
本来であれば、発動者の体を雷速に耐えうる物へと改造、適合させてから発動が行われる。
しかし、賢悟の発動は不完全かつ、緊急であった。故に、雷速を実現させながらも、肉体は完全に改造されていない。その状況下でさらに、賢悟は『僧侶』の急所を狙って拳を繰り出すという荒業も為したのだ。
「――が……あ……」
賢悟が人の体の形を保ち、息が在る時点で奇跡のような物だろう。
例え、発動寸前に、ルイスの支援魔術による身体強化を遅延発動させていたとしても。
「……ぐ……が……は――はっ」
賢悟の体は既に戦闘不能……いや、このまま放置すれば再起不能に成りかねない重症を負っていた。
真紅のジャージは全て摩擦によって焼け焦げて、残ったのは襤褸切れのような下着のみ。白く美しかった肌のほとんどは酷い火傷を負い、右腕は己が放った拳の威力で折れ、肉が潰れている。急速な移動により、重要な臓器の幾つかも損傷を受けている。唯一無事な部分と言えば、神器との接続率が高かった左足ぐらいだろう。
だが、繰り返すが、それでも賢悟が生き残ったのは奇跡のような物だ。
なぜならば、賢悟の現在地は皇都から数十キロ離れた山岳地帯まで、一瞬にして移動。その間に、あの絶大なる力を持った『僧侶』へ、致命傷に相応しい一撃を決めていたのだから。
「あ、あはは――げぼっ……想像、以上だったわ」
賢悟による全身全霊、乾坤一擲の一撃を喰らった『僧侶』は微笑みを浮かべて吐血する。
だが、その腹部は大きくえぐられ、手で押さえていなければ、今にも内臓が零れ落ちてしまいそうな有り様だった。
普通ならば即死。生きているのが不思議な傷だ。
「…………あ、は……これは、ちょっと、死にそう……だ、から――」
正真正銘、致命傷。
いくら規格外の肉体を持つ『僧侶』と言えど、死を免れないはずの重傷であるはずなのだが、まだ、『僧侶』の笑みは消えていない。
「亡霊剣軍――――蘇生剣・鳳凰」
満身創痍の中、『僧侶』が想像するのは美しい装飾が為された、一本の小刀。柄や鞘も全て紅蓮に塗られ、美しい鳥が金糸によって描かれている美麗の極み。
「――がっ」
その鞘を乱暴に噛み、『僧侶』は小刀を抜く。
そして、その小刀をそのまま自分の胸に突き刺し――――呟いた。
「新生せよ」
すると、『僧侶』の体は瞬く間に紅蓮の炎に包まれ…………数秒も経たないうちに、傷を受けた部位、全てが再生――否、新生する。真新しい細胞と肉が、紅蓮によって与えられているのだ。
「はい、これで完全回復よ。うふふ、『僧侶』を名乗っているんだから、回復手段の一つぐらい持っていないとね?」
三十秒も経てば、もう『僧侶』の肉体には傷一つ無かった。
ただ、服だけがボロボロであり、余計に『僧侶』が扇情的になってしまっていたが。
「ばけ、もの……が」
全身全霊をかけて与えた傷を、瞬く間に回復され、流石の賢悟も悪態を吐くしかない。
もはや、口先しかまともに動かせる場所が無いのだ。
「うふふふ、良い目。綺麗。こんな状況でも、まだ諦めていない目」
愉悦の笑みを浮かべる『僧侶』は、満身創痍で倒れる賢悟の頭を抱きかかえる。賢悟は、それに尋常でない不快感を覚えたが、指一本ですら動かせない。
「んんー♪ 気に入っちゃったわ、貴方」
そんな賢悟を嬲るかのように、ゆっくりと『僧侶』は賢悟の頬へ舌を這わせる。
「……っ」
傷だらけの皮膚を舐めり、血を啜り、やがて、唇へと。
「んっ」
「――っ!?」
唇を丁寧に舐めなぞって、『僧侶』は賢悟の口内へ舌を侵入させた。
ボロボロに切れた口内を嬲り、血の混じった唾液を堪能する『僧侶』。賢悟は、ただそれに抗うことも出来ずに、蹂躙を受け入れるしかない。時折、何とか首を動かそうとするが、
「だぁーめ♪」
優しく頬に添えられた『僧侶』の手が、それを許さない。
賢悟の魂を蹂躙するように、『僧侶』による淫靡な口づけは十数分続いた。そう、賢悟が呼吸困難になり、思考が鈍くぼやけるまで。
「ああ、とても美味しいわ、貴方。高潔な魂に、屈強な精神。それなのに、ガラス細工のように美しい肉体。アンバランスで、だけど、それがいい」
「が…………あ」
口元から血の混じった唾液が垂れるのも構わず、『僧侶』はうっとりと呟く。
「決めた……貴方、愛してあげる」
そして、『僧侶』は情欲に濁った瞳で愛の言葉を賢悟へ告げた。
ぎゅっと、豊満な胸元に賢悟の頭を抱え、宝物のように抱きかかえる。さながら、いたいけな十代の少女のように。
「綺麗に肉体を治して……でも、力をとてもとても弱く封じて。綺麗な服で着飾ったまま、いつまでもいつまでも、貴方を愛してあげる」
だが、その口から出るのは汚らわしい凌辱の言葉だ。
愛を騙って、『僧侶』は己の情欲を満たすための言葉だ。
「毎日毎日、抵抗する貴方を凌辱するわ。貴方が泣き叫ぶ前で痛めつけるわ。貴方が泣き叫んだら、優しく涙と傷を舐めてあげる。その後、魂が融けるまで気持ちいいことをしてあげる」
ぼやけた思考で、けれど、賢悟は確信する。
この女は生かして置いてはならない、悪だと。何が何でも、殺すべき邪悪であると、己の心に刻む。
例え、これから精神が擦り切れ、魂が砕けようとも……それだけは忘れないように。
「うふふ。それじゃ、さっそく一緒に家に帰って、お着替えしましょうね? あ、その前に治療かしら? でも、包帯プレイも捨てがたいわ」
「…………変態が、し、ね」
「あらやだ、そんなサービスもしてくれるの? 興奮しちゃう」
賢悟の悪態も、『僧侶』にとってはむしろ快感らしい。
頬を上気させたまま、賢悟の体を優しく抱きかかえる。
「でも、だぁーめ♪ そういう楽しみは、家に帰ってからにしましょう?」
嫌悪を隠さない賢悟へ、嫌がらせのように、最低の情愛を込めて『僧侶』はキスをした。
そして賢悟を抱きかかえたまま、鼻歌交じりに魔剣を召喚。
影をゲートとする魔剣の能力で、己の隠れ家へ移動しようとする。
「悪いが、そいつは我の先約だ。遠慮していただこう」
いかに『僧侶』と言えど、賢悟との激戦は疲労を逃れられない物だった。
だからこそ、最後の最後に油断してしまったのだ。まさか、この時、この場所に、己に横槍を入れられる実力者が存在するとは思っていなかったのだから。
「……あらあら、どうして貴方が出てくるのかしら?」
ましてや、それが魔王ならば、なおの事だ。
「言っただろう、『僧侶』よ。いや、最古の魔王――『ミツルギマオ』よ」
乱入者は『僧侶』の僅かな隙を突き、賢悟を奪還。そのまま、『僧侶』と距離を取って、そっと賢悟を地面へと下ろす。
人類を助けるという魔王ならざる行動……しかし、賢悟は薄れゆく意識の中で、その魔王の行動に苦笑していた。まさか、ここまで律儀な奴だとは思っていなかったのである。
彼は、隻眼にして褐色の肌を持つ巨人の王。
なれど、一人の男の決着に拘り、巨体を捨て、王座すらも捨てて野に下った武人。
加えて言うならば、賢悟の同類――つまり、生粋の戦闘馬鹿だった。
「ケンゴは我の獲物だ。貴様に渡すつもりは無い、とな」
シイ・エルゲイン・アジスト。
かつて拳で語り合った魔王が、賢悟の元に駆けつけたのである。
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「あー…………げふっ、なんでお前、此処に……いる、の?」
「黙っていろ、ケンゴ。控えめに見ても、お前は死にかけだ。ちなみに、我が此処にいるのは、皇国の英雄相手に武者修行中だったからだ」
「……はは、なんだ、それ」
「それはこっちの台詞だ。王国に居るとばかり思っていたが、何故皇国に? そもそも、どうしてあの化物と戦っているのだか……まったく、貴様はとことん予想を裏切る奴だ」
僅かな間、しかもそれは命がけの決闘の最中だけの交流だったというのに、賢悟とシイの会話には親しい者同士の気安さが合った。まるで、古くから共につるんだ悪友同士のようにすら見える。
「んーっと…………シイ? 貴方、何やっているのか、分かっているの? 今なら、同類のよしみで許してあげてもいいのよ?」
そこへ、『僧侶』が笑みを湛えたまま、言葉を挟んだ。
「はははは、冗談を言うなよ、マオ――いや、今は『僧侶』か。貴様は一度でも不快に思った存在を許さない。それが例え、神から祝福を受けた兄弟のような存在だとしても」
「あらあら、分かった風に言うのね? ひどいわ、泣いちゃいそう」
「…………であるのならば」
シイは苦笑し、肩を竦めた。
「貴様の周囲に展開する魔剣群を、収めた方が良い。その方が、説得力が出るだろう。雀の涙ほどに、な」
シイの視線の先には、既に複数の魔剣を創造、宙に展開させた『僧侶』の姿がある。
もはや、何の言葉を交わそうとも、『僧侶』はシイを生かして返すつもりは無いようだ。
「あらやだ、私ったら、もう――――剣軍、射殺せ」
「はっ、相変わらず短気であるな! 姉上殿よ!」
シイと『僧侶』の戦いが始まった。
金剛の如き肉体と、怪力を誇るシイが放たれた無数の魔剣を殴り壊し、破壊する。その間、壊し損ねた魔剣の幾つかがシイに突き刺さるが、シイは動きを止めない。防御しない。何故ならば、防御の型を取った瞬間、『僧侶』が嬉々として高威力の魔剣で殲滅して来ると分かっているからだった。
「あら? 貴方、少しだけ腕が上がった?」
『僧侶』の問いかけに応えず、シイは愚直に迫りくる魔剣を破壊。
しかし、シイの動きは力押しばかりではなくなっていた。粗暴に見えるその動き一つ一つが、次の動作へと繋がっていて、滑らかだ。重厚な肉体であるはずなのに、シイの動きが軽やかに見えるほどに。
どうやら、賢悟が成長しているのと同様に、シイもまだ強くなっていたらしい。
「んー、けど誤差みたいなものだけど」
「――がぁ!?」
シイは強くなっていた……だが、それでも『僧侶』には届かない。
『僧侶』は影のゲートを使い、シイの背後に瞬間転移。
「亡霊剣軍――――毒剣・血啜」
赤黒い、毒々しい色のダガーナイフでその背を切り裂く。
すると、瞬く間にシイの背中からは夥しい量の血液が流れ出し……止まらない。人よりも遥に優れた治癒能力を持つシイの肉体が、機能していないのだ。
「さぁ、貴方はあと何分で干からびるかしら?」
その魔剣は、斬りつけた対象の血を奪う能力を持つ。
解除するには少なくとも、魔剣の主である『僧侶』の意識を奪うほどの攻撃を加えなければならない。
「ぐ……」
理不尽の体現である『僧侶』へ、そんな攻撃を加える手段なんて、シイには――――実は、あったりする。ただし、一度使えば自身も戦闘不能になる諸刃の剣だが。
加えて、それを為すには『僧侶』に隙を生ませることが絶対条件だ。でなければ、到底、強力な一撃など、無数の魔剣に守られた『僧侶』には届かない。
「珍しいことだな、『僧侶』よ。神話の時代から、数々の蹂躙を楽しんだ貴様が、今はたった一人の人間に執着している」
従って、シイは不慣れな口車を使うしかなかった。
口を動かすよりも、相手を殴る方が早いシイではあるが、相手に拳が届かないのであれば、策を弄するしかない。
「うふふ、そうかしら? 綺麗な花を摘み取りたくなるのが、本能でしょう?」
「…………確かに、貴様は野花の如く、命を刈り取る存在だ、『僧侶』。しかし、であるのならば、何故貴様は――煩わしい我を殺すために、範囲殲滅型の魔剣を使わない?」
「…………」
「本来であれば、面倒になれば全てを焼き払うのが貴様であろう、最古最悪の魔王よ」
シイの言葉に対して、『僧侶』は魔剣による攻勢を強めることで応えた。
「ぐ――――つまり、貴様が執着する要素が、一つ、あるのではないか?」
降り注ぐ数十の魔剣を両腕で捌き、言葉を続けるシイ。
「我は知っているぞ、なぁ? あの『大淫婦』から、聞きたくも無いのに、散々語って聞かされたからな! だから、我は貴様に問う!」
どんどん勢いを増す出血に立ちくらみそうになるも、歯を食いしばってシイは言った。
殴り飛ばすように、問いを叫んだ。
「そこまで貴様は――――同郷の温もりが欲しいのか? 『マオ』よ!」
シイは、正しく『僧侶』――否、『マオ』の触れてはいけない部分に触れた。
そこまではシイの予想通り。
ただ、シイが読み切れなかったこともある。
「亡霊剣軍――――神剣・××」
怒りによる、『僧侶』の隙は生まれなかった。
原因は明白。怒り狂った者は時折、怒りのあまり一時的に感情が壊されるのだ。
己の怒りの矛先を、間違えないように。
よって、『僧侶』の胸元から引き抜かれるように創造されたのは、魔剣ではなく、神格すら有する神剣。この世界においては、名を呼ぶことも出来ない、リーサルウェポン。どこまでも白き、美しい長剣。
「世界を・斬り・裂け」
それは物体のみではなく、空間も、いや、世界の構造事態も両断する剣だ。当然、シイの体では防ぐことは叶わず、死すら凌駕する消滅を待つのみ。
そのはずだった。
「あぁああああああああああああああっ!!」
突如、咆哮と共に『僧侶』へ無数の打撃が放たれる。
空間を飛び越え、その打撃を与えたのは、語るまでも無く賢悟である。賢悟の体は、拳を振るために肉体の限界すら凌駕し、打撃を放ったのだ。
賢悟の打撃は僅かに、『僧侶』の動きを押し留める。神剣を振り下ろそうとするその動きを、コンマ数秒だけ、停止させる。
それだけで、シイには充分だった。
「ケンゴ……流石過ぎるよ、貴様は」
呆れたような口調と共に、シイが放つ拳は、己が魔力、己が質力を全て込めた一撃である。
元々、シイには己の姿を自在に操り、体積を操作する能力があった。巨人族の王であるシイが、人間大になれるのも、そのためだ。
本来ならば、己が戦いやすい大きさに成る為だけの能力。
しかし、シイは皇国での武者修行の末、一つの技を手に入れた。
それは、己の質量を全て拳に込めて、魔力と共に撃ち出す人型の砲台。
「一撃――――凌駕」
文字通り、魂が肉体を凌駕するが如き荒業である。
相手に隙が無ければ使えないし、一撃を放った時点で戦闘不能になるのは確実の、欠陥だらけの技。
威力だけしか無い、一発限りの拳。
ただし、その威力は――――山すら、砕く。
「貴様は、少し眠っておけ……最古最悪にして、もっとも悲しき魔王よ」
周囲の大気すら絡めとるその一撃は、『僧侶』の体を容赦なく吹き飛ばす。
砲台で打ち出されたような加速と、轟音。さらに、『僧侶』の体は木々をなぎ倒し、山の大地を削り取り、遠く、遠くの果てまで飛ばされていった。
「ふむ…………止まった、か」
例え、『僧侶』であろうとも、シイの魂を込めた一撃には意識を失わざるを得なかったらしい。ようやく、シイの背中に刻まれた傷が塞がり、血が止まる。
出血に加え、全力を出し切った反動として、シイの体は限界寸前だ。今すぐにでも、倒れてもおかしくは無い。
「…………まだ、だ」
それでも、シイは己の全力を無為にしないためにも、歩き出す。
自分と同じく、いや、それ以上にボロボロな賢悟の元へ。
「……やった、じゃん」
掠れた声で賞賛して来る賢悟を、シイは苦笑と共に抱え上げる。
「貴様もな」
「…………はは、俺は、らくしょー……だった、ぜ?」
「まったく、どの口がそれをほざくのだか」
男二人は、ボロボロのまま、激戦の痕を去る。
未だ、届かない強さを知りつつも、今だけはつかの間の勝利に浸って。




