第50話 前途多難の交渉案件
元々、人狼族たちは隠れ里にあまり物を置かない。必要最低限の家具や保存の効く物だけを拠点に置き、転々と移動を繰り返す流浪の民なのだ。
それは、古くはアザー教を信仰する狂信者たちとの戦いや、差別に晒されてきた者たちが、生き延びるべくして身に付いた習慣である。
なので、既に早朝の時点で身支度は整えられており、賢悟やオリエンスたちを見送った後は、転移魔術で大移動するのみとなっていた。
そんなわけで、現在。人狼たちはあまり隠れ里を惜しむことも無く、保存の効かない肉類などを中心に、朝食を作っていたのである。
「なんだい、嬢ちゃん。飯作れないのかい?」
「まぁ、最近の子供だからねぇ、仕方ないのかもしれん」
「どの道、客人に手伝わせるのも難だしねぇ。ほら、あっちで長老の相手してな」
鈴音も朝食の手伝いでもしようかと、申し出たのがあまりの不器用さにあえなく、お役御免。大人しくしてろ、とばかりに人狼族の女衆に追い出されたのである。
「ちぇ、人が珍しく良い子ぶろうとすると、これだ。大体、料理なんて出来ないってーの。こちとら、ずっと買い食い暮らしだってーの」
拗ねたように唇を尖らせる鈴音。
早朝、珍しく落ち込んでいた賢悟を励ましたことから、捻くれた鈴音でも少し思うことがあったらしい。世話になる相手だからと、殊勝な心構えで手伝いを申し出たのだが、中々思い通りにはいかなかったようだ。
「懐から財布を抜くのは得意なんだけどなぁ」
わきわきと己の手を動かし、鈴音は首を傾げる。
スリをしている内は自分を器用な方と思っていたのだが、どうやら違っていたようだ。
少なくとも、家事や料理の才能は無いらしい。
「あるのは悪事の才能だけ、かなぁ?」
鈴音は自嘲するように笑みを浮かべ、ため息を吐く。
スリの手際は、誰に教えられるでもなく、手探りでも身に付いた。時々、失敗しそうになることもあったけれど、そこは持ち前のセンスと度胸でカバー。気づけば、立派なスリの一人になっていたというわけだ。
ただ、その培った技術と、備わっていた才能も、鈴音の今後には必要ない。
「……養ってくれるって約束したし。うん、断られても絶対に押しかけてやる」
賢悟の姿を思い浮かべ、鈴音は自嘲とは違う、にんまりとした笑みを浮かべる。
あまり人を信じることをしない鈴音であったが、賢悟の事だけは別だった。あれは疑うのが馬鹿らしくなるほど真っすぐで、そして生粋の馬鹿野郎である。何が何でも生き延びて、きっと自分を妹にするだろうと、鈴音は確信を持っていた。
「でもなぁ。楽できるなら犯罪はそりゃやめるけど、そーなると、生きがいというや、やりがいというかが……んんー」
人間、余裕が出来ると同時に悩みも生まれる物だ。
特に、悩む余地も無く、為さねばならないことを怠れば、即座に死が待っているような日々を送っていた者などは。
生きるために犯罪を行わなくてもいい。
ならば、生きるという最低限が保障された自分は、何をやりがいとして生きればいいのだろうか?
まだ幼く、両親も、教え導く者も居なかった鈴音は、ここに来てようやく己の人生という物について考え始めていた。
「かかかっ。なぁに、どんな才能も使いようだぜ、お嬢さん」
ぶつぶつと鈴音が独り言を呟いていると、異影牙が声をかけてきた。
その手には二本、ぶつ切りの肉を串に刺した物がある。どうやら、朝食前にこっそりと、自分だけ前菜を作っていたらしい。
「何か御用? おっかない、お爺さん」
「かははは、そこはおじさんと呼んでくれ。まだまだ若々しくありたいんでねぇ」
歯に衣着せぬ物言いの鈴音を喜ぶように笑い、異影牙は串焼きを一つ手渡す。
「まぁ、食いねぇ」
「いいの?」
「飯前のつまみ食いは爺とガキの特権だ。気にせず食えよ」
長老である異影牙にそう言われたならば、鈴音としても遠慮する理由は無い。
がぶり、と香ばしい匂いのする肉を口に入れる。
「ん!」
すると、どうだろう?
噛んだ瞬間に、タレの塩辛さが肉汁の甘い旨みを伴って舌の上に広がる。適量に振りかけられた香辛料が、鼻腔をくすぐり、さらに食欲が倍増。程よい噛みごたえの肉を惜しむ間もなく、ごくりと飲み込んでしまう。
そこからはもう本能だ。
がつがつ、がつっ! と鈴音は行儀などまったく気にせず肉を貪り、咀嚼。夢中でその旨みを味わった。
「かかかか、どうだ? 首狩り兎の肉を、一晩特製のタレに付けた奴なんだが。獲れたても美味いが、熟成させても美味い。焼く時に、ちょいと良い胡椒を使ってやれば、さらに香ばしさが付くってわけだ」
「うんめぇ! 生まれて初めて、こんな美味い物を食った! いやマジで!」
「かかかか、そうかそうか!」
鈴音の喜びようが良かったのか、異影牙は自分の分の串焼きも渡す。そうなれば、当然、鈴音は大喜びであり、すっかり異影牙への恐怖が薄れてしまったようだった。
もっとも、異影牙にはそんな意図は無く、単に、子供の喜ぶ顔が見たいという爺さん精神からの行動だったのだけれど。
「なぁ、お嬢さん」
「なーに、おじさん?」
がつがつと串焼きを食べながら、鈴音は機嫌良く応える。
そんな鈴音に、異影牙は笑みを浮かべたまま言った。
「お嬢さんぐらい若いうちは、とにかく飯を食って、遊んで、学んでな。そうしていればいつか目標が見つかるもんさ」
「あ……」
「賢悟の事は心配するな。ありゃ、何百年に一度しか生まれない傑物だ。放っておいても、勝手に何とかするさ」
「んにゃ、それについては心配してない」
「かかかか! そうか、そうか」
真顔で言う鈴音が愉快だと言わんばかりに、異影牙は豪快に笑った。
「でも……その、ありがとう……ございました」
そんな異影牙に思うことがあったのが、鈴音は珍しく神妙な面持ちで頭を下げる。まぁ、その実、串焼きへのお礼が八割なのだが。
「良いってことよ、年寄りの冷や水だ。じゃあな、お嬢さん」
ひらひらと手を振り、飄々とその場を立ち去る異影牙。
ただ、一度だけ振り返って、思い出したように鈴音に告げる。
「そうそう、お嬢さん。全うに生きるつもりなら、悪いことはやめるんだぜ? もしくは、自分が楽するために悪いことはやっちゃだめだ。でないとな?」
それは大人が子供に言い聞かせるように。
怖い怪物の名前を出して、子供を怖がらせるように。
「堕落仙人っていう、ダメ人間みたいになっちゃうぜ?」
異影牙は、かつての旧友の異名を呼んだのだった。
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「えー、ここから先は堕落仙人が張った結界によって転移が妨害されるので、徒歩で登ることになります。道中、堕落仙人が人避けに作ったトラップがたくさんあるので注意してね」
「「はーい」」
堕落仙人との交渉に向かったオリエンスたちが着いたのは、とある山の中腹。そこに建てられた休憩小屋である。
ここから少し登った所に、堕落仙人が住まう場所があるというのだが…………大抵の人間は、そこまでたどり着かない。
その理由は、堕落仙人が人避けに作ったトラップにあった。
「ひぃやああああああ!? 全裸のおっさんたちが、こっちに全力ダッシュしてくるよぉおおおおお!?」
「落ち着きなさい、ルイスちゃん。それは堕落仙人が仕掛けた幻術トラップだ」
「なななな、なーんか、こっちには緑色の透明な軟体生物がいるんですけど? それも沢山」
「それは堕落仙人が作った人造魔法生物だ。人の衣服だけを溶かす上、媚薬効果があるから触れずに回避。もしくは焼き殺すように」
人の神経を逆なでし、悉く馬鹿にするトラップ群。
相応の実力を持った者でなければ、それらは突破することは叶わず、心を折られて泣きながら帰ることになってしまうのだ。
「太郎君、太郎君! 私もう嫌だ! もうお嫁に行けない!」
「はははは、大丈夫、その時は賢悟君が貰ってくれるよ」
「…………既成事実を作れば、案外流されそうかも?」
「真剣に孕ませを検討するのはやめなって」
学生二人は、オリエンスのフォローのおかげで、なんとか脱落はして無い。
だが、流石に無傷とはいかず……いや、実際には肉体には一つも傷は付いていないが、心はボロ雑巾のようにダメージを受けていた。
「頑張ってくれ、二人とも。もうすぐ目的地だ」
一方、オリエンスは慣れているのか、どんなトラップにも引っかかることなく冷静に対処。さらりと全てを回避、解除して進んでいる。そこはやはり、『東の魔女』とも呼ばれる世界管理者としての実力の賜物だった。
大よそ、目的地までかかった時間は一時間ほど。
ただ、トラップが無ければ恐らく十数分で着けた道のりだった。
「ここが堕落仙人の家……というか、隔離空間への入り口だ」
辿り着いた場所は、見上げるほどの大岩のある場所だった。
その岩は随分昔からあったのか、所々に苔が張り付き、様々な植物のツタが張り付いている。けれど、一箇所。長方形のドアがはめ込まれている部分だけ、まったく植物の浸食が無い。加えて、経年劣化も、汚れすらも見当たらなかった。
「おぉ、なんか大岩にドアって凄いシュール」
「…………空間魔術を得意とする僕でも、さっぱり分からないレベルの空間操作技術で作られているなぁ、あれ」
見たままに驚くルイスに、構造の緻密さにおののく太郎。
反応はそれぞれだが、どちらも、その入り口の異様な雰囲気に飲まれている。
ただ唯一、オリエンスだけは平然とドアへ近づき、ノックをして呼びかけた。
「おおい、堕落仙人。私だ、オリエンスだ。大切な話があるから、ドアのロックを解除してくれよ」
呼びかけた……のだが、どうにも返事は無い。
虚しく、オリエンスの声が木霊となって響き渡るだけ。
「…………おいこらニート? 返事ぐらいしろや」
カチンときたのか、口調も荒く、ドアを乱暴に叩くオリエンス。どうやら、古い知人に対しては素のリアクションが出てしまうようだ。
『ぴんぽんぱんぽーん』
オリエンスの呼びかけに、今度は反応があった。
ただし、機械で作成された棒読みの音声が帰ってくると言う形で。
『ただいま仙人は人生のモラトリアム満喫中です。御用のある方は、百年後くらいにまた来ればいいんじゃないですかね、ばーか』
しかも、思いっきり相手を罵ってくる口調だった。
「…………ふんっ!」
これにオリエンスも堪忍袋の緒が切れたらしく、とうとう実力行使に。
己の足へ呪いを纏わせて、そのまま容赦なくヤクザキック。ドアに仕掛けられていたあらゆるトラップ、防壁を呪殺して、強制的にロックを解除した。
「おら、ニート! さっさと出てこぉい!!」
オリエンスが蹴破った先に在ったのは、広大な闇だった。
明らかに、大石の体積以上の闇が……否、広さで現すのならば空すら覆うほどの闇が、ドアの先に広がっていたのである。
「んもぉー、うっさいなぁ」
そして、闇の中から声が帰ってくる。
妙に舌足らずで、甘ったるい女性の声。その声が発せられた途端、闇が嘘のように晴れていき…………やがて、そこは六畳ばかりの部屋へと変貌した。広大に広がっていたはずの空間が、瞬く前に書き換えられ、その部屋が創り上げられたのだろう。
その部屋には無数の漫画本と、ゲーム機やゲームソフト。後は、多種多様の駄菓子や、ジャンキーな食べ物が無造作に置かれていた。
「オリエンスはいっつも乱暴だよねー。少しは、アタシを見習って落ち着いたら?」
部屋の主は、パソコンのディスプレイの前でだらりと鎮座している。
それは、ピンクのパジャマを着た、十にも満たないような幼い少女の姿だった。
若草色の長髪は足もとまで届くほどに。両の瞳は鮮やかに赤い。顔つきは平凡ではあるが、太い眉が愛嬌のある可愛らしさを出していた。
「お前を見習うぐらいならば、ナマケモノを見習った方がまだ建設的だ、堕落仙人」
「なっはっは、そりゃあ確かに」
彼女こそが、原初神が存在した頃より生きている超越者。
生粋のダメ人間にして、壮絶なほどの引きこもり。
されど、最古の十二神将であり、マクガフィンですら手出しを躊躇うほどの力を持つ仙人。
「で、何の用だよー? ああ、言っておくけどマクガフィンの奴が原初神の復活を企てているから、心臓のパーツを預かって封印しろとかなら勘弁ねー」
そして、全てを見渡すとも呼ばれた慧眼の持ち主である。




