第4話 実戦的戦闘魔術
当たり前の話だが、『マジック』と呼ばれる世界の住人全てが、戦闘可能な魔術を習得しているわけでは無い。むしろ、戦闘に使う魔術を扱う人間は限りなく少ない。
世界的災害である魔物などといった外敵に対して、戦う必要のある軍人のみなどの場合が大半である。もっとも、その軍人たちも戦闘可能な魔術を覚えるよりも、そういう術式が込められた魔道具を扱う技術を覚えることを優先するのだが。
はっきり言ってしまえば、『マジック』における現代社会では戦闘用の魔術は、ほとんど生活には必要ない。加えて、実践の使用に耐えうる戦闘魔術など、本当に僅かだ。
現代日本で、日本刀を持った達人よりも、拳銃を持った警官数人の方が安定した制圧力を持つのと同じである。わざわざ戦闘用魔術を覚えるよりも、そういう術式が込められた魔道具を使った方が、圧倒的にコストが低く済むからだ。
ボクシングやプロレスのように、互いの魔術を競い合わせるスポーツや見世物などがあるが、その場合でも、人を殺傷可能な魔術を習得する場合には国の許可が必要である。さらに、街中でその手の魔術が使用できないよう、封印具の着用の義務すらある。現代社会に、銃刀法という法律が存在するように、この王国にも戦闘用魔術を規制しているのだ。
このように、戦闘用魔術はメリットよりもデメリットの方が多く、苦労して習得したところで、人生の役に立つ機会は少ない。なにせ、『マジック』は戦争が起こせない世界なのだから。そんなことをしている暇があるのなら、読書の一つでもした方がよっぽど有意義だ。
けれど、ごくまれに『嗜み』として戦闘用魔術を身に着ける存在がある。
それが王国における貴族だ。
元々、クロウ王は一介の農民であり、革命と侵略を繰り返して己の国を作った。その際、クロウ王の部下として高い位置に居たのは、総じて武力の高い存在である。彼らは王の部下として、存分に猛威を振るい、大陸統一するまで力を尽くした。そして、王国が創られた後、彼らは貴族として、王から働きに見合った地位を賜ったのである。
それ故に、王国における貴族とは『強者』であるというイメージが強い。
ノブレスオブリージュの義務を持つ彼らは、強く、気高くなければならない。国から高い地位を認められているのは、自惚れるためでなく、その地位に見合った責任を果たすためだと。彼ら貴族は魂で理解している。
だからこそ、貴族たちは平和な世界であっても、己の鍛錬を欠かさず、実践的な戦闘用魔術も嗜みとして覚えるのだ。いつか、再び世界が戦乱に包まれようと、進んで民衆の前に立ち、導くために。
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「ここなら思う存分、戦えるわ」
「へぇ」
賢悟はその施設を見て、思わず笑みを浮かべてしまった。
そこは、外から見れば白い箱のような建物だった。中に入れば、あるのは白い壁一面に記された防護魔術の数々。だが、広さがおかしかった。外から見る限りでは、精々教室一つ分ぐらいの小屋ぐらいだったが、中に入ると広さは明らかに体育館以上あった。少なくとも、隅から隅までの対角線は百メートル以上だ。
「ここは学生間での決闘を行うための施設よ。知っていると思うけど、この中ならどれだけお互いが強力な魔術を放とうとも、それは幻に強制変換されて、相手の体に傷を負わせないわ。ただし、その代わりに幻には現実と同等の痛みが伴うけれど」
「随分、よくできてますね」
「貴方は今まで決闘を受けたことが一度も無く、全てゲリラ戦で済ませて来たからわからないでしょう。学生たちは、どうしても納得できないことを収める時や、己の魔術の成果を試す時に良くここに来るのよ……もっとも、貴方がここに来るのはこれで最後になるけど」
「ははっ、そいつは面白れぇ……じゃなかった、面白いですね」
「…………?」
ちなみにこの決闘場は『言葉で分かり合えないなら殴り合え! 奪い合え!』という方針で設置されている物だ。なので、物騒な建物の割には、使用者たちが重傷などを負わないよう、様々な魔術措置が施されている。例えば、決闘者の片方がある一定以上のダメージを追っていることを察知し、強制的に決闘を終了させてり、決闘終了後に、回復魔術を施したりなどだ。
ただ、さすがに学生に対して自由に開放しているわけでは無く、使用には教師か生徒会、あるいは風紀委員の許可が必要なのであるが。
「それにしても妙ね。貴方はいつも何だかんだ言って、正々堂々決闘することを避けていつも闇討ちしてきたのに。何か心変わりすることでもあったの?」
「…………さぁ?」
心変わりどころか、中身が丸ごと入れ替わっているのだが、今のレベッカにそれを知る由は無い。
「まぁ、どうでもいいことだったわね。ここで貴方が私に倒されることは、何も変わらない。安心しなさい、私は貴方じゃないから、いたぶらずに消し炭にしてやるわ」
「幻になるんじゃねーの?」
「うるさい! 精神的によ!」
思わず素でツッコミを入れる賢悟と、顔を赤くして怒るレベッカだった。
「ふん、いいわ! 魔力が無い貴方なんて……肉の入っていないカレーと同じような物だってことを教えてあげるわ!」
赤面したまま、レベッカは封印具である銀の腕輪を外す。
「それって大分カレーじゃねーか」
そろそろ取り繕うのが面倒になってきた賢悟は、素の口調のまま構えを取る。両の拳を胸の位置に、足元はわずかに軸足の膝を曲げて。さながら賢悟のそれは、拳闘者が取る構えに似ていた。
「――――いくわ」
先手必勝とばかりに動いたのは、レベッカだった。
レベッカは高速思考をもって魔術を組み上げた。魔術を組み上げる過程というのは、数式を証明する作業によく似ている。求める現象を起こすために、どのようにして魔力を行使し、マナを動かせばいいのか計算するからだ。
そして、レベッカにとってその計算は一瞬もあれば充分だ。
「流転は炎を起こす!」
後は呪文を唱え、組み立てた魔術を行使するだけ。
淀みなく、そして間違いなく組み立てられ、唱えられた魔術は、レベッカの手のひらから赤く輝く炎を出現させる結果を生む。
その間、僅か二秒。
天才と呼んでも過言では無いほど早い、レベッカの魔術行使だったが、
「しっ!」
「おぶぅ!?」
二秒もあれば、賢悟がレベッカとの距離を肉薄し、一撃食らわせることも可能である。加えて、戦闘魔術の行使はとんでもなく集中力が必要だ。なので、レベッカはガードすることも無く、易々とボディブローを決められてしまったのである。
「かは…………あっ」
「よっと」
集中が途切れてしまった故に、魔術の行使は中断された。炎が消え、接近戦がさらにやり易くなった賢悟は、容赦なく背後からレベッカの首へ腕を回す。いわゆる、スリーパーホールドというサブミッションだ。
「んぐ……あぁ」
「いーち、にーぃ」
レベッカはじたばたと手足を動かすが、やがて、頸動脈を絞められた影響で脳に十分な血液が回らなくなっていき、
「さぁーん」
「あふぅ」
かくん、と失神してしまった。
「…………ふぅー」
賢悟は意識が落ちてしまったレベッカを、そっと床に寝かせて一言。
「思いのほか弱い!」
もうちょっと白熱した戦いを期待していた賢悟だが、あまりにもあっさりと勝ってしまったので、明らかな消化不良。未完全燃焼である。
「いや、待て……相手は魔術師だったんだろ? だったら、あれだ。うん、位置が悪かった。だって、十メートルも無かったからな、お互いの距離」
基本的にレベッカのような魔術師は遠距離から、敵を狙うのが定石なのだが、レベッカが啖呵を切って決闘を始めてしまった所為のミスだった。明らかな、レベッカの自爆だった。
「…………ノーカンってことで、そい」
「うぼにゃ!?」
あまりにも虚しい勝利だったので、賢悟は喝を入れてレベッカを叩き起こした。せっかく、異世界に来てから初めての喧嘩なのだ。もっと血が沸騰するような熱さが欲しいと賢悟は思う。賢悟は勝つことでは無く、戦うことが好きなのだから。
「…………はっ、い、一体にゃにが…………あ、ひょっとして、私、まけ――」
「ノーカンでいいよ」
「え?」
愕然とするレベッカへ、賢悟はあっさりと告げた。
「不意打ちで勝ってもつまんねぇよ。今度は充分に距離をとって、フェアに戦おうぜ。さっきのはちょっと、俺――私が有利過ぎました……って、ええい、めんどくせぇ! もういい、ずっと素で行く!」
「…………ば、馬鹿な、あの、エリがこんな……」
いろんな意味でショックを受けているレベッカであるが、特にショックを受けているのは、あのエリが自分に情けをかけているという点だ。レベッカの知る限り、エリは同じような場面になれば必ず、気絶した自分を裸に剥いた後、その写真を撮るだろう。そして、その写真と引き換えに、とてつもなく恐ろしいことご要求するのだ。
だから、思わずレベッカはエリに――賢悟へ尋ねる。
「貴方、本当にあのエリなの?」
「…………ソウダヨー」
「いっそ清々しいほどに棒読み!?」
レベッカには、目の前のエリがまるで分らなかった。少なくとも、幼少の頃から犬猿の仲を通り越した、魂の宿敵レベルだったとレベッカは思っているが、だからこそ、違和感を抱く。
何かが違う、と。
けれども、正真正銘のエリが、魔力を失くした状態で何かを企んでいる状況だったら?
「…………わかったわ。全てはこの一撃をもって証明としましょう」
「ん?」
賢悟は思わず自分の目を疑った。
なにせ、目の前に居たはずのエリが、一瞬で数十メートル後方まで移動していたのだ。それも、文字通り瞬く間に。
己の知らぬ超常に首を傾げる賢悟だったが、エリの記憶が、レベッカの行った魔術を瞬時に解析し、答えを出す。即ち、詠唱破棄による空間転移だと。
接近戦を行う者に対して編み出された、実践的戦闘用魔術の極意、その一つであると。
「油断も慢心も全て消し去り、私の全身全霊をもって問いとする!」
瞬時にエリの周囲に展開される暴風の壁。
アレを生身で突破するには、ミンチになるしかないとエリの記憶が告げる。つまり、この時点で、魔術が使えない者にとっては詰みとなる。のだが、レベッカの言葉はまだ、先があった。
「これから放つのは我が最大の一撃。未熟な私の、最強よ。貴方も良く知っているでしょう? そう、灼熱魔人の右手よ」
青く凛とした視線と共に、その魔術名が告げられた。
刹那、今までで一番の反射速度で、エリの記憶は一つの情景を思い出す。
それはかつて、生徒会と風紀委員が手を組み、エリの追放のために戦っていた場面だ。集められた有志のほとんどはエリが無造作に放つ魔術に吹き飛ばされていたのだが、その中で唯一、レベッカだけが凛とした目でエリを見据えている。
そして、放たれた紅蓮の魔術は、全盛期でのエリの魔術防壁すら貫いて――
「流転は炎を起こす。身を焦がせ、骨を焼き切れ、魂を砕け」
賢悟がフラッシュバックから我に返ると、既にレベッカは詠唱を始めていた。しかも、長い。レベッカは低位の魔術であるなら詠唱破棄で放ち、中位の魔術であるなら詠唱短縮で数秒という速さで行使が可能である。それが数秒以上、しかも、詠唱呪文を正確に紡いでいるとなると、導き出される答えは一つ。
それは、最高位に近い、大魔術だ。
「灼熱にして終焉を呼ぶ紅蓮の魔人よ。滅びの枝剣を担う右手を寄越せ。古き契約の下、我が名、アヴァロンに於いて命じる」
炎を扱う魔術と、召喚を扱う魔術。
その二つを組み合わせ、対象の一部の権能を、契約により呼び寄せ、炎をもって肉を埋める太古の大魔術。
かつて、クロウ王の盟友である猫の『セリアンスロープ』が得意とした魔人の限定召喚。
魔力のない賢悟でも、否応が無しにでも感じられる膨大な魔力の奔流と、エリの記憶が警報を鳴らす。
勝てない、逃げろ――と。
「遠き神世から理を越えて現れろ! 灼熱魔人の右手よ!」
詠唱の終了と共に、レベッカの背後の空間が歪曲した。
それは、召喚されたそれの熱量で光景が歪んで見えたのかもしれない。あるいは、召喚されたそれの存在があまりにも凄まじく、実際に空間が捻じ曲がったのかもしれない。
ただ、一つ確実なことは…………賢悟に、あの紅蓮の右手をどうにかする手段は無いということだけだ。
「その悪性ごと灰塵に還りなさい……エリ・アルレシア!」
向けられたのは青い敵意と、灼熱の風。
後は、絶対敗北の運命である。
賢悟本来の肉体ならともかく、このエリの肉体では、到底、打破不可能な状況だ。
だが、そんな窮地に立たされた賢悟に浮かんだのは笑みだった。
「あぁ、やっと面白くなって来やがった」
凶悪で、獰猛な、獣の如き笑みだった。