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第48話 小さな重石

 未だ空が仄暗く、朝告げ鳥も鳴かない早朝。

 誰しも静かに寝息を立てる中で、一人、居住区から離れた場所に立つ影がある。


「……ふぅー」


 それはいつも通り、真紅のジャージに身を包んで修業に励む賢悟だった。

 賢悟は入念にストレッチと準備運動をした後、祖父の言葉を思い出しながら拳を振るう。

 それは、ボクシングスタイルのように。

 それは、空手の型のように。

 あるいは、中国拳法の一つのように。

 あらゆる武術の型を試しつつ、己が最も殴り易いスタイルを決めていく。なぜなら、賢悟が求めているのは武術ではなく、たった一つの至高の一打。

 一撃終幕。

 祖父曰く、神すら殴る拳。

 オリエンス曰く、世界のシステムすら終焉させる一撃。

 なれど、賢悟は未だその境地に至ることは出来ない。肉体の問題では無く、技術の問題でもなく、何かが欠けているのだと賢悟は自覚していた。

 もっとも、その何かがさっぱり分からないのだが。


「…………しゃーねぇか」


 迷いを晴らすかのように、賢悟は次の鍛錬へ。

 足元から適当な小石を拾い、それを無造作に空へと放る。それも、一つでは無く、複数。それぞれが異なる軌跡を描いて飛んでいき――


「しぃっ!」


 その全てが、賢悟の打撃によって破砕された。

 賢悟が放った無数の打撃。距離を度外視に打ち込む遠当て。それが、無数の小石をバラバラに破砕したのである。

 条理を越えた打撃。

 およそ、まともな人間が放つ技ではないのだが、それでも賢悟は不満そうに舌打ちした。


「ちっ。うちの爺さんがやった時には、全部粉みじんになったんだがな……未熟だな、おい」


 自嘲するように笑みを浮かべ、賢悟はその場に座り込む。

 今まで数々の強敵と戦っていた賢悟だが、特に『マジック』で戦った英雄たち、そして、英雄殺しの『剣士』が印象深く残っていた。

 師匠であるハルヨには、本領の魔法すら使わせられずに惨敗。

 異影牙との喧嘩も、全力ではあったものの、相手は『本気』ではなかった。

 そして、『剣士』との戦い。


「あれは……駄目だな、ああ。あいつと次に戦ったら、俺が死ぬ」


 今までどんな強敵に対しても味わうことの無かった、冷たい死の恐怖。それを、賢悟はあの『剣士』からひしひしと感じていた。

 あのままま勝負を続けていたら、確実に己が死んでいたと賢悟が認めてしまうほどに。

 実力的には、異影牙やハルヨに劣るだろう。

 けれど、実力的に劣っていたとしても『剣士』が振るうあの一刀は、古き英雄すらも殺しうるだけの何かがあった。

 それは、今の賢悟には持ち得ない物だ。


「…………拳が軽い、か」


 異影牙から言われた言葉を思い出し、賢悟はふと、己の右手を見つめてみる。

 華奢な手だった。血の滲むような修業を重ねてなお、偽りの肉体は白く、細く、美しい。そしてなにより、女の手だった。


「…………ははっ、男の意地を乗せるにゃ、ちょいと足りないか」


 異影牙に返した答え。オリエンスに告げた答え。

 ただ、その場しのぎにすぎない答えを思い出し、賢悟は笑う。

 空々しく、嗤う。


「笑えるな、まったく。ただのチンピラが、何言ってんだか」


 賢悟は己を知っていた。

 己は所詮、チンピラの類に過ぎないのだと。

 強敵に向かうのは勇気では無く、ただの蛮勇。己の中で荒れ狂う修羅の如き闘争心に任せているのみ。

 友を助けるのは、人並み程度の道徳心を持ち合わせているだけ。

 世界を救おうと決めたのは、このままでは終われないという意地と、今まで助けてくれた仲間たちへの恩義のため。

 けれども、賢悟は知っているのだ。

 己の中に、確固たる信念が存在しないことに。


「…………俺は、ただの不良で、喧嘩屋で、チンピラだ」


 どんな時でも貫かんとする、魂の支柱、それが信念だ。

 信念を持つ者の行動には責任が伴い、やがて言葉に重みが生まれる。

 誇り高く、武人であろうとするギィーナのように。

 あるいは、良き貴族であろうとするレベッカのように。

 それに比べたら、賢悟の意地など、まさしく風船。風が吹けば、あっという間に吹き飛ばされて、やがて空中で萎んで落ちてしまう物に過ぎない。


「弱いな、俺は」


 肉体云々では無く、言い訳のしようが無い、己自身の弱さ。

 魂の不足を、賢悟は嘆く。

 己の拳が何のためにあるのか? その答えは見つかっていない。

 故に、信念も見つかっていない。

 拳の軽さは、そのためだ。

 迷うのも、弱いのも須らく。

 加えて言うのならば――――例え信念が見つかったとしても、一撃終幕の拳は完成しない。あれは強さとはまた別の次元に在る物なのだから。


「強く、ならないとな」


 不足は多く、未だ至れぬ境地は多い。

 されど、それを待つほど世界は悠長では無く、危機が迫っている。

 だからこそ、意地を張って拳を振るうしかない。

賢悟は軽い拳を必死に握りしめ、立ち上がって再び鍛錬を始めようとする――――そんな時だった。


「お兄さん?」


 ふと、賢悟の背後から聞き覚えのある少女の声が掛けられる。

 振り返ると、そこには寝巻き姿の鈴音が立っていた。


「なにしているの? こんな早朝に」

「俺は修業だが。そういうお前こそ、何やってんだ?」

「んー、他人が多い場所では寝られない体質なんだよ、私」


 スリで生業を立てていた鈴音は、元々睡眠が浅い体質だった。熟睡することは中々無く、熟睡することがあってもそれは、人気が無く絶対安全な場所に限る。そして、昨日あんな騒動があった後にゆっくり寝られるほど、鈴音の神経は図太くなかったらしい。


「元犯罪者だからね。基本的に、追われる日々だったんだ……ま、捕まらなかったけどね」

「俺には捕まったけどな」

「その上、妹にされちゃったし」

「はははは、責任取れって言われたからなぁ」


 賢悟の言葉に、鈴音は呆れたようにため息を吐く。


「だからって妹にするかな、ほんと。適当に流して、警察にでも連れて行けばよかったのに」

「いや、そうしたらなんか負けた気がしたから」

「わけわかんないよ、もう」


 賢悟と鈴音は顔を見合わせて、笑い合う。最初はスリから始まって、なんだかんだでここまで付き合うことになった奇縁をおかしく思い、笑ったのだろう。


「…………悪かったな、こんなことに巻き込んで」


 やがて、ぽつりと賢悟が小さく呟いた。

 それに対して、鈴音は目を見開いて驚く。まさか、賢悟から自分に謝罪の言葉を貰うとは思ってもいなかったのだ。


「んーと、えーっと」


 鈴音は戸惑い、何を言おうか考えたが――――結局、何も答えず、質問で返すことにした。


「お兄さんはさ、どうして私を妹にしたの?」

「その場のノリ」

「真面目に答えて」

「あ、はい」


 鈴音に睨まれた賢悟は、ううん、と数秒唸ると観念したように言う。


「重石が欲しかったんだ」

「重石?」


 小首を傾げる鈴音へ、賢悟は疲れたような笑みを共に語っていく。


「俺は軽い。自分の命が掛かっていることでも、どうにもならなかったら、んじゃ、仕方ないで済ませちまう。切り替えが早いと言えば美点だが、実際の所、そこまで執着できないだけだ。軽々しいんだよ、俺は」


 賢悟は鈴音の目の前にゆっくりと右手を掲げ、拳を作って見せた。


「小さな拳だろ? こんな拳で、偽物の体で、どうにもならない呪いに立ち向かっていかないといけなかったんだ。だから、諦めてしまわないように、重石が欲しかった」


 生きて帰ると約束したレベッカとの絆。

 皇国まで付き合ってくれた、仲間たちとの友情。

 どれも、賢悟の背中を押すに十分な物だったが、それでも、まだ重さが足りなかった。

 だからこそ、賢悟は己の責任で、己の生きる理由を作りたかったのである。


「なるほど、つまり私はお兄さんに利用されていたと」


 賢悟の語りを聞いて、鈴音は納得したように頷く。


「そうだよ、自分勝手な理由で利用してた……だから、悪かったな」

「ふぅん……そっか」


 そして、何か悪戯を思いついたように笑みを浮かべて、賢悟に言った。


「それじゃあさ、私の言うことを一つだけ聞いてくれる?」

「あ、ああ……まぁ、出来る限り」


 そんな鈴音の笑みに戸惑いつつも、賢悟は了承の言葉を返す。

 とりあえず、ぶん殴られることや、金銭の要求には積極的に応じていく覚悟の賢悟だったが、その考えは次の言葉によって、あっさりと覆される。


「生きてよ、お兄さん。英雄にならなくてもいいからさ」


 賢悟は、何も言えなかった。

 胸を槍で貫かれたように呆然と半口を開け、瞬きを繰り返すのみ。


「やばくなったらさ、仲間の人と一緒に逃げちゃえ。だってさ、他にも強い人がいっぱい居るんだよね? なら、その人に任せて逃げてよ。大丈夫、世の中意外と何とかなるって」


 無責任な言葉だった。

 けれど、不思議と軽くない言葉だった。


「だってさ、私を一生養ってくれるんだよね?」


 鈴音の笑みが、言葉が、想いが、ずしりと賢悟の胸の奥に収まっていく。

 まだまだ信念と呼ぶには程遠い、けれど、決して軽くない物が賢悟の拳に、指先に、じんわりと熱を与えていく。


「ああ、そうだな……その通りだ」


 賢悟は微笑と共に、その重みと熱を受け入れた。

 少々むずがゆくて、チンピラには似合わないが、今の自分には案外合っているかもしれない。そんな風に思えたのである。


「にゃはっ♪」


 その答えを聞いた鈴音は、満足げに笑って賢悟の背中に抱き付く。


「じゃあさ、じゃあさ。私、お兄さんと一緒に買い物したいなぁ。一緒に服を選ぼうよ、服」

「はは、いいぞ! それなりに金はあるから好きな服を買うといい!」

「そして、選んだ服をお兄さんで着せ替えしたい」

「え? そういう趣向!?」


 鈴音がじゃれつき、賢悟が苦笑しながらも答える姿は、微笑ましい。

 種族は違えど、さながら二人は姉妹のように、朝の時間を共に過ごしたのであった。



●●●



 時刻は同じく早朝。

 けれど、場所は変わって皇都から離れた道沿いにある、安いホテルの一室。

 そこにマクガフィンと『剣士』の姿があった。

 ただし、マクガフィン己の幻術によって姿を変えており、今は黒髪の幼い少女だ。いや、実際の所、普段の姿だってマクガフィンにとっては本来の物では無い。マクガフィンが外に晒す姿は全て偽りであり、幻なのだから。


「一先ずは計画通りと言ったところでしょうか。『東の魔女』が動き、四凶死人の異影牙に、十二神将共も集まり始めています。あいつを殺せなかったのは残念ですが、こちらの動きを上手く印象付けられました」


 幼女となったマクガフィンは、ベッドの上に座ってつらつらと報告書でも読み上げるかのごとく語っている。


「後は賭けに成功するかどうか、ですね。あちらも馬鹿では無いので、こちらの意図にいつかは気づくでしょう。なので、今後の我々の作戦は、なるべくこちらから目を遠ざけるための陽動が主になります…………えっと、聞いていますか? 『剣士』さん」

「ん? ああ、すみせん、聞き逃していました。なんでしたっけ?」

「……貴方はもう」


 惚けた様子の『剣士』に、マクガフィンはため息を吐く。


「しっかりしてくださいよ。貴方がこの作戦の要でもあるのです。貴方の特製は、非常にこの作戦に合った…………ってほら、またぼーっとしています!」

「いやぁ、すみませんね。俺ってほら、低血圧じゃないですか」

「嘘を言わないでください。休日は早朝から夜遅くまで鍛錬している癖に」


 ぷぅ、と頬を膨らませて拗ねたように振舞うマクガフィン。

 どうやら、端末は外見によって、相応の振る舞いを為せるように作られているらしい。少女らしい動作に違和感は無く、また、精神すらも幼くなっているようだった。


「何なんですか? そんなに、あいつが弱かったのが残念ですか?」

「…………弱かった? 誰が?」


 まだ惚けたようなことを言う『剣士』に、マクガフィンは怒ったように指差して言う。


「賢悟です! 田井中賢悟! あの忌々しい異世界人ですよ! 私が期待させていた分、思いのほか弱くてがっかりしたんじゃないですか!?」

「いえいえ、そんな滅相も無い。彼女……いや、彼は強かったですよ。少なくとも、今まで戦った十二神将よりは。ただ、ちょっと」

「ちょっと、何ですか?」


 問いかけられた『剣士』は、自分でも分かっていないように首を傾げながら、マクガフィンへ答えた。


「惜しいことをしたな、と思いまして。や、あるいはしくじった、かな?」

「んん? どういうことでしょう?」


 腕を組んで首を傾げるマクガフィンの動作に微笑みつつ、『剣士』が言葉を続ける。


「彼、次に会う時はもっと強くなっていますよ。ええ、大抵、俺が一度目で殺せなかった相手は次には強くなっているんですが……彼は格別だ」


 言葉を続けていく内に、『剣士』の笑みは深まり、獰猛な物へと変わっていく。


「次は、恐ろしいくらいに強くなっていますよ、彼。下手したら、俺も……あるいは、貴方さえ殺せるほどにね……マクガフィンさん」


 外見上、穏やかに見えても『剣士』は修羅の類だ。己を殺せる者が生まれる恐れよりも、より激しい戦いを味わえる喜びの方が格段に強い。

 獰猛なまでの、戦いへの飢え。

 強さに対する、憎悪とも呼べるほどの執念。

 それらがあるからこそ、マクガフィンは『剣士』を有用な人材として重宝していたのだが、流石に先ほどの発言には呆れたようだ。


「何を言いだすかと思えば……彼とは二度ほど戦いましたが、そんな急成長するほどの伸びしろがあるとは思えませんでした。ましてや、貴方や私を殺すなんて」


 ありえない、とマクガフィンは鼻で笑う。


「ははは、そうかもしれませんね。そうなる確率は極僅かです」


 『剣士』もまた、笑みを緩めて笑い、


「ですが、どんなに低くても――――確率はあるんですよ」


 己の獲物を確かめるように、刀の柄を握りしめた。

 再び死合う時を、心待ちにするように。

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