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第45話 襲撃

 マクガフィンの姿を視認した直後、賢悟は考えるよりも先に拳を振るった。

 だが、宙に浮くマクガフィンはそれを予期していたとばかりに霧の障壁を展開。賢悟の遠当てを防ぎきる。


「ちっ」

「はははは、貴方がそう来ることは既に予想済みです。そして――――」


 賢悟の打撃を防ぎ切ったマクガフィンへ、二つの影が追撃をかける。

 一つはオリエンス。

 黒衣を蠢く呪いを巨大な手の形へ変え、マクガフィンへ向ける。

 一つは異影牙。

 野獣のような素早さでマクガフィンへ迫り、その首を刈り取らんとしている。


「かつての英雄と世界管理者を相手に、何の対策をしないほど私も馬鹿では無いので」


 その二つの攻撃を防いだのは、新たに二体、霧の中から出現したマクガフィンたちだった。彼らは全て同一の姿形であり、まったく同じ性能を持った個体である。分身では無く、彼ら一つ一つがマクガフィンの端末なのだ。


「鏡写しの如く、別たれよ、世界」


 やがて、マクガフィンたちはその霧の権能を使い、賢悟一人を隔離するために、一つの世界を創り上げた。

 世界を書き換えるに等しい幻想の霧。

 その力を三つ重ねて作り上げた別空間。

 それは、いかに賢悟の拳で在ろうとも破壊することは容易くない。


「おいおい、俺を隔離してもあっちには規格外が二人も居るぜ? つーか、なんだ? あっちが本命じゃなくて、俺を殺すのが本命かよ?」


 ミルクに浸されたように空間に満ちる、濃い霧。それらが賢悟の視界を覆い隠し、数メートル先の視認も難しくなっているが、賢悟にとっては問題無かった。マクガフィンの独特な気配は既に掴んでいる。例え、どんな小細工をして奇襲しようとも、直ぐに返り討ちできる自信があったのだ。


『はははは、貴方をじかにくびり殺してやりたいのは山々ですが、ええ、まったく。だからといって、正面から相性の悪い貴方と戦うわけないじゃないですか』


 次の瞬間、何の気配も無く――――賢悟に神速の太刀が迫ってくるまでは。


「んなっ!?」


 賢悟がその一刀を避けられたのは、幸運に等しい。

 野生の獣じみた直感と、数々の死線を潜り抜けた経験。それら合わさって、辛うじて賢悟の体を動かしたのである。

 だが、迫りくる刃は止まらない。

 返す刀で賢悟の左腕を狙い、浅く切り裂く。次は首。次は足。次は目…………濃霧の中と迸る銀光は、常に致死を伴って賢悟に襲い掛かった。


『私と貴方の相性が悪いのであれば、相性の良い者に戦って貰えばいい。ただ、それだけのことだと思いませんか?』


 霧の中から響くマクガフィンの声には、確信があった。この襲撃者であれば、確実に賢悟を仕留められると。


「ちぃいいっ!!」


 五感全てを研ぎ澄まし、さらに直感を交えての回避行動。

 賢悟の動きは奇跡的に襲撃者の刃を躱し、肌を浅く切り裂くに留まっている。けれど、まるで反撃の糸口が掴めていない。

 そして、襲撃者の意図も、賢悟は分からなかった。

 仮にこの襲撃者が暗殺者の類であれば、最初のやりとりで既に賢悟の命は無い。刃に、致死性の毒でも塗っておけば、ただそれだけで充分だったはずだ。だが、霧の中から振りぬかれる刃に込められた殺気は本物である。

 暗殺したいのであれば、もっと良い方法があり、剣の腕を試したいのであれば、もっと違う方法があったはずだ。

 故に、賢悟は声に出して襲撃者へ問う。


「お前は一体、何者だ!?」


 答えが返ってくることは期待していなかった。

 ただ、何らかの反応があれば、それを元に襲撃者の居場所を割り出すための布石だった。

 けれど、賢悟の予想はここでも覆される。


「ふむ、何者と問われましても……生憎、俺には名前がありませんので」


 一度目の驚きは、応える声があったことに。

 二度目の驚きは、煌めく銀光によって幻想の霧が晴れたことに。


「そうですね、故に俺のことは『剣士』とお呼びください。俺はまだまだ未熟ですので、名乗り上げるに相応しい名はありませんので」


 二度の驚愕をもって、賢悟の前に現れたのは若草色の着流しの青年だ。

 黒の後ろ髪を束ね、顔には気立ての良い笑顔。腰には一本の刀を差して。穏やかで、明るい雰囲気を纏っている。

 だが、賢悟はその姿を見て直感した。

 この者は、自分の天敵であると。


「どうか、名乗らず殺す無礼を、お許しください」


 マクガフィンが擁するナナシの実働部隊、ジョン・ドゥ。

 その内の一人に数えられる名無しの『剣士』。

 彼は、名前が無い代わりに一つの異名で恐れられている。マクガフィンの命を受け、数々の暗殺を繰り返した実績として、呼ばれることになった異名。

 それは、英雄殺し。

 脚光を浴びる舞台の主役を、奈落の底へ落とす、黒子の暗殺者である。



●●●



 かつて、賢悟は祖父に問うたことがある。


「なぁ、今まで戦った中で、一番強かった奴は誰だよ?」


 その問いかけに対して、祖父は困ったように頬を掻きながら答えた。


「悪いが、わからねぇなぁ。強かった奴は、その時の俺にとって、世界中の誰よりも強かった気がするし。今から思えば、死にかけた相手でもそこまで強くなかったんじゃねーかな? と不思議に感じたりもするわけだ」


 当時の賢悟には、祖父の言っていることは理解できなかった。

 だから、仕方なく質問を重ねたのだ。


「ならさ、もう二度と戦いたくない相手とかは?」


 その問いかけには、祖父は迷わず答えた。


「いた。ああ、いたな……忘れられない奴が、一人いるよ」


 祖父は苦々しく顔を歪めて、相手について語る。


「なんつーかな? 一本筋が通った相手の癖に、妙なところで容赦が無いというか。礼儀正しい癖に、変なところで卑怯でな。こう、どう戦っても昂ぶらない相手の癖に、下手な強敵よりも、練磨を重ねていたりする…………たまにいるんだよな、こう、噛み合わない相手ってのはさぁ」


 賢悟の祖父は、強敵について語る時、どれも誇らしげに語っていた。

 しかし、その相手の時だけは別で、誇らしさなど欠片なく、ただ後悔と失敗だけがあるような語り口調だった。い


「いるんだよなぁ、天敵って奴は」


 額から流れる冷や汗を拭い、おっかなそうに語る祖父の姿を、賢悟は今でも覚えている。



 合わない相手だ。

 賢悟の直感が、『剣士』の姿を見た瞬間に、そう告げた。


「アンタ、さっきの状況の方が俺を殺しやすかっただろ? つーか、殺したいんだったら、毒でも使えばよかった。なのに、どうして今はわざわざ、霧を晴らしている?」


 合わない相手を戦うには、少しでも自分を調整して合わせなければならない。でなければ、ギアが上がる前に、ろくでもない目に遭ってしまう。

 賢悟はそれを理解していたが故に、少しでも会話をして、相手との距離感を測ろうとしていたのだが、結果的には無意味だった。

 返答が無かったわけではない。


「んー、そうですね。確かに手段を選ばなければ殺しやすいかもしれません。でも、それならマクガフィンさんでも充分殺せる、という理屈になります。にも関わらず、マクガフィンさんが俺に任せたということは、きっと『手段を選ばないと殺せない相手』だからですよ」


 ただ、返答は抜刀と共に訪れたのである。

 互いの魂を確認するようなぶつけ合いでは無い。ただ、日常的な会話と共に、本気の殺意を含めた一撃を放つ噛み合わなさ。

 それは次の瞬間、賢悟の首と胴が別たれていたとしても、勝手に言葉を続けるだろう。

 相手の言葉に応えるが、自然体で殺しに掛かる容赦の無さ。

 そのどれもが、賢悟には噛み合わない。


「く、そ――」


 噛み合わないということは、相手のリズムが測れないということだ。

 振るわれる刀のタイミングも。するりと、賢悟の懐に入る歩法の間も。全て賢悟が好ましい物では無い。

 戦えば戦うほど、賢悟の調子が狂うようだった。


「こぉ――――しぃっ!」


 さりとて、『剣士』はそれだけでは無い。

 ただ、賢悟の調子を狂わせ、噛み合わないだけの相手では無い。

 振るわれる刀は、無駄を極限にまで削られた美しい軌跡を描く。音も無い抜刀からは、血の滲むような修練の残影すら幻視するほど。

 マクガフィンや、シイなどといった、基礎能力の高い相手では無い。特別な能力がある相手では無い。

 かつて戦った二刀の従者――シルベの如き、鍛え抜かれた人間の強さを感じる相手だ。

 しかも、その強さは恐らく特化されている。

 抜刀術。

 自然体で他者の隙を突き、一瞬にして殺してみせる剣術。

 それに、それだけに特化した修練を『剣士』は重ねているのだろう。


「ちっ――――ちぃやぁ!」


 『剣士』の動きはさながら、バッタのようだった。緩急をつけて、ここぞという時だけ速く、相手の虚を突いて早く。相手の急所を、時には外して四肢を狙って刀を振い、突くのだ。

 だからこそ、一度攻勢を凌げば、賢悟にも逆襲の機会はあるのだが、


「くそが」


 それがどうにも当たらない。

 直接相手を殴る拳から、間合いを無視した遠当ての打撃。それら全てが、まるで『剣士』には当たらないのだ。精々、着流しの裾を掠めるのみ。

 意識の間隙を縫う動きが出来るということは即ち、拳を振るう間を読むことも可能ということだ。まだ、完全には読み切れてはいないだろうが、そうだとしても、厄介極まりない。


「らぁ!!」

「しぃっ」


 賢悟の気迫と、『剣士』の鋭い呼気が交差する。

 一度、まともに賢悟の拳がクリーンヒットさえすれば、きっと『剣士』は膝を着くだろう。なにせ、『剣士』は攻撃に特化した存在だ。回避に秀でていたとしても、防御までは手が回らない。例え、苦し紛れに魔力で強化されても、己の拳はその防御を飛び越えるはずだと、賢悟は確信していた。

 ただ、確信と同時に疑問も浮かんでいた。


「……お前、どうして魔力による強化を使わない? 舐めているのか? それとも、何かの作戦なのか?」


 この恐るべき相手である『剣士』は、魔力強化を使っていない。

 かつて戦ったシルベのように奥の手として隠しているのか? はたまた、何か罠を仕掛けるのに必要な手順なのか? 

賢悟は脳裏を巡る疑問に集中を削がれないうちに、『剣士』へ問う。

 答えなど期待しておらず、少しでも何か反応があれば、それが判断材料になるかもしれない、と考えていたからだ。

 疑問に対いて理解を得なくても、納得さえ得られれば、戦闘中に覚悟することはできるのだから。


「いえいえ、使えないだけですよ。俺はほら、生まれながらの欠落者ですので」


 しかし、意外なことに『剣士』はあっさりと答えを口にした。

 それが真実か嘘はともかく、攻撃の手を止めて、まともに受け答えしたのである。


「俺は生まれつき、魔力が無い人間なんですよ。いやぁ、その所為で随分と昔から苦労しました。魔力さえあれば、と思ったことだって一度ではありません」


 へらりと気の良い笑顔を浮かべて、『剣士』は語る。

 されど、刀の柄に手を掛けており、隙は微塵も無い。仮に賢悟が殴り掛かったとしても、瞬く間に腕を斬り飛ばされるだろう。

 だから、賢悟は必然とその語りに耳を傾けるしかなかった。


「人間って奴はどうにも、持っていない奴に対して厳しいですよね? 魔力、才能、地位、財産。数えきれないですけど、まぁ、そういう物で人は区別されますよね? いや、別にそれが悪いってわけじゃないんですよ?」

「…………何が言いたい?」

「俺はね、ただちょっとだけ探求したいわけなんですよ。魔力が無かった俺が、才能も無かった俺が、ただ、馬鹿みたいに重ねた修練でどこまで行けるのかを」


 言葉の途中で、『剣士』から笑顔が消えた。

 穏やかな雰囲気に隠されていた殺気が溢れ、それらがやがて一つに束ねられる。刀へ集中し、研ぎ澄まされる。


「こんな俺でも、持っている人間に勝てるか――――ただ、探求したいだけなんですよ」


 笑顔が消えた後に残ったのは、ただの殺気だけだった。怒りも、憎しみも、嫉妬も、何一つ混じらない純粋な殺意。

 それらを向けられた時、賢悟は明確に己の死を悟った。

 諦めたわけではない。足掻くのを止めるわけでは無い。ただ、本能は当たり前のことのように告げて来たのだ。

 このままでは、己は死ぬ、と。


「――――っ」


 首筋を刺す悪寒が止まらない。

 背筋から流れ出る冷や汗が止まらない。

 ハルヨや異影牙と戦った時にも感じなかった、明確な死のイメージ。それを、彼の英雄よりも遥に劣るであろう相手から、賢悟は感じていた。

 次に『剣士』が抜刀すれば、賢悟は死ぬ。

 冷たい死のイメージが脳裏に固定されて、離れない。いつもは燃え滾るはずの熱情も、死の冷たさに触れて冷めきっている。

 まさしく、絶体絶命の危機。


「――はぁ、はぁっ…………うし」


 ならば、それに挑もう。

 賢悟の冷え切った熱情が、僅かに疼く。震える拳を、不格好のまま構えて、虚勢を張るように笑って見せる。


「ほう……さすがは英雄の魂を持つ者。ですが、だからこそ、意味がある」


 微笑まず頷き、『剣士』はさらに殺気を研ぎ澄ませた。

 そして――――


「崩れ落ちろ、偽りの世界」


 勝負の結果は、第三者による介入によって取り消された。

 何者かの言葉と共に、マクガフィンが作り上げた幻想の世界は崩れ去る。さながら、飴細工が熱によって融け、歪んでいくように。


「うらあっ!!」


 その絶好の機会を見逃すほど、賢悟は愚かでは無い。

 崩れゆく世界に止めの一撃を放ち、完全に崩壊させる。融け、歪んでいた世界は、我が硝子のように散らばって、真実の世界に塗り替えられていく。


「この場ではドローですか。では、次の戦場でまた死合いましょう」


 世界が塗り変わっていく間に、既に『剣士』の姿は無くなっていた。ただ、空々しく丁寧な言葉と、賢悟への死の予感だけを残して。


「次か……願わくば、そんな時が来ないで欲しいもんだな、ほんと」


 英雄殺しの名無しの剣士。

 彼との邂逅は、賢悟に拭いきれない畏怖を与えたのであった。

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