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第44話 解呪と絶望

 酒を飲むのに理由は無い、と言い切った賢悟であったが、元の世界ではそんなに酒は嗜んでいない。というか、まったく飲んでいない。煙草も然り、だ。これは別に、法律だから従おう、という殊勝な考えでは無く、単に修業の邪魔であるのと、家計にあまり余裕が無かったからだ。

 故に、賢悟は普通に酒に耐性など無く……結局、賢悟が起きたのは気絶してからきっかり一時間経ってからだった。


「んあ……あれ? 何で俺、寝てんだ? えーっと確か、異影牙の爺と殴り合って、意気投合して酒を飲んで、それから…………ああ! 太郎たちが『東の魔女』を連れて来た嬉しさで、ついつい酒を飲み過ぎて倒れたんだな、うん」

『まてやこら』


 酔っ払いとは酔っている間の記憶を捏造する物も存在する。特に、自分が不都合な出来事は無かったことにする者も多い。どうやら、賢悟も無意識にその手の記憶改竄をやらかす酔っ払いだったようだ。


「ん? なんだよ、太郎にルイス。そんな恨めしい目つきで俺を睨んで」

「君って、君って奴は……僕らがどれだけ葛藤したかと……」

「ぶっちゃけ、賢悟の処女と私たちの童貞が相殺していてもおかしくないイベントがあったんだよ!?」

「なにそれ、さっぱり意味わからん」


 賢悟は説明を求めて周りを見渡すが、あまり芳しい結果は得られない。

 リリーは顔を赤らめて俯き、鈴音は軽蔑の目で賢悟を睨み、異影牙に至っては、腹を抱えて大爆笑している。


「…………さっぱりわからんが、どうやら思い出さない方がいい出来事みたいだな。よし、俺の中では無かったことにしよう」

「その切り替えの早さは尊敬に値するよ…………はぁ、もう僕ってば頑張ったから、少し休むね」


 度重なるイベントで疲れていたのか、太郎はひらひらと手を振って地面に座り込む。


「あー、それじゃ私は、賢悟へのエンチャントの術式を組み直しておく。なんか、知らないうちに切り札とか使っているんだもん、こいつ」

「仕方ないだろ、全力で喧嘩するためだ」

「駄目だ、こいつ……」


 賢悟のチンピラっぷりにため息を吐きつつも、ルイスは黙々とエンチャントの術式を組み始める。かなり特殊で、面倒な過程を踏まなければならないエンチャントであるが、ルイスは特に苦にすることも無く、黙々と作業に打ち込んだ。

 だから、必然と賢悟は手持無沙汰となり――――己の為すべきことを、躊躇っている暇も無く、為さなければならなくなった。


「それで、そっちの黒い人が『東の魔女』ってわけか」

「やぁどうも、初めまして。私はオリエンス……エリの……いや、君の体に呪いをかけた張本人さ」


 オリエンスは口元に不敵な笑みを湛えて、賢悟へ礼をした。

 恭しく、何処か演技染みたその所作に賢悟は胡散臭さを抱くものの、悪しき者ではないと判断する。どこから、師匠であるハルヨと似たような雰囲気を感じ取ったからだ。


「こっちの世界に来てから約半年ほど……はは、探したぜ」

「それについては申し訳ない。まさか、あのエリが、己のプライドの象徴だった魔力を放棄してまで、生存を選ぶとは思わなくてね。その手の入れ替わりに関して、制限を厳しくしてなかったんだよ」


 やれやれ、と肩を竦めるオリエンス。

 口調からバツの悪さは感じているようだが、そこまで下手に出るつもりもないようだ。

 賢悟としても、いきなり下手に出られて土下座をされても困る所があったので、そういう態度はむしろ、好ましい。話が早く進むのであれば、忌々しい呪いから解放されるのであれば、何であろうとも構わないのだ。


「別にいい。俺は……この呪いを解いてくれるのなら、今からお前に泣きついても良いぐらいの気分だぜ?」

「ははは、そんなことされたら心が痛くなるから、やめて欲しいね。こちらの落ち度で、何かしらの対価を求めるほど、私は腐れてないさ」


 そう言うとオリエンスは、ゆっくりと己の袖を捲り、蟲の如き文字の羅列に塗れた肌を晒す。元々は白く、美しい手だったのだろうが、意味不明の文字の羅列が蠢くそれは、ひどく悍ましい。

 けれど、賢悟は悍ましいそれから目を逸らさない。


「胸を出してくれるかい?」

「おうよ」


 賢悟は躊躇うことなく上着を脱ぎ、上半身は下着だけに。

 人狼族の者たちは、その美しい肌に思わず目を奪われ――――そして、その胸に咲く悍ましい赤い呪いに恐怖を抱く。魂すら腐らせる、悍ましく、強固な呪文。それを胸に抱くのは、さながら銃口をずっと頭部に突き付けられて過ごすに等しい。

 常人ならば発狂、達人であっても精神を削られるのは避けられない日々。

 賢悟は、そんな日々を越えて、今、この場に立っている。


「痛みは無い。苦しみも無い。ただ、少しだけ疲れるけど、我慢しておくれ」

「構わねぇよ。死ぬより、何倍もマシだ」

「ははは、そうだね」


 苦笑と共に、オリエンスは右人差し指を、賢悟の胸に。

 胸の中央に咲く、悍ましき呪いの花に触れ、指先で小さく×を描く。


「今こそ枯れ落ちろ、徒花の呪い。罪なき者を蝕む悪しき呪いよ。我が身に宿る原罪において、汝の破棄を命ずる――――散れ」


 オリエンスの言霊が、賢悟を蝕む呪いの一切を消し去り、浄化する。

 あらゆる因果に置いて、逃れられぬ死を刻む徒花の呪い。それが今、行使者の手によって破棄されたのだ。


「…………っ」


 きぃん、という澄んだ硬質的な音。

 それと共に、賢悟の胸に咲いていた花の呪いは、花弁が散るが如く消え去っていく。

 はらはらと、赤き呪いは賢悟の胸から飛び出て、やがて空気中へ霧散。しばらくすると、賢悟の胸には何の痕も残らず、ただ、健康的な肌の色だけがあった。


「はい、これでもう大丈夫だよ……本当に、悪かったね、巻き込んでしまって」


 吐息と共に、オリエンスは謝罪の言葉を吐き出す。

 それは、飄々とした態度に隠された、苦々しさが現れていた。


「…………ははは、お前が謝る事じゃねーよ、全部」


 賢悟はふらりと体を揺らすが、足元は揺るがず、しっかりと地面を掴んでいる。そして、体の中から体力と共に、悪しき物が消え去った、虚脱感と清涼感を味わう。


「…………」


 やがて、ゆっくりと胸元に触れて、賢悟は呟いた。


「ああ、生きているな、俺」


 己の鼓動を、手のひらから魂へ、刻み付けるように。



●●●



「おめでとう、賢悟君!」

「おめでとう! 賢悟ぉ!!」

「おめでとうございます、賢悟様」

「えーっと、なんかよくわかんないけど、おめでとう?」

「ひゃっはぁあああああああ!! ありがとぉおおおおお!!!」


 太郎やルイス、リリーなどは賢悟の苦悩や、此処までに至るまでの苦労を知っているので、心の底から祝福の言葉を。鈴音としては、よくわからないがとりあえず周りの空気に合わせて、賢悟を祝っている。

 祝福を受けた賢悟は、涙を滲ませながら、子供のように両手を挙げて喜びを表す。


「これで寿命問題は解決ぅ! ひゃっはぁ! 後は元の体に戻るだけだぁああああ!」

「…………あー、そのことなんだけどね、賢悟少年」


 狂喜乱舞している賢悟だが、そこに、オリエンスが気まずそうな顔で口をはさんだ。


「お? なんだよ、オリエンスさん。そんなバツの悪そうな顔をして! ははは、今の俺なら、どんな理不尽だって笑って受け入れられるような気分――――」

「君、元の体に戻れないんだ、実は」


 ぴきり、と賢悟の動きが止まる。

 さながら映像の一時停止の如く、笑顔のまま動きを止めた。そして、数秒間の沈黙の後、引きつった笑顔と共にオリエンスへ訊ねる。


「説明してくれ」

「あー、その、だね? エリが使用した悪魔召喚はまさしく、秘中の秘。そのやり方を知っている者は世界規模でも少ない。それは、悪魔召喚が代償によっていかなる理不尽でも行使する絶対の裏技。世界というシステムのバクみたいなもので、取り返しがつかないから、秘匿されているんだよ」


 オリエンスは重々しい物言いで、賢悟へ告げた。


「つまり、一度悪魔によって行使された事象は、『元に戻ることはありえない』のだよ。どんなことがあったとしても、もう、君の魂は、君の肉体に帰らない」

「…………」


 賢悟は無言だった。

 無言で、真顔だった。

 それもそうだろう。忌々しい呪いから解放された途端、これだ。喜びの絶頂から、いきなり絶望の底まで叩き落とすような所業。

 オリエンスとしては、気を遣って早めに真実を教えたつもりだったのだが、結果的には鬼畜の所業となった。元々、超越者として一般人の機微に疎い部分もあったのだが、今回は余計にその欠点が悪となった。

 己の体に、己の魂が戻ることは出来ない。

 それは永久に、己自身を偽らなければならないという事実。

 田井中賢悟という人物が、完全な形で復元することの無い絶望。それを、賢悟は今、味わっているのだ。


「…………はぁ、仕方ないか」


 けれども、その絶望を受けてなお、賢悟は気高く、強い存在だった。


「こうなったもんは仕方ない。ま、この体と、この世界での生活に慣れてきたところだし、当面は気楽に過ごすとするぜ」


 にやりと、強がりだとしても賢悟は笑みを浮かべる。

 口の端を吊り上げた、皮肉げで、挑発的な笑み。

 それは、胸の奥にどれほどの苦しみがあったとしても、それを一切表に出さない強さの表れである。


「ほう」


 その強さに、オリエンスは思わず感心した。

 残酷な真実に愚痴の一つも零さず、強がって見せるその精神性。周りの仲間が、憐れみと悲しみの視線で見つめてくるのも構わず、笑みを浮かべる不敵さ。

 そのどれもが、懐かしささえ覚えてしまうほど、『かつての英雄』を思い出させる。


「くかかかか! おいおいおい、賢悟! お前はどんだけ傑物なんだよ、かかか! ますます気に入ったじゃねーか! どうだ? うちの若い奴らの子供を産む気はないか?」

「ねぇよ、馬鹿爺! それとこれとは別だってーの!」

「かかかか! だよなぁ!」


 賢悟の物言いに、異影牙は嬉しそうに笑う。

 笑って、遠慮なく賢悟の背中を叩き、お節介な爺さんの如く、次々と言葉を投げかけた。


「んじゃ、わかった! お前がガキを産んだら、俺に鍛えさせてくれ! お前のガキならきっと、すげぇ奴になるだろうからよ!」

「だから何で、俺が産む前提なんだよ!? 言っとくけどな、俺は女として生きるつもりは更々ねぇよ!? 絶対、性転換の魔術やら、魔法薬を開発してやるからな!」

「くかか! それならそれでいいぜ! とにかく、お前の子供を鍛えてみてぇ!」

「なにこの爺、鬱陶しい!」


 異影牙に絡まれて、鬱陶しそうにする賢悟。

 その様子を見て、ようやく仲間たちは賢悟に声をかけ始める。


「け、賢悟君……その、大丈夫?」


 おずおずと声をかけた太郎だが、賢悟はぞんざいに即答する。


「大丈夫なわけねーだろうが、ほとんど強がりに決まってんだろ、こら。ぶっちゃけ、今すぐ泣きたい気分だけど、我慢してんだよ」

「だ、だよねー! ごめんね!」

「うるせぇ、太郎が謝ることねーだろ」


 口調はぞんざいだが、何だかんだで仲間に八つ当たりするような真似はしない賢悟だった。


「け、賢悟……あの、そのね、私」


 そんな賢悟へ、ルイスはどこか上目づかいで視線を向けていた。


「…………ルイス、か。いい、下手な慰めは無用だ。こんな体でも、俺が俺であることは変わらない――――」

「私、賢悟だったら、セクロスしてもいいから!」

「うらぁ!」


 容赦なく、ルイスのボディへ拳を叩きこむ賢悟。

 これは八つ当たりでは無く、純粋な怒りから来る攻撃だった。


「う、うぅ……精一杯の慰めを考えた発言だったのに……」

「なぁ、ルイス。お前の場合は、ただ単に性欲による発言だろ?」

「八割性欲で、残りの二割は友情なの!」

「はい、おかわりどーん」

「おぶぁ!」


 再度のボディブローで、ルイスは完全に沈む。当然如く、自業自得の末路なので、特に心配する者もいない。ギャグ補正で、その内起きることだろう。


「…………」


 ただ、リリーは無表情で沈黙したまま、動かない。

 リリーもまた、考えうるべきこと、悩むべきことを内面で押し殺しているのだろう。それを理解した賢悟は、あえてリリーには声をかけず、鈴音に絡む。


「よぅ、わけわかんないと思うが、これからもよろしくな」

「えっと、お兄さん? その、さ…………実は結構大変だったりする人生送ってたり?」

「さぁな? とりあえず、さっきまでは異世界から拉致られて、呪いで寿命が一年満たない体だったが、もう大丈夫だしな。今は、ちょっと肉体を入れ替えられている程度だ、問題ない」

「……問題だらけだと思うんだけどな」


 賢悟の事情の一端を知った鈴音としては、苦笑しか出ないという有様だ。

 何かしらの事情を抱えているとは思っていたが、まさか、ここまで追い詰められていたとは思っていなかったのである。


「…………普通、そんな状況で笑えないよ」


 小さく、畏敬の念を抱くかのように鈴音は呟く。

 恵まれていたと思っていた賢悟は、その実、己よりもよっぽど追い詰められていたこと。それでもなお、仲間と協力して死の呪いを解いたこと。呪いが解かれた末に、絶望を叩きこまれても、強がりでも笑って見せたこと。

 その全てに、鈴音は畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 そしてそれは、世界管理者であるオリエンスにとっても同じだった。


「賢悟少年、君は強い――――とても、強い人間だね」

「ふん、それがどうしたよ?」

「…………君ならば、そうだね、伝えてもいいかもしれない」


 オリエンスは一瞬躊躇った後、意を決するように言葉を切り出す。


「賢悟少年。私は、世界管理者として、君の強さに敬意を表して伝えよう。いや、お願いしよう、といった方がいいかな?」

「もったいぶるんじゃねぇよ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」

「ははは、それもそうだ」


 ゆっくりと頷くよな動作をすると、オリエンスは厳かに、予言者の如く賢悟に、結果として、この場に居る全員へ告げた。


「世界の危機が迫っている。それに対処するためには、強い人間が、英雄が必要なんだ。賢悟少年――――君は、世界を救うために英雄になる覚悟はあるかい?」


 試すような、請うようなオリエンスの言葉。

 世界管理者から告げられた、突如としての世界の危機。

 賢悟は、顔をしかめながらも、それを自分なりに噛み砕く。理解しようと、悩み、頭を回し、そして、たっぷり三十秒使って、答えを出そうとして――――


「させませんとも、ええ! 彼が英雄にでもなったら、私の計画が台無しになるじゃないですかぁ!」


 忌々しい宿敵の声が、頭上から降りてきた。

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