第42話 東の魔女と首狩り兎
首狩り兎。
そういう名前の怪異が、皇国には存在する。
かまいたちと呼ばれる怪異の亜種であり、その性質はかまいたちに非常に似ている。
対象を切り裂く、という結果は変わらない。ただし、かまいたちと呼ばれているイタチの怪異は、対象は無差別的だ。人間を見かけたら、容赦なく全力で狩りに行く。
ただし、首狩り兎は違う。
首狩り兎が狙うのは、一定以上の実力者のみだ。
一体どのような原理や理屈があって、首狩り兎が強者のみを狙うのかは、今だ解明されていない。
強者のみ狙うという性質から予想が付くように、首狩り兎は魔物の中でも上位に位置づけられる存在だ。達人であっても、油断すれば首を刈り取られるだろう。
そして、強者のみを狙い撃つという性質は、首狩り兎のレアリティを上げる要因にもなっている。もちろん、魔物なんて百害あって一利なしがほとんどであり、出くわさないに越したことはないのだが…………非常に珍しいことに、この兎は『ドロップアイテム』を落とすのだ。
本来、魔物と呼ばれる存在は、生命活動が止まれば、マナとなって大気に還元される生物である。死体は残さない。しかし、時折…………なんの意図があるのかは不明だが、人間にとって非常に高品質なアイテムを残すこともある。
首狩り兎もそういった魔物の内の一体であり――――落とすアイテムは、高品質のウサギ肉なのだ。
このウサギ肉は、皇国の中でもとても高価でやり取りされており……同じ重さの宝石と取引されることもあるほどだ。
ちなみに、このウサギ肉はとある人狼族の英雄の、大好物だったりもする。
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太郎、ルイス、リリーの三人組は迷い案山子による強制空間跳躍を回避。その後、リリーと太郎によるコンビで、素早く迷い案山子たちを駆逐。周囲に潜んでいた迷い案山子も、太郎が空間跳躍の痕跡を探査し、一体も残らず狩りつくした。
「…………うーん、どうにもこれ、おかしな襲撃だったよね? わざわざ、対怪異用の兵器が備え付けられているここに、特殊タイプの怪異が入り込んで来るなんて」
「そうなの? 王国では、下級の魔物はほとんど獣同然だから、普通に罠とかにも突っ込んで来るけど。まぁ、獣程度には学習能力もあったみたいだけれどね」
祖国である太郎は、怪異の襲撃による異様さに首を傾げるが、ルイスではその疑問を共有することは出来ない。この場に居るのが、ダンジョン探索の経験者であるギィーナや、天才のヘレンであるのならばまだしも、ルイスは支援魔術以外では普通の学生レベルである。他国における魔物の洞察を期待するのは、少々酷だろう。
「そんなことよりも、さっさと賢悟様を探してください。太郎さん、貴方ならばどこへ飛ばされたのか、探査することが可能でしょう?」
ちなみに、リリーは安定のリリーだった。
主人である賢悟が離れた途端、目に見えて落ち着きを失くしている。
「もうとっくに探査しているよ……そして、終わっている」
逆に、太郎の言動は普段よりも切れ味が出ていた。
普段は学生らしく、他者へ……具体的にはギィーナや賢悟など、そう言った主力を頼ることが多い。けれど、その手の対象が無くなれば、どうやら頼もしさや、タフさという物が生まれてくるらしい。
「ここから少し遠いけど、跳べない地点じゃない。すぐに座標に合わせて、転移術式を組むよ」
太郎は他二人の返答も待たず、瞼を閉じ……ぶつぶつと魔術的な専門用語を口走る。周囲への警戒は残したままだが、最速で術式を編み出すため、太郎は余計な情報を意図的に遮断しているのだ。
「お、おう……なんか、今日の太郎君って頼りになるなぁ」
太郎の様子を眺めて、朗らかに笑みを作るルイス。
その様子は傍から見れば、少女が同級生の漢気に胸を打たれたようだろうが、生憎、ルイスは男である。外見はともかく、中身は完全に男だ。少女のように朗らかな笑みを浮かべたとしても、恋愛対象は完全に女性のみである。
「…………周囲の警戒に入ります」
リリーは無駄に騒いだところで、太郎の集中を削ぐだけだと理解した。もっともはやく賢悟に辿り着くために、今は周囲の警戒を行う。
それから数十秒。三人の間には、沈黙が下りて…………そして、三者ともその音を逃さず聞き取ることになる。
それはさながら、大根を勢いよく包丁で切り落とした音に似ていた。
ざくんと、切れ味の良い何かが、物質を切り裂いた音が森の中に響いて、次の瞬間、三人の視界が急に開けた。
目の前の木々が、一瞬にして細切れになったが故に。
「――っ、警戒レベルを引き上げます! 各自、応戦準備を!」
「…………こんな時に」
「うわわわわ!」
リリーの声を始めとして、ルイス、太郎が応戦準備に入った。
もちろん、太郎の作業は中断してしまい、今は突如起こった奇怪な出来事に対処しなければならない。
視界が開けるほどの規模で、森を切り裂く斬撃。
それは、最初の一撃の後、二度、三度と繰り返されていき、その度に森の一部を細切れにしていく。
「示威行為? いや、それにしては攻撃箇所がランダム過ぎる。こちらに向けて示威するのであれば、もう少しやり用がある……となると、戦闘の余波か?」
「私たちに対する行動では無く、他者の戦闘によるものだと?」
リリーの疑問に太郎が答えるよりも前、その『答え』らしきものが三人の目の前に現れた。
一つは、小柄な小動物。
鉤爪の如く尖った耳を持つ、一匹の兎。
もう一つは、頭からすっぽりと黒のオーバーコートに身を隠した人物。
『ざぁあああんっ!!』
兎は奇妙な鳴き声と共に、小柄な体を縦回転させる。すると、回転の向きに添って、空間を割るような斬撃が放たれた。
斬撃範囲であれば、王都のビル群でさえも安々と切り裂くであろう斬撃。
「――疾っ」
それは、黒衣の人物が発したただの一音によって弾かれる。
黒衣の人物の周囲には、いつの間にか蟲の如き文字の羅列によって埋められており、その悍ましき何かが斬撃を弾いたのであった。
リリーはその攻防を見て、攻撃を躊躇った。
どちらに攻撃するにせよ、たった一撃で此方が絶対的に有利な立場に成ることは難しいとして。
ルイスはただ、その攻防に圧倒されるだけで、動く機会を失くしてしまった。この場に、賢悟かギィーナが居ればまた違ったのであろうが、今はそうなってしまった。
そして、太郎は脊髄反射と呼んでも差支えの無いほど早く、決断と共に行動を起こした。
「ほう?」
黒衣の人物が、フードの下で感心したように唇を歪めた。
なぜならば、先ほどまで相対していた兎の――首狩り兎の足に、細長い針が突き刺さっていたのだから。それを放ったのが、優男にしか見えない太郎であったのだから。
太郎の決断は実にシンプルだ。
目の前に魔物がいる。そいつはどうにも強そうで、厄介だ。黒衣の人物は、善悪はともかく、人間に見える。ならば、黒衣の人物への対応は置いておき、先に魔物を消すべきだと。
太郎が針を放った技術は、暗器による暗殺術の一つ。殺気を極力を抑え、相手に感知される前に急所に打ち込む妙技。
放たれた針は、急所に打ち込まれるはずだったが、首狩り兎は微小の殺気に反応し、致命傷を避けることに成功。ただし、その代償として足に針を突き立てられ――――結果、何よりも隙を見せてはいけない相手に、隙を見せてしまった。
その時点でもう、首狩り兎の命運は尽きていたのである。
「急・縛――――滅」
小さく紡がれた短い言葉は、それ一つ一つが、が魔術の詠唱に等しい意味を持つ。
黒衣の人物が纏う蟲の如き、黒い文字の羅列。それらが転移にも等しい早さで、首狩り兎を捕え、その体に文字が這っていく。やがて、黒の文字は墨で塗りつぶしたかのように首狩り兎の体を染めて、そして…………首狩り兎は霧散した。即死による、マナへの還元現象だ。
そして、首狩り兎が消え去った空間から、眩い光と共に薄ピンクの美しい肉の塊が出現する。
「お、ととっと……はい、これでよし」
黒衣の人物は、その肉を掴むと、しゅん、と圧縮空間の中へと取り込んだようだ。
知識の無い者から見れば、それは物体消失マジックだが、空間系の魔術を齧っている者ならば即座に見破れる程度の魔術。
けれど、それを何の魔導具の補助も無しに、一切の淀みなく無詠唱で行える者と成ると、術者たりえる存在は急に数を狭める。
即ち、軽々しく日常動作の一つとしてそれを為す黒衣の人物は、かなり高位の魔術師であることを示しているのだ。
「やぁ、どうもどうも、助かったよ、少年」
だというのに、黒衣の人物は太郎が警戒していたよりも、思いのほか軽く。片手を挙げて挨拶する動作などは、本当にただのご近所挨拶のようで。
「私の名前はオリエンス。ちょっと世界管理者やっているんだけど、知らないかな?」
こうして、世界管理者にして『東の魔女』――オリエンスと太郎たちは出会ったのである。
あまりにも場違いな、軽々しい挨拶をしてくる不審者として。
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皇国某地。
皇都から離れ、北部に位置する地方に存在するその街は、小さいながらも栄えていた。皇都のそれとは違い、無理に木造建築にせず、特殊合成の素材によってコストを抑えた建築。さらに、地産池消の経済循環に加えて、上等な温泉による観光地化。決して、都会のように最新最高の物が揃えられているわけでは無い。だが、地方の小さな街としては充分余裕を持って市民の要求を満たしていた。
数日前までは、の話ではあるが。
「あー、だっりぃわー。罪の無い人間を街ごと虐殺するとか。超心が痛むわぁー」
とんがり帽子に黒衣のマントという出で立ちの少女――『魔術師』は、棒読みでだらだらと己の愚痴を零していた。
「温泉とか超よかったんだけどなぁー。温泉だけは残してもよかったんだけどなぁー。あー、恨むなら全部、マクガフィンのゴミが悪いから、そっちに怨念行ってくれよー」
「いやはや、知らぬ間に罪を押し付けられていたのですが」
『魔術師』がだらだら愚痴を零していると、その隣にマクガフィンの姿が現れる。これは、転移魔術というよりは霧の力で、端末をその場で作り上げている物だ。
一応、マクガフィン本体が直接『魔術師』の元へ出向くのも可能なのだが、その場合、少なくないリスクが生じてしまう。具体的に言うのならば、気まぐれに殺される――否、破壊される可能性があるので、基本的に『ジョン・ドゥ』の面々への連絡は端末を使っているようだ。
「というかですね、『魔術師』さん。私としては神器を狩っていただければ、後の住民についてはどうでもいいのですがね?」
「うっそだー。マクガフィンってば、苛めながら殺すの大好きじゃん」
「ええ、それは確かに好きですよ? ええ、私の趣味ですとも。ですが、今は本気で忙しいので趣味は自重しているのです。後、訂正するのであれば」
マクガフィンは周囲を見渡して、ため息を一つ。
「貴方のこれは虐殺とは言いません――――ただの、『殲滅』ですよ」
灰だった。
ただ、見渡す限りに灰の地面が広がっていた。
それらは全て、元は『街』として構成されていた要素である。
建物であったり、食料だったり、あるいは人間であったり。
『魔術師』はその全てを等しく、正しく平等に灰に還してしまったのだ。
灰は灰に。塵は塵に。
何物も、『魔術師』が為す滅びからは逃れることは出来なかった。
「んあー? しゃーないじゃんか。私の場合はほら、手加減できないじゃん?」
「…………確かに、貴方は呼ぶだけですからね、文字通り」
「そうそう、私ってば馬鹿で落第生だからさぁ。それっくらいしか出来なくて、申し訳ないってわけ! あ、でもちゃんと任務は終わっているぜー」
魔術師は袖からころんと、金属片を取り出して見せる。
それは、臙脂色をした音叉で…………何故か、肉の塊にようにも見える、歪な形をしていた。
「はい、回収完了っと。あー、だるかった」
「ありがとうございます、『魔術師』さん。これでようやく、四つほど揃いました」
マクガフィンは赤黒い音叉を受け取ると、それを大切そうに懐に仕舞う。
けれど、大切そうに扱っている割には、その表情には苦々しい物があった。もっとも、それはすぐに消えてしまい、薄笑いに戻っていたのだが。
「後は『心臓』さえあれば…………不完全であれ、我が神は『正規』に復活するでしょう」
「あー、七英雄にフルボッコされた神様なー。そんなん、役に立つの?」
「不敬ですよ…………や、あれですから。七英雄の場合は、あいつらちょっとおかしかったですから、ほんと」
宿敵との戦いを思い出し、薄笑いの笑顔が妙に色白くなっていくマクガフィン。
どうやら、七英雄の記憶は完全にトラウマになっているらしい。
「…………それでも、ええ、今はもうあいつらは居ない。例え、何人か生き残っていたとしてお、あの七人じゃない」
マクガフィンは下唇を強く噛んだ後、意を決したように断言した。
「あの七人は確かに無敵でした、それは認めましょう。ですが…………あの七人でないのならば、私は負けるつもりはありませんとも」
苦汁を飲み干すように宿敵の強さを認め、けれど、だからこそマクガフィンは断言したのである。
今、誰が相手であろうとも負けるつもりは無いのだと。
それが例え、かつての英雄の魂を持つ存在だとしても。




