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第41話 それは理屈では無くて

 勝てない。

 鈴音は、賢悟と異影牙の両方を見比べて、そう直感した。

 別に鈴音は格闘技や、その手の実力を見極めることに長けているわけでは無い。そう、あまりにも、賢悟に対して異影牙の実力が高すぎるのだ。

 素人でも、傍目から見て、その彼我の距離を悟ってしまうほどに。


「はっはぁ!」


 だが、誰よりもの実力差を理解しているはずの賢悟は、躊躇わず拳を振るう。

 狭い室内の中を、壁や、天井まで使って縦横無尽に駆け回り、散弾の如く己の拳を撃ち飛ばして行く。


「やぁ、元気だねぇ」


 雨粒の如き密度で放たれる賢悟の打撃。

 しかしそれは、異影牙に当たることは無い。その全てが、異影牙に当たる直前に弾かれて、否、異影牙が全て弾き飛ばしたのだ。たった二本の腕だけを使って。


「とりあえずさ、室内で暴れるのは感心しないよ、おじさん」

「――んな!?」


 瞬く間に、賢悟の首根っこは異影牙によって掴まれた。

 縦横無尽に駆け回る賢悟を捉えるのは、飛び回る蠅を箸で掴むよりも至難なはずだが、異影牙はそれを容易く行う。


「ほいっとね」


 そのまま首の骨を折れば決着だったのだが、異影牙はそれをせず、賢悟の体を入り口のドアに叩き付けるように投げ飛ばす。

 賢悟の体はボールのように跳んでいき、入口のドアを破壊。そのまま、外へと転がり出されている。


「ちぃいいいあぁ!!」

「遅いねぇ」


 とっさに立ち上がる賢悟だが、それよりも先に異影牙の追撃が入る。

 一撃。

 二撃。

 三撃、と。

 打撃を重ねるように異影牙は拳を放ち、賢悟を地面へ打ち据えていく。

 一撃で地面にひびが入り、二撃で地面がクレーターのように凹み、三撃目で、大地すら砕く。まさしく地を割る拳。


「おっと、ねばるね、どうも」


 まともに当たれば、確実に賢悟の体では耐えられない。

 故に、賢悟はわざと一撃目を受け、その衝撃を体内でコントロール。僅かながら、抵抗の動きを得る。その後、やってきた二撃、三撃目は、紙一重の合気術によって重傷を避けたのだ。


「…………く、は」


 だが、重傷を避けたとは言え、満身創痍には違いない。

 人狼たち相手にあれほど無双を誇っていた賢悟が、今は、手も足も出ず、襤褸切れの如く弄ばれる始末だ。


「無茶だ、あんなの」


 鈴音は影から二人の戦いを観て、あまりの無常に絶望すら覚えた。

 羨んだ賢悟の強さでさえ、この世界では上が存在した。それも、文字通り格が違うような相手だ。

 恐らく、賢悟もあの力を手軽に手に入れたのではない、と鈴音は思っている。

 きっと長い修練と練磨の日々が、必要だったのだと。

 けれど、それでも届かない相手が存在することに、鈴音は恐怖を覚えた。


「無理に決まっているよ、逃げた方がいいよ」


 なにせ、賢悟と戦う異影牙は明らかに手を抜いている。さながら、じゃれつく子供をあやすかのような、そんな微笑ましさすら漂ってくる程の余裕があるのだ。構えこそしているものの、異影牙にとって、賢悟とのそれは、戦いと呼べるものですらないのかもしれない。


「くは、くははははっ! いいね、それでこそ、だ!」


 それを賢悟自身も分かっているはずだが、なお、賢悟は笑う。

 楽しくて、笑う。


「それでこそ! こっちの切り札を使う意味がある!」

「ほほう?」


 鮮血で彩られ、笑みを浮かべる賢悟。それを、異影牙はどこか、愉快そうに目を細めて眺めている。


「流転よ――――」


 賢悟は己の口の端から親指で血を拭った。ぐい、とジャージを腕まくりすると、左腕にはルイスによって記されたエンチャントの術式が。


「我に、風と活力を!」


 エンチャントの術式を破棄するように、賢悟はその上から拭った血で、線を引く。

 それは、ルイスによって付与されていた術式の発動を意味する行動。任意の動作と、口頭によるキーワードの詠唱。それにより、予め仕込まれていた魔術が発動する。

 魔力が無かろうとも、関係ない。

 ただ、行動を起こし、魔術発動の引き金を引くだけ……まさに、賢悟にうってつけな切り札というわけだ。


「くく、これは……単純に込められた魔力量だけならば、あの英雄にも匹敵するかもなぁ」


 発動した強化魔術。

 ルイスによって仕込まれた圧倒的な魔力が意味を為し、賢悟の肉体を強化していく。魔王と、正面から殴り合えるほどにまで。


「行くぜ、爺さん」


 宣誓と共に、賢悟は大地を蹴って風と成る。

 蹴り飛ばされた場所は、弾痕の如く抉れ、吹き飛ばされ。賢悟は、強化された肉体により、銃弾よりも早く、風を纏いて異影牙へと突撃した。

 先ほどとは比べ物にならない、拳だの量。そして、質。

 上級の魔物すら、一撃で仕留める打撃。

 さながら、それは嵐の如く異影牙へと襲い掛かる。


「――っ」


 異影牙は打撃を弾くよりも、両腕で頭を庇い、耐えることを選んだ。

 降り注ぐ拳打は、容赦なく異影牙の体へ叩きこまれ、穿とうとする。容赦など、手加減など、微塵も無い、賢悟の全力の攻撃。


「あぁああああああああああっ!!」


 雄叫びを上げ、ここで何としても仕留めるのだと、全力を振り絞る賢悟。

 この時点で、賢悟は分かっていたのだろう。

 なにせ、異影牙は師匠であるハルヨと同格の達人だ。戦うまでも無く、本能が教えてくれるほどに、実力差が開いた相手。

 ならば当然、ハルヨに試したことのある肉体強化による戦闘も、この攻撃も――――同じような結末を辿るのは、予想できていた。


「うん、見事だった」


 事実、次の瞬間、


「花丸をあげてもいいくらいにねぇ――――でも、まだまだ、未熟」


 嵐の如き賢悟の攻勢は、一陣の閃光によって打ち払われた。

 たった一撃だった。

 自身の術式によって強化された異影牙の、反撃の一撃。

 それが、数千、数万にも及ぶ賢悟の打撃を全て打ち払い、賢悟の腹部へ撃ちこまれたのである。


「――――かっ」


 肺の中の空気は当然、全て吐き出された。

 口内から飛び散る唾液と胃液には、赤く、血が混じっている。

 全身に溢れんばかりだった賢悟の活力は、たった一撃によって奪われた。


「無駄が多くて、荒すぎる。それじゃ、合格には出来ないねぇ」


 ずるり、と賢悟の体が崩れ落ちた。

 衝撃で相手を吹き飛ばしてしまうような、そんな無駄な力など、異影牙の一撃には存在しない。ただ、相手まで届き、相手を打倒しえるだけの威力。

 それだけを込められた閃光の一撃。


「チンピラのままじゃ、俺には勝てない、ってわけさ」


 つまり、たった一撃だけで、異影牙は賢悟との格の違いを証明してみせたのであった。



●●●



 純然たる実力差、というのが存在する。

 どのような奇策を用いたとしても、到底、足元にも及ばない相手に対して、使われることが多い言葉だ。

 まさしく、賢悟にとって今のこの状況に使われるのが相応しい。


「っつぁああああああああっ!!」


 体を蝕む痛みを無視して、賢悟は暴風が如き拳を振るう。


「――軽い」


 されど、その拳は異影牙には届かない。

 届いたとしても、意味を為さない。

 上級の魔物だとしても、問答無用に砕き、魔王相手にも通用する賢悟の拳。それが、異影牙には全く通じていないのだ。

 賢悟が放つ無数の拳を、全て異影牙が捌き切っているわけでは無い。

 ただ、純粋に――――魔力強化された異影牙の防御を、賢悟の拳が貫けていないのだ。


「何も乗せていない、ただ、凄いだけの空っぽの拳。だから、チンピラって呼ばれているんだよ、君」


 応酬として放たれる、閃光の如き異影牙の一撃。

 ただ、その一撃だけで数万の打撃がひっくり返される。ダメージレースにもならない。賢悟の攻撃は通用せず、異影牙の攻撃は一撃必殺の如し。

 二発目の直撃を受けた賢悟は、もはや満身創痍に近い物があった。


「……う、あ」


 意識とは関係なく、喉の奥から嗚咽が漏れる。

 手足が、勝手に震えて、まともに立つことも出来ない。それ以前に、視界が歪んで、まともに相手を見ることすら、今の賢悟には出来ていなかった。


「君の健闘に免じて、もう一人のお嬢さんには手を出させない。君に対しても、これ以上傷つける真似はしない。ただ、分かってくれるだけでいいのさ」


 そんな賢悟に対して、影で怯える鈴音に対して、異影牙は優しく語り掛ける。

 さながら、愛しい孫へを諭す好々爺のように。


「この世界には、どうしようもないことが存在していて…………戦うよりも、ちゃんと謝った方が身のためってことを、ねぇ?」


 それは、異影牙から賢悟たちに対する純粋な忠告だった。

 『マジック』の世界を長く生き、皇国で英雄の一人に数えられる異影牙だからこそ、告げた言葉だった。

 異影牙は、若さに身を任せて滅んで行った者たちを大勢知っている。

 敵わない相手に抗おうとして。

 己の意地を通そうとして。

 格好良く生きようとして、結局、無様に死んでいった者たちを知っている。

 そして、格好良く死んでしまった同胞も。


「要領よく生きなよ、若いの。死んでしまったら、何にもならねぇのさ」

「う、あ……」


 苦々しさを含んだ、異影牙の乾いた笑み。

 鈴音はそれを受けて、己の身の程を知った。

 老いた英雄が伝えようとしていることを、真正面から受け取ってしまい、己の傲慢を恥じたのである。

 結局、どれだけ力を求めたところで、上が居る。

 ならば、異影牙に言う通り、要領よく、無様であろうとも生き抜いた方がよっぽど利口なのではないか? と。


「笑わせんじゃねぇよ、クソ爺ぃ」


 その諦観を、利口な判断を、賢悟は血反吐の混じった言葉で否定した。


「要領よく生きる? 勝てない相手には、謝りましょう? おいおいおい、なんだそれは。なんだよ、そのゴミクズみたいな人生論」


 満身創痍のはずだった。

 賢悟の体は少なくとも、異影牙によって受けた二発の打撃によって、まともに動くことすら難しいダメージを負ったはずである。


「その場しのぎに生きられればいいのか? どんなに惨めでも、生き残れば勝ちってか? なんだよそれ。どんな負け犬の台詞だよ、おい」


 だが、賢悟の両足は震えることを止めた。枯れ果てたはずの活力が、魂の奥底から湧き上がり、鉛の如く重い体を立ち上がらせる。


「……驚いたねぇ? まだ動くのかい? いい加減、死ぬよ?」

「死ぬかよ、死ぬわけねぇだろうが、クソ爺」


 呆れ果てた、とばかりに肩を竦めた異影牙へ、賢悟が右拳を突き出す。


「俺が死ぬのは、俺の信念が折れた時だ。それは、今じゃない。あぁ、間違っても、今じゃない。ただ強いだけの爺に、俺は負けない」


 突き出した拳は、当然の如く、届かない。

 仮に遠当ての妙技を用いたとしても、異影牙へ賢悟の拳は届くことは無いだろう。

 されど、賢悟は挑むことを止めない。


「まずはよぉ、一発ぶん殴ってそれを証明してやる」

「――――はっ、吠えたな、小僧」


 賢悟が一歩踏み出し、次の瞬間には暴風へと成り果てる。

 拳を構えて、真っ直ぐ異影牙の元に駆けていく。

 距離を超越した、拳では無い。

 数を超越した、拳では無い。

 ただ、純粋なストレートパンチを異影牙に放つため、賢悟は愚直な突進を行う。


「がぁ!」


 迎え撃つは、咆哮と共に強化魔術を重ねた異影牙だ。

 先ほどまでですら、賢悟の拳を悉く弾いていた防御に、さらに上乗せする。もはや、今の異影牙を仕留めるのは、戦略規模の大魔術を直撃させたとしても至難だ。

 だが、それでも賢悟は正面からそれに殴り掛かった。


「おぉおお!!」


 雄叫びと共に、賢悟は右拳を振り抜く。

 真っすぐ、異影牙の正面腹を殴るために。体全ての発条を使い、もっとも効率的で美しい力の伝導が行われる。

 シンプル故に、その拳は空気の壁を突き破って、異影牙へと放たれた。


「単純なんだよ、小僧ぉ!」


 そして、シンプル故に、その軌道を読まれて受け止められる。

 片腕、片手。

 右腕、右手だけで、異影牙は賢悟の全力を受け止めた。


「青い、若い、未熟! だから、お前じゃ俺には勝てない」

「それは、お前が決めることじゃないだろ、老いぼれ」


 受け止めた、のだが…………賢悟の拳は止まらない。


「俺の限界は俺が決める。誰にも文句は言わせねぇ!」


 ゆっくりと、受け止めたはずの賢悟の拳は動き出す。じりじりと、力で劣るはずの賢悟が、異影牙の腕を押して行く。


「――テメェ」

「青い? 若い? 未熟? あぁ、上等だ。全部まとめて持ってきやがれ。そんな道理、俺の拳で全部終わらせてやる」


 ついに両腕、両の手で受ける異影牙だが――――それでも、止まらない。

 止まる、わけが無い。


「全部終わらせてから、それでやっと、俺とお前の喧嘩が始まるんだよ、異影牙!」

「――――が、あぁああああああああっ!」


 理屈では無いのだ。

 条理に当てはまる現象では無いのだ。

 異影牙の拳が一撃必殺ならば、賢悟の拳は一撃終幕。

 終わらせるべきことがあるのならば、それは条理を、法則を、世界を越えて届く。


「さぁ、これで一発だ」


 賢悟の拳は、異影牙の防御を全て超えて、突き刺さる。

 異影牙のように綺麗な一撃では無い。

 異影牙が吹き飛ぶ程度の無駄があって、荒々しい一撃。けれど、それは異影牙のそれに負けていない。


「お前は俺の拳が軽いと言ったな、異影牙? ならいいだろう、今から俺の拳には、俺の意地を乗せてやる。生憎、今の俺にはこれしか無くてな――――男の意地で、お前を殴ってやる」


 ぐい、と左腕で口元の血を拭い、賢悟は笑う。

 それは修羅の笑み。

 それは男の笑み。

 どうしようもない戦馬鹿が浮かべる、満面の笑顔だ。


「立てよ…………タイマン張ろうぜ、異影牙」


 くい、と左手で招き、異影牙を挑発する賢悟。


「…………く、は」


 殴り飛ばされた異影牙はしばし、放心していたが…………賢悟の挑発を受けて、笑みを浮かべた。大きな口を三日月の如く歪めて、笑う。


「上等だ! 田井中賢悟ぉ!!」


 喧嘩屋は己の意地を乗せて、老いた英雄は己の血を沸き立たせて。

 男二人の、最高に馬鹿らしい喧嘩が始まった。

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[一言] とても暑苦しい戦いが……
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