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第40話 四凶死人

 四凶死人しきょうしじん

 それはかつて、四人の化外に与えられた英雄としての称号だ。

 原初神が生存していた時代。

 アザー教によって、『皇国人』以外の種族が差別され、駆逐され、追いやられていた時代。

 四つの種族から、四人の英雄が生まれた。


 彼らは己を『死人』と定め、命を浪費するように国の圧制から民衆を救い続けた。国に正義が在るのならば、自分たちは悪でいい。正義に仇成す『凶』であれ。

 英雄たちはバラバラだった化外の種族を纏め、アザー教の勢力と拮抗するところまで盛り返した。そこで、王国の七英雄による神の討伐が起きる。

 信仰すべき神を殺された宗教ほど、脆い物は無い。

 一気呵成の如く四凶死人はアザー教の主力を排除。英雄である自身すらも使い捨てて、時に命と引き換えに和平を結んで。

 そして、現在の皇国における仮初の平和を築き上げたのであった。

 未だに化外に対する差別は消えない。

 されど、国全てが敵では無く、実力さえあれば皇帝からも認められる。

 未だに痣成す神を信仰する者たちが居る。

 それでも、皇国を左右するほど大勢では無い。

 かくして、四凶死人は皇国の人間からは――特に、化外と呼ばれる存在からは、まさしく救国の英雄なのだった。

 四人の英雄は全て、皇国のために命を使い切って死んだという説もある。

 あるいは、その子孫によって構成された、皇国に対する監視組織が存在するという都市伝説も。

 ただ、そんな荒唐無稽な語り話の中でも、もっとも有り得ないとされている説があった。

 それは――――――



●●●



 強制的な空間転移は、時として対象の意識を奪う時もある。

 空間を転移する際に視覚はもちろん、聴覚――――三半規管を揺らし、その際に気を失ってしまう者もあるのだ。

 ただ、幸いなことに鈴音は猫人族とヒューマンのハーフだ。猫族は立体的な高速移動を行うことが日常茶飯事だった種族なので、その血を引く鈴音も揺れや、環境の変化に強い。


「う、にゃぁああ…………」


 多少呻きつつも、鈴音は軽く頭を振って酔いを払う。


「よう、ご機嫌いかが?」


 ちなみに賢悟は普通に耐えていた。慣れに加えて、踏んだ場数が違うのだ。

 されど、その横顔に浮かぶ笑みは余裕を湛えた物ではない。


「えっと、お兄さん……ここは?」

「そうだな。『石の中に居る』よりはマシだろうが、どちらにせよ、よろしくない状況だな」


 けけけ、と笑うと賢悟は顎で周囲を見てみろ、と合図を出す。

 鈴音はその合図通りに、ゆっくりと視野を広げて、あたりを見回したのだが……そこに待ち受けて居た絶望に、声も出なかった。


「ヒューマンの女に、猫人族の少女だと……?」

「どうする?」

「どちらにせよ、我らの縄張りに入ったのだ」

「ああ、舐められてはいけない」

「例え不幸な事故だったとしても」

「五体満足で、ヒューマンを返すわけには」


 ぐるぅるるるる、という低い唸り声と共に鈴音と賢悟を囲む人影がいくつもある。

 彼らはヒューマンよりも一回り大きい体躯と、毛皮を持つ。さらに、大きな顎も、牙も、爪すら備えている。狼がそのまま巨大化して、二足歩行すればこんな感じだろうか? 彼らは皆、麻のような素材で出来た和装を着ていた。

 人狼族。

 王国風に表現するのであれば、ワーフルフのセリアンスロープ。

 ヒューマンよりも強靭な体躯と、鋭い嗅覚と聴覚を持つ種族。生身であれば、子供でも成人したヒューマンの男性を倒すほどの怪力を持つ。

 そんな者たちが、ざっと見渡す限りに二十人以上。

 誰もかれも、瞳に剣呑な色を湛えて、賢悟と鈴音の方を睨んでいた。


「ま、まずいよ、お兄さん……彼らは、人狼は縄張り意識がとても強い奴らなんだ。正式な入口じゃなくて、こんな入り方をすれば当然……」

「こういう手荒な歓迎が待っているってーわけか、なるほど」


 賢悟と鈴音の二人が転移した先は、不運なことに人狼たちが定例集会をやっていたど真ん中だったらしい。

 公民館のような共同施設に集まり、酒盛りをしながら今後について話し合っていた人狼たち。そんな中、突如として空間転移してきて、その余波で肴やら酒やらを壊しながら登場した二人アルコールも入っている所為もあるが、手荒な歓迎になってしまうのは仕方ないだろう。


「お、お兄さん、どうしよう? 謝ったら許してくれるかな? トリプルアクセル土下座を決めれば、ワンチャンあるかな?」

「落ち着け、鈴音」


 涙で耳打ちしてくる鈴音へ、賢悟は努めて冷静に言葉をかける。


「人間には言葉がある。誰しも人は違うから、すれ違いや誤解は起きてしまうかもしれない。けれど、対話をしようとする気持ちは捨ててはいけないと思うんだ」

「お兄さん! そんな邪悪な笑顔で言われても説得力が!」

「まぁ、見てろ」


 不安しか感じない鈴音であったが、賢悟は何故か自信満々に一歩踏み出す。


「動くな、ヒューマン!」

「怪しげな動きをすれば、即座に四肢を折る!」


 酒が入っていても、人狼たちの警戒心は薄れていない。

 妙な自信を漲らせて歩み寄る賢悟へ、鋭い爪を見せつけるように制止した。


「おいおい、落ち着けよお前等。いいか? お前らの目の前にいるのは、か弱い女が一人と、幼い子供が一人。そんなか弱い俺たちを、大人数で囲んでどうする? な? いいか? 悪いことをしたとは俺も思っているが、俺たちだって好きでここに転移してきたわけじゃ――」

「黙れェ!」


 ばしゃん、と人狼の一人が、賢悟へ盃に入っていた酒を浴びせかける。


「貴様らヒューマンはいつもそうだ! そのような顔をして取り入って……そして、易々と裏切る! 我ら祖先の恨み……たかが時が移ろいだぐらいで消えたかとおもったか!?」


 激昂して、牙を剥き出しに吠える人狼の男性。

 それに続いて、囲んでいた人狼たちもまた、同調するように吠える。


「騙されるものか!」

「どうせ、化外と馬鹿にしているのだろう!」

「一度でも許せば、貴様らは安々と踏み入ってくる!」


 非難に次ぐ、非難。

 それも無理はない。

 彼ら人狼族は、幼いころから四凶死人の英雄譚を聞いて育っている。即ちそれは、アザー教、ひいてはヒューマンたち悪行業を聞かされているということだ。

 小さい頃から憧れていた英雄たちの敵、それがヒューマン。

 外ならまだしも、縄張り内に無断でヒューマンが入ってくるのであれば、彼らが怒るのもおかしくは無い。

 だが、そうだとしても賢悟は笑っていた。


「くくく……そうか、そうか、なるほどなぁ」


 喉の奥を震わせて、楽しげに。


「いや、これは仕方がない。言葉での説得が不可能なら、違う手段で交流を図るしかないわけだな、うん」

「……お兄さん?」

「はっはっは、いいか、鈴音?」


 ごきり、と拳を鳴らすと、賢悟は野獣の如き笑みを浮かべたまま鈴音へ告げる。


「対話の道はまだ、閉ざされていない。ただ、言葉が通じなかっただけなんだ。となると、残された手段はたった一つ」


 そして、静かに拳を構えると悠然と言い放った。


「即ち、肉体言語だ!」

「結局暴力じゃん!」


 鈴音のツッコミを受けて、賢悟は嬉々として人狼たちへと駆けだした。駆け出しながら、小刻みに拳を振るい、容赦なく人狼たちを遠当てで殴っていく。


「な、なんだこいつは!?」

「魔術師か!?」

「くそ、であえ、であえ!」

「殺さなければ、手足の一本、二本は――――ぶべっ!?」


 人狼たちは摩訶不思議な賢悟の拳に戸惑いながらも、雄々しく吠えて立ち向かう。


「にゃ、にゃんだこれ……」


 鈴音が呆然と呟いた。

 何せ、ヒューマンの女性である賢悟が、人狼たち相手に大乱闘を始め――――そして、圧倒していたのだから。



●●●



 改めて言うのであれば、現在、賢悟の体はただの少女のそれに過ぎない。

 数か月前まではもやし同然の貧弱さを誇っていた、その肉体。それは、いくら賢悟が数か月かけて鍛錬を施したと言えど、限界がある。

 元々、ヒューマンは身体能力が高くない。

 人狼たちとまともに比べられないほどの差が存在している。

 故に、何の強化魔術も受けていない賢悟にとっては、この現状はまさしく絶体絶命の窮地であるはずだった。


「はははははははははぁっ!!」


 けれど、戦い始めて見れば圧倒しているのは賢悟の方だ。

 人狼たちが何かをする前に、賢悟はジャブを小刻みに振るって突き刺してく。距離を無視した遠当ての妙義。それは即ち、最少最速で放たれる急所への打撃の他ならない。

 自在に打撃を飛ばす賢悟の攻撃は、次々と人狼たちの意識を奪っていく。


「散れ! この女……恐らく気に通じた達人だ! 固まっていると、瞬く間に撃ち抜かれるぞ!」

「くっそ! まさか、長老と同じ類の化物かよ!」


 屋内で人狼の身体能力が活かせない事と、賢悟の小柄な体が有利に働いていた。

 人狼たち一人一人の身体能力は、賢悟を圧倒するだろう。しかし、それは全力を出し切った場合、だ。賢悟は初動の時点で、己の最高の一撃を叩きこんでいる。いかに貧弱なヒューマンの女から放たれた打撃と言えど、それが急所に、加えて正しい力の流れに乗って放たれているとあれば、威力は十分だった。


「どうした、どうしたぁ! テメェらの力はそんなもんかよ、犬っころどもぉ!! そこら辺の野犬の方が、まだ手ごわいぞ! くはははは!」


 野獣の笑みと共に、賢悟の口から哄笑が放たれている。

 美貌を歪ませ、喉から雄々しく声を上げる姿はまさしく修羅。血色に彩られた、美しい戦闘狂だ。


「なにあれこわい」


 一方、賢悟がご機嫌に暴れる様子を見て、鈴音はドン引きしていた。

 何せ身体能力が早々自分と変わらない――否、下手をすれば自分以下の賢悟が、人狼たちを次々と殴り倒しているのだ。

 しかも、明らかに空間が離れたところで振るわれた拳で、複数人の人狼が倒れている。おまけに、魔力を使った痕跡は一切ない。

 条理の外れた出来事が、次々と鈴音の目の前で起こっている。


「…………にゃんだあれ、ずるいよ」


 そんな規格外の存在に、強さに、鈴音の胸が焦げ付くような痛みを得た。

 力が欲しい。

 それは、鈴音がもっと幼いころから――――施設で苛められていた時から、ずっと胸の奥に隠していた欲望だ。

 他を圧倒する力。

 不愉快な存在を殴り飛ばせるだけの実力。

 それさえあれば、どれだけ自分の人生は楽になっただろうか? 少なくとも、ケチなスリとして生きなくても、施設を逃げるように出なくても、もっと別な人生があったかもしれない。

 例えば、賢悟のように、文句を言う誰かを殴っていたら、何かが変わっていただろうか?


「ずるいなぁ」


 再度、鈴音は羨望と嫉妬が混じった言葉を繰り返す。

 きっと賢悟は、この場を圧倒的な暴力で制するのだろう。そういう、なんでも力でねじ伏せてしまえる強者なのだろう。

 そんな風に、半場己の弱さを諦めるように鈴音は薄く笑って――――次の瞬間、その笑みが凍り付いた。


「はっ、ようやくお出ましかよ」


 賢悟笑い、それとは対照的に人狼たちの表情が青ざめて行く。


「…………この気配はまさか」

「長老に気付かれて――――」


 波打つように動揺が広がっていく人狼たち。

 そんな人狼たちの一人の肩に、ぽん、と白毛混じりの人狼の手が置かれた。


「あー、どうしたの、若い君たち。おじさんにちょっと、お話してみなさい?」


 そこに居たのは、小柄な人狼だった。

 毛並も衰え、茶と白がまだらに混じった毛皮は、隠し切れない老いを表している。他の人狼に比べれば、その身に付いた筋肉など無いような物で、まるで枯れ木のようだ。安っぽい甚平を着て、ぼりぼりと頭を掻く姿には威厳は欠片も無い。


「ひ、ひぃっ! ちょ、長老! これは、その!」


 されど、筋骨隆々の若い人狼は、その老いた人狼に怯えていた。

 悪戯っ子が悪さをしていた所を、親に見つかった――――なんて物じゃない。コソ泥が、地獄で閻魔大王に舌を引き抜かれる寸前、という表現が一番近しい。


「あのさ、おじさんさ。こういう事態になった時、真っ先におじさんに知らせるように、って言ってたよね?」

「それは、その…………」

「言ってたんだけどなぁ」


 軽い口調に、柔らかな笑み。

 叱ると言うよりは、注意するような程度。

 恐れるようなことは何もない――――言葉の最中、無情な打撃音と悲鳴が挟まれていなければ。


「困るんだよね、こういうの。だってほら、おじさんは長老なわけだし? ちゃんと指示を仰いでもらわないと、輪が乱れちゃうじゃん?」

「は、はひ……」


 老いた人狼は傍目から見れば、何もしていないようにも見える。

 けれど、それは間違いだ。その老いた人狼は、残像すら残らないほどの速さで、次々と若い人狼たちを打撃し、倒していたのだから。

 逃げようとする者も、諦めて罰を待つ者も、等しくその拳は殴り飛ばす。

 そして最後に、


「それじゃ、今度から気を付けるようにね、ほんと」


 言葉をかけていた人狼の青年を殴り飛ばした。

 容赦なく、されど過不足なく、正しく罰したかのように。


「…………あー、お嬢さんたち。みっともないところを見せてしまって申し訳ないねぇ? この若い衆たちは、どーにも好戦的でね? ちゃんと指導しているだけど、やっぱり、血の気は定期的に抜いておかないとねー? ははははは」


 好々爺の如き口調で、賢悟と鈴音に話しかける老いた人狼。

 だが、言葉を掛けられた両者の表情に、安堵の色は無い。

 鈴音は怯えるように目を逸らし、賢悟は口の端を吊り上げて歓迎する。


「いやいや、別に俺は構わねーよ? これでも喧嘩屋で通ってたからな? そういう滾る血潮みたいなの、わかるからさ」

「おや、別嬪さんなのに怖いこと言うねぇ?」

「爺さんほどじゃねーさ」

「「はははははははは」」


 賢悟と老いた人狼は互いに笑い合い、その後、両者の間で破裂音が数度響いた。


「んで、舐められっぱなしという訳には行かない、だろう?」


 いつの間にか、賢悟は両の拳を構えて老いた人狼と相対していた。


「ヤクザな性分でね? なに、痛くはせずに一瞬で終わらせるからさー。はは、本当にごめんねぇ?」


 老いた人狼は飄々と頬を掻き、苦笑していた。構えすら、していない。

 故に、距離を取ったのも、賢悟だ。老いた人狼は間合いも何も、頓着せず、ただあるがままにそこに佇んでいるだけ。

 それだけが、ただ、賢悟には恐ろしい。

 飄々とした態度の奥底に沈められた、計り知れない実力を想起するだけで、拳が震えてしまう――――もちろん、武者震いの方で。


「俺は田井中賢悟。ご覧の通りのチンピラだ――――さぁ、名乗れよ爺さん」


 賢悟は名乗りを上げると、挑発するように中指を立てて笑って見せる。

 老いた人狼は、そんな賢悟の名乗りを受けて、愉快そうに呟く。


「くくく………青いねぇ」


 何かを懐かしむようにひとしきり笑った後、老いた人狼は『構えた』。

 左腕を前に出し、右腕を引き、足回りは軽く体が揺らぐように動かして。


「おじさん――いや、俺は柳生やぎゅう 異影牙いえいが。ご覧の通りの、ただの老いぼれだよ、クソガキ」


 二人の修羅は、火蓋を切って落とし……闘争を始めた。



 四凶死人。

 四人の英雄。

 その内の三人は、皇国のために己の身を礎にした。

 だが、最後の一人は先に逝った三人の遺志を託され、死にぞこなってしまう。この国の行く末を見守ってくれ、という願いを叶えるために。

 生きて、生きて、生きて、気付くと英雄はただの老いた爺になっていた。

 いつの間にか、過去の英雄は全て死んだことになっていて……それでもいいと思えるほどに、その英雄は長く生きたのである。

 

 英雄の名前は、柳生異影牙。

 かつて、原初の神と戦い――――七英雄以外で唯一、その神威を退けた存在だ。

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[一言] なんか勝負に水差されそうな気がする
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