第3話 学園と決闘
思い出すという行為は非常に大切なことだ。
それは過去を確認するということなのだから。未来に進むため、現在の存在を安定させるため、思い出すという行為は非常に大切である。
特に、現在の賢悟にとっては思い出す行為は、さらに重要度が増していた。
なにせ、肉体と魂が食い違っているのだ。己が己である証明は、過去を思い出すことでしか得られず、仮に記憶をすべて失ってしまったら、もう賢悟が賢悟である証明をすることが出来なくなってしまう。
加えて、賢悟がこの異世界……『マジック』と呼ばれている魔法世界で生きていくには、エリの記憶を思い出さなければならない。
エリと賢悟の肉体交換は、己の魂と精神をそっくりと入れ替えてしまう、悪魔でしかできない御業であり、大魔術だ。交換した先の肉体に魂を定着させるため、脳を弄って精神と記憶の安定を維持する方法など、人間には到底不可能である。つまり、エリの肉体には悪魔によって刻まれた賢悟の記憶と、賢悟の魂が宿っている。だが、元々存在していたエリの記憶が無くなったわけではないのだ。
賢悟の記憶が浮上しやすいように調整しているだけで、何かきっかけがあれば、エリの記憶もすぐに喚起される。無意識下なら既に、エリの記憶が賢悟の日常生活を自動的に助けている。例えば、肉体に染みついた日常動作や、言語などだ。エリの肉体が無意識化で保護しているからこそ、賢悟は異世界でもナチュラルに言語を扱うことができ、勝手が違う他人の肉体を自然に扱うことが出来るのだ。
だから、さっそく賢悟は思い出してみることにした。
「その悪性ごと灰塵に還りなさい……エリ・アルレシア!」
目の前には巨大な、異形の右手を象る紅蓮の劫火。
操るは金髪を熱風でなびかせた、美しき令嬢。
ただし、その敵意は眼前の賢悟に向けられている。
さて、一体どうしてこんな状況になったのか? 思い出してみよう。
●●●
「学校に行こうと思うんだが」
賢悟がそう言った瞬間、部屋の掃除をしていたリリーは、思わず手に持っていた箒を落としてしまった。
「……今、なんと?」
「だから学校行こうと思うんだよ。思い出した。エリは元々学校に通っていたが、学校で得られる知識は全て吸収したとかなんとか言って、自主的に休学したんだろ? 問題を起こした結果としての休学じゃないなら、復学も難しくないだろ?」
「…………マジですか」
「何がそこまでリリーを驚かせているんだよ?」
賢悟が住んでいるアルレシアの屋敷は、王都に存在する。
王都は文字通り、王国の中心都市だ。巨大な大陸一つを統一した覇王『クロウ・ハン』という偉大なる王が生まれた土地に加えて、中心都市を作るのにちょうどいい立地だったので、ただの農村を開拓し、王都となったのだ。それが現在から数百年前の出来事であり、それから現在まで、覇王の子孫である、王族『ハン』たちが長く王都で君臨している。
ちなみに、王国に名前は無い。なぜなら、この世界のどこを探しても、王国と名付けられている国は、『ハン』が君臨する国一つのみなのだから、必要ないのだ。それでも、『ハン』たちが仮に自らの国に名前を付けるとしたら、満場一致で『クロウ』と覇王の名を冠することだけは確かだ。
「まだ賢悟様は思い出していないでしょうが…………エリ様実は、学校でかなり嫌われていまして」
「まぁ、それは言わなくても予想が付いている」
「在学生一万人以上のマンモス校に通われていたのに、その半数から嫌われ、残りの半数からは恐れられていました」
「さすがにそこまでとは思っていなかった」
エリが通っていた学校は王立エルメキドン学園という、超マンモス校である。文系から理系まで、あらゆる学問に精通した教師たちが揃えられており、小学生から大学の院生まで、あらゆる方向で学ぶ者のニーズに応えている。エルメキドン学園の卒業生は、数多くの優良企業から引っ張りだこという評判だ。
「エリ様が休学したものも、確かに自主的でしたが……生徒会や生徒たちの義勇軍との争いが面倒だったからという理由でもあります」
「え? ひょっとして味方一人もいない感じか?」
「残念ながら、私はメイドの業務がありましたので……学園には通えないのです」
「マジかー」
どうやら、エリは友達が一人もいないボッチだったようだ。しかも、ボッチはボッチでも、周りに積極的に迷惑をかけていく災厄なタイプだったらしい。それは嫌われて当然というか、好かれる要素が一つも無いだろう。
「以前はエリ様の絶大な魔力と、大魔術を軽々と扱えるほどの技量があったからこそ、悠々と学園に通われていたのですが…………今は、悪魔との契約で、魔力が全て失われています」
「つまり?」
「イジメどころじゃなくて、リンチに遭いますよ?」
針の筵どころでは無く、全生徒がリアルに針を突きさしてくるような物だった。それほどまでに、エリという存在は忌み嫌われており、願わくば排除したい存在だという。
「マジか……そこまで嫌われているとか、何したんだよ、お前の主」
「人には言えないようなことです。いずれ思い出しますし、胸糞悪い思いは出来るだけ後回しにした方がよろしいかと」
「そんなレベルか」
ぶっちゃけドン引きの賢悟だった。
「まぁ、でも行くわ、学校」
「…………失礼ですが、話は聞いておられましたか? 賢悟様」
無表情のまま、淡々と問うリリーに対して、賢悟は当然の如く言葉を返す。
「聞いた上での判断だ、リリー。ここで屋敷に閉じこもっているより学園で生活していた方が刺激があるし、記憶を思い出す機会が多い。未だ忘却されている魔術の知識が蘇れば、『東の魔女』に繋がる何かが得られるかもしれねぇ」
『東の魔女』。
呪術を極めた魔女。
東西南北に存在し、戦争を封殺している世界管理人の一人だ。
その素性を知る者は少なく、常に東方を転々と旅しているという噂なので、所在すら掴めない。エリの記憶で『東の魔女』が姿を現した時も、全身をフードで隠していた。
「時は有限なんだ。俺の場合は残りも少ない。多少のリスクがあろうが、このままじっとしていても死ぬだけだからな……それに」
にぃ、と賢悟は笑みを作った。美少女の容貌をしているという点を差し引いても、狂気すら感じる凶悪な笑みだった。
「周りが全員敵って環境は、悪くない。この体での喧嘩の仕方も、試しておかないといけないからなぁ」
「理解されていると思いますが、エリ様の肉体は貧弱ですよ?」
「知っているが、問題ない。学生全員が武闘派ってわけでもねーだろ? なら、どうにでもやりようがあるぜ」
それは己への過信だろうか? 自惚れだろうか? リリーには賢悟の意思は判別できない。判別できるほど共に時を重ねていないのだから。
「…………では、念のためにこれをお持ちください」
故にリリーは保険として、賢悟へ赤く輝く宝石を手渡した。
「ん? なんだこれ……って、あぁ、あぁ、思い出した。魔力石か」
「大魔術一発分の魔力が込められております。魔力を小出しすることは可能ですが、再充電するためには、魔力ある者に頼まなければならないのでご注意を」
「うーい」
笑顔で受け取る賢悟だが、魔術を使うつもりは更々なしである。というか、リリーには言っていないことだが、賢悟は薄々理解していたのである。
魔力の有無に関係なく、自分では魔術を使えないということに。
●●●
王都の光景を賢悟の記憶で表現するのなら、こう例えるだろう。そう、まるでニューヨークのような都会だ、と。
ファンタジー世界と聞いて創造するのは、石造りの家々に、堅牢な城。後は、石畳の道路など、主に中世ヨーロッパ風味であることが多い。だが、この世界『マジック』は魔法を基盤とした文明だとしても、そのレベルは賢悟の現代世界――『サイエンス』と比肩する。
魔力仕掛けの車が、アスファルトのような物で舗装された道路を走り、高層ビル群が、空を狭めるようにそびえ立っている。ただ、道行く人はさすがファンタジーと言ったところか、獣耳や尻尾が付いた者や、ほぼ二足歩行する狼――あるいは、スライムのように体が粘液体の者も居た。人種、と言い切っていいのか不明だが、多種多様な存在がこの王都では暮らしている。
そんな王都の一角を占めている施設が、エルメキドン学園だ。
「…………見た目は普通の大学なんだけどな」
賢悟の感想通り、学園の外装は現代日本に多数存在する大学と似たような造りになっていた。広い敷地に、道路を敷いて、様々な施設が乱立してある。
その中で目を引くのが、多くの生徒を収容する校舎である。校舎は白亜で、装飾も少なく、さながら巨大な教会のような、そんな厳かな雰囲気すらあった。
「迷わなきゃいいんだけどな、っと」
賢悟はスポーツバックの中から、学生証を取り出して校門前まで歩いていく。門の前には衛兵と思わしき、軍服姿の屈強な男が二人、直立不動で警護していた。きちんと身分を証明できるものでなければ、正々堂々入ることは難しそうである。
「まぁ、今日は我慢して制服を着て来たし、大丈夫だろ」
久しぶりの登校という点もあり、仕方なく賢悟はリリーの進められるままに女子制服を着ていた。学園では一応制服は支給されているが、着用の義務はない。ただ、学校行事では着ることを推奨されているぐらいだ。
だが、久しぶりの登校をジャージ姿で、しかもざっくばらんなショートカット。それでは、以前のエリと比べて明らかに違い過ぎ、『こいつ狂ったな』と思われても仕方ない。なので、できるだけ不審に思われないように賢悟は注意してきたつもりだったのだが。
「………………エリ・アルレシアか。本人確認はできた、入れ」
「はい、ありがとうございます」
衛兵が苦虫を噛み潰したかのような渋面で、賢悟を通す。その表情に、やはり嫌われているのだな、と実感しながら賢悟は猫を被っていた。
家でもそうだが、学園でも賢悟は己の正体を隠さなければならない。
なぜなら、賢悟の魂は『異世界人』だからである。悪魔召喚や肉体交換は王国の大禁忌であり、それを行ったエリは重い処罰を与えられる。だが、その肉体に宿った魂は『異世界人』であり、被害者であることから、そうひどい扱いは受けない。
むしろ、逆だった。
とある事情から、賢悟の魂は王都に、いや、この『マジック』全てに歓迎されるだろう。そして、使い潰されてしまう可能性があるのだ。
だから、エリ・アルレシアの肉体に、異世界人、田井中賢悟の魂が入っていることは隠匿しなければならない。何より、賢悟の命のために。
「明かすとしてもそれは最終手段だな。タイムリミットが近づいてきて、本当にやばくなったら、王国と交渉するしかない」
素直に王国へ、己の存在を証明すれば、あるいは命だけは助かるかもしれない。だが、それは本当に最終手段なのだ。さすがに若干、孤独主義が入っている賢悟でも、己が原因で世界中に戦乱の種はばら撒きたくなかった。
「そんなわけで、こそこそ動いて情報を集めなきゃいけないわけだが……」
賢悟は思考を切り替え、現在の状況を確認する。
そう、賢悟は出来るだけ目立たず行動しなければならないはずだ、それなのに。
「うわぁあああああああああっ! エリだ! エリ・アルレシアが出たぞぉおおおお!」
「いやぁあああああああ! 助けて! 誰か、助けて!」
「生徒会! 生徒会を呼べェ!」
「うへへへ、あいつはエリじゃないエリじゃないエリじゃない! だって、髪が短いもん! そう言っておくれよ、精霊様ぁ!」
「逃げろ、逃げろ! 早く逃げるんだよ!」
賢悟が学内に入ってからわずか数分で、学園内は大混乱に陥っていた。
さながら、平和な日常に怪獣でも現れたかのような騒ぎである。多少騒ぎになるだろう、とか、視線を集めてこそこそ噂されるだろう、ぐらいに予想していた賢悟だったが、こんな大パニックになるとは想定していなかった。
「エリ、テメェどんだけだよ……」
会ったことすらない肉体の持ち主に、ドン引きする賢悟。
地元の不良高校で恐れられていた賢悟でも、こう露骨に反応されることなどなかったというのに。
「うえぇえええええ! 待ってよぅ、待ってよぅ、みんなぁ!」
「おう?」
見ると、賢悟の周囲からどんどん人が波のように引いて行っているにも関わらず、一人だけ取り残されている少女が居た。どうやら、足を挫いたらしい。外見は幼い少女にしか見えないが、耳が尖っているのでエルフだろうと、反射的にエリの記憶が判別。見た目幼女でも、実は百歳超えをしているかもしれないが、どの道、エルフの外見は精神年齢と同じぐらいなので、幼女に接する態度で別に構わないという結論だ。
「あー、驚かせて悪かったな……じゃなくて、すみませんでした」
故に、子供や小動物には割と優しい系不良だった賢悟は、足を挫いてしまったエルフの少女を助けようと手を差し伸べるのだが。
「いやぁあああああっ!? やめて!? エルフの血肉で妙薬が出来るなんて古い迷信なんです! だから、だから…………あっ、あっ…………」
「…………あー」
エルフの少女は賢悟が近づくと、白目を剥いて気絶してしまった。おまけに、口から泡を吹き、失禁もしている。賢悟に悪気は無かったとしても、このエルフの少女は乙女として致命傷を受けてしまったのだ。
「なんで神話生物みたいな扱いになってんだよ」
視認したら人の正気を失わせ、近づいたら気絶するとか、どれだけエリは悪行を働いてきたのであろうかと、賢悟は不安になってきた。ひょっとしたら、人の一人や二人は闇に葬っているかもしれない。
「――そこまでよ! エリ・アルレシア! これ以上の悪行は私が許さないわ!」
「おう?」
エルフの少女の処遇に悩んでいた賢悟だったが、そこへ、まるで正義の味方のように一人の少女が姿を現した。
腰まで届く金のロングヘアーに、同色の獣耳。揺るがない意思を感じさせる青い目。将来性をまったく感じさせない大平原の胸。そして、纏う制服に付けた『風紀委員』の腕章が、この場の役割を証明していた。
レベッカ・アヴァロン。
その容姿を見た瞬間に、弾かれるようにエリの記憶からこの名前が導き出された。
「私たち風紀委員との戦いの果てに、学園から追放された貴方が今更何の用?」
「え、いや、あの……」
追放されていたのかよ、と賢悟はエリの記憶にツッコミを入れる。エリの記憶では、穏便に休学したとあったはずだが。
「しかも、罪のない学生を泣かせて、挙句の果てにはこんな仕打ちまで……」
「勝手に泣いて、勝手にそうなったのですが」
「黙りにゃ……なさい!」
感情が昂ぶるあまり、言葉を噛むレベッカ。
エリの記憶によれば、文武両道の上、現代では使い手の少なくなった『実践的戦闘魔術』の使い手らしいのだが、こういう抜けているところがいくつかあるようだ。
「私は忘れていないわ! 以前、エルフの少女たちを強制的に監禁して、彼女たちに非人道的な実験を施したことを! 私の友人は今でも、その所為で精神病院に入っているのよ!」
「なにそれ、外道過ぎるな」
「貴方の事よぉ!」
エリが行った非道に、思わず素に戻ってしまった賢悟だった。
「とにかく! 貴方の存在を私は認めない! 今すぐこの学園から去りなさい! さもなくば、私が命を賭けてでも貴方を倒すわ!」
「…………はぁ」
いきなりな言われようだが、間違いなく悪いのはエリの方であると、賢悟は理解していた。恐らく、こう言われても仕方ないような、あるいは、まだ温いような悪行を、この肉体は犯してきたのだと。
だが、それはそれとして、賢悟としては学園で調べることがある。命に関わることだ。今更譲れない。
というより――――ここで引くような、賢い判断の出来る男ではなかったのだ、賢悟という不良少年は。
「つまり、俺……私が学園に入るには貴方を倒せばよろしいので?」
「ふん! 余裕ぶっても無駄よ! 貴方が大魔術の失敗で魔力をほとんど失ったことは、アルレシア家の力で隠匿されているようだけど……忘れてないかしら? これでも私、公爵家の娘なの……色々ツテがあるにょ……のよ!」
つまり、レベッカはかなりのお嬢様ということだ。
当然、賢悟にも殴ったらまずいことになると言う認識はある。ある、のだが、
「ごちゃごちゃうるさいですよ。戦うのなら、さっさとかかってきなさい」
「――なっ」
売られた喧嘩は格安で買いたたく主義だ。
例え女の体になろうが、その心意気だけは変わることは無い。否、体が変わったからこそ、魂に刻まれている本能に従うのだ。
「ふふふ……いいわ、泣いて謝るにゃら勘弁してあげにゃいこともにゃかったのに!」
「噛みすぎだろ」
「うるさぁい!」
きっ、とレベッカは賢悟を睨み、宣言する。
「私と決闘しなさい、エリ・アルレシア! 己の誇りを賭けて!」
こうして、賢悟は登校早々に決闘することになったのである。