第38話 魔女の行方
龍雅 絶武は十二神将と呼ばれる英雄の一人である。
種族は鬼人。王国風に言い換えるのならば、オーガ。
赤銅色の肌に、ヒューマンよりも一回りも大きな体躯。さらに、頭部から生えた雄々しい角。これこそが、鬼人の象徴であり、誇りともされている。
絶武は、そんな鬼人たちの中でも群を抜いて巨大であり、本来一本であるはずの角が二つ生えている規格外の存在だった。
小賢しい技など不要。
魔術ならば、全身に魔力をたぎらせて弾く。
腕力ならば、鼻で笑って殴り飛ばしてやろう。
並み居るオーガ族の中でも、怪力無双を誇った絶武は、必然と九頭竜学園へと進む。そこで、優秀な成績を収めて卒業。さらには、アザー教の狂信者たちによる『化外』の虐殺計画を未然に防ぎ、多くの同胞たちを救っていた。
その他にも、絶武は英雄に相応しい偉業を数々と成し遂げ、その果てに、皇帝から一つの栄誉を授かったのである。
それは即ち、十二神将の位。
そして――――今は亡き神の遺骸を用いた、超魔導兵器。通称、神器と呼ばれる物の一つを与えられたのである。
賞与というよりは、むしろ、神器の『守護』を目的とした贈与に近い物であったが、それでも絶武はそれを誇らしく思えた。
己の祖先である『化外』――否、鬼人族の同胞を苦しめた神の一部をこの手で封印しているのだ。
まさしく、英雄に相応しい所業。
英雄の名に相応しい重責。
背負わされた重責は、絶武によっては逆に心地よく感じた。彼は、軽々しい物よりも、重い物ほど価値を見出す性格らしい。
故に、絶武が英雄と成り、その後鬼人族を総べる頭領に就いたのは必然の流れだった。
基本的に鬼人族の価値観では、強い者ほど偉い、というシンプルな物で。率直に言うならば、弱肉強食を地で行く蛮族スタイルなのである。
さらに、現代においても頑なに街での生活を拒み、山や森。自然と一体となった生活を好むので、うっかり旅人から人型の魔物と間違えられることもしばしばあるのだった。
だから絶武は、その青年はそういう類の旅人だと思っていたのである。
「龍雅絶武様ですね? 失礼ですが――――お命頂戴いたします」
ふらりとやってきた着流しの青年に、同族の鬼人たちが斬り殺されるまでは。
「貴様…………アザー教からの刺客か!? いや、どうでもいい。我が同胞に手を掛けたからには、生きては返さん」
その青年は、へらりとした笑みを浮かべた優男だった。
腰に刀は下げているものの、それが壊滅的に似合わない。戦いなど、まるで縁が無いような、そんな穏やかな空気を纏っていた。
だから、鬼人たちは例え相手がヒューマンだとしても、比較的和やかな口調で警告したのである。ここは我ら鬼人族の山である。申し訳ないが、立ち入るのには頭領の許可が必要だと。
警告に対する答えは、銀光の一閃だった。
ヒューマンよりも一回り大きく、頑強であるはずの鬼人たちが、青年が刀を振るうたびに切り裂かれ、倒されてしまう。さながら、庭先に生えた草木でも払うかのような無造作で。
当然、鬼人たちもただ殺されるだけでは無かったのだが…………彼らの攻撃は全て青年に見切られ、全て紙一重で回避されていた。
けれお、その虐殺を以てしてもなお、青年の着流しには血液が一滴たりとも付着していない。
数十を超える数を斬ってなお、纏う空気は穏やかだ。
異質だった。
人を殺しておいて、そのような空気を纏う者こそ、異質であり、異端であり、忌避すべき殺人者であった。
「…………起動せよ、【粉砕凌駕の鬼手】よ!」
数々の戦場を経験した絶武の観察眼が、青年の異質さを見抜いた。
だからこそ、本来封印しているはずの神器を、躊躇わず解き放ったのである。
【粉砕凌駕の鬼手】と呼ばれる神器。
その正体は、右の腕を肩から指の先まで、極小の粒子によって武装する形成武装だ。形状は真紅の手甲。鮮血よりも鮮やかで、燃える炎よりも、紅い。
「なるほど、それが」
青年は形成された神器を見ると、感心したように頷く。
だが、それだけだ。本来であれば、溢れ出る魔力と神器が発する威圧によって怯むはずだったのだが、どうにも青年に対してそのような物は通じないらしい。
青年は油断なく刀を納刀。居合と呼ばれる構えへと移行する。
「――はっ! 愚かな!」
その青年の構えで、絶武は己の勝利を確信した。
まず、一つ。
鬼人であり、その中で群を抜く絶武の運動能力はヒューマンを圧倒する。それこそ、直線で短時間に限るのならば、音速を突破するほど速さを出すことも可能だ。音よりも早い一撃は、ヒューマンが指先一つ動かす間に、致命傷を与えるだろう。
そして、二つ目。
絶武が起動させた神器、【粉砕凌駕の鬼手】の権能は、『絶対破壊』である。
どれだけ頑強であろうが、幾重にも魔術防壁を紡ごうが、その神器の前では意味を為さない。等しく、一握の砂の如く、触れただけでマナへと還元されてしまうのだ。
つまり、先手が取れる上に、絶対防御不可能の攻撃を放てるのならば、負けは無い。
単純な理論だった。
「脈動闊歩」
ただ、単純な勝利への理論は、やはり単純な手法によって覆される。
絶武が気づいた瞬間には、既に青年は絶武のすぐ傍に佇んでいた。絶武はまだ移動していない。一歩目を踏み出した瞬間だ。
意識の間隙を縫うが如き、歩法。
それは、達人だけに許される最小限の無駄のない動き。煙のようにふわりと、そよ風のように密やかに、されど、研ぎ澄まされた刃の如く鋭く。
一瞬にして、最高速に至るための肉体駆動の術。
「―――っ」
絶武は反応できない、体が硬直している。
いくら音速を突破する動きが可能でも、その前段階には必ずためが必要となるからだ。それは一秒か? それとも、もっと少ないだろうか? けれど、どちらにせよもう関係ない。
「斬り捨て御免」
短く告げられたのは、絶対的な死刑宣告。
たった一閃。
絶武が音速に至る前に放たれた、達人による最高速の一刀。それによって既に、絶武の命は奪われていたのだった。
屈強な肉体は紙切れの如く。
幾重にも重ねられた魔術防壁だろうとも、その研ぎ澄まされた一閃は切り裂いた。
「が、あ……」
絶武のうめき声と共に、ゆっくりと鮮血が吹き出し、舞い始める。
赤銅色の胴体が、袈裟型に切り裂かれ、とめどなく、噴水の如く鮮やかな赤が。
「やれ、やはり新参の英雄では斬りごたえが無く、残念でした」
青年は鮮血が舞うよりも早く、さらに一刀。
絶武の右腕を軽々と斬り飛ばし、それをひょいと拾って小脇に抱えた。
「次は、もっと斬りごたえのある方がいいですねぇ」
語る言葉は剣呑で。
けれど、相も変わらず、ふわふわとした温かな空気を纏う青年――『剣士』。
彼は鬼人たちの怒声や、悲鳴が飛び交う地獄絵図の中で呟く。
「あぁ――我が神よ。どうか、どうかこの未熟な俺に、七難八苦を与えたまえ」
その様子はさながら、果て無き道を行く修行僧のようでもあった。
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「妹が出来た。これからよろしく」
「……よ、よろしくお願いします?」
賢悟は、何故か胸を張って堂々と。
その背に隠れるようにして、あるいは、自分でもまだよく事態を飲み込めていないのか、首を傾げて。鈴音はおずおずと礼をする。
追走劇から帰ってきた賢悟は、喫茶店で待機している仲間たちを見つけると、間髪入れずに鈴音の紹介をした。それはもう、勝手に個人行動を取ったことを謝るよりも先に。何よりもまず報告しなければ、という賢悟の強い意思を感じた。
具体的な例を出すならば、サンタクロースからプレゼントを貰った子供が母親に、『お母さん! サンタさんが来てくれたよ!』と意気揚々と報告するような物だ。
つまり、賢悟は多少なりとも浮かれていたのである。
「…………えー、控えめに言っても、馬鹿だよ、賢悟君……」
「おう? んだよ、太郎。いきなり人を馬鹿呼ばわりとは、常識が無いな?」
「いきなりスリの子供を妹にする君には負けるよ」
うめき声を上げ、項垂れるように頭を抱える太郎。
いきなりの単独行動ならまだしも、何故、その後、よりにもよって予想のつかない行動をするのだろうか? 太郎は一度賢悟とちゃんと話し合いたいと思ったが、残念なことに、今は時間が無い。
本来ならば、他国の人間をいきなり妹にするとか抜かす馬鹿リーダーにガチ説教を入れたいのだが、今は『東の魔女』の行方を追う方が先決である。
「分かった、とりあえずその猫人の子供だけど…………えっと、鈴音さんだっけ?」
「あ、はい。まぁ」
太郎の問いかけに、鈴音は歯切れ悪く答えた。
鈴音としては、自らが言いだしたことが本当になって絶賛困惑中なのだ。まさか、賢悟が本当に、しかも本格的に責任を持って養うスタンスに持って行くとは思わなかったのだ。
なので、鈴音はぶっちゃけ、ここで解放されてもそれはそれで良い――むしろ、安心できる展開なのだが、
「君はとりあえず、暫定妹ということにしておくから。まだ正式な手続きもしてないしね」
太郎の口調はなにやら、現実味を帯びて鈴音を妹にするような方向性が感じられた。
「あ、あの……多分、私。その、戸籍が無いというか、なんというか」
「はいはい、それは後で偽装するから、何か好きな物を頼んで、静かにしていてね」
「偽装ってなんだ!?」
さらりととんでもないことを抜かす太郎だったが、その表情を鈴音が伺うことは出来ない。なぜなら賢悟も含めたパーティは全員偽装魔導具の効果範囲中。どれだけ鈴音が目を凝らそうとも、そこから得られるのは偽装された情報だけなのだから。
「俺はとりあえず、抹茶クレープと、ココアだな。鈴音は?」
「ああもう、なんかナチュラルに勧めてくるし…………白玉あんみつで」
賢悟のノリに流され、仕方なく鈴音は注文した。
何かを話そうにも、鈴音は賢悟の仲間たちが何やら急いでいることを空気で察している。なので、これから鈴音が出来ることは、ただ甘味を味わうだけである。
「君たちもそれでいいかい?」
とりあえず、鈴音が大人しくなったことを確認した太郎は、残りのメンバーにも確認を取る。
「おっけー! いきなり部外者が増えてびっくりだけど、私はもう賢悟の馬鹿っぷりにはなれたしね」
ルイスは学園内でも賢悟と付き合っているので、この程度のイレギュラーは慣れっこらしい。
「…………私としては、賢悟様のお考えに従うまでです」
リリーは粛々と、礼をするのみ。
ただ、内心は新しく賢悟の身の回りに増えた少女の存在に気が気でならないだろう。
「よし、とりあえずいいね? では、これから『東の魔女』に関する本格的な聞き込みを開始しよう。賢悟君、『東の魔女』の特徴を言ってくれる?」
「ええと、そうだな。とりあえず、『東の魔女』がそのまんまな格好をしているか分からないが、エリの記憶から参照した物を挙げていくぞ」
曰く、長身の女性。
曰く、黒衣であり、オーバーコートを纏っているようにも見えた。
曰く、声は若く、十代ぐらいにも感じられた。
曰く、フードで隠れていたが、黒衣から覗く髪色は黒。
賢悟は、何度もエリの記憶で参照した『東の魔女』の姿を説明した。基本的に、黒衣を纏い、姿を隠している上での登場なので、当てにはならないかもしれないが。それでも、相手が女性であり、長身。なおかつ黒髪だということまでは対象を絞ることが出来た。
「…………当てはまる対象、皇都だと割と多くねーか? コート以外で」
「だよねー」
「だと思うよ」
「そうでしょうね」
ため息交じりに賢悟の言葉に、皆が頷く。
そもそもが困難な捜索対象なのだ。
世界管理者。
大規模戦争禁止の結界を管理する者たち。
当然、その行方はどの国であれ血眼になって探している。けれど、見つからない。恐らくは、見つからないような魔術が掛けられていると賢悟は考えている。
『東の魔女』の逸話も考えれば、『個人単位での事情のみ汲み取り、己の足で探さぬ者しか見つけられない』みたいな呪いを作っていてもおかしくない。
賢悟がレベッカやヘレンに訊ねた所、実際に、呪術とはそういう『因果』を弄る技術でもあるという答えが返ってきた。つまりは、呪術を極めた『東の魔女』相手ならば、何が起きてもおかしくは無いということだった。
「うーん、出発の時点で都に居ることはハルヨ師匠に確認済みなんだが……皇都は結構広い。少なくとも、人一人を探し出すのが困難になる程度には」
「賢悟はさ、一応、会えば分かるようにはなっているんでしょう?」
「ああ、俺の体に刻まれた呪いの痣が、共鳴するようになっているらしい。だよな? リリー」
賢悟の問いかけにリリーが頷き、説明する。
「かつてエリ様が、呪いを解こうと試行錯誤実験していた時に得た結論です。まず、間違いないかと」
「…………なるほど、なら問題なさそうだね。私でもあの『天災』が魔術に関して、何かを間違うとは思わないもん」
エリはかつて、『東の魔女』に掛けられた呪いを解くために、様々なアプローチを行った。その中には、『東の魔女』の場所を探って、奇襲をかけて上手いこと呪いを解かせるなどという試行もあったのだが。場所を探る時点で、『東の魔女』から強力なジャミングを受けて断念した。
つまり、このエリの記憶から賢悟が察せるのはただ一つ。
「地道に歩き回って、聞き込みして…………後は運任せか。ハードだな」
結局の所、運任せでしかないのだと。
それでも、大体の居場所や、特徴の欠片があるので、何もない状態で探し回るよりは断然マシだ、と賢悟は己を奮い立たせながら言葉を紡ぐ。
「とりあえず手分けして探そう。足で情報を稼ぐしかない」
賢悟の言葉にパーティのメンバーも了承した。
というか、了承せざるを得なかった。この場にヘレンのような魔術に精通する天才が居るならばまだしも、このメンバーでは素直に皇都内を探して回ることが最善手だ。下手に何か策を練ろうとすれば、無駄に時間を費やすだけになっただろう。
「さて、人数分けはどうするか…………」
「あのさ、お姉さん。ちょっといい?」
そんな時だった、鈴音が彼らの会話に口をはさんだのは。
今までは静かに白玉あんみつを味わっていた鈴音であるが、何故か今、この時になって賢悟へと言葉を投げかけた。
「あのさ、もしかしたらお姉さんの時間を無駄にしちゃうかもだけどさ」
「おう、なんだ? 後、お兄さんな」
「…………? 何言っているの、お姉さん」
子供の純粋な疑問の眼差しに、思わず心が挫けそうになるが、賢悟はめげない。鈴音へ、言葉を促すように告げる。
すると、鈴音は口元に付いた餡子をぺろりと舐めたかと思うと、
「多分私ね、その人が居る場所、知っていると思うよ?」
呆気からんと重要情報を口にしたのであった。




