第37話 追いかけっこ
蔵森 鈴音は『皇国人』の父と『化外』の母を持つハーフである。この現代において、あまり『化外』と表立った差別用語を使う者は少なくなってきているが、それでも一定以上の年代になってくると、未だ差別意識が残っていることが多い。
特に、家柄を気にするような立場の『皇国人』であるのならば。そんな『皇国人』が『化外』という――猫人族のセリアンスロープと子を成したとあれば。当然の如く問題だ。
そう、鈴音は存在自体が問題だったのだ。
惜しまれたのか、それともゴミ屑のように捨てられたのか? それは分からないが、とにかく鈴音は両親に捨てられ、皇都の端にある施設で育てられた。
施設の中でも、特に鈴音は異質な存在だった。
本来、『皇国人』が付けている耳は二つ。なのに、鈴音は余分に二つほど、頭の方に獣の耳が生えていたのだ。
それがまた、よく人から向けられる悪意を拾うのである。
その施設は、『皇国人』や『化外』の区別なく親無き子を育てるための物だった。けれど、いくら施設の職員たちがそのような意識で働いていたとしても、子供たちの間で生まれる差別意識に歯止めはかからない。
何せ、皇国では多くの人間がそうしているのだ。小さな子供は、大人の行動を良く真似する。ならば、子供たちが排斥するようになるのは自然の流れだ。
既に年が十を数える時には、もう鈴音の性根は立派に捻じ曲がっていた。
やってられるか、ひゃっはぁ! とその場の勢いで施設を飛び出し――――偶然、旅行客だった『皇国人』を発見。そのまま、流れるような手さばきで財布を奪取。そのまま、上手いこと大人の後ろに付いて行って、皇都から脱出したのだった。
それが二年前の出来事である。
以来、鈴音はずっとスリで生計を立てて、皇国の様々な街を転々としていた。
犯罪者として捕まらないために、という意味もあったが、いろんな街を見てみたいという想いも強かったのである。幸い、お金さえとほんの少しの『魔術』があれば、子供であっても、否、子供だからこそ無事に街を回ることが出来た。
『化外』の子供と、侮蔑されようが、その侮りで飯を食えるのならば大助かりだ。
鈴音は性根が捻じ曲がったままで、すくすくと成長した。
そして、大方大きな街も回り終えたので、原点に戻る意味も込めて故郷である皇都へ観光にやってきたのだが――――それが、彼女の運命を大きく変えることになることは、まだ知る由もない。
●●●
「待てやこらぁあああああああっ!!」
背後から投げかけられる怒声に、鈴音は内心うんざりしながら逃げていた。
「ああもう、そんな大声で追い掛け回したら、警官どもが集まってくるじゃんかぁ」
自慢の俊足で懐かしい路地を駆けまわるも、恐ろしいことに追跡者は全く距離を離すことなく鈴音の後を追ってくる。むしろ、段々と距離を詰められているような気さえする程だ。
「…………陸上選手でも引っかけちゃったかな?」
見た限りだと、どこにでも居るような普通の観光客だったんだけどな、と鈴音は首を傾げる。
それもそのはず、追跡者――賢悟は現在、偽装魔導具を使用中であり、それによって周囲の認識を騙しているのだ。
したがって、鈴音の獲物を見定める観察眼が鈍ったわけでもなく、強いて言うのなら、鈴音の運が悪かったのだろう。
「なら、こういうのはどうかな?」
鈴音はにやりと挑発的な笑みを浮かべると、わざと人混みの中に突っ込んでいく。
「うお!?」
「なんだ! このガキ!」
「ちょっと!」
突っ込んだ先でのろまな『皇国人』共の声が上がるが、鈴音は気にしない。
その程度の罵声、今更耳に残らない。
ただ、今は風の如く駆け抜けるのみ。
「はははは! これでどうだ! いくらお姉さんの足が速くても、こういう小技が無いと、悪路は走れな――――」
「じゃかしいんだよぉおおおおお!」
賢悟は人混みの中を突っ切らず、跳んでいた。
悪態を突く通行人の肩に足を掛けて、そのまま安々と跳躍。あっという間に、鈴音へと迫る。
「うぇ、マジで!?」
小技どころか大技だった。
躊躇いなく赤の他人を足場に使う所とか、なおかつ、それで思い切り跳躍できるところとか、只者では無いと鈴音はようやく考え至った。
「かぁあああああねぇええええええっ!!」
「ひぇええええええええっ!?」
金の亡者が襲ってくる!
財布を奪った鈴音が言えることでは無いが、賢悟のように、怨嗟混じりの声でアクロバティックを決めれば、そう思われても仕方がない。
「もう…………もう! 今日は厄日だ!」
大人しく財布を投げ捨てて逃げることも考えた鈴音だったが、己の矮小なプライドがそれを許さなかった。
鈴音のスリは、今まで一度も失敗したことが無く、なおかつ全ての追跡者を振り切ってきたのだ。ならば、今日ここでその誇りを失うはずが無い。
「いいよ、認めるよ、お姉さん。確かに貴方は強敵だ――――だから!」
決意を燃やし、鈴音は己の切り札を使う。
「万物に宿りし大いなる力よ――――風となって我が足に宿れ!」
皇国流の魔術の起動キーの後に、鈴音が告げたのはエンチャントの詠唱。
身体強化では無く、『風』という特定の属性を両足にエンチャントする物だ。これにより、鈴音は足が速くなるわけでは無い。無敵の蹴りを繰り出せるようになるわけじゃない。
ただ、一つだけ。
「にゃはははははぁ!!」
「なにぃ!?」
自由自在の立体的な動きを実現することが出来るようになるだけだ。
風を纏った鈴音の両足が、空を蹴る。
蹴って、蹴って、どんどん人の手が届かない高みへと駆け上がる。
「にゃはははははっ!」
王国では珍しくも無いエンチャント……けれど、皇国に限ってだと意味を為す。なぜならば、皇国人の多くは、己を強化したりする魔術が使えないからだ。
生来の能力的な部分では無く、修練として身に着けていないという意味で。
脆弱なヒューマンである皇国人の多くは、その手の能力を上げるよりも、勉学に努め、安定した生活を望んだ。それが良しであるか、悪であるかはともかく――――この場に置いて鈴音に追従してエンチャントを使える者が居ないのは確かだ。
そして、魔術を使えないという意味では賢悟も例外では無い。
このままだと、瞬く間に鈴音は賢悟の手が届かない場所まで疾走してしまうだろう。
そう、このままであれば。
「あめぇええええんだよっぉおおおおおっ!!」
猛るような雄叫び。
それと共に、鈴音の聴覚が『ガンガンッ!』という派手な物音を拾った。
鈴音が冷や汗と共に、物音の方へ視線を向けるが、時すでに遅し。
「にゃ!?」
そこには建物の壁を駆けあがり、空を走る鈴音へ飛びかかる賢悟の姿が。
フリーランニング。あるいは、パルクールと呼ばれている運動法が存在する。
それは、あらゆる障害を乗り越え、あるいは利用し、困難を超越する物だ。上級者になれば、建物のくぼみや、でっぱりを利用して壁を登ることも不可能では無い。
「捕まえたぞ! このクソガキぃ!」
「うにゃぁあああああああ!」
純粋な人間としての身体能力と、技術を用いて賢悟は鈴音との追いかけっこに勝利した。
空を走る鈴音の体に抱き付き、これ以上なく拘束した。
けれど、どうやらその後のことにまで考えが回っていなかったようで。
「ちょ、おち……落ちるって! 二人分は無理だって!」
「…………あ」
鈴音の未熟なエンチャントと、まだ成長途上の筋力では二人分の重さを支え切ることは出来ない。
結果、当然の如く二人は、羽をもがれた小鳥の如く墜落していく。
●●●
鈴音は墜落の衝撃を覚悟していたが、思っていたよりもそれはやって来ず、ただ、柔らかな何かに強く抱きしめられたのを感じた。
「…………あれ?」
それを疑問に思いつつも、恐る恐る目を開けると……鈴音の目の前には白髪の美少女の姿があった。どうやら、落下の衝撃で賢悟の付けていた偽装魔導具が外れたらしく、本来の姿が露わになっているようだ。
「いててて……あーくそ、しくじった」
墜落の際、身を挺して鈴音を庇った所為か、賢悟は苦悶の表情を浮かべている。
流石にそのまま自分が下敷きになるわけには行かず、鈴音を抱きかかえるような形で、着地の瞬間にローリング。大部分の衝撃は路面に流せたが、それでも痛い物は痛い。
「えっと……えーっと……あ」
いきなり目の前で姿が変わっていたことに混乱する鈴音だったが、そこで、己の姿の不備に気付く。目の端に、鈴音が被っていた野球帽が転がっていたのだ。
「にゃ、にゃあ!」
慌てて鈴音は賢悟の腕を払おうとし――――結局、出来なかったので猫耳を両手で隠した。
「うぅ。うぅうううううう」
唸るような鳴き声が、鈴音の喉の奥から零れる。
鈴音は知っていた。
皇都で『化外』がどのような差別を受けるのかを、その身を持って。
なまじ、九頭竜学園で化物のような『化外』たちが存在するからこそ、恐れと侮蔑が入り混じった扱いを受けるのだ。
それが強者であるなら疎ましく思い、それが弱者であるのならば徹底的に見下す。
ならば、『化外』の上に、薄汚い犯罪者である鈴音ならば? 考える予知など、あるわけが無い。このままならば、捕まって警官に渡る前に酷い目に遭わされてしまう。
「ひぅううう」
鳴き声のような声が、鈴音の口から漏れて行く。
金色の目からは、ぽろぽろと大粒の涙が。
無理も無い。どれだけ性根が曲がっていようが、擦れていようが、まだ鈴音は十二歳の少女に過ぎないのだ。いくら大人ぶったところで、脆い部分では恐ろしく脆い。
「たす、たすけて……」
もはや鈴音は、賢悟の腕の中で怯えるように言葉を紡ぐしかない。
『化外』である己の言葉なんてきっと、意味は無いと分かっている。けれども、それでも、謝罪と懇願の言葉を繰り返して、そして――
「うおっ!? なんだお前、泣いているのか!? どうした? どこかぶつけたのか!? 怪我したのか!? 痛いところはどこだ!?」
まるで予想外の言葉を賢悟から投げかけられた。
「……へ? ってうわぁ!?」
混乱する鈴音とは違い、賢悟の行動は迅速だった。
手早く鈴音の手足を探り、怪我をしている部分が無いか診察を始めたのである。
「や、ちょ、ちょっと、お姉さん!?」
「うるさい、暴れるな」
現在、鈴音の服装は身軽さを優先した所為で露出が多い。
Tシャツにホットパンツ、それと運動靴。頭に被っていた野球帽は無いので、猫耳は衆目に晒されている。そんな鈴音の素肌を、賢悟は舐めるように診ているのだ。見た目、賢悟が同性であったとしても、鈴音が羞恥を覚えるのは当然だろう。
「ふむ、ちょっと擦れているだけだが後は問題ないか……よし、後は脳内出血してないか、確認を……おい、逃げるな」
「にゃ、にゃんで頭を固定するの? 私は何をされちゃうにょ!?」
「焦ると舌足らずになるのは種族的特徴なのかよ……」
意外な事実に気付きつつも、賢悟は鈴音の瞳孔をチェックし、頷く。
「よし、問題ないな。なんだ、全然大丈夫じゃねーか。ったく、最近のガキはちょっと驚いたぐらいですぐに泣く」
「うぅ……う、うるさい、うるさい! さっさと離せ!」
「言われなくても離すってーの…………もう財布も返してもらったしな」
「……あ!」
賢悟の手には、いつの間にかすられていたはずの財布が。
どうやら、診察すると同時にあっさりと鈴音から取り戻したらしい。
「か、返せよ!」
「返すも何も、最初から俺の金だ」
「こ、この! ずるいぞ! そんな綺麗なのにお金持ちなんて!」
「……ん?」
鈴音のいちゃもんで、やっと賢悟が己の姿に気付く。
「あ、んだよ、偽装用の魔導具外れてんじゃねーか。誰かに見られたりは……ふぅ、セーフだな、人気の少ない路地裏に落ちたのか。ったく、焦らせやがって」
「…………偽装用の魔導具……まさか、指名手配犯!? 外国人の容姿ということはテロリスト!? や、やだ! 私、売られて少年兵なんかになりたくない!」
「ちげーよ、まったく」
涙目でじたばたと暴れる鈴音へ、賢悟が拳骨を一発落として黙らせる。
「あたっ!? な、何するのさ!?」
「今回の事に関しては、これでチャラに…………ふむ」
「にゃう!? な、何で今、猫耳触ったの!? や、やめて、動かさないで! もふらないで!」
賢悟は身悶えする鈴音に構わず、思う存分猫耳を堪能する。
思えば、ずっと猫耳に触りたかったのだが、レベッカは『触ったら殺す』とかなりガチな殺気を返すのみ。学園内でこっそり触ろうとしても、変態扱いされて結局できず。そんなこんなで溜まっていた賢悟の猫耳への欲望が、こんな行動を起こさせたのである。
「ひゃぅううう! よ、汚されされた……」
たっぷり五分間猫耳を弄られた鈴音は、すっかりくたくたになって戦意喪失状態。対して、賢悟は思う存分欲望を果たしたので、大満足だ。祖父の教えに関しては、今回はノーカン扱いらしい。
「よし、今回の件はこれでチャラにしてやる」
「ひどい、こんな恥ずかしいこと……絶対恨んでやる、祟ってやる……」
上目づかいで睨む鈴音だが、賢悟は全く意に介さない。むしろ、高笑いして歓迎する始末だ。
「くはははは、やれるもんならやってみろ。その時は俺が殴り飛ばしてやる」
「うぅ……妙に男前だよ、この美少女ぉ」
「くくく、これに懲りたら、さっさと親の元に帰るんだな。もうこんな真似をするんじゃないぞ」
賢悟は、項垂れている鈴音の肩を叩いて開放してやった。
なのだが、どうにも鈴音は動かない。それどころ、プルプルと肩を震わせたかと思うと、賢悟に食い掛かるようにして、その胸倉を掴んだ。
「うるさい! 私には親なんていないんだ! 恵まれたお前らと一緒にするな!」
金眼が吊り上がり、口元からは荒い吐息が。
普段、鈴音はこんなことを言われたからといって動じない。けれど、今は別だ。
いろんなことがあり過ぎて。唯一のプライドだったスリの不敗記録も破られて、精神的にボロボロだったのである。
だからつい、無理難題を賢悟に吹っかけてしまったのだ。
「私は、私は生きることで必死なんだ! 好きで犯罪しているんじゃないんだ! 子供でも生きていくには、こうするしかないんだ! それを、それをもうするなって言うなら!」
呆然と半口を開けている賢悟に、鈴音は衝動のままに言い放つ。
「責任取ってよ! 私の猫耳を散々弄んだんだから! 責任取って、私を一生養ってよ!」
我侭だった。
猫耳触られた云々は言いがかりに過ぎないが、猫人族のセリアンスロープにとってはそれなりに破廉恥な出来事だ。例えるのなら、いきなりへそを舐められるぐらいに破廉恥だ。
故に、それを理由にした子供染みたつまらない我侭、言いがかり。
それで賢悟を黙らせようとしたのだった。
だが、相手が悪かった。
「それもそうだな、わかった」
相手が悪すぎた。
「…………へ?」
今度は鈴音がきょとんとする番だった。
何を言われているのか分からない。あっさり肯定されたような気がするが、そんなまさか。いくらんでも、通りすがりのスリの我侭に付き合う馬鹿なんて、居るはずが無い。
鈴音の中であらゆる常識が、賢悟の発した言葉を否定する。目の前に居る馬鹿は、賢悟は、そんな常識なんて軽々と踏みつぶす存在だというのに。
「んじゃ、お前は今日から俺の妹な!」
「ふぇえええええええっ!?」
こうして、賢悟はその場のノリで家族を増やしてしまったのだった。




