第27話 シルベ・ハシセルン
シルベ・ハシセルンという人物は過去に一度死んでいる。
影の魔王と自称する存在により、その体を乗っ取られ、意識が同化し、生まれ変わったのである。ただし、シルベとしての記憶を受け継ぎ、魔王とシルベの人格を統合した存在であるので、完全に別人という訳では無い。
ただ、影の魔王との出会いによって、無能だったシルベの人生に意味が出来たことだけは確かだ。
シルベは魔王に宿る人類への殺戮衝動を受け、己の故郷である王国を滅ぼすことを決意した。ただの凡人だったシルベの人格部分では、その本能に抗えと言うのが無理だろう。
ただし、魔王と人間の混合存在である利点どして、本能である人類への殺戮衝動をある程度押さえつけることが可能だった。おまけに、魔王としての魔力を押さえつけ、秘匿することも出来るという。これだけの利点が揃っているのならば、自然とシルベは己が目指すべき存在を見出すことが出来た。
即ち、暗殺者。
人類として潜伏し、必要な時に魔王として顕現し、人類の英傑を暗殺する。
シルベ個人で王国を滅ぼすのは、様々な意味で不可能だったが、傷を負わせることは可能だ。ならば、その傷を出来るだけ深く、より的確な時に与えればいい。
暗殺者としての生を見出したシルベは、その時に備えて、ひたすら修練を積んだ。
幸いなことに、人間としての弱音を魔王としての部分は許さず。どれだけの無能であろうとも、『他者に憑依し、体を操作することに長けた魔王』は有能に鍛え上げる術を知っていた。
血反吐を吐き、魂を削る執念を重ねた。
礼節を学び、必要な技術を取得し、偽りの仮面を手に入れた。
無能で無価値だったシルベは死んだ。
そして、人類の敵対者として歩み出したのである。
「貴様、野心に満ちた良い目をしているな! いいだろう、貴様が我の部下第一号だ!」
敵対者として、歩み出したのだったが。
シルベとって、魔王にとって、幸か不幸か王族の少女にスカウトされて。
王国打倒への足掛かりになると思って、大人しく殺意を抑えて従っていたら、いつの間にか従者から保護者ポジションになって。
長いような、短いような時間を、その少女と共に過ごした。
「ふふん、超覇王の第一の部下だぞ! つまり、未来の宰相だ! 今の内から、黒幕感を出しておくがいい!」
その少女は、黒幕どころか、魔王が隣に居ることも知らない馬鹿で。
「ぬぉおおおおおお! シルベェ! 貴様、我のプリンを食べたなぁ!」
覇王とか言っている癖に、年相応な子供で。
「何? 超覇王とか馬鹿らしくないか? だと。まぁ、馬鹿らしいだろうな。きっと我は周りから、道化のように見られているのだろう。だがな? 他者から見たら滑稽な一人舞台だとしても、我にとっては最高のサーガだ! それは、それだけは誰にも否定させんよ」
シルベが知る限り、何よりも誇り高い存在だった。
だからかもしれない。
暗殺者として、不要な物が芽生えてしまった。
それは煩わしいノイズに過ぎなかったが、いつも間にかシルベの全てを支配していて、自覚した時には思わず苦笑してしまった。
ああ、流石は我が主。未来の超覇王だ、と。
●●●
シルベが振るった二刀は、獲物を逃がすことなく切り裂いた。
鮮血が舞い、シルベの執事服が染まる。
けれど――
「えっと、シルベ? これは、その?」
「言ったでしょう、マホロ様。痛くない、と」
シルベの二刀はマホロを傷つけない。
かすり傷一つ付けず、代わりに完全に無防備だったマクガフィンの肉体を解体したのである。その不意打ちは、いかに規格外の魔術師であるマクガフィンといえど防げず、肉体が十数個の肉塊へ捌かれてしまった。
「今までありがとうございました、マホロ様。そして、願わくばこれからも貴方の従者であることを許していただきたい。こんな魔王でよろしければ、貴方に忠誠を誓わせて欲しい」
マクガフィンを解体したシルベは、マホロの前に跪く。
そして、恭しく礼を取り、凛々しい笑みと共に忠誠を誓ったのだった。
「…………あー、その、シルベ? 我、色々とわけわかんないんだが。要するに、貴様はこれからも、我の従者? 第一の部下?」
「ええ、その通りでございます――我が主よ」
「そっか、そっか……ふむ」
しばし唖然としていたマホロだったが、やがて意を得たように頷いた。
「ならばよろしい! なぁに、魔王だろうがなんだろうが、我に忠誠を誓うと言うのなら、貴様は変わらず我の従者だ! これからも忠義に生きるがいい!」
「ええ、これからも存分にマホロ様を苛めて――もとい、マホロ様に忠誠を捧げて生きたいですね」
「本音を隠そうとしない奴だな、貴様は!」
シルベとマホロの二人は先ほどまでの剣呑な空気はどこへやら。気の抜けた笑みと、無駄に自信溢れる笑みを向い合せて、漫才の如きやり取りをしていた。
「おい、そこの二人。お前らの事情は知ったことじゃねーか……どうやら、まだ終わりってわけには行かないらしいぜ」
けれど、拘束から解放された賢悟の警告と共に、室内に霧が立ち込めた。
一寸先すら見えない濃霧。
まるでミルクの海に沈められたような光景の中で、マクガフィンの声が響く。
『やれやれ、どうにも魔王の方々は個性的過ぎて困った者ですよ、本当に。まさか後ろからばっさりと切り裂かれるとは。最近、依代が吹き飛ばされることが多くて、割とへこみますねぇ』
空々しい声。
致命傷を受けたにも関わらず、それをまるで問題としていないような口調。
いや、事実として、問題では無いのだろう。恐るべきことだが、マクガフィンはいくら己の肉体が破壊されようが、存在を保てる術を持っているらしい。
「それは貴方の人望が無いのでしょうね、マクガフィン」
「くくく、そうだ! 我のようなカリスマが無いから、裏切られるのだ、バーカ! というか、シルベは最初から我の物だし!」
『……ちなみに、裏切りの決め手になったのはなんでしょうかね? 何が、魔物としての殺戮本能を打ち破ったのでしょうか?』
霧の中から響く問いかけに、シルベは迷いなく答えた。
「貴方には分からないでしょうね、マクガフィン。未だ、原初神の呪いに囚われ続けている貴方には。私は、人の苦悩を知り、無力を知り、そして、誇り高きを知った。故に、一つの真理を得たのです」
凛としたシルベの言葉は、すぐ隣に居るマホロも自分の事のように胸を張った。濃霧で誰も見えなかろうが、それでも、シルベの主として恥じない主であるように努める。
「そう、つまり――――ロリは最高だなぁ、と」
もっとも、次の瞬間には膝から思いっきり崩れ落ちてしまったのだけれど。
「シルベェ……おま、おまぁ……」
「おい、マホロが崩れ落ちた音が聞こえたぞ! 従者の癖に主を狙い撃つなよ! 戦力低下するだろうが!」
『…………審議拒否で』
三者三様の反応だった。
主に、マホロとマクガフィンのダメージがでかいようだ。マホロは当然だが、マクガフィンとしては、信じて頼った魔王がいつの間にかロリコンに堕ちていたのだ。そりゃ、聞かなきゃよかったとへこみもするだろう。
「まぁ、それは冗談として」
「本当だろうな! 本当にロリコンじゃないんだな!?」
「はっはっは、霧で見えない中で掴みかかってくるとは、流石マホロ様」
霧の中、誰にも見られない笑顔でシルベは告げる。
「安心してください、マホロ様。私が忠誠を捧げるロリは貴方だけですから」
「我がロリじゃなくなったら?」
「それはその時にならないとわかりませんね」
「そこは断言しろよぉ!」
ぎゃあぎゃあと漫才を再開した二人を無視し、マクガフィンは制圧活動を続ける。
室内に立ち込める濃霧は、マクガフィンが扱う幻術の霧。それは濃度によって効果が上下され、王都全域に散布させたとしても一般人相手には充分な制圧効果を持つ。
では、王都全域に広げられていたそれが、この室内に凝縮されたらどうなるだろうか?
『残念でしょうが、賢悟さん。今回は見逃してあげません――――大人しく縛に付いてくださいよ』
濃縮された幻術の霧は、一時的に世界すら書き換えるほどの能力を持つ。
それはまるで、全能たる神から与えられた力の様で。
破壊不可、絶対拘束の概念を与えられた鎖が生み出され、蛇の如く賢悟の体へ飛ぶ。
拳で破壊することは不可能。
濃霧の中、絶対に対象を拘束するという概念を添えられた鎖から逃げることも不可能。
まさに、賢悟にとっては絶体絶命の危機だった。
『この白色の空間では、私は絶対の権限を持っています。ええ、それこそ神にも等しいほどに。つまり、貴方がどんな行動を取ろうとも――』
そう、今までの賢悟であれば、為す術も無く捉えられていただろう。
「しゃらくせぇ!」
ぱぁんと、清涼な柏手の如き音が一つ、室内に響き渡る。
それが起点と成り、溺れるほど室内に満たされていた濃霧は掻き消え、視界がクリアに戻っていく。
明瞭な空間となったそこには、拳を振り抜いた姿の賢悟が。
そして、銃弾に撃ち抜かれたかのように右胸を抑えるマクガフィンの姿があった。同時に、マクガフィン『だった』者の死体も、床に転がっている。
「足りねぇな、マクガフィン。シイとの死闘に比べれば、こんな物――児戯に等しい」
「馬鹿、な…………」
己の術が破られたのがよほど驚きだったのか、マクガフィンはただ、賢悟の前で跪くように膝を着いていた。
マクガフィンの驚愕も無理はない。
世界の法則を書き換えるに等しい幻術。絶対に破壊されることが無い、絶対に対象を拘束する。そう、賢悟は世界の法則として決定された鎖を破り、さらには幻術の根本たる霧すら、晴らして見せたのだ。
条理を外れているどころでは無い。
神の御業に対抗できるのは、悪魔の如き魔手のみ。
即ち、今の賢悟は世界法則すら、『殴り飛ばせる』力を持っているのだ。
「本気で掛かって来いよ。テメェはいつまで高みに見物をしているつもりだ? テメェの敵は此処に居るんだ。俺を殴りたかったら、『テメェ自身』が目の前に来やがれ」
膝を付くマクガフィンを悠然と見下ろし、言い放った賢悟。
魔王との死闘を経て、何か一線を越えたらしき賢悟の風格は、まさしく傑物。王国内で、数々の英雄を見て来たマホロであっても、思わず目を奪われてしまうほどに力強く、美しい。
だが、その賢悟の姿を見上げるマクガフィンの瞳は、そんな美しささえ焼き尽くしてしまうほどの憎しみで満ちていた。
「そうか、そうか……その目、その拳、その魂! あぁ、忘れていた。随分昔の事だから、すっかり忘れていましたよ。そうでしたね、貴方は……『お前』はっ! そういう目をするような、癇に障る人間だった!」
ぎゃりぃ! と己の歯を噛み砕かんばかりに歯噛みし、マクガフィンは立ち上がる。
薄笑いが張り付いていた無個性の顔には、悪鬼の如き憎悪に満ちた表情が。黒いスーツの下からは、能力の源である濃霧が立ち込め始めていた。
「また私の! 我が神威の邪魔をするつもりか! 『魔拳』の英雄ぅ!!」
「ははっ! 何言っているか、わかんねぇよ!」
霧によって生み出された大鎌が振るわれ、それを賢悟の拳が打ち砕く。
世界を改変するような攻防に、空間が軋み、悲鳴を上げるようにひび割れて。
「いけません、マホロ様! これではこの空間自体が持ちません! 離脱します!」
「え? なにそ――おおお!?」
危険を察したシルベは素早くマホロを抱えて、窓へ体当たりするように室外へ逃走。
その後、僅か一秒も経たないうちに、マクガフィンの全力の世界改変と、それを殴り飛ばさんとする賢悟の拳が衝突した。
二つの暴威は、容赦なく空間を傷つけ、やがて――雷鳴の如き破壊音と共に、衝突の起点から屋敷全体が空間破壊の余波によって吹き飛ばされる。
「ちぃっ!」
賢悟は己が起こした破壊の余波に耐えきれず、枯葉の如くもみくちゃに飛ばされた。当然、その余波は決して頑強でない少女の体では耐えきれるものでは無く。
次第にまともに意識すら保てなくなる。
「つ、あ――――」
薄れゆく意識の中、最後に賢悟が見た光景は、
「ご安心を。私が貴方を死なせません」
上空に吹き飛ばされた自分を、優しく抱き留める銀髪メイドの姿だった。




