第22話 月も出ない夜に
『マジック』の月は、『サイエンス』と同じく一つである。
ファンタジー世界では、月が二つだったり、三つだったり、あるいは地上に落ちてきたりすることもあるのだが、近似世界ではそれは有り得ない。
素体となる大本がほぼ同一であるから、基本的に天候や暦、その他自然現象は近しい物だ。
だから、当然の如く雲が空を覆えば、月も光を失う。
それでも、王都の夜は街灯によって照らされ、未だ煌びやかな光が残っている。その光さえ届かない、路地裏の奥。もはや、素行不良の者ですら近づかない、漆黒の闇に閉ざされた場所で、二つの声が言葉を交わしていた。
「マクガフィン、今宵の準備はよろしくて?」
「いや、まぁ、出来てますけどねー? 本当にやられるのですか、花の魔王よ。私としては、もうちょっと仕込みに準備をかけてと言うか、なんというか、こんな厳戒態勢の中でやらなくてもと思うわけですが」
「愚か者」
それは張りのある声だった。
宵闇を引き裂くような、漆黒の闇の中でも彩を失わないような、鮮やかな少女の声。
「人間程度がいくら警戒をしようが、私の術中から逃れられるわけがないでしょう?」
「ええー」
対して、困ったような声を出しているのはマクガフィン。ナナシのリーダーであり、前回の王都襲撃騒動の黒幕でも存在だ。
「いやいやいや、花の魔王様。あのですね、こんなことは言いたくないんですがね、その、あんまり人間を甘く見るなというか、前回は完全な奇襲だったから、上手く言ったわけで。前回と多少手口が違うとしても、私の権能に頼った奇襲はさすがに通じないと思うのですが」
「何を言っているの、マクガフィン? 貴方の『それ』は、我らが祖に与えられた絶対的な権限でしょう? たかが、人間如きに覆せるとでも?」
鮮やかな声の少女――花の魔王は、疑いもせずに言い切って見せる。
対して、マクガフィンの反応は冷ややかだ。
「そこまで言うのならば、分かりました。協力しましょう」
「始めからそう言いなさい、愚図」
「申し訳ありません…………ですが、お忘れなく。貴方は人間を侮っていられるようですが、遥か昔、貴方の祖である原初神を討ちとったのも、また人間なのだと」
マクガフィンの忠告にも、花の魔王の自身は微塵も揺れない。
魔物の一角を総べる、王としての誇りを持って堂々と宣言して見せる。
「ならば、私が矮小なる人間どもに教えてあげましょう。原初の呪いを体現した我らの、恐怖と、圧倒的な強さを!」
月も出ない静かで、暗い夜。
再び、王都を悪意の牙が襲う。
●●●
王族と言っても、その全てが裕福という訳ではない。
当たり前の話だが、王族は口のために働く義務を背負った血族だ。その生活費も、全て国の税金によって賄われている。
故に、王城に住まう王や、王妃や第一王子たち……詰まる所、正室の家族は国家の象徴として、それ相応の待遇として豪奢な生活を義務付けられているのだ。けれど、さすがに王位継承権も二桁に達した辺りの王族になってくると、相応に倹約した生活を見せることで、民の反感を減らし、共感を増やす方向へシフトしていく。
そんなわけで、マホロの屋敷は少なくとも、大貴族や財閥規模の屋敷よりも小さく、相応にグレードが落ちた物だった。廊下に何気なく、会社員の年収クラスの絵画が飾られていることも無く、身の回りが全て高価な調度品で揃えられていることも無い。
もっとも、賢悟にとってはこれぐらいのグレードの方が、親しみやすかったりするのだが。
「さて、従者特製の味噌ラーメンが出来ましたよ。さぁ、マホロ様も賢悟様も、席に着いてくださいませ」
「わかった」
「うーい」
シルベは眠たげな瞳をしている割に、よく働く従者だった。
マホロの屋敷には、シルベの他に数人の使用人がいるが、大抵の家事はシルベが行っている。使用人にやらせているのは、使用していない屋敷の部屋の掃除のみ。その他、マホロの身の回りの全ての雑事は、シルベが滞りなく片付けているのだ。
もちろん、一日三食、全てシルベによる家庭料理である。
「ふふふ、どうだ! 我が従者によるもてなしは」
「あ、すげーすげー、本格的な店の味だ。なにこれ、スープとか自分で作ってんの?」
「見様見真似の素人仕事でございますので、お口に合えば幸いです」
「いやいや、超うめーよ、これ」
ゴジックロリータの服を着て居ながら、賢悟は躊躇うことなく、豪快に麺を啜る。けれど、借り物の服という意識はちゃんとあるようで、豪快ながらも、スープが服に飛び跳ねない絶妙な加減の啜り具合だった。
「あ、我が従者よ、コショウとって、コショウ」
「はいはい、あまりかけ過ぎては駄目ですよ、マホロ様」
「卵とかある? これ、卵入れて食べたいんだけど」
「卵でしたら、鶏からドラゴンまで、様々な者が冷蔵庫に常備していますので、どうぞご自由に。おすすめはバジリスクの卵です」
「ああ、石化するほどの美味さだから、期待するがいいぞ、賢悟よ」
「マジか。やべぇ、楽しみだわー」
三人は長方形のテーブルを囲み、ワイワイと談笑しながら夕食を楽しんだ。
「…………さて、腹も膨れたところだし、我が従者よ。そろそろ話し合いを再開するとしようではないか」
「あ、すみません。食器を洗った後、明日の仕込みもありますので、お先に二人だけで話していてください」
「え? あの、シルベ? その、我と賢悟だけでは話し合いにならない感じなんだけど?」
「コミュ障じゃないんだし、上手いことやってくださいよ、マホロ様」
「ええー」
家事で忙しいシルベは、容赦なくマホロを突き放す。
突き放されたマホロはというと、しばらく視線を宙に彷徨わせていたが、やがて意を決したように賢悟と向かい合った。
「賢悟、貴様には今、選択肢がある」
「違うだろ、お前に選択肢があるだけだ、マホロ。俺のやるべきことは決まっている」
「…………はう」
そして、いきなりへこたれた。
「俺を王国の研究機関なりに突き出せば、お前はその手柄を踏み台にして、さらなる権力に手を掛けることも不可能じゃない。王位継承権とやらも、少しは順位が上がるかもな」
「いや、でも……貴様、その場合は物凄く抵抗するだろ? パスが繋がっているから、何となく、貴様の行動が読める。我がそうした場合、絶対貴様は暴れまわる」
「命が掛かっているからな、当然だ。この呪いは絶対に、東の魔女でなければ解けない。解呪のための邪魔をするなら、国家だって相手にしてやるぜ」
「だよなぁ。我も出来れば、そういうのはしたくないし」
むむむ、と口を曲げて、マホロは思案の言葉を口にする。
「我とシルベのセットであるのならば、いかに英雄の因子を持つ貴様と言えど、抵抗は難しい。難しいだけで、不可能だと断じれないのが不安要素だが。けれど、覇道を行く者として、他者へ評価を強請るために動くのは美しくない」
「へぇ、お姫様が一丁前に覇王の美学を語るのかよ?」
「逆だ、賢悟。我のようなガキだからこそ、美学を語るのだよ。ガキだからこそ、大人に負けないためには意地を張るしかないのだ」
マホロの物言いに、賢悟は素直に感心した。
若干十歳か、そこらの少女が一丁前に『大人と張り合うことを前提とした信念』を語っているのだ。それが本物か、直ぐに剥がれる鍍金かは分からないが、その心構えだけは認めなければならないだろう。
「なら、どうするよ、『マホロ』。せっかく拉致した俺をどうする? 俺個人としては、さっさと開放してくれるとありがたい。一応、敗者の義理としては全て終わった後なら、アンタの部下になってもいい、とだけ言っていくぜ?」
「…………釈然としないが、確かにこの場においてはそれが最善策かもしれぬ。貴様は、つまらない嘘を吐くような人間ではなさそうだ。その目を見ればわかる」
「そりゃどうも」
肩を竦めて笑って見せる賢悟だが、マホロの表情は崩れない。真っすぐ、真剣な面持ちで賢悟を見つめていた。
「故に、我が貴様へ示すのは最善策では無い。全てを覆しうる奇策よ」
マホロの言葉に覇気が戻る。
年相応な少女の色は既に表情から消え去り、残ったのは煌々と輝く覇王の威光のみ。
「田井中賢悟。我の固有魔術は、契約した者に対して、パスを通して様々な恩恵を与えることが可能だ。魔力の供給。あらゆるスペックの強化。そして」
覇王の言葉はさながら、重々しい大剣の振り下ろしの如く。まどろっこしい前提も背景も、全てを断ち切るように紡がれた。
「我が蒐集した固有魔術を与えることも可能である。その中には、貴様の呪いのカウントを止める『破戒時計』という物も存在するのだ」
マホロの言葉は真実である。
まだ幼いながらも、マホロは破格の才能を持って生まれた麒麟児だ。
固有魔術とは、生まれながらの才能であり、異能である。己しか扱うことの出来ない魔術。唯一の魔法。それが固有魔術だ。
けれど、マホロの固有魔術『万物写本』はその法則を覆す。
それは他者の固有魔術を写し取る、模倣の魔術。
唯一を蒐集する魔術。
加えて、マホロの意思により、契約者に自在に貸し出すことすら可能な規格外の固有魔術である。
ストックされている固有魔術の一つ、『破戒時計』は、使用者本人の時を凍らせる魔術だ。
生命活動も、魂も精神も、魔術が及ぶ限り停止を続ける。これは本来、擬似的な不老不死や、長期間の休眠などに用いられる魔術であるが、応用すれば、確かに賢悟の呪いの時だけを止めることも可能だろう。
「貸し与える条件はただ一つ。貴様が心の底から、我に忠誠を誓え。我が上で、貴様が下だ。それを認めて、乞い願うだけでいい」
傲慢でありながら、威厳溢れる言葉を発するマホロ。
外見こそ幼い少女であるか、彼女の覇気は既に人の上に立つ支配者のそれである。この声の前では、どれだけ年を重ねているかなど、大した差では無い。
この声に抗えるとしたら、それは同等以上にカリスマを持つ者か、あるいは、
「はっ、おいおいおい…………不意打ち程度で随分と図に乗るじゃねーか、クソガキ」
根っからの反骨者でなければならない。
可愛らしい服装に似合わない、凶悪な笑みを浮かべる賢悟などがいい例だろう。
「言っておくが、俺を屈服させたいんだったら、テメェ、まるで足りないぜ?」
「ほう、敗者風情が良く吠える」
一瞬にして両者の空気が刺激を帯びる。
それは炭酸ソーダのように両者の肌を刺し、闘志を沸き立たせていく。
「教育してやろう――――“伏せ”」
最初に動いたのはマホロだった。
パスを通して、契約主としての権限を行使。強制的に相手の気力を奪い取り、意識を失わせる術式を送る。
これはマホロが強制契約を行った後、賢悟の意識を刈り取った術式を同一の代物である。膨大な魔力を持つ者ならば、抵抗するのも難しくないかもしれないが、魔力が皆無の賢悟にとっては、まさに一撃必殺の攻撃に等しい。
そう、それが初見であれば、の話だが。
「馬鹿が」
吐き捨てるように一言。
言葉と共に振るわれた賢悟の拳が、パスを――強制された契約自体を殴り砕く。
「んな!?」
マホロの表情が驚愕に歪んだ。
無理もない。賢悟が行ったのは、魔力によるレジストでもなく、契約の解除でもなく、強制的なパスの破壊だったのだから。
どのような手段を用いて、どのような原理によって、それが為されたのかを考えるのは無意味だ。賢悟の拳は条理を超え、結果を叩き出す反則技である。
無論、だからといって何でもできる万能ではないが、少なくとも、強制された契約を砕くことは造作もない。
「一度見せた技なんだ、二度も通じると思うなよ、ガキ」
「くっ――」
とっさに距離を取ろうとテーブルから離れるマホロだが、その行動は既に遅すぎた。
「祖父からの教えでね。ガキ相手のしつけは、げんこつが一番効くらしい」
にやりと、凶悪な笑みを浮かべた賢悟が既に、テーブルに足をかけている。拳は振り上げられ、マホロは間合いの中。例え、間合いから外れていたとしても、賢悟の拳に距離は意味を為さない。
後は、拳が振り下ろされてしまえば、それでマホロの意識が刈り取られて終了だ。
「申し訳ございませんが――人が家事をしている背中で、少々喧しいですよ、馬鹿ども」
拳は振り下ろされない。
振り下ろされるよりも前に、迸った剣閃を回避したために。
「ははぁ! そうだよ、お前を待っていたんだ、俺は」
獣の如き跳躍で距離を取った賢悟。
「そうですか。生憎、私は待たせた覚えはありません」
歪んだ歓喜が混じった賢悟の視線の先には、二本の軍刀をそれぞれ両手に携えたシルベが。ちょうど、目を丸くしている主を守るように、テーブルの上に乗っていた。
「ですが、こんなへっぽこでも、我が主。マホロ様に手を出そうとするのならば、痛い目にあっていただくしかありません」
「ははは、いやぁ、仕方ないよな、これは。うん、私闘じゃあない。仕方なく、そう、この場から逃げ出すための逃れられない戦闘って奴だ」
楽しげにレベッカへの言い訳を作りながら、拳を構える賢悟。
シルベは対象的に、涼やかな面持ちで二刀を構えて皮肉を口走る。
「すみませんが、私は女性相手でも手加減はしませんので」
「上等だ、こら。その澄ました面を、思いっきり殴り飛ばしてやるよ」
条理を越えた拳が振るわれ、二刀の剣閃が空を裂く。
つい先ほどまでの穏やかな食事風景は既に、死に果てた。
これから先に展開されるのは、殺伐とした二人の闘争のみ。
「え、え……あのー、我のターンじゃなかったの、これ」
ただ、この場の主役であるはずのマホロは、唖然と二人の戦いを眺めていることしか出来なかったという。




