第20話 鈍色魔装
「うにゃー…………おい、変態。何か言うことは?」
「つい興奮してキスした。今は誇らしい気持ちで胸いっぱいぃいいいいいいい!?」
「変態痴女はお仕置きだにゃー」
レベッカのヒールホールドが、ヘレンに炸裂し、絶賛悶絶中である。
「いきなり人の親友にディープキスってどんな痴女にゃ!」
「だーかーらー、ごめんってえええええええ! 痛い痛い! どうして、貴族の娘さんが関節技に精通しているのん!?」
「貴族の嗜みよ!」
「王国の貴族は相変わらず、頭がおっかしぃいいいいいい!」
「はぁ、最近、たるみ過ぎてて、へこむわ……」
レベッカがヘレンに肉体言語で説教している傍で、賢悟は割とへこんでいた。二度目のキスを奪われたことが嫌なのでは無く、どちらかと言えば避けられる物を避けなかったこと自体が、ショックらしい。あと、舌を入れられるのはファーストキスのトラウマもあるので、地味に心が痛むのだとか。
「おかしい、俺は泣く子も黙る不良だったはずだ。硬派で、無骨な、こんなキャラだったはずなのに……なんで今週だけでも美少女とのキスが二度目なんだよ。ハーレム系主人公か!」
「TSでハーレム系主人公とか、業が深い異世界人だぁあああねぇえええええ!」
「というか、ケンゴ! ファーストキスの件については私、何も聞いてない! お姉さんにちゃんと報告しなさい!」
「弟扱いなのか、妹扱いなのかが気になる所だぜ……」
ひとしきりレベッカが説教を終えると、やっとヘレンは解放され、話を再開することに。
「えー、んなわけで、俺は『サイエンス』から拉致された異世界人だ。少なくとも、魂は。だからまぁ、お前の役に立つ知識を…………」
そこまで言って、賢悟は思い出す。
かつて自分が不良だったということを。いや、真面目に授業は受けていたが、それでも、そこまで高度な教育を受けていなかっただろう、事実を。
「…………ある程度さわりぐらいなら、何となく教えられるかもしれない、多分」
「ケンゴ大丈夫!? なんか、途中から凄く自信が無くなっているけど!?」
「大丈夫だと信じたい」
エリの頭脳は優秀なので、魂の記憶は自由に閲覧可能。賢悟が思い出そうと思えば、自分自身でさえ忘れていたような、些細な事柄まで思い出せる。なので、工業高校の二年生までの授業は受けた絵射たので、物理学とかはそれなりに基礎程度は話せるだろうが、果たして、それでこの天才が満足できるだろうか?
そんな賢悟の心配は、あっさりと杞憂に終わった。
「えぇー、何言ってんのさー、ケンちゃん♪」
「ケンちゃん!?」
「うひょひょひょ……私とケンちゃんの仲だよん? 頼んでくれれば、なんでもやるさー」
「ついさっきまで初対面の仲だったなのに!?」
「うひょひょひょひょ」
うねうねと体をよじらせ、頬を染めるヘレン。
賢悟が『サイエンス』の異世界人だとわかった途端これである。ある意味、ちょろ過ぎるヘレンだった。
「つか、マジでいいの? ニュートンの公式とか、簡単なのしか教えられねーけど? 後は、『サイエンス』がどんな世界だったとか、どんな家電があったとか……まぁ、そんな程度しか」
「良い! 実に良い! それで最高だよ! ひゃっはぁあああああ! この世の春じゃぁあああああ! 愛してりゅぅううううう!」
「やめにゃさい、この痴女!」
再度、賢悟に抱き付こうとするヘレンをレベッカが組み付いて防ぐ。その構図はさながら、アイドルに突進する熱烈なファンを食い止める、ガードマンだった。
「なぁ、レベッカ。俺、ちょっと不安になってきたんだけど。マジでこいつ、発明王とか呼ばれるほどの天才なのか? いや、確かに天才は奇抜な性格が多いと聞くが……奇抜すぎるだろ、こいつ。エリの記憶が信用できねぇよ」
賢悟が参照したエリの記憶の中では、ヘレン・イーグレスは間違いなく天才であると刻まれていた。こと、開発力においては、自らの才能に傲慢だったエリさえ、敵わないと断言するほどに。
しかし、目の前のヘレンからはまるで凄みが感じられない。ただの頭のおかしい変人にしか、賢悟は感じ取れなかったのだ。
「ええ、天才よ。残念なことに」
その賢悟の疑念を、レベッカは迷うことなく切り捨てた。
「残念って失礼なー」
「残念だけど、天才よ」
「それは許す!」
実力を疑われても、ヘレンはまるで気分を害した様子も無くけらけら笑う。
なぜなら、ヘレンにとって天才という称号はどうでもいい物なのだから。己がやりたいことのために、出来ることを成していたら、勝手に付けられた興味の欠片も湧かない称号。
「はい、そんなわけでー…………面倒だけど、ケンちゃんのためにちょっと頑張って演出してみようっかなー」
されど、ヘレンほどその称号が似合う物は、この学園に存在しない。
その事実を証明するかのように、ヘレンは軽く指を鳴らした。ただ、それだけで、
「…………は?」
三人の周囲は雑多な者が溢れ返る研究室から、一面の草原へと変わった。
見上げれば、雲一つない蒼穹。足元には若草色の草原が果てしなく広がっている。
「こっちの方が広くて分かり易いからねー。さてさてー、ちょっとパフォーマンスに付き合って、レベッカ」
「別にいいけど……もうその必要はないんじゃ?」
一瞬だった。
文字通り、賢悟が瞬きする合間。瞼を閉じてから開く間に、賢悟たちは研究室から、別の場所に『転移』させられたのだ。加えて、このような場所は王都内には存在しない。考えられるのは、超長距離の転移。それともう一つ。
「高速転移と、箱庭世界の展開…………これだけでも充分、貴方は規格外よ、レベッカ」
「ええー。こんなの、何も面白くないじゃーん。ただの過程だし」
ヘレンは、先ほどの一瞬で、この草原の世界を『展開』したのである。
座標からずれた地点に、無理やり空間を挟み込み、一時的に 別世界を創ったのだ。賢悟たちが転移させられたのは、その別世界であり、ヘレンの箱庭だ。
「……おいおい、これほど、かよ」
エリの頭脳が、今起こった規格外の異常を賢悟に理解させる。
無意識に唾をのみ込み、背筋に冷や汗が流れた。空間を操る魔術に関しては、賢悟も太郎の扱うそれを見たことがあるが、まるで比べものにならない。いや、まさしく『別物』だった。
戦慄を隠せない賢悟だったが、さらにそこへ、ヘレンが宣言する。
「それじゃー、ケンちゃん。これから私のちょっと凄いところ、見せちゃうよん」
可憐に微笑んで見せて、無造作に己の眼鏡を外した。
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眼鏡を外したのが合図だったかのように、その演出は開始される。
「流転は炎を起こす!」
放り投げられた眼鏡が虚空に消えるのと同時に、レベッカが紅蓮の炎を生み出す。
「赤き空より降り注ぎし、その一矢をここに」
紅蓮の炎は、レベッカの詠唱に呼応し、その密度を高め、形を変える。赤き一本の矢へと、炎が形成された。
「破滅を誘う一矢よ――――敵を討て」
圧縮形成されたその紅蓮は、レベッカの指し示す場所……ヘレンの元へ、矢じりの先を定める。一瞬のための後、紅蓮の矢は放たれた。弓の無く、けれど、引き絞られたそれに放たれたかのような速度で。
賢悟は目を剥いてその光景を見つめていた。
いくら演出だとわかっていても、レベッカから放たれた魔術はまさしく本気そのもの。最高の一撃では無いにせよ、中位以下の魔術なら詠唱破棄で放てるレベッカが、わざわざ詠唱を響かせてまで放った一矢だ。上級の魔物でさえ、一矢に射抜かれれば骨まで焼き尽くされる。
「んな――」
しかし、ヘレンはこともあろうに、その一撃を避けなかった。
笑みを浮かべたまま、紅蓮の一矢の直撃を受けたのである。あれでは、いくら魔法の発動が高速であっても、防御の魔術も間に合わない。
そのはずだった。
「うひょひょひょ……自動防御プログラムは正常稼働中だよーん」
紅蓮の一矢は、ヘレンに直撃する寸前、鈍く輝く『何か』にぶち当たって強制キャンセルされた。普通に防いでも、圧縮された炎が対象を溢れ返り、対象を焼くはずのそれは、さらに強力な魔力の干渉を受けて、霧散したのだ。
「何だよ、ありゃ……」
ヘレンの眼前に展開されているそれは、形状はまるで盾のようだった。小柄なヘレンの体を、すっぽりと収めてしまうほどの巨大な盾。それは、紅蓮を受けてなお、傷一つなく、鈍色の光沢を映していた。
「エイジスシステム起動――魔装顕現」
巨大な盾は、ヘレンの呟いた言葉に従って、己の形状を変える。一度液状化し、うねるようにヘレンの体に絡みつき、再び形成。籠手や、胸当てなど、様々なパーツとなっていく。
盾は瞬く間に変形する、主人の身を纏う鎧――否、『パワードスーツ』と呼ばれる魔装へと。
「うひょひょひょ! これが! これが! 私の最高傑作っ! エイジスアーマーだ!」
それはまさに、『パワードスーツ』だった。
ごつごつとした無骨なパーツの数々は、ヘレンの頭から足元まで全てを覆っているので、小柄な体が一回り大きくなっている。一見するとそれは、重戦士の鎧のように感じられるが、注意深く観察すれば、分かるだろう。その鎧には、関節部分に至るまで、鎧に覆われない部分が無いということに。
「人々は魔術の加護により、簡単に身体能力強化できるし、高速で移動出来たりできる。けど、逆に言えば、魔術を発動していない時は…………常時発動型の魔導具でも装着していなければ、奇襲を防ぐことは出来ない」
鈍色の重騎士となったヘレンは、己の鎧を誇るように語る。
「だがしかぁーし! この魔装エイジスはちがぁあああう! 所持者の自動防御に加え! 装着すれば、使用者の思考とリンクして、自動的に最適な魔術を発動させる!」
身体能力を強化したいと思ったのならば、そのように。
速く動きたいと思ったのならば、そのように。
眼前に迫る魔法を砕きたいと思ったのならば、そのように。
魔装エイジスは自在に己に刻まれた術式を組み換え、実行する。己の使用者の意に添うように。使用者の魔力が続く限り。
「しかもしかも! 一度に最大七つの魔術を並列発動が可能! おまけに! 使用者の動きをアシストする『武術プログラム』も搭載! 学園内の達人に頼んでプログラムの開発に協力させた結果、中級以下の魔物なら素手で殴殺可能な代物に!」
流れるような語りと共に、ヘレンはあらゆる武術の型を実演して見せた。
その中には、賢悟が敗北したハルヨの動きもあった。完全に再現はさすがに不可能だったようだが、それでも、ハルヨよりも圧倒的に小柄なヘレンへ、その動きを淀みなく再現させたプログラムは驚異の一言に尽きる。
「これさえあれば! 素人でもあっという間に一人前のジェノサイダーに!」
「よほどの魔力の保持者じゃなくちゃ、あっという間に干からびるのよね、これ」
「その内、魔石から魔力供給出来るように開発を進めるもん!」
「後、基本はヘレンに体に合わせるようにできているから。どうにも、他の人間が装着すると、ぎこちなさが……」
「試作品だよぉおおおおお! 製品版じゃないですぅうううう! 文句は受付ませぇん! その内、ちゃんと実用化しますぅうううう!」
「でも、量産化はコストが」
「そこは知りませぇええええええん! そっちは私の担当じゃないですぅうううう!」
ぎゃあぎゃあと魔装の出来に関して語り合う二人をよそに、賢悟は静かに感激していた。
「すげぇ……マジのパワードスーツじゃねぇか」
その目はきらきらと、好奇心に輝いている。
現在の外見は美少女だが、中身は『サイエンス』の男子高校生だった賢悟だ。子供の頃から、ロボや、パワードスーツやら、あるは超科学の兵器やらに憧れを持っていたのだ。工業高校に入ったのも、就職率の他に、そういう憧れがあったから。
そんな賢悟の目の前に、その憧れの再現があるのだ。感激に身を震わせるのも、仕方ない。
「なぁ、すっごいな、アンタ! まさか、生きている内にこういう物を見られるとは思わなかったぜ、俺!」
賢悟は目を輝かせて、ヘレンの鈍色に包まれた手を握った。それはもう、両手でがっしりと。子供が憧れのヒーローに会ったかのように。
「お、おおう? わ、わかってくれるの? 私の研究を! ぶっちゃけ、こいつを造る過程で生まれた技術の方が喜ばれている私の研究を!」
「わかるさ! だってアンタのそれは浪漫だろ? 他の人間に何を言われようが、やりたいと思ったことを貫く……最高にかっこいいぜ、アンタ!」
「も、もぅ! ヘレンでいいってば、ケンちゃん! えへへへー、うひょひょひょ……よ、よければ試着とかしてみる?」
「マジで!? いいの!?」
「いいともさ!」
和気あいあいと共通の浪漫について語り合う賢悟と、ヘレン。
どうやら、例え初対面の同士であろうとも、共通する浪漫があれば人はあっという間に仲良くなれるらしい。そのことを二人はレベッカの目の前で証明していた。
「…………寂しくなんかにゃいもん」
もっとも、完全に話しについて行けないレベッカは軽く拗ね始めていたが。
どちらかと言えば、鉄とオイルの匂いが漂う話題は、レベッカにはあまり共感できない話題だったようである。
「あ、ご、ごめんって、レベッカ!」
その後、十数分ほどヘレンと談笑やら、魔装体験やらを楽しんだ後、猛烈に拗ねたレベッカに気付く賢悟。もう、両の猫耳がぺたんとへたれており、ご機嫌ななめだ。
「いいわよ、もう…………二人とも結婚でもすれば?」
「今の俺の体、女子なんですが!」
「この王国では結婚も普通にオッケーにゃー。頑張れば子供も産めるから、ケンゴがたくさん子供を孕めばいい」
「やめろ! 虚ろな目で俺の下腹部を見つめるな!」
「ケンちゃん! 私なら、試験管からでも私たちの子供を造れるよ!」
「話がややこしくなるから、少し黙ってくれよ、ヘレン!」
唇を尖らせて拗ねまくるレベッカに、賢悟が拝み倒して何とか機嫌を直そうとする。そこで、ヘレンが余計な茶々を入れて状況が悪化。
このようなやり取りが、さらに十数分続いた後、やっとレベッカの機嫌は直ったという。
●●●
「怒ってない?」
「怒ってないわ」
「…………今度、スイーツ奢るよ、オジジーナのショートケーキ」
「怒ってないって言っているのに」
「いや、女性の怒っていないは信用するなよ、と今は亡き祖父がな」
研究室を後にした賢悟とレベッカは、地下室から学園の地上部分へ続く長い廊下を歩いている。思った以上にヘレンの説得が上手くいったので、二人とも足取りが軽い。
「けど、よかったの? 貴方が異世界人だって明かして」
「元々、パーティメンバーには王都を立つ前に全部知ってもらう予定だったからな。ある程度、命を賭けて旅を共にする仲間なんだ。依頼人である俺が、隠し事をするわけにはいかねぇだろ」
「まったく、律儀ね、ケンゴは」
呆れたようにレベッカは笑みを作った。
しかし、その笑みはどこか穏やかで、優しい。
「だからこそ、私も協力する気になったんだけど。貴方みたいな人じゃなければ、宿敵の外面をした人となんて、親友にならなかったかもしれないわね」
「そりゃ光栄な限りだぜ。俺としては、結構自分本位に動いているつもりなんだがな」
「どの辺が? ああ、喧嘩に明け暮れていた時はわかるけど」
賢悟は頬を掻いて、何気なく答えた。
「俺の気分が良くなるか、悪くなるか。基本的にはこれだな、これを基準にして、俺は動いている。俺はただ、俺の気分が悪くならないように生きているだけだ」
「その結果、妙に律儀になる所が、根が善性ね」
「そうか? よほどの悪性でもなけりゃ、根っからの悪人なんて少ないだろ。大抵、悪事っていうのは、自分の気分が悪くなるのを我慢して楽をしているだけだし」
賢悟の行動原理は、つまり、それに尽きる。
悪事を行えば、己の気分が害されるので、やらない。逆に、善行は自分の気分が向いた時や、見捨てたら気分が悪くなるときに行う。ある意味、徹頭徹尾自分のためだ。
田井中賢悟は己の心に従って動いている。
「…………ひっく、ぐす……」
だから、この時も賢悟は己の心のままに動いていたのだろう。
「ん? 迷子か?」
「小等部の子が迷い込んだのかしら? 学園は広いから迷いやすいのよ」
地下から地上の学園へ戻って来たすぐの廊下。階段付近に、赤い長髪の少女が、目に涙を貯めてその身を震わせていた。
年は十歳ほどだろうか? 純白のワンピースを纏い、小麦色の肌が活発な印象を抱かせる。今は涙で歪められているが、いや、歪められてなお、その容姿は凛としていて美しい。
「でも、なんで高等部の校舎に…………ん? なんか、あの子、何処かで見たような?」
「知り合いか? なんにせよ、泣いているガキを見捨てると後味悪いからな」
適当にあやしてくるぜ、と手をひらひら振りながら少女の元へ小走りする賢悟。
「ん、んー?」
レベッカは妙に何かが引っかかるらしく、首を傾げている。だが、その間に賢悟は、泣いている少女へ、精一杯の優しい笑みを向けて、言葉を掛けていた。
「ガキ……もとい、お嬢ちゃん。迷子になったのか? 良ければ、おにい――――お姉ちゃんが一緒に行って、案内してあげようか?」
「……ぐす、ひっく、あの……あの」
嗚咽交じりに答える少女の声はか細い。
活発な容姿と違って、内面は臆病なのか? はたまた、いきなり話しかけてきた賢悟を恐れているのか? 少女の肩は震えている。
「大丈夫だ」
そんな少女へ、賢悟はぽん、と胸を叩いて断言した。
「俺が居る限り、大抵の悩みはなんとかなる! 初対面だが、俺を信じろ! 俺がお前を助けてやる!」
「…………」
ぽかんと口を開けて、目を丸くする少女。
『子供を泣き止ますためには、まず大人が笑顔にならなければならない。そして、子供の悩みに対して、まず、大丈夫だと言い切って、後はその『大丈夫だ』を本当にする。たったそれだけのことで、子供の笑顔が一つ増えるんだ。お得だろう?』
賢悟が尊敬する祖父の教えだった。
無理を壊して道理を通すような教えだが、賢悟自身がそれを実行し続けているのなら、きっとそれは本物だ。
「…………あの」
賢悟の気持ちが通じたのか、少女は泣き止んだ。
泣き止むと、まだ赤い目の上目づかいで、賢悟をこっそりと手招きする。どうやら、こっそりと耳打ちをしたいという意思表示らしい。少なくと、賢悟はそう判断した。
だから、賢悟は何も疑わずに少女へ顔を近づける。
「我、汝と契約を結ばん」
故に、賢悟は三度目のそれを許してしまったのだ。
唇に伝わる温かく、柔らかい感触。
「んん!?」
キスだ。
賢悟は無警戒に少女へ顔を近づけた結果、顔を両手で固定され、そのまま唇を奪われてしまったのである。
「ぷ、ぷはっ!? ちょ、え? 一体、何をするんだよ!?」
とは言え、賢悟もキスは三回目。しかも、今回はそっと唇が触れ合う程度の優しいキスだ。混乱するのも早かったが、立ち直るのも早い。真っ赤に染まった顔を少女から遠ざけて、ふらふらとよろけるように後ずさり。
そこで、やっと賢悟は気づいた。
「逃げて、ケンゴ! 今やっと思い出した! その子は――――」
叫ぶレベッカの警告が遠い。
賢悟の意識が酩酊し、揺らぎ、視界さえもまともに効かなくなっていく。
足場が崩壊し、そのまま地の底へ落ちていくような酩酊の中、賢悟は見た。
「田井中賢悟。貴様の人生――――我が貰い受ける」
先ほどまで泣いていた少女が、傲慢な言葉と共に笑みを浮かべていたところを。
覇気さえ孕んだ、王者の笑みを浮かべているところを。




