第19話 科学オタクの魔術師
そこは学園の地下に造られた個人研究室だった。
広さは教室二つ分程度あるはずだが、そのほとんどが、実験器具やら本棚やら、雑多に溢れ返る品々で埋まっている。辛うじて床が見えているのは、研究室の主が歩くように確保したスペースのみ。そのスペースを、小さな体でちょこまか動き回る白衣の影。それが無ければ、この研究室が物置と呼称を変えてもおかしくない、それほどの散らかりようだった。
「んー、んー、んー、あー」
ゾンビの如き呻き声を上げながら動き回る、小柄な白衣の少女。青味掛かったぼさぼさの黒髪に、大きなレンズの銀縁眼鏡。白衣の下はほとんど下着のみで、おおよそ、まともな人間のする格好では無い。
「あひひ! あひひひぃ!」
唸っていたかと思うと、白衣の少女は奇声を上げて小躍りを開始する。
数秒間、歓喜を体全体で示したかと思うと、物品の山から机とノートを引っ張り出し、無言で何かを書きこんでいく。
傍から見れば、狂人としか呼べないような奇行をする少女だが――彼女こそ、このエルメキドン学園で発明王の二つ名で知られる天才――ヘレン・イーグレスである。
人間性はともかく、彼女がその場の思い付きで作った魔導具の数々は、王国の王手企業から製品化されていたり、あるいは、権威の高い賞の数々を貰っていたりするのだが、
「んきぃー! 違う違う違うよぉおおおおん! これじゃ、ただの魔導具だ! 『機械』には、『科学』にはならなぃいいいいっ!!」
ヘレン本人にとっては、そんなことは些事だった。
彼女の生涯を掛けた研究のテーマは『科学』である。この『マジック』ではフィクションの産物に過ぎない科学を、何とか魔術と組み合わせて再現できないかと研究しているのだ。
ヘレンにとって、賞賛されている魔術の腕や、魔導具制作の技術などは、そのための過程に過ぎない。故に、その過程でいくら賞賛を受けようが、ヘレンの心が充実を得ることはないのだ。
「うきょきょきょー!」
今日も今日とて、ヘレンは奇声を上げながら、『科学』に至る術を探し、新たな魔術を編み出す。いずれ、己の野望を叶えるその時まで。
「やれやれ、相変わらず貴方の作業風景は鬼気迫る物がありますねぇ、ヘレン博士」
「うきょ?」
ヘレンしかいないはずだった研究室に、突如、黒く細長い影が立つ。
「しかし、貴方ほどの才能を持ちながら、それだけの情熱を保ち続けているというのが、やはり、奇跡なのでしょう。その奇跡を努力、いえ、努力と呼ぶのは失礼ですね。貴方はその工程を楽しんでいるのだから。強いて言うのなら……そう、練磨でしょうか? 己を練磨し続ける苛烈な精神性。まったく、感服するしか御座いません」
空虚な美辞麗句を並べながら現れたのは、マクガフィン。黒スーツ姿の、冴えない男。けれど、ナナシという世界中にネットワークを持つテロ組織の主犯者である。
マクガフィンは、ニコニコと和やかな笑顔で言葉を続けた。
「どうでしょう? ヘレン博士。前に私どもの方から提案させていただいた『インターネット』の擬似制作である、『魔導ネットワーク』の改良の件について、お返事をいただけないでしょうか? 私どもなら、ヘレン博士を煩わせずに、様々な利便性を提供できますが」
「んんー、んきょー?」
突如現れたマクガフィンを、ヘレンはぐるぐると首を回して観察。きっちり五秒。頭からつま先まで観察し終えたヘレンは、やっと言葉を返す。
「そうかそうか! 私の試作品を見に来たのか!」
「いえ……あ、もしかして、頼んでいた端末の改良品が――」
「今日はこれを見せてあげよう! ででーん! マナレンジぃ!!」
ぱちん、とヘレンが指を鳴らすと、虚空から人一人すっぽり入るほどの金属の箱が現れた。当然、周囲の物は押し出されるように崩され、さらに研究室が散らかっていくが、ヘレンは全く気にしていない。
「これはこれはー、『サイエンス』世界の電子レンジからヒントを得た発明品でー」
「あの、私が頼んでいた奴とは、まったく関係な――」
「使い方は簡単! まずは適当なナマモノを中に入れます!」
再度ヘレンが指を鳴らすと、マクガフィンはまったく間にマナレンジの中へと転移させられた。流れるような空間魔術の行使だ。マクガフィンにレジストさせる暇すら与えないほどの。
「ちょ、なんですか、これ! 凄く怖い!」
「このボタンを押して……『あたため』でー」
マナレンジはいわゆる、電子レンジと酷似した構造になっていた。電子レンジを人一人すっぽり入るまで巨大化したのが、マナレンジと想像すると分かり易いだろう。
「電子レンジは『サイエンス』における極小単位である分子を振動させる装置だ。それにより、物質にエネルギー……熱を与える。それを参考に、このマナレンジも、対象のマナの構造を振動させて、エネルギーを与えるという実験なわけなのけどー」
ちん♪
ベルの音と共に、中でマナの構造を崩されたマクガフィンは、ミンチよりひどい有様で血みどろになっていた。僅か二分間での虐殺劇である。
「この通り、ナマモノ相手だとただの殺戮兵器にしかならないのが難点! ある程度固形物とか、構造が単純な物質だったら、まだ成功するんだけどなぁ! 残念無念でした!」
うきょきょきょと、ヘレンは奇声を上げる。
まるで、人命など意にも解さぬマッドサイエンティストの如く。
「はぁ、いい加減、うざいっての」
ひとしきり奇声を上げたかと思うと、急にテンションが下がり、ヘレンがため息を吐いた。
これでマクガフィンが死なないことは、ヘレンは知っている。なにせ、ヘレンが分解したこの体は、無数にある端末の一つに過ぎない。マクガフィンの存在のカラクリ、その一端を知っているヘレンだからこそ、ああいうぞんざいな人体実験が出来たのだ。
さすがに、それ以外の人間に同じこと試すようなつもりなど、ヘレンには無い。
「…………もっと、もっと知識が必要だ。せめて、『サイエンス』世界の科学者でも、いや、高等教育を受けた人間が一人でもいれば――」
そんな些事よりも、何よりも、ヘレンは『サイエンス』の知識を求めていた。
されど、無意識に伸ばした手は虚空を掴むのみ。
数えきれない賞賛の上に君臨していようが、まだ、ヘレンの手は何も掴めていないのである。
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「とりあえず、凄く変態で基本的に話が通じない奴だけど、極たまに悪い奴じゃないと思えることもあるから……うん、交渉は自分で頑張ってね、ケイゴ」
「ここまで人を不安にさせる紹介も中々無いぜ」
学園の地下。
白熱灯に似た魔導具で照らされた廊下を、レベッカと賢悟は並んで歩いている。
目的地は、学園随一の変態であり、天才が住まう研究室だ。
「しかし、エリの記憶ではそいつ、研究肌の人間なんだろ? 確かさ、エルフとヒューマンのハーフで、物凄く身体能力が低くなかったか?」
「ええ、そうね。私にスデゴロで負けるほど、身体能力は弱いわ」
「え? なにそいつ、小等部?」
「失礼な」
完全後衛で、火力砲台役のレベッカよりも接近戦が弱いと聞いて、賢悟の心配が増した。確かに、後衛に接近戦をさせるつもりなどは無いが、それでも、奇襲を受けた場合、ある程度対応してもらわなければ、どうにもならない。いくらレベッカと同等の魔術師だとしても、敵の奇襲に一撃で倒される可能性がある者を、パーティメンバーに選ぶわけにはいかないのだ。
「なんだそいつ、大丈夫なのか? とでも言いたげな顔をしているわね」
「そりゃな? 割と貧弱なレベッカよりも接近戦が弱いと言われれば……」
「そうね。でも、それは何も準備していなかった場合の事よ」
「魔導具の類か?」
「ええ、その通り。彼女、ヘレンが造り出す魔導具はどれも一級品ばかり……その中に、ヘレンの弱点をカバーする物もあるの。まぁ」
二人は目的の研究室の前までたどり着き、立ち止まった。
「詳しくは、実際にヘレンから見せてもらえばいいわ」
「そうだな……しかし、変態で偏屈な発明家ねぇ? どうしてそこまで、科学に固執するんだか。『サイエンス』出身の俺からは、ファンタジーの方が驚きなんだが」
「それも、本人から聞きなさいな」
レベッカが控えめにノックをすると、ドアに備え付けられていたインターホンのような魔導具から声が返ってくる。
『あいあいー、どちらさんー?』
「レベッカ・アヴァロンよ、ヘレン。今日は私の友人の紹介に来たわ」
『あー、んんー……なーる、噂の彼女か! いや、彼かな? いいよ、いいよん。私も噂の彼と会ってみたかったんだ! 今、ロックを外すから入ってきてー』
「わかったわ」
インターホン越しの会話が終わると、がちんと、ドアからロックの外れる音がした。
魔法による施錠と、遠隔からの解錠。現代の『マジック』では一般的な技術であるが、一連の流れは驚くほど滑らかだ。通常、自分で施錠したとしても、数秒は解錠に時間が掛かってしまうというのに、ヘレンのそれはまさに刹那での出来事だった。これだけでも、分かる者には、ヘレンの造る魔導具の優秀さが理解できてしまうだろう。
ただ、二人は今更そんなことで驚く精神性を持ち合わせいないので、普通にドアを開ける。
「入るわよ」
「おじゃましまーす」
二人がドアを開けた瞬間、目に入って来た光景は『物置』だった。しかも、地震にでも遭ったのか、と疑問に思うほどにあらゆる物が散乱している。積み立てられていた物が徹底的にミックスされて、散らかってしまったような、そんな悲惨ささせ感じられる光景だった。
「おーおー、ほんとにエリの見た目なんだなー。というか、んんー? なんか、きみぃ、おかしいというかー、あべこべというかー」
そして、ぺちぺちというスリッパの音と共に、二人の目の前に現れた。
「おかしいのはアンタの格好よ!」
白衣の下に下着だけという、痴女チックなスタイルのままで。
「ええー、人の普段着を馬鹿にするなよぅ、レベッカぁー」
「馬鹿にしていないわ! 呆れているの! 私だけならともかく、言ったでしょ? こいつは体は女でも、中身は男だって!」
「おー?」
無言で視線を逸らしている賢悟へ、ヘレンは大胆に白衣をたくし上げて尋ねた。
「縞パンだけどー、どーですかー?」
「レベッカ、お前の知り合いが積極的にセクハラしてくる」
「にゃぁああああああああっ! この変態白衣痴女がぁああああああああっ!!」
「女性の体でも欲情するのかと思ってってててててててぇええええええええっ!!?」
ブチ切れたレベッカのプロレス技により、ヘレンは悲鳴を上げる。
どうやら、コブラツイストは異世界間でも共通して、強力な組み技として活躍しているらしい。ミシミシと軋む嫌な音が、ヘレンの体から聞こえている。
「この魔術師、組み技使ってくるよぉおおおっ! 乱暴猫ぉ!」
「うるさい! 痴女博士!」
ヘレン相手に魔術を使うと、あっさり抵抗されてしまうので、制裁するのは肉体言語が一番効果的なのだった。
「いたたたー、わかったよぅ、着替えるよぅ、馬鹿ぁ」
「馬鹿じゃにゃい」
こうして、ヘレンがジャージ姿に着替えて、白衣を羽織ったところから、やっと賢悟の話題にまで戻ることが出来たのである。
「んでー、そこの色々珍妙な人は私に何の用ぅー? わざわざレベッカと一緒にやってきて、お友達になりましょう? という人格じゃないだろー?」
「初対面なのにその言いぐさかよ。まぁ、合っているが」
眉を微動させる賢悟に、ヘレンはうきょきょと笑って応えた。
「人格なんて、大体格好を見れば分かるよん。人間は中身だー、とか言うけど、中身によって外面も違うのだぜ? 単純な美醜じゃなくて、服装や髪形、あとはまぁ、その他の要因から色々と読み取れるのだよ、ワトソン君」
「何でこっちのネタが分かるんだよ、ホームズ探偵」
「んんんー? そっちこそ、なんでこのネタわかるのさー?」
小鳥のように首を傾げるヘレン。
だが、その問いには答えず、賢悟は話を切り出す。
「……俺がアンタのところにやってきたのは、率直に言えば、パーティメンバーの勧誘だ。とある理由で皇国に出向くのに、アンタの力が欲しい」
「えー、やだー」
即答だった。
思考する余地もありはしない、という脊髄反射の如き返答だった。
「一応訊くぜ、理由は?」
「めんどい」
「おう、大体予想はしていた」
断られたというのに、賢悟はどこか楽しげな笑顔を浮かべている。一見すると、取りつく島も無しに拒絶されたのだが、どうやらまだ勝算が残っているようだ。
「それよりー、なんで、君は『シャーロック・ホームズ』のネタが分かるのさぁ? あの本は、『この世界で一冊しかない』はずなのに」
にぃ、とヘレンの問いに賢悟は笑みを持って応えた。
挑発するように、唇を歪めた笑みで。
「さて、何でだと思う?」
「んんー?」
偶然で発見した利点であり、推測であるが、賢悟は己の推測に確信を持っていた。どのような手段を用いているか分からないが、間違いなくヘレンは――『サイエンス』世界の書物を所有していると。
「ヒントその1。俺は本来、この姿ではありません」
「うん、それは知ってるよん」
「ヒントその2。これは、エリの体です」
「…………ほほう」
ゆらゆらと、釣り糸を垂らすかのように秘密の断片をばら撒く賢悟。その隣で、レベッカが心配そうに見つめているが、表情は崩さない。元々、賢悟は最終的に、パーティメンバーへ己の秘密を全部ばらそうと思っていたからだ。
「ヒントその3」
故に、賢悟は惜しみも無く、上着を脱ぎ捨てて、己の胸元を晒した。
赤く咲く、死の呪いを。
「この体には死に至る呪いが掛けられてしました」
「ほうほうほう!」
淀んでいたヘレンの瞳が、好奇心で輝きを増していく。
「さて、ここで追加の問題です。この体の前の持ち主は、この呪いから逃れるために、どんな馬鹿をやらかしたでしょーか?」
きひっ、とヘレンが歓喜の声を零した。
隠し切れない笑みを抑えるように、口元を抑え、ヘレンは思考を回す。
「エリの体。別人の魂。死の呪い。管理者クラス? 逃れるための術。世界跳躍。召喚術。交換……悪魔? シャーロック・ホームズ――――まさか」
そして、ついにその答えに辿り着いた。
賢悟は、ヘレンが己の正体に辿り着いたのを見届けると、恭しく礼をして自己紹介を始める。
「初めまして、ヘレン・イーグレス。俺の名前は田井中賢悟。どっかの馬鹿によって、拉致された上に、体を入れ替えられた憐れな――」
「科学の異世界人!」
「わぷっ!?」
格好良く決めて交渉を始めようとした賢悟だが、それよりも先に、ヘレンが全身で抱き付く。文字通りの全身ダイブである。さすがに、避けるわけにもいかず、受け止めた賢悟だったが、その衝撃で転倒。仰向けに倒れたので、自然とヘレンが馬乗りという形になり。
「ちょ、ま」
「会いたかったぁああああああっ! もう! もう! もう! んゆー」
「んんぅ!?」
有り余る感激のキスにより、割と早めにセカンドキスを喪失してしまったのだった。
ちなみに、セカンドキスもディープだったらしい。




