第14話 ボロボロの友情
王都の外。
おおよそ十キロほど離れた地点。
鬱蒼とした林の中で、状況に似使わない黒スーツ姿の男と、シイが向かい合って話をしていた。もっとも、
「今回で貴様に愛想が尽きた。もう我はナナシを抜ける。後は好きにしろ」
「えぇー!? あの、魔王の一角に抜けられるのは私、凄く困るんですけど!」
「うるさい、死ね!」
「ぐべぼ!?」
まともな話し合いだったのは、最初の数秒だけだったのだが。
シイは目が据わった状態で、無言に黒スーツの男を殴り続ける。
「我々の決闘を邪魔しおって…………万死に値する」
「待って、待ってくださいよ! 最初に約束破ったのはそっちなわけでして、その上、私、さっきしこたま殴られたばかりで――」
「知ったことか」
強烈なボディを男に食らわせた後、九の字体が曲がり、無様に突き出た頭。殴ってくださいと言わんばかりの頭を、シイは万力のような力を込めて掴んだ。
「がっ!?」
「元々、貴様は気に入らなかった。必要以上に悲鳴と虐殺を好み、実に効率的では無い。我が言わなければ貴様、王都に魔物を適当に放ち……貴様好みの殺戮空間を演出していただろう? それこそ、元々の目的など度外視に」
「が、ががが…………ははっ! さぁ? どうでしょうねぇ」
みしみしと頭蓋が軋み、今にも頭蓋が割れそうな激痛に襲われているというのに、男は愉快そうに笑みを浮かべる。シイはその笑み見て、苦々しく吐き捨てた。
「なにより―――同類殺しを楽しむ、貴様の感性が気に食わん」
ごきゃ、と頭蓋が潰れる音と、脳漿が飛び出す音が森の中へと響く。
「さらに言うのならば」
そして、シイは森の中の虚空を睨むようにして言葉を続ける。
「傀儡ばかりで、己が直接出向かない姑息な性格……それも、ひどく苛立つのだ。ナナシ共のリーダーにして、代替可能な悪夢存在――マクガフィンよ」
『ははははははっ! それはそれは! 残念ですよ、巨人の王』
虚空から、シイの言葉に応えるように声が返ってきた。ただし、それは先ほどの男の声では無く、老若男女問わず、あらゆる声が混じったような不快な雑音だった。
『私としては、貴方は魔物の中でも尊敬すべき存在なのですがね』
「はっ、嫌いな奴に好かれるほど嫌なことは無いな」
『あははは! それはごもっとも』
悪意の哄笑が森中に響き渡る。
まるで、木々の影に全て、悪意を持った存在が潜んでいるような不快な笑い声だった。
『ですがお忘れなく。そもそも、我々ナナシの協力がなければ、貴方魔物には、人類に対して勝算すらないのだと! ただの駆逐される獣でしかない!』
「……ふん、殴られない場所に戻ったら急にでかい口を叩くな」
『生憎それが人間。もとい、悪意ある一般市民という奴でして。匿名だったらどんな悪行も出来る。どんな最低な行動だって衝動のままに出来る。それが我々の利点です』
「汚点の間違いだろう、汚物どもが」
だから、シイは人間が嫌いだった。
このナナシという組織のように、簡単に同族を裏切って殺し。騙しては陥れ、意味のない争いを繰り返し、資源を枯渇させんと星を蝕むから。
「少しは、あの異世界の客人――ケンゴを見習うといい」
ただ、種族としてではなく、個人としては好ましいと思う人間なら、少ないが居た。それは、かつて英雄と呼ばれた強者であり、また、先ほど己と素手で殴り合った馬鹿――もとい、賢悟という異世界人である。
「あいつは己の殻が脆弱な別物になろうが、威風堂々と我に挑んできた馬鹿だぞ?」
『いや、さすがにそんな脳みそが入っていないような人と比べられても――――』
瞬間、シイは無言で大地を踏み砕いた。
その衝撃で、森の木々は全て薙ぎ払われ、荒々しい奔流に寄り、全てが消し飛ばされる。マクガフィンが仕掛けておいた通信魔術も、何もかも。後に残ったのは、シイと中心とした、大規模なクレーターだけだ。
「ふん、あいつは確かに馬鹿だがな? 不思議なことに、我以外の奴に馬鹿呼ばわりされると、ひどく苛立つのだ」
にぃ、とシイは愉快そうに笑みを作ると、随分と見晴らしの良くなった荒れ地を歩いていく。
配下を失い、決闘を邪魔され、不愉快な存在には逃げられる。
おまけに人類打倒の足掛かりも失われたというのに、なぜか、シイの横顔は、どこか晴れ晴れとしていた。
「また会おう、ケンゴ。今度は、互いに邪魔が入らぬ場所で存分に」
巨人の魔王は、人間の歩幅で去っていく。
胸に、爽快愉快な決闘相手への想いを抱きながら。
●●●
賢悟が幼い頃、一人目の母親は死んだ。
小学校に上がる前、ちょうど、卒園式を終えた後の長い休みの間に、賢悟の母親は持病が悪化して死んだのだという。
元々、病弱な体だったらしく、賢悟を生むこと自体、大分医者や家族から反対されていたことだったのだとか。そんな病弱な体から、ひどく頑丈な賢悟が生まれたのは奇跡なのか、皮肉なのかはわからない。だが、賢悟を産まなければ、もう少し長く母親が生きられたのではないか、と賢悟自身は子供の頃から思っていた。
賢悟の母親は優しい人だったが、賢悟はあまり母親と遊んだことも、いや、話したこともあまりなかった。いつも、真っ白なベッドの上で儚げに微笑む人。そんな、どこか特別な人が、賢悟にとっての母親だった。
触れれば融けて、砕けてしまいそうな氷細工。
ひどく美しく、脆い人。
だから、賢悟は母親が死んだときも、あまり驚かなかった。悲しみよりも、ああ、やっぱり死んだのか、という納得の方が大きかったのだ。
母親が死んだとき、賢悟はあまり泣かなかったと記憶している。
なにせ、触れ合う時間が少なかったのだ。幼い子供は無邪気だが、残酷に平等だ。遊んでくれた時間の少なさは、比例して悲しみの少なさに繋がっている。
けれど、賢悟は年をとって高校生になってからも、たまに一人目の母親の夢を見る。
風邪を引いた時や、ひどい怪我をして寝込んでいる時。
幼い頃、母親が美しい旋律の鼻歌を奏でながら作ってくれた林檎のすりおろし。その甘さと、切なさを、少しだけ思い出すのだ。
まだ、弱く、甘えるばかりだった頃の自分を。
●●●
目を覚ました瞬間、聞こえたのは懐かしい旋律だった。
幼い頃に聞いたはずの美しい旋律。けれど、今、この世界では有り得ないはずの旋律が、何故が、ちょっと外れた調子の鼻歌で奏でられている。
その音律がこの世界では正しいのか、それとも、単に鼻歌を奏でている本人の技量の問題か。
どちらにせよ、微睡から覚める時に聞く音としては、賢悟にとってそう悪い物では無かった。
「…………だりぃ」
賢悟は呟くと、ゆっくりと瞼を開ける。
体も起こそうとしたが、妙に脱力感があって、中々動かせない。もうしばらく意識を覚醒させなければ、難しいだろう。
「あ、やっと起きたのね、ケンゴ」
ずい、と賢悟の視界に入ってきたのは、レベッカだった。ぴくぴくと、金髪と同色の猫耳が動いて、レベッカは安堵の表情を作った。
「ん…………レベッカか」
「レベッカか、じゃないわよ、ほんと。貴方、一体どれくらい眠っていたと思う? 三日よ、三日。ほら、よく見なさい、いろんな管が付いているでしょう?」
「うわ、マジだ、気持ち悪い。つか、この世界でもこういう器具あるんだなぁ……や、エリの記憶で分かっていたけどよ」
白衣に包まれた賢悟の体に、点滴の管や、心音を測る魔導具などが繋がれている。そのどれもが、『サイエンス』で見て来た医療器具に酷似している。恐らく、高度に発展した科学は魔法と判別がつかない、と誰かの言葉があるように、手段は違っていても行き着く結果は近しい物になるようだった。
「レベッカ。あいつら……ギィーナとルイスはどうなった?」
「死にかけて目が覚めてから、まず他人の心配? 馬鹿っていうか、お人よし……はぁ、大丈夫よ。二人とも無事ではないけど、生きているわ。少なくとも、貴方よりはずっと軽傷よ。今は同じ階の別の病室にいるから、後で会いに行くといいわ」
「おっけ。起き上がれるようになったらすぐ行くわ」
「もっと休みなさい、この重病人」
むに、とレベッカが軽く賢悟の頬を摘まむ。
むにむにぃ、とその頬は柔らかく、良く伸びていた。
「いくら私の計らいで最上級回復魔術を受けたとはいえ、心の傷や体力までは戻らないわ。そもそも、回復魔術は、戦闘中、強制的に体を治す方法だから、あまり推奨されることじゃないのだけれど……」
レベッカは一息置いてから、苦々しく告げた。
「貴方、そうでもしなければ死んでいたかもしれない重症だったもの。全身の骨がひび割れているか、折れていて、内臓のずたずた。生きているのが不思議なぐらいだったのよ?」
「や、ちょっと魔王を名乗る猛者と殴り合って」
「…………」
無言で賢悟の両頬を摘まみ、引っ張るレベッカ。
「やめへ、ひゃめへ、ほほら、ほほら」
「そりゃ確かにあの状況なら、私闘じゃないかもしれないけどね? 私闘の代わりに死闘してどうするのよ、馬鹿。貴方の体じゃなくても、命は貴方の物なんだから、大切にしなさい」
「…………ひゃーい」
目覚めて早々、説教されて割とへこむ賢悟である。
中身は百戦錬磨の不良男子高校生だというのに、外見は美少女なので、俯く仕草が妙に可愛らしい。思わず、その外見――エリと宿敵だったレベッカですらきゅんと胸がときめくほどだ。
「ま、まぁ……今度から気を付けなさいね」
「おう、わかったよ。というか、なぜ、頭を撫でる?」
「え、えーっと、ほら? 痛いの痛いの、何も感じなくなれー、っておまじない」
「なんか俺の知っているおまじないより、やばい感じがするだけど、それ」
魔法世界でのおまじないは、割と洒落にならない、と賢悟は身を震わせた。
と、そんなやり取りをしていると、急に『ドバン!』と病室のドアが乱暴に開かれる音がして、
「あ、あぁああああああっ!! よかったぁ! 意識が戻ってよかったですぅ! 賢悟様ぁ!」
涙と鼻水を垂れ流しにした、銀髪メイドが、破顔して賢悟に抱き付いてきた。
「ぐぎゃぁあああああ!? 後遺症が! まだ治りきっていない部分がぁ!」
「ちょ、リリー! アンタ、あまりにもうるさいから病院から追放したはずなのに、どうやって入ってきたのよ、このゴキブリ!」
「物理的に封鎖されていない場所への侵入なんて、誰でもできます。それよりも、賢悟様が起きてくれて本当によかったです。本当に、本当に…………エリ様の体が死んでしまうかと」
「お前はそればっかりだよな! この駄メイドめ!」
賢悟はなけなしの気力を振り絞り、病み上がりの体でリリーの腹部に掌圧を食らわせ、吹き飛ばす。リリーは笑顔のまま吹き飛ばされ、病室の壁に当たって、気を失った。
「い、いかん……病み上がりで無理をし過ぎて、意識が……」
「ほんと、馬鹿ね、ケンゴは。ほら、あのナマモノは私がどうにかしてあげるから、しばらく、ゆっくり眠っていなさい」
「…………ん、わるい……あり、がと……レベッカ」
ゆっくりと微睡みに落ちていく賢悟の頬に、レベッカはそっと手を添えて、優しく撫でる。
「よく、頑張ったわね。今は休んで、また元気になりなさい」
エリの体に魂を入れられた、異世界の少年。
本当の姿も知らない……けれど、それだったら割と色々知っている少年。
レベッカは、この少年を妙に気に入っていた。
勤勉で、前向きで、さっぱりとした性格をしていて、負けず嫌いで。
だけど、目を離すとすぐに喧嘩や、こんな大怪我をしてしまう危うさを抱えていて。
まるで手のかかる弟が出来たような気分だった。
話を聞く限りだと、賢悟とレベッカは同い年らしいが、それでも、もしも姉弟になるなら、私が姉で、こいつが弟だと確信していた。
「大丈夫、今度は私が守ってあげるわ」
だから、レベッカは己の誇りにかけて誓う。
この卑劣なテロを行い……賢悟の魂を狙った存在を許さないと。
必ず、尻尾を掴み、紅蓮の劫火にて魂まで焼き尽くしてやろうと。
貴族の義務として。
そして、なにより、賢悟の友達として、レベッカは決意したのだった。
●●●
二度目の覚醒は妙に騒がしい物だった。
「お、マジで二度寝してやがる。ったく、せっかく人が見舞いを持ってきたってーのに」
「あはは、ギィーナ君、それ、自分の見舞い品でしょ?」
「るっせぇなぁ。横流し品だろうが、なんだろうが、オジジーナは見舞いにもってこいの果物なんだぞ? しかも、見てみろこれ」
「うっわ、シブライズ産!? 高級品! え、というか、誰からの見舞い品だったの!?」
「上級生のエルフ。ちょっと前に、一緒にダンジョンに潜ったことがあるんだよ」
「へー、なんか意外な縁だねー」
病室には似合わない、賑やかな談笑。
個室で防音設備が整って無ければマナー違反だろうが、幸い、この病室の主はそこまで狭量な人間ではなかったようだ。
「…………んだよ、テメェらか」
ただ、その割に寝起きの挨拶は随分とぶっきらぼうだったようだが。
「おう、起きたか、女」
「女って言うな、トカゲ」
「も、もう! 二人とも病み上がりなのに、即睨み合わないでよー!」
見舞いにやってきたのは、ギィーナとルイスの二人だった。どちらも、賢悟と同じく入院服に、上からパーカーなどを羽織っている。
「傷自体はもう治っているんだよな? だったらほら、これを食え、オジジーナ」
「…………なんか、極彩色に光ってんだけど、この果実」
「え? 当たり前でしょ? オジジーナだもん」
見舞いの気持ちは嬉しい賢悟だったが、目の前に出されたのは、ぎらぎらに輝く果実だ。林檎とオレンジの中間ほどの大きさのそれを、賢悟は恐る恐る受け取って、そっと備えつけの冷蔵庫へとしまう。
「うん、後で食うわ、サンキュー」
「何言ってんだ、今剥いて食うぞ。オジジーナは鮮度が命なんだ。ルイス、お前が剥け」
「はいはい、ギィーナ君はぶきっちょだもんねー」
「うるせぇ。果実が小さくて、俺の手に合わないんだよ」
「…………おう」
流石にこの状況で断るほど賢悟は空気を読まない男では無い。覚悟を決めて、綺麗に剥かれた虹色の身を食べるのであった。
「…………妙に美味しいのが不気味だ。林檎ともメロンともオレンジとも違う、フルーティな味覚が……」
「ま、お前は異世界人らしいからな。確かに、初めて食うならオジジーナは驚くだろうよ」
「でも、慣れれば美味しいんだよー?」
「そうかー………………そうか。そういえば、あの時、もろに俺って異世界人宣言してたよな」
しまった、と言わんばかりに項垂れる賢悟。
そもそも、シイによって早々に賢悟が異世界人であるとばらされていたので、今更何を繕おうが、手遅れなのだが。
「ふん。心配するんじゃねーよ。テメェが何者だろうが、俺たちはそれを口外するつもりはないっての」
「レベッカさんから、色々注意も受けたしね」
「つーか、俺にとってはお前が誰だろうが関係ない」
ギィーナはぎろり、と賢悟を睨みつけて指差すと、宣言する。
「これで勝ったと思うなよ?」
「…………えーっと、ルイス。説明してくれ」
「あはは、はい」
首を傾げる賢悟に、ルイスは苦笑交じりに説明を始めた。
「ほら、私の全力のエンチャントを賢悟さんはいきなり使いこなしたじゃないですか。その上、ギィーナ君を一撃で倒した相手と、互角以上に戦って。そこら辺の負け惜しみを言っているんですよ、ギィーナ君は」
「ま、負け惜しみじゃねぇ!」
うがぁ、と大きな口を開けてギィーナは言う。
「いいか? 確かに俺はまだ未熟だが、負けたわけでは無い! 俺が認めない限り、俺は絶対に負けない」
「それって、ただの意地だよー、ギィーナ君」
「うっせぇ!」
二人のやり取りを眺め、唖然と口を開いていた賢悟だったが、その内、腹を抱えて笑い出した。けらけらと、無邪気な笑顔で。
「はははっ、はは! お前、そんなこと考えてたのかよ!」
「ええい、笑うんじゃねぇ!」
「あはははっ! ははっ! そ、そうだな! うん……負けてない、負けてないぞ。まだ直接戦ってないからなー。でも、残念だなー。俺、私闘は禁止されているからなー」
「それなら決闘してやんよ! もちろん、互いに全快したらだけどな!」
「あんまりはしゃぐと、あとで看護師さんが怖いんだよねぇ」
怪我人だというのに、ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人。
そんな三人の病室を開けて、入ってきた見舞客がまた一人。
「賢悟、賢悟ぉー。大親友の僕が見舞いに奮発して、オジジーナを持ってきたよー。ってあれ? 驚いた。僕以外にも見舞客? どちら様?」
黒髪の少年――太郎がひょっこりと病室のドアから顔を覗かせる。
そんな太郎へ、賢悟は笑顔で勝手に言い切るのだ。
「ああ、新しくできた……友達だよ」
けれど、ギィーナとルイスの二人は特に否定することもない。
「けっ!」
ギィーナは照れ隠しなのか、不機嫌なのかわからないようにそっぽを向いて。
「そうそう! 私の大切な相棒になる予定なんだよ!」
「えっ? そうなのか?」
「だって! 今のところ、私のエンチャントがまともに活躍するの、君だけだし!」
ルイスは笑顔で相棒宣言をして。
「おいおい。お前ら仮にも病室なんだから、静かにしろよ、まったく…………ははは、本当に。まったく、なぁ」
いつの間にか、ずっと孤独だったはずの賢悟が、友達に囲まれていた。




