第10話 悪意の影と足りない力
魔物と呼ばれる存在がある。
それは、古代から存在する人類にとっての敵対種族だ。
かつて、『マジック』がまだ『神世』に近しく、全てを作り上げた創造の神が支配していた時代。七人の英雄が、その支配から世界を解き放つため、創造主である神に逆らい、神を殺したのは有名な話である。そして、神を殺した代償として、死に際に神が放った呪いによって世界中に魔物が生まれたことも。
魔物は、人類を嫌悪し、殺すことを本能に刻まれた生物だ。
魚がエラ呼吸するように、鳥が空を飛ぶように、魔物は『人を殺す生物』なのだ。一部の例外を除き、飼い馴らすことは不可能に近い。かつては、魔物の本能に刻まれた呪いを解き、己の盟友にする技法が流行った時代もあったが、それも昔。今は魔導具の進歩によって、より効率的に、安全に魔物を駆逐する手段を得ている。
科学の発展した現代世界で、獰猛な野生生物たちがどうあがいても人間種族に勝てないように。魔法の発展した現代世界では、人類が魔物に対して大きなアドバンテージを得ていた。
遠距離から、強力な魔術を詠唱無しで放てる魔導銃器。
魔物を周囲に寄せ付けさせないために設置される結界装置。
なにより、平和が続くことにより増加した人類という、数の違い。
これらによって魔物の大半は、大陸北部に存在する極寒かつ不毛の地帯に追いやられている。時々、突発的に新しく魔物が生まれることもあるが、それは地方に配置されている軍隊でも充分対応可能な数しかない。
つまり、敵対種族であっても、今の人類にとっては相手にならないのだ。それほどまでに、種族間での大きな差が存在する。
だが、忘れてはいけない。
科学の発展した現代世界では、ほとんどの一般市民が強力な害獣に対しては、逃げることしかできないように。
この『マジック』でも、一般市民の中で魔物と戦えるものは皆無なのだ。
そして、
「無駄に増えすぎた市民全てを、軍隊は守ることはできない。手が回らない」
その脆弱性は突こうとする存在が、王都に居た。
そいつの外見自体は、どこにでもいるサラリーマン。黒いスーツに赤いネクタイを締めて、冴えない顔をしたヒューマンの男だ。隣に加齢臭のした上司でもいれば、尚更完璧だろうが、生憎、そのスーツ姿の男は一人である。
一人で、ぶつぶつと公園のベンチで腰かけて何かを呟いているのだ。
「ん? わざわざ魔物を使うのは効率的ではないって? 内側から爆弾でも起爆させた方が、被害が大きいって?」
男の耳元に携帯端末があるわけでもないのに、男はまるで誰かと話しているかのように、言葉を続けている。よく観察すれば、男が念話の魔術を起動していることがわかるかもしれないが、その術式はあまりにも古く、使っている者はほとんど存在しない。なので、ほとんどの市民から、彼は頭のおかしい奴扱いされて、遠巻きに敬遠されている。
「それはそうだけどね、同志諸君。こういうのは演出ってのが大切なのだよ。すっかり古代の恐怖を忘れて、平和に腐ってしまった馬鹿どもの目を覚まさせるにはこうするのが手っ取り早いんだ。ほら、想像してごらん?」
男は念話相手にも見えないというのに、大仰に手を広げて語り始めた。
「ある日突然、湧き出るように現れる魔物たち。だが、愚かな市民たちはその姿を見ても、危険性が分からない。人一人、いや、数人程度が無残に殺されてからやっと、理解するんだ。ああ、逃げなければ死んでしまう! とね。そして、それから始まる悲鳴の合唱と、怒声、罵声の不協和音。一瞬で街はパニックだ。軍隊が動き出しても、パニック状態の市民は愚かにもその動きを阻害することしかできない」
男は今にも歌い出しそうなほどうっとりと、その様を思い浮かべながら語っている。
当然、その様子は公園に来ていた他の人たちにも聞こえているので、もはや敬遠されているどころでは無く、警察に通報されてしまっている。後数分もすれば、公園に警官が到着し、レッツ職務質問という流れになるだろう。
「素晴らしいだろう? 人類が駆逐したと思う恐怖に追われる市民というのは。え? わからない? しょうがないな、同志諸君は。わからないというのなら――――実際にやって見せるしかないね」
そう、このまま何事も無く、警官が到着できればの話だが。
なにせ、この瞬間より、この公園は惨劇の起点のなるのだから。
「い、いやぁああああああああああっ!?」
最初にそれに気づいたのは、公園に幼い子供と一緒にやってきた主婦だった。美しいヒューマンの若妻は、一緒に手を繋いできた子供が――――繋いでいた手だけになった状態になっていたのを見て、悲鳴を上げたのだ。
「ぼっ」
そして、次の瞬間、風のように動く影によって、頭部を喰い散らかされた。
『グルゥウウウウウ』
影の正体は、赤い瞳を持つ狼だった。一見すれば、ただの狼にしか見えないかもしれないが、その口元から覗く、白い頭蓋の破片や、飛び散った脳漿を見れば嫌でもわかるだろう。
この狼は魔物であり、一瞬で人間を殺すだけの力を持った存在であると。
「う、うわぁああああああああっ! 逃げろ! 逃げろぉ!」
「助けて! 助けてくれェ!」
「おい早く、衛兵を呼べ! 呼んでくれよ!」
「なんだよ! どうなっているんだよ、結界があるんじゃないのかよ!?」
悲鳴を上げながら、逃げ惑う人々。
それを、怨嗟染みた鳴き声を上げながら殺していく、狼の魔物。
ついさっきまで、平和な午後の昼下がりだったはずの公園は、あっという間に虐殺会場へと早変わりしていた。
「ほら、素晴らしいだろう?」
スーツ姿の男だけが、ニコニコと冴えない顔で笑っていた。
狂乱の殺戮が繰り広げられるこの場で、男だけが一人、和やかな笑顔を浮かべていた。
●●●
「はぁ…………」
賢悟は机に突っ伏して、深くため息を吐いた。
どうにも、喧嘩を止めてからため息を吐く回数が増えているような気がする賢悟であるが、そこまで自分が戦いに飢えていたとは、賢悟自身も意外だった。
いや、まだ自由に喧嘩が出来ないのはよかった。レベッカに迷惑を掛けることは、賢悟にとって義に反することなので、そこに不満は無い。不満があるのは、
「弱いな、俺は」
己の強さについて、だった。
賢悟は無計画に喧嘩を売っていた己の身勝手さを反省し、きちんと決闘という方式を取ることにした。とは言っても、戦術科で有数の実力を持った者は、なかなかチンピラの如き決闘の誘いには応じない。戦いのなら、相応の対価を用意しなければならなかった。
そのために、賢悟は真っ当な方法で対価を払うことにした。
魔術研究のために必要な貴重な触媒を探したり、決闘相手が溜め込んだレポートを代わりに片付けたりなど、主に雑用を対価としてこなしていったのである。魔力も体力も足りないエリの肉体であったが、こういった魔術関連のことに関しては恐ろしいほど有能であり、そんなに苦労はしなかった。といっても、楽勝というほど簡単ではなかったが。
そして、様々な対価を支払い終えて、いよいよ学園に住まう強者たちとの決闘を行ったのだが…………その結果は、惨敗だった。
「戦った実力者全員、レベッカクラスの強さだったもんなぁ。そりゃ、この体じゃ負けるのは当然かもしれないが……もうちょっとなぁ」
賢悟は入学時の連勝が嘘のように、戦術科の実力者たちに敗北していた。
魔導銃器を扱う者には、逃れることのできない追尾弾を重ねられて。
魔剣を操る者には、斬撃と魔術の同時攻撃に対処できず。
仕舞には、賢悟と同じく接近戦を得意とする者に、完全に動きを封殺されて。
「せめて、元の体だったら……いや、意味ないな、この前提は。俺は、元の体に戻るためにこうやって苦労しているんだから」
たそがれ、項垂れて、賢悟は呟く。
賢悟が強さを求めているのは、元々の気性の分もあるが、ひとえに学園からフィールドワークの許可を貰うためだ。
『東の魔女』の目撃情報は、レベッカとリリーの協力の元、集めている賢悟だったが、その過程で一つの確信を得ていた。『東の魔女』と出会うためには、己の足で大陸の東方にまで出向き、探さなければならないと。そういう、確信を。
呪いを解きたければ、呪いに掛かっている本人が直接探さなければならない。
誰か任せで、安全圏に籠っている奴なんかには会う資格すらない。
『東の魔女』の目撃証言や、逸話を調べてみると、まるで魔女本人が己にそう言っているように賢悟は感じたのだ。
なにせ、『東の魔女』は気まぐれであり、過去、魔女に呪いを掛けられた金持ちがいくら金をつぎ込んで探しても、魔女には出会えず。逆に、悪い魔術師に呪いを掛けられた妹を助けるため、魔女を探した兄は探してから三日目であっさり会えたりなど。明らかに、探す者の事情や、懸命さによって遭遇できる確率が変動しているのだ。
ならば、賢悟が直接出向き、東方を探し回れば意外と早く『東の魔女』に出会えるのではないかと思ったのだが、話はそう簡単にはいかない。
『ダメダメ! よわっちい賢悟が一人旅なんて認めません! なら、護衛を雇えばいい? お馬鹿! いくら優秀な護衛が居ても、本人が屈強じゃないとこの大陸では、旅なんて出来ないんだからね!』
その話をレベッカにしたら、賢悟は思いっきり説教された。
どうにも、エリ自身が強力な魔術師の上、あまり外出をしない性質の人間だったから実感が無かったが、この現代社会に置いても旅は危険な物らしい。
元々、賢悟の居た『サイエンス』でも、旅をするのに危ない場所は危ないのだが、この『マジック』では危険のレベルが違うようなのだ。
なにせ、この『マジック』では突発的に世界的災害である魔物が出現するのだ。ただでさえ旅の途中は山賊や、性質の悪い宿屋などの人間の悪意に気を付けなければならないというのに、そこに直接的な危険が伴ってしまう。王国も、軍隊を派遣して山賊や魔物を狩ったり、性質の悪い宿屋はこまめに潰したりしているのだが、なにせ、王国は広い。ほぼ、大陸全てが領土であり、地方を無数の領主たちが管理している。昔ながらの貴族であり、民から慕われる領主も居れば、当然、良くない噂がある領主も居るのだ。
これら全ての脅威を、たっぷりと三時間にも及ぶ懇切丁寧な説明をレベッカから受け、さすがの賢悟も無謀を悟ったわけである。
だが、ここで諦めてしまうと本格的に寿命をカウントダウンするだけの生活が待っているので、どういう条件だったら、まともに旅が出来るのか? とレベッカに尋ねたのだ。
そして、返ってきた答えが『学園からフィールドワークの許可を得られるようになったら』ということだった。
「必要なのは、実力と、旅を共にする仲間。あとは、研究目的というか、大義名分ってか」
学園は、学生が王都の外に出て、研究テーマのためにフィールドワークすることを認めている。ただし、相応の実力を持った者に限り。
学園から許可を貰えば、王国内のどこに行こうが、己の身分を証明できる身分証を発行してもらえる。加えて、旅に掛かる費用の一部負担や、必要な道具の貸し出しも行っている。なにより、身分証を発行してもらうには特別な試験を突破しなければいけない、というのが賢悟には分かり易かった。
つまり、その試験を突破できるほどの実力があれば、少なくとも、まともに旅が出来るだけの実力があるという、証明になるのだから。
「はぁ……」
再びため息を吐く、賢悟。
当面の課題は山積みだ。
一緒に旅をしてくれる仲間を探すのもそうだが、なにより、賢悟の地力が不足している。これでは、どうしたって学園から認められるわけがない。鍛えようにも、これ以上修練に時間を積んでも、劇的な変化は望めない。ただ、残りの時間が減るだけだ。
おまけに、賢悟は魔術が扱えない。魔力の有無では無く、魂が魔術を使うようにできていないのである。『マジック』の魔術は、『マジック』の人間の魂が伴って、起動されるようにできているらしい。なので、異世界人の魂を持つ賢悟では、いくら魔力があっても技法が噛み合わず、魔術を使用できないのだ。これは、レベッカの屋敷でトレーニングしている際、レベッカと共に確認した事項であり、事実である。故に、魔術を扱いたければ、根底からまったく別の技法を編み出さなければならないだろう。
さてどうしようか、と賢悟はとりとめのない思考を巡らせようしたが、
「あの、大丈夫かな? 賢悟君」
「ん、おおう。太郎か」
クラスの知り合いが声を掛けてきたのは、それを中断した。
顔を上げて、声の方を向く。そこには、黒髪で印象の無い顔つきで、中肉中背という、まるで『特徴のないギャルゲーの主人公』という印象をそのまま具現化したような男子学生が居た。
彼の名前は須々木 太郎。賢悟と同じ、研究科の学生であり、神聖皇国という国からの留学生だった。
「どうしたのかな? なんか最近、悩んでいるみたいだけど」
「ま、一身上の都合でなぁ。心配させて、悪かったな」
太郎は賢悟の言葉に、大仰に首を横に振って応えた。
「いいや、そんなことないよ! 友達の心配をするのは当然だし! 普段から、僕はレポートとか、勉強でお世話になっているから、少しでも力に慣れたら、と思って」
「ふぅん……お前、人が良いんだな」
「あは、だったら良く知らないクラスメイトのレポートを手伝ってくれたりしている君も、かなりのお人よしだよね」
太郎は賢悟が喧嘩を止めてから出来た友達だった。
決闘で死力を振り絞った末に友達となったレベッカとは、友達になった経緯は本当に平凡そのものである。ただ、太郎が授業で出たレポートに難儀しているところを、気まぐれに賢悟が助けたことが始まり。
学園の授業のほとんどは、エリの記憶と頭脳が勝手に答えを導き出している。なので、賢悟は特に授業で困ることも、理解できないことも無いのだが、どうにもズルをしたような気分になるのである。その気分を解消するためにと、賢悟はさりげなく困っているクラスメイトを手助けするようにしていた。これは別に全て善意から来る行動では無く、決闘を求める過程で、賢悟が学んだことを実践しただけだ。
即ち、他者に利益を求めるのなら、自分から利益を差し出さなければならない。
まさしく賢悟にとって、この教訓は真理だった。なにせ、以前では己の身を案じてくれる友達など、皆無だったのだから。
「…………友達って、いいもんだな、太郎」
「ええっ? 急にしみじみと頷かないでよ、賢悟君! なんか妙にいたたまれない気分だよ!」
「はっはっは、悪い、悪い。それで、悩みだったな……そうさなぁ」
賢悟は己の出自や、呪いなどを適当にぼかして説明した。
「なるほど、生まれ故郷を探すために、フィールドワークの試験を突破したいんだね」
「まぁ、概ねそんなところだ」
一応、無理やり強力な魔術を受けた副作用として、記憶が混濁しているという設定なので、旅の理由として生まれ故郷探しをでっち上げた賢悟である。
「元の体だったら、ある程度はマシになるんだが。どうにも、この体だと調子が悪くてな」
「あぁ、確か元は武術家だったんだっけ? なのに、魔力を奪われた上に、強制的にあのエリと同じ姿にされるなんて…………悲惨過ぎるよ」
「俺もそう思うが、嘆いたところで現状は変わらないのでな」
賢悟は苦笑して微笑んで見せた。
すると、太郎は頬を赤く染めて、慌てたように賢悟から視線を逸らす。
「ん? どうしたよ」
「な、何でもないって! そ、それより、自力の問題だったね、うん!」
こほん、と佇まいを直して太郎は賢悟に向き直って、言う。
「まず大問題なのが、魔力の枯渇だね。これをどうにかしないと、折角の君の魔術知識が生かせない。恐らく、君はそんな姿にされるまでは、魔術と体術を両方取得している戦士だったと思うんだ。それも、両方ともかなりの技量で」
「お、おう……」
魔術に関してはほとんどエリの借り物というか、押し付けられた物なので、それを褒められると複雑な賢悟だった。
「魔力が枯渇する症状っていうのは、有史の中でもかなり珍しい。しかも、魔力石を使っても、魔力の発動が出来ないとなると……本格的に発動するための精神器官が壊れているのかも。そうだったら、最新の医療魔術がある王都でも、解決は難しいと思う……だけど、方法がまったく無いわけじゃないんだ」
「そうなのか?」
太郎の言葉に、賢悟は驚いた。なにせ、エリの記憶では、この魔力の枯渇を根本的に解決する方法は存在しないとあったのだ。エリでもわからない物を、どうして、太郎が? その疑問は割とすぐに解消された。
「これはちょっと…………秘密の話なんだけどさ」
太郎は声を潜めて、賢悟に耳打ちする。
「僕の国、神聖皇国は、かつて英雄が殺したはずの神様を信仰している国家なんだ。そして、神様の遺体を古代から奇跡を起こす『神器』として継承している家も存在する。その中には、どんな災いだって払う『神器』も存在するらしい。もしかして、それなら可能性はあるかもしれないよ」
「……そうか」
「ま、そう言っても、与太話みたいな物だし。仮にそんな『神器』があったとしても、使わせて貰えるかは難しい問題だけどね。でも、ちょっとだけ希望が湧いただろ?」
神聖皇国はつい最近まで鎖国をしていた秘密主義の国家である。ならば、エリの知らない魔術関連の知識があっても、納得だ。そして、本当にそんな『神器』があるのならば、胸に咲く呪いさえも祓えるかもしれない。
「後は、自分の膨大な魔力を契約者に分け与える固有能力を持った英雄とかも、歴史には居たらしいからね。そういう人が居たら、魔力を分けてもらって、魔術の使用が可能になるかもしれない……って、ごめんね。方法が全くないわけじゃない、とか言っておいて、こんな有り得ないような可能性の事ばかり」
「いや、大分助かったし……うん、希望も出て来たぜ」
エリの記憶の参照する際、こういう知識は不要と判断されて思い浮かべないことが多い。何故なら、エリの記憶では『知る限りでは不可能』と結論付けているので、どうしても記憶を参照すれば、その結論に引っ張られることが多い。
だが、太郎の言った通り、可能性は零では無い。例え天才であるエリが結論付けたことでも、それが必ずしも真実であるとは限らないのだ。
「ふふふ、助けになったなら幸いだよ。それに、体術とかそういう関係、僕は疎いからね。そっちに関しては、誰か優秀なエンチャーターを探して何とかする、としか」
「…………なるほど、やっぱりそういう結論になるか」
身体能力の欠乏を己の魔術で補えないのなら、他者から魔術をかけてもらうしかない。それは賢悟も最初に思いついたのだが、やはりこれにも問題があった。
「今時、戦闘用のエンチャント……しかも、身体能力強化という、『ほとんど誰にでも出来る基礎魔術』を他者に調整してかけてくれる、もの好きが居るかどうか」
「ぶっちゃけ、この魔導具が高性能な現代で、わざわざ他人の身体能力を強化するなんて、必要ない場合が多いからね。精々、看護用に特別調整したりとかかな? 後、優秀なエンチャンターが、わざわざ君に付き合って旅をする理由も無いだろうし」
エンチャンターは潰しの効く職業であり、優秀なエンチャンターはそれだけで各業界から優遇される。まず、この時点で、困難な旅を、危険を冒してする理由が皆無となる。ただでさえ、旅をしたがる学生などはかなりの物好き扱いされるのに、それが戦闘用エンチャントを覚えたエンチャンターとなれば、変人を通り越して狂人だ。さらに、その戦闘用エンチャントの中でも、わざわざ基礎魔術を他者にかけてくれる者となれば、伝説上の生物を探した方が見つかる可能性が高いだろう。つまり、居ない。
「まぁ、予想はしていたぜ……仕方ない。時間はかかるが、自分で身体能力向上の魔導具を開発するか……魔力源は魔力石でいいとして……んー、できそうだけど、面倒な上、かかる時間に対してのリターンが低いなぁ……」
「あはは、さらっと凄いこと言う所がぱないね!」
例えるのなら、足のサイズが合わないから、自分でスポーツシューズを自作するレベルの発言である。しかし、これくらいしないと賢悟は魔術が使えないのだ。
「ん? そうなのか? あんまり実感は無いが……とりあえず、小腹減ったし、ラーメンでも食いに行こうぜ。最近、小遣い稼ぎを覚えたし、奢るぜ?」
「え、そんな、悪いよ……」
「いいって、いいって。友達の好意は素直に受け取れって」
残された時間は多いわけではないが、今すぐどうにかしなければならない、というわけもないので、賢悟は思考を切り上げて、太郎を食事に誘うことに。
賢悟が異世界である『マジック』に来たばかりの時は、奪われた物だらけだった。与えられたのは、寿命が後一年も無いという理不尽と、理不尽を行った少女の体のみ。
しかし、失った物もあれば、得た物もある。
そしてそれは、友達という存在は、かつて賢悟が望んでも……否、進んで拒絶してしまっていた物だった。今は、何よりも掛け替えのない宝物であると賢悟は自負している。
いささか、友達関係にしては色々と感情が重い賢悟であったが、何しろ、生まれて初めての友達と、二番目の友達だ。それは重くもなるという物だろう。
しかし、賢悟がうっかり忘れていることが一つ。
「さって、どの店のラーメン食いに行くかねぇ? なぁ、どっか安くてうまいところ知らん? それで、量がいっぱいあれば尚更……って、何顔赤くしているんだ、お前?」
「む、胸が、ね? その、ほら、君、肩を組んでいているでしょ? それでさ、その……」
「中身は男だぞ? 別に気にしてないって」
「僕が気にしまくるんですけど!」
気軽に太郎と肩を組んでいる賢悟であるが、体は美少女そのもの。しかも、最近は健康的な魅力まで兼ね備えた、健全な美しさを持つ体である。そりゃ、中身が男だからと分かっていても、小さくない胸を肩に押し付けられたら動揺するだろう。むしろ、よくぞ前かがみになって行動停止にならない、と褒めるべきだ。
「しかも君、なんか無性にいい匂いとかするし! やめろよ、僕を誘惑するなよ! 友情に間違った方向でヒビが入る!」
「ははっ、なんだよ、お前。ホモかよー」
「美少女の面をして何をこいつ!」
もっとも、自分が美少女の体をしているという自覚が皆無な賢悟が、その方面で太郎に考慮するのは難しいだろうが。
太郎に、思春期の男子に珍しい鉄の理性が備わっていることが賢悟にとっての幸運であり、ある意味、太郎にとっての不運だろう。
「胸ぐらいだったら、多少揉まれても構わんがなー」
「やめろぉ! 僕は友情に対して誠実でありたいんだぁ!」
太郎の絶叫に対して、首を傾げる賢悟。
折角得た物を失わないために、どうやら賢悟にはそこら辺のコミュスキルの向上が必須なようだった。




