第9話 落ちこぼれのエンチャンター
エンチャント、という魔術が存在する。
それは主に『付与』に特化した魔術だ。例えば、ただのナイフに火属性のエンチャントを行えば、それは火の力を帯びたナイフとなる。あるいは、他者の肉体に強化や防護のエンチャントを掛けることにより、戦闘を有利に運ばせることも可能だ。さらに、『マジック』の現代では、魔導具の制作に欠かせない重要な魔術であり、医療の分野においても注目されている重要な魔術である。
優秀なエンチャンターは潰しが効く、というのが『マジック』においての常識だ。
けれど、優秀な存在が居るのならばまた、影に落ちこぼれが居るのが業界の宿命。
かくいうルイス・カードというエンチャンターも、落ちこぼれに属している。
「てめぇ! さっきの授業のあれはどういうことだ!?」
「ひぇ……」
授業合間の休憩時間。
ルイスはギィーナというドラゴニュートの男子生徒に胸倉を掴まれて、睨みつけられていた。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……私、うまくできなくて……」
「そんなことを言っているんじゃねぇ!」
一応の配慮として、二人とも教室から出た廊下で話し合いをしていた二人。けれど、話を重ねていく内にギィーナの方がしびれを切らして、怒鳴ってしまったのである。
そして、ギィーナが怒っている原因は、先ほど授業で行ったエンチャントの実習にあった。
「どうして、中途半端に手加減しやがった? ああん?」
「だ、だって、私のエンチャントは、その……あの……」
「はっきり言いやがれ! ああ!? 全然、聞こえねーぞ!」
ドラゴニュートは、硬質な鱗と鰐の如き強靭な顎を持つ人種である。俗に、『竜人』とも呼ばれることもある。一般的に、体格や身体能力はヒューマンを上回るが多い。
その中でも、一等屈強なギィーナが、ヒューマンの中でも華奢な部類であるルイスを怒鳴っている様は、傍目から見れば通報待ったなしである。
「だって、その……私、エンチャントが下手だから……また暴走したら、ギィーナ君が、危ないから……」
ルイスはふるふると、栗色の瞳を潤ませて怯えていた。
おまけに、ルイスの容姿は華奢で小柄な少女だった。茶髪のおさげで、女子制服をきっちりと着込む地味な少女。それがルイスの外見である。
なので、事情を知らない学生が居たら、思わずギィーナとの間に割って入って、ルイスを庇ってしまうだろう。
例えば、学園に入学したばかりの者などは。
「この野郎! 大体な、お前って奴はどうして――」
「おいおい、見苦しいぜ、トカゲ野郎」
ギィーナの言葉を遮るように、冷たい声が割って入った。
「ああん?」
「ひっ」
ギィーナはルイスの胸倉を離し、声の主の方へと視線を移す。
視線の先に居たのは、赤いジャージ姿の白髪の女子だった。美少女だった。けれど、その容姿は学園内で、何よりも忌み嫌われている存在である。
「テメェは――――いや、そうだったな、違うんだったな、テメェは」
「その通り。わかってもらえて嬉しいぜ。俺も、この外見の女は嫌いなんだ。そういう名前で呼ばれるのは気に食わない」
そう言って、白髪の少女は――賢悟は元の体の主に似つかわしくない笑みを浮かべた。
獰猛な、肉食獣の如き好戦的な笑みを。
「…………で、そのそっくりさんの女が、俺たちに何の用だ?」
「俺の名前は田井中賢悟だ。賢悟と呼べ、トカゲ野郎」
ぴくり、とギィーナの眉が動き、眼光が強まった。
「随分と挑発するじゃねーか、女ぁ。俺たちの種族にとっての侮蔑表現で呼ぶなんてよ?」
「トカゲはトカゲじゃねーか。ちょっとばかしでかいからって図に乗っているのか? 後、俺は女ではない」
「…………喧嘩売ってんのか?」
「ようやく分かったか? 大絶賛バーゲン中だぜ?」
賢悟は流れるように啖呵を切って、ギィーナへ中指を立てた。
ギィーナもまた、ここまで挑発されて黙っているほど、穏やかな気性はしていない。例え、相手が貧弱な女のヒューマンだとしても、だ。
「言っとくが、俺が女を殴らないように見えるか? それとも、屈強なドラゴニュートは、貧弱なヒューマンに考慮して手加減するとでも?」
「安心しろ、俺は女じゃねーし…………手加減なんざしたら、ぶっ殺してやる」
「はっ!」
ごきん、と拳を鳴らし、ギィーナは賢悟の発言を笑い飛ばす。
「ほざけよ、貧弱な女が」
「だから男って言っているだろうが、くそったれなトカゲ野郎」
賢悟もまた、獰猛な笑みでギィーナに応えた。
両者の間の空気が、瞬く間に重く、張り詰めて行く。ぴりぴりと、肌に微弱な電流が走ったかのように、両者の緊張が高まる。
どちらかが動き出せば、もう止まらない。
ざわめきだす周囲の謙遜も、両者の耳には入らない。
そんな極限にまで高められた両者の空気を、
「や、やめてくださぁーい!」
「へぶ」
「むぶ」
涙目になったルイスが割って入り、粉々にぶち壊した。
ついでに、両者の顔に平手打ちをかましている。ギィーナに至っては、油断したのか顎に上手い具合に入って、膝をがくがくと震わせていた。
「わ、私のために争わないでください! 私が全部悪いんです! 殴るんだったら、私を殴ってください! だから、ひっく……喧嘩しないで……」
ルイスは両の瞳からぽろぽろと、大粒の涙を流して二人へ懇願する。
「いや、その割にはこいつにさっき、割と良い一撃を食らわせてたぞ、お前」
「暴力なんてダメです!」
「駄目だ、微妙に話が通じてない」
冷静にツッコミを入れる賢悟だったが、既に感情が暴走しているようなルイスには届かない。ただ、泣きながら二人の間に割って入って、懇願するばかりだ。
「くそが、すぐ泣くんじゃねーよ、ルイスぅ」
その内に、ふらつく足に喝を入れてギィーナが立ち上がった。
「こいつは別にお前のためだけに割って入ったんじゃねーよ。つか、テメェ、半分ぐらい俺と喧嘩するために挑発してきただろ?」
「八割だ」
「このチンピラが」
ギィーナが睨みつけると、賢悟はぺろりと舌を出しておどけて見せる。
そうなのだ。別に賢悟はルイスを助けるためだけに、割って入ったわけでは無い。むしろ、それは次いでであり、本来の目的はギィーナのような強者と喧嘩するためである。でなければ、わざわざ相手を挑発するわけがない。
「とりあえず戦術科に入っている学生には、機会があれば喧嘩を吹っかけるつもりだったからなぁ、俺」
「…………あぁ、テメェの言葉で思い出した。そうか、テメェが最近、戦術科の中で話題になっている喧嘩屋かよ」
賢悟は学園に入学してから、授業以外の時間を調べものの喧嘩に費やしていた。
図書館などで『東の魔女』や他の世界管理者の逸話を調べ、その合間、気分をリフレッシュするために、喧嘩を売る。我ながら中々充実した生活サイクルだ、と賢悟は満足しているようだ。もっとも、喧嘩を売られる側からすれば、迷惑極まりないのだが。
「風紀委員のレベッカを抜けば、負け知らずだったか?」
「残念ながら、喧嘩を買ってくれるのは弱い奴ばっかりだったんでね、お前みたいに」
肩を竦めて挑発する賢悟だったが、ギィーナは応じない。むしろ、萎えたようにため息を吐くのみだ。
「…………上手い挑発だ。だが、白けた時に言われてもなぁ。正直、どんだけ血に飢えているんだよ、こいつって感じにドン引きだぞ」
「自由に喧嘩が出来ることは素晴らしいからな」
元の世界では、喧嘩を売られることはあっても、売ることは中々無かった賢悟である。
しかも、女の肉体に入った賢悟はいい感じに弱体化しており、挑戦者として喧嘩を売る新鮮さに賢悟ははまっていたのだった。
「うぅ……喧嘩は、暴力は……いけないのです……」
「頑張れよ、ギィーナとやら。喧嘩はいいぞ、ムカつく相手に容赦なく拳を叩きこむことが出来る。あぁ、まったく素晴らしい。さぁ、一緒に殴り合おうぜ!」
「…………」
片方は泣きながら、片方は意気揚々と、互いに正反対の主張をギィーナに押し付けてくる。その上、両方とも外見は女ときたら、もうギィーナのやる気は最底辺にまで置いていた。先ほど沸き立った血も、今は冷めきっている。
「けっ! テメェらと付き合っているのが馬鹿らしくなって来たぜ……ケンゴ、だったっけか? 俺もそのツラは気に食わないから、いつか一発殴ってやる。予約しておいてやるぜ」
「ま、今はこんな程度で充分か。あぁ、わかったよ、いつでも喧嘩しに来い」
かくいう賢悟も、無理やりテンションを上げていたところもあったので、ギィーナの申し出はありがたかった。後日、また血が沸き立った時に互いに喧嘩を仕切り直すのは悪くない。加えて、その相手が屈強なドラゴニュートなら尚更だ。
「…………んで、ルイス。お前には言いたいことがたくさんあり過ぎるが、とりあえず、これだけは言っておくぜ」
「ぐす、ひっく……うん」
涙を拭うルイスへ、ギィーナは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「いつまでも泣くんじゃねぇ――――お前、男だろ」
ぽかんと、事情を知らなかった賢悟は半口を開けて呆然としている。
そう、賢悟は知らないことであるが、ルイスは割とこの学園では有名なのだ。『落ちこぼれ女装のルイス』という、よくわからないあだ名で。
「わかった……もう泣かない。神に誓う」
「神は古代に英雄たちが解体しているだろうが」
「んじゃ、トイレの精霊に誓う」
「便所飯はもうするなよ……あれは見ているこっちが気分悪い。ったく、苛めているわけでもないだろうが」
「…………うん、ギィーナ君には感謝している」
ぽつぽつと話し出すルイスに、うんざりしたような顔で応じるギィーナ。
その様子を見ると、周りに集まっていた野次馬は『やれやれ、いつも通りだな』と言わんばかりに胸を撫で下ろして去っていく。どうやら、賢悟は知らなかったが、先ほどの光景は割と学園では日常的なものだったらしい。
「後、ルイス。お前の趣味にケチをつける気は無いが……学園でくらい、男子の格好をしろよ。つか、女子の制服を着るなよ」
「え? やだ」
少なくとも、ギィーナの言葉をきっぱりと真顔で断る程度に、ルイスとギィーナの仲は悪くないようだった。
●●●
学園に入学した賢悟は、控えめに言っても調子に乗っていた。
有頂天であった、と言っても良い。
やっと体がまともに動くようになり、レベッカによる説明から、姿を隠さなくても自由に学園を闊歩できる。
それでも、やはりエリの姿をいる所為か、時々難癖を付けられることが多かった賢悟だったが、むしろ、これ幸いと喧嘩に持ち込んだのが始まりだった。エリの姿で喧嘩を売れば、比較的喧嘩は買われやすく、ある程度慣らした体の試運転にはちょうどいい。
おまけに、弱体化している所為か、工夫して戦わなければ喧嘩に負けてしまうというハンデが賢悟にはある。だが、そのハンデが逆に、賢悟に闘争の楽しさを思い出させてしまい、結果、ある程度戦闘系魔術を修めていたり、何かしらの武術を覚えている学生を見つけると、とりあえず喧嘩を売る迷惑行為にまで発展してしまったのだ。
調子に乗っている賢悟の心境は『ひゃっはぁ! 喧嘩が楽しい! 一瞬で終わらない! 工夫して戦う素晴らしさ! やめらんねぇぜ!』という感じだっただろう。本人はあまり自覚していないが、賢悟は元々かなりの戦闘狂である。元の世界で孤高の覇者となったのは、強さだけではなく、その性格の所為も大きい。
故に、さっそくこの学園でも『喧嘩屋』として名が売れ、一般生徒から敬遠され始めていたのだが、
「そこに座りにゃさい、馬鹿ケンゴ」
「…………はい」
幸いなことに、この世界には賢悟のストッパーであり、友達であるレベッカが居た。
賢悟は、調子に乗っているところを風紀委員であるレベッカに見つかり、現在、生徒指導室にして正座中だった。
「あのにゃー、ケンゴー。私の言いたいことがわかるかにゃー?」
「あの……語尾が……」
「にゃははは! もう、ね。身内に怒る時は私、こんな感じだからにゃー。語尾でも付けないと、ガチで説教する方が泣くからにゃー」
口調は萌え系猫キャラだというのに、背後に阿修羅を背負う如き気迫を、今のレベッカは纏っている。その気迫はかつて、賢悟が祖父から叱られる時に感じていたのとよく似ていた。なので、幼い頃の記憶がフラッシュバックし、今のレベッカに、賢悟は口答えできなくなっているようだった。
「にゃんで喧嘩したのかにゃー?」
「いや、その、最初は難癖を付けられたのを処理してたら、こう、段々楽しくなって……」
「決闘ですらない喧嘩は校則違反なのにゃー? わかっているにゃー?」
「…………はい、すみません。俺、調子に乗っていました」
本気で怒っている時ほど、人は笑顔になる傾向があるらしい。レベッカもまた、説教する時に限り、それが当てはまるようだった。ニコニコ笑顔を、賢悟の顔に近づけて至近距離でねちねちと言葉攻めをしている。
「肉体言語じゃなくても、人は対話できるのにゃー? どうして話し合わないにゃー?」
「それはもう、俺が短慮だったからでして、はい……」
「戦いに飢えているんだったら、私がなんとかしてあげるから、しばらく我慢するにゃ。わかったにゃ? 風紀委員と同居している生徒が問題行動とか、わりと迷惑にゃ?」
「…………悪かった。それは、本当に」
己の行動が、結果としてレベッカの迷惑となることを理解した賢悟は、深く反省していた。今までずっと責任は賢悟一人にしか降りかからなかったが、友達が出来た今は違うのだと、ようやく賢悟が理解できたのである。
「もう、短慮を起こして喧嘩はしない。喧嘩するとしても、しっかり決闘するようにする」
「…………わかればいいにゃ……けど、一応」
賢悟が本気で反省しているとわかったレベッカは、一息置いて、元の口調に戻った。
「約束しましょう。もう二度と義の無い戦いはしないと……はい、頭を出して」
「頭!?」
戸惑う賢悟に構わず、レベッカは賢悟の頭を包み込むようにして掴む。そして、そっと互いの額を触れ合わせるようにくっつけた。
「我、古の法に従って契約す。二度と、この者に義無き私闘はさせないと……はい、今度は賢悟の番」
「ええっと」
賢悟はエリの記憶から思い出す。
これはいわゆる『指切り』のようなものだ。王国流の、約束する時の簡単なおまじない。互いの額をくっつけて、約束することを己の誇りに誓うのだそうだ。
「我、古の法に従って契約す。二度と義無き私闘はしないと」
「うん、よろしい!」
にぱっ、と花咲くような笑顔を見せてから、レベッカは額を離した。賢悟はその可憐さに、思わず見惚れそうになるが、頭を振って自重する。今はまだ反省すべき時であり、そんなに簡単に幸せな気持ちになったら、不誠実だと考えたからだ。
「これで互いに破ったら、古の法に従って天罰行くから、気を付けてよね!」
「え、リアルに罰あるの、これ」
「まぁ、互いにこんがり焼ける程度には?」
「なにそれ怖い」
もっとも、その直後に、浮ついた気持ちは急速直下に沈んでいったが。
なんにせよ、この件をきっかけに、賢悟は喧嘩を控え、本当の意味で学園に馴染んでいくことになる。




