プロローグ
「タイトルが長い。もはや文章じゃねーか」
開口一番、その少年はため息交じりに吐き捨てた。
少年はボロボロの学生服を纏い、細身ながら筋肉質な体を隠している。容姿は美麗とは言い切れないが、醜くも無い。よく観察すれば、整っている方だとわかるかもしれない。だが、その口元に張り付いた凶悪な笑みは、少年にそういうイメージを持たせないようにしているようだ。
「つーかなぁ」
立ち入り禁止の廃工場。少年が居るのはそこだ。薄暗く、僅かな屋根の裂け目から陽光が零れ、曇った窓ガラスの先には人気の無い駐車場があるのみ。
「最近の流行なのはわかんだけどんさぁ……二番煎じっつーか、適当感が否めないよな。タイトルを付けるのが面倒だからとりあえず長文にしたとか。ま、結局は面白ければそれでいいんだがよ。ほら、ネットの小説なんて好みに合うかどうかなわけじゃん? まず、目を引くようなタイトルにしたいなら、長文もありなのかもしれねーなぁ?」
少年は手元の携帯端末のディスプレイに視線を落として、淡々と言葉を紡いでいく。けれど、彼の目の前には誰もいない。会話すべき対象は、存在しない。
居るのは、
「んで、俺が何か言いたいかというとだな…………そろそろ二ラウンド目を始めてもいいか? ってことなんだが。なぁ、お前ら。俺が五分も無駄話してやったんだ。そろそろ回復しただろうがよ」
少年の足元に転がっている無数の敗北者たちだけだ。
彼らは一様にヤンキーと呼ばれるのにふさわしい容姿……つまり、派手な頭髪などや、アクセサリーを身に着けており、彼らが倒れる近くには金属バットやスタンガン、あるいは大型ナイフなどの凶器が散乱している。
「うぅ……か、勘弁してくれ。もう、アンタには手を出さない」
「悪かったよ、俺たちが全部悪かった……金を出せって言うなら、いくらでも集める」
「だから、だから許してくれ……殺さないでくれ……」
彼らの中で、まだ意識が残っている物だけが、懇願するように呻く。
街を歩けば、一般的な市民なら誰しも関わり合いになりたくないと道を開ける彼らが、涙を流し、鼻水を垂れながら、少年に懇願している。
「はぁ?」
その懇願に対して、少年は呆れたような声で応えた。
「おいおい、お前らが言ったんだぜ? 『ここから先は泣いても叫んでも絶対に許さないからな。お前が死ぬまで、俺たちは手を緩めない』ってさぁ」
「それは…………すみません、調子に乗ってたんです。二十人も集めれば、倒せるって!」
「いや、別にそれはいいんだよ。でもさ? 殺すみたいなこと言ってたじゃん、お前ら? ならさ、こうなった以上、抵抗しなかったら殺されても仕方ないよな?」
少年は倒れている男たちの中で、リーダー格である金髪の青年の元でしゃがみこむ。そして、酷薄な笑みを浮かべて問い続けた。
「殺すって言ったんだ、なら、殺される覚悟もしないとな?」
「いや……あの……ねぇ? その、現代日本で、マジで相手を殺すわけないっつーか、いいところ、半殺しが精々って言うか……」
「ふんふん、そうか、そうか」
少年は笑顔のまま頷いた後、そのまま無造作さに金髪の青年の右腕を踏み折った。ごき、と鈍い音が工場内に響き渡り、やがて、青年の人生経験で初の『激痛』と呼ぶべき痛みが襲い掛かる。
「あぎゃああああああっ!? うでぇ!? 俺のうでぇ!」
「なぁ、半殺しってどれくらいだろうな? 一説によると、人体の半分の骨を折れば半殺しっていう定義が近いとか漫画であったんだが、それはさすがにやり過ぎだと思うんだ。お前の言う通り、現代日本だしな。そんなことをしたら、俺が凶悪犯になっちまう」
「うでぇ……おれの、うでぇ……」
「だから、俺は四肢の骨を一回折るだけで勘弁してやろうと思うんだ。優しいだろ?」
本気の口調だった。
少なくとも、まだ意識のある者は、少年が冗談でそう言っているような感じはしなかった。なにせ、既にリーダー格の青年は腕を折られているのだ。そのまま、倒れ伏す自分たちの骨を折ろうとしても不思議じゃない。
次は、自分たちだ。
その結論に辿り着いた瞬間、彼らは残った力を振り絞って逃走を始めた。
「うわぁあああ! 化物だ! 化物だ!」
「警察! 警察を呼んで助けてもらえ! 今は逃げるんだ!」
「ひぃいいいっ! 悪くない! 俺らは悪く無い! 悪いのは、あいつが化物だからぁ!」
リーダーである金髪の青年を置き去りに、まだ意識が戻らない仲間も置き去りに、彼らは涙ながらに逃げ去っていく。
「ひでぇ言い草だ。ちょっとした冗談じゃねーか、まったく」
逃げていく彼らを少年は追わない。興が冷めたと言わんばかりに笑みが消え、つまらなさげに携帯端末を学生服のポケットへしまう。
あの剣幕だと彼らは本当に警察を呼ぶかもしれないが、呼んだところで精々少年に適用される罪は過剰防衛ぐらいだろう。骨を折ったのはリーダー格一人だけ。後は、適当に意識が無くなるまで適当に殴っただけである。重症にカウントされる怪我は与えていない。そもそも、彼らが数十人がかりで少年をリンチしようとしたのが始まりなので、警察だってまともに対応しないだろう。まぁ、対応したら対応したで、少年は行きつけの悪徳弁護士に弁護を頼むだけなのだが。
「つまんねーなぁ、おい」
少年は涙ながらに呻くリーダー格の青年や、その仲間たちを放置して歩き出す。
「立ち入り禁止の廃工場で喧嘩ってシュチエーションに惹かれて買ってみたが、存外、相手がへぼくちゃ、どうにもならねぇ」
せめて怪人くらいは用意して欲しいと、少年は思っていた。
「もしくは、世直し中の武芸者とか」
現代日本には生息していないであろう人種を挙げ、少年は一人でため息を吐く。いないことはわかっているが、その道の達人か、あるいは全国有数の喧嘩自慢でなければ己と戦うことはできないのだと、少年は知っていた。
それほどまでに少年は――――田井中 賢悟は強いのだと、己で理解していた。
自惚れでもなく、自賛でもなく、事実として賢悟は知っている。
己の強さは、高校生にしては異常なのだと。そして、その異常な強さは、幼い頃から祖父から受けて来た異常な『修業』が原因であり、祖父が亡くなってからもなお、その『修業』を続けているからだと。
『強くなれ、賢悟。男はとりあえず強くあれば、それでいいんだ』
賢悟の祖父は昔かたぎの人間だった。
男は強くなければならない。女を守るために、家庭を守るために。
強くあれ、その言葉を信じて賢悟は研鑽を続けて来た。
祖父が死ぬまでは、友と遊ぶ時間も、趣味を作る時間も取らず、ひたすらに『修業』を続け、続け……気づくと賢悟は一人きりになっていた。周りには、賢悟の性格が災いしてできた敵ばかり。その敵も、少しばかり賢悟が遊んでやると、瞬く間に居なくなった。
おかしい。
男は強くあれば、それでいいのではなかったのか? なぜ、自分はこんなにも孤独であり、誰も友が居ないのだろうか?
賢悟のその疑問に、祖父は死に際の遺言としてこう答えた。
『いや、賢悟…………お前は、ちょっと、極端すぎ……る……』
「えー」
最後の言葉がそれとか、そもそも、極端すぎると言うのならもうちょっと途中で何か助言をしてくれてもよかったのではないかと思った賢悟だが、祖父はもう既に亡くなっていて。
今更普通の男子に戻るには、遅すぎた。敵を作り過ぎて『修業』を止めて弱くなれば、今までの報復とばかりにリンチにされるのは目に見えている。故に、賢悟はそれからも強くあり続けていた。
ただし、趣味として暇つぶしの読書を覚えて。
孤独を飼い馴らす強い精神も作り上げて。
「さて、昼飯でも食いに行こうか……手持ちはっと……うげ」
強くあることが必ずしも幸せではないと証明するように。
彼は紙幣が一枚も無い財布の中身を覗き込んで、ため息を吐く。
「やれ、今日も昼飯は素うどんか」
自分を襲ってきた奴らから、金でも巻き上げておけばよかったと、少しばかり後悔しながら。
●●●
極彩色の光とヘドロの如き闇が同居する不可思議な空間。
その空間の支配者である美しき少女は、歓喜の声を上げた。
「やっと、見つけた」
それは奇跡の発見である。
それは必然の発見である。
超常の理を操る少女にとって、望んで奇跡を起こすことは難しくない。だが、難しくないというだけであり、手間であることだけは確かだった。なので、思いの他早く、そして『期限』まで充分余裕がある時点での発見は歓喜にふさわしい出来事だったのだ。
「うふふ……もう、待てない。今すぐ……私の元へ」
運命の相手を見つけたと言わんばかりに、少女は嬉しさと奇妙な焦燥感で頬が緩む。手が、勝手に術式を編み出す。肉体が、早く彼に会いたいと叫ぶように。
編み出されるは異界の断絶を跳躍する、神の如き御業。
行使するのは、まだ幼い精神を抱えた万象の天才。
故に、この奇跡と超常が生むのは悲劇だろう。
「さぁ早く…………私のために」
ひどく、自分勝手で幼稚な、少女のための悲劇だろう。
●●●
早朝の微睡は、賢悟にとっては悪魔の誘惑である。
さして、早起きをして現実と向かい合うことに楽しみを持てない賢悟にとって、睡眠とは数少ない日常生活の楽しみである。修業や読書の時間以外は、ほとんど眠っていたいと思っているが、それでは質の良い睡眠は取れないと十七年の人生経験で理解している。なので、昼間の微睡みも捨てがたいが、我慢して夜にゆっくりと睡眠を楽しむことにしているのだ。出来ることなら、朝も二度寝を楽しんでみたいが、それは休日だけの特別だ。今日は平日。不良に近しい存在である賢悟と言えど、学歴は欲しいので高校へ出向かなければならない。
「んぅー…………んん?」
体を起こして、軽く伸びをした時に、賢悟は違和感に気付く。
まず、声が聞こえたのだ。自分の声では無く、甘く、鈴の音が鳴るような女性の美声が。加えて、賢悟は寝ぼけ眼で確認したのだが、場所がおかしい。安物の布団に寝ていたはずが、いつの間にか豪奢な飾りつけのされた、蕩けそうなほどふかふかで、程よい弾力のベッドに。ボロアパートの一室を借りていたはずが、周囲はまるで特上のスイートルームのような美しく、そして広々とした空間に。
「…………はぁ?」
賢悟は疑問の声を出したつもりなのだが、声は出ず、代わりに聞こえて来たのは、先ほどと同じ女性の声だ。状況から賢悟は、眠っている間に、何者かに拉致されたと推測したのだが、その推測は、二秒後には己の手によって却下された。
「……あー……あー、あー……アメンボ赤いな、あいうえお」
自分の思考と寸分たがわずに発せられた声に、賢悟は頭痛を覚えながらも確信した。
どういう理屈か分からないが、これは間違いなく『自分の声』であると。
「となると……うわ、やっぱりか」
顔を撫でる。さて、自分の肌はこんなにきめ細やかで、シルクのように触り心地が良かっただろうか?
髪を指で梳く。さて、自分の髪はこんなにも長く、また、雪のように白かっただろか?
胸を触る。股間を確認する。男性には無い物があって、逆も然り。
鍛え抜かれた腕も、足も……薄気味悪いほど白い肌に変わり、筋肉質のそれとは違っている。そう、まるでこの腕は――
「くそっ!」
美しい声で毒づきながら、賢悟は周りを見渡し、全身が映るほどの大きさの鏡を見つけた。ちょうど、女性が身支度するのには最適な大きさの鏡だった。
だから、賢悟は躊躇いなくその鏡の前に立つ。例え、己の身に起きている出来事が、おおよそ予測できていたとしても。己の目で、確認しなければ到底認められない。
「…………ははっ、んだよ、これ?」
そして、賢悟は引きつった笑いと共に己の姿を確認した。
美しく、そして異様な少女だった。腰のあたりまで伸ばされた白髪と、銀色の瞳。可愛らしさよりも、冷たさを感じさせる美しい容貌。すらりと伸びた手足に、程よく発育の良い体を良質のネグリジェが覆い隠している。
賢悟と同世代ぐらいの少女だ。
知らない少女だ。
そもそも、こんな日本離れした容姿の少女と知り合う機会なんて賢悟にあるわけがない。
「ああ、ファッキンだぜ、神様」
だから賢悟はとりあえず、会ったことも見たことも無い神様へ呪いの言葉を無責任に吐き捨てた。そのまま、極上のベッド中に潜り込み、現実逃避とばかりに二度寝を始める。
願わくば、全てが悪い夢であればいいと思いながら。
こうして、強さしかない孤独な少年は、己の強さをはぎ取られたのである。
肉体ごと、否、己の人生も、魂以外の全てと共に。