八十八、祝詞
「とにかく、邪竜の件はホント助かったよ。それで、アリスさえよければ、この先も同じことをして欲しいんだけど……」
たとえ魔物に同情していても、大巫女様の命令に背くことになっても、アリスは僕の希望を優先してくれる。
そんな期待を抱きつつ、僕は腕の中のアリスに問いかけた。
するとアリスは、迷うそぶりをまったく見せず、コクンとうなずいて。
「ええ、いいわよ」
「ありがと、すごく助かる!」
「でも、今までと同じやり方でいいの? ただあの石を取ってくるだけで」
「うん、それがベストだと思う。街の人たちを無駄に怯えさせるよりは、アリスにこっそり動いてもらった方がいい」
「“魔石”がとれなくても? ユウたちにとっては大事なものなんでしょう?」
ぴくん。
アリスの指摘に、僕の中の『強欲センサー』が反応する。
確かに邪竜の魔石は特別なお宝だ。雑魚の魔石を山のように積み上げたところで、あのリンゴ飴一つにも及ばない。
完全復活した邪竜は手ごわいけれど、アリスと協力すれば倒すことは可能……。
「いや、やめておこう。万が一取り逃がしたときが怖い」
邪竜は普通の魔物じゃない。ヤツは復活するたびに、着実にレベルをワンランク上げてくる。
それに、今のところ街は落ち着いている。ゴールドラッシュにより結界も強化されたし、あえてリスクを冒す必要はない。
僕がそう説明すると、アリスは軽く首を傾げて、さらりと爆弾発言を。
「ユウがそう言うならいいけど……神殿の人たちは困るかもしれないわね。彼らが邪竜をこの街へ呼び寄せたわけだし」
「へっ? そうなの?」
「えっ、違うの? もしかしたら私の勘違いなのかしら……」
「アリスさん、そのネタ詳しく!」
「ええと、邪竜がこの街に飛んできた日にね、神殿の近くに嫌な臭いのするモノが撒かれたの。私はそれほど感じなかったけれど、精霊たちが臭いって騒ぎだして。でも大巫女様に相談したら、『何もしなくていい』って……その直後に邪竜がやってきたわ」
「なるほど……それが事実なら、確かにわざとおびき寄せたことになるな」
「だから私、ずっと引っかかっていたのよ。どうして神殿の人は、わざわざ怪我人を増やすようなことをしたのかって。今思うと、彼らは邪竜の魔石が欲しかったのかもしれない……だとしたら、私がアレを盗ってきちゃって、すごく困ってるのかも……」
ちょっとしたイタズラ心で盗んだお宝の価値を知り、今さら慌てふためくアリス。
僕は迅速かつキッチリと否定する。
「そこは気にしなくていいよ。あの魔石、どうせ神官長が毎日ペロペロしてただけなんだろ?」
「ええ。おかげで日増しに臭いが強まって、精霊が嫌がっていたのよ」
「だったら僕が持ってた方がいい。アリスの判断は間違ってない」
「そっかな?」
「そうです、これも女神様の思し召しです」
テキトーなことを言いつつ、僕は得られた情報を脳内にインプットしていく。
アクセ屋のお姉さんが危惧していたことは、やはり正しかった。
神竜の身体は、神殿に隠されていた。
その封印が解かれたせいで、邪竜が――“神竜の悪霊”が目覚めてしまったとしたら……。
「なんつーか、浅はかだよなぁ。いくら邪竜の魔石が欲しかったとしても、街ごと全滅させられる可能性もあったのに」
僕の酷評に触発されたのか、アリスも隠していた本音を素直に語りだす。
「あのときね、神殿の兵士が矢を射かけるのを見て、私はすごく不安になったの。彼らがその矢で邪竜を倒せると思っているとしたら、危ないなぁって」
「そのシーンは僕も見た。ただ怒らせただけだったよね」
「ユウもそう思ったなら、私の判断は正しかったんだわ。……結局私はただ見ていることができなくなって、風の精霊に頼んで“臭い”を掻き消してもらったの。その頃には街中が大騒ぎで、神殿にもたくさんの人が押し寄せてきて、怪我人も多くて、私も精霊も混乱してしまって……気付いたら東門の前に、邪竜とは違うもう一匹の魔物が――」
「あ、そこまででいいや」
「えっ、ここからがイイトコロで」
「うん、だいたい分かるからいい」
熱っぽく語るアリスの台詞をサクッと遮り、僕は一つの結論を出した。
――この一件も、黒幕は大巫女様だろう。
彼女を盲信しているアリスは、無意識にスルーしたっぽいけれど、大巫女様はこの展開を予期していたはず。
ただ、分からないこともたくさんある。
どう考えても神殿の動きはオカシイ。詰めが甘すぎる。
邪竜を侮ったあげく街に甚大な被害を出したことは、ギリギリ説明がつく。王都からやってきた凄腕の精霊術師が、自分たちを護ってくれるだろうという驕りがあったってことで。
しかし、せっかく手にしたお宝の魔石を、神官長なんて小者が隠し持っていて、あっさりアリスに奪われたのは迂闊すぎる。それを譲り受けた僕が言うのもナンだけど。
彼らには、邪竜の魔石をどうしても手に入れなきゃいけない理由があったはずだ。
少なくとも、その作戦を黙認した大巫女様には……。
「うーん、ワカラン。やっぱり大巫女様に会わなきゃなぁ」
零れ落ちた僕の言葉に、むくれていたアリスがピクンと反応した。
好奇心旺盛な子猫みたいに、興味深そうに僕の顔を覗き込んで。
「あら、ユウは大巫女様に会いたいの? どうして?」
「えっと、今の話とは別件で、ちょっと訊きたいことがあってさ……今度は僕の報告をしてもいいかな。少し長くなるけど」
「ええ、どうぞ」
僕はずしっと重たいアリスを膝の上から木の根っこへ移動させた後、言葉を選びながら慎重に語りだした。
この三ヶ月、死の霧の向こうで“ぼっち旅”をしてきたこと。
目的地は、東の果てである聖都オリエンスのさらに果て――未来樹のある特別な神域。
その場所に未来樹があるってことは、旅の途中で小耳に挟んだと言っておいた。もともと僕は、遠い島国から来た旅人という設定だったしちょうどいい。
真実と嘘が巧妙に織り交ぜられた僕の冒険譚は、知識欲に目覚めたばかりのアリスを刺激しまくった。
「……ってことで、残念ながら最後の最後で『神気の霧』に阻まれてしまって、僕は未来樹まで辿り着けなかったんだ」
と、旅の前半戦をダイジェストで語り終えたとき。
瞳をキラキラさせながら聴き入っていたアリスは、長いまつげを伏せて、ほうっとため息を吐いて。
「ユウの話って本当に不思議……まるで古いおとぎ話のようだわ。まさか、精霊の魂でできた霧があるだなんて」
「もちろん、それは僕の思い違いって可能性もあるけどね。僕には精霊の姿が見えないし、なんとなくそう感じただけだから」
「へぇ、どんな風に感じたの?」
「そうだなぁ……アリスのそばにいる精霊とは違う、もっと荒々しい、野生の獣みたいな感じだったよ。イタズラの延長で無邪気に――」
僕の命を奪おうとした。
という真実は告げず、「じゃれつかれて痛い目に合わされた」とお茶を濁しておく。
「とにかく、普通のニンゲンがあそこに近づくのは無理だってよく分かったよ。僕は瘴気とか神気に耐性があると思ってたけど、そうとうキツかった」
「でも、精霊術師なら通れるんじゃないかしら? もし私が行ったら――」
「分からないけど、厳しいと思う。少なくとも僕はアリスにそんなこと頼めないし、頼みたいとも思わない。これも『女神様の思し召し』って気がする」
無限の器という特別な存在のことは伏せたまま、キッパリと否定すると、アリスはしばし考え込んだ後、首を横に振って。
「……せっかく場所が分かったのに、諦めるのは悔しいわ。だってその霧さえ越えれば、ユウは“願い”を叶えられるのよね? そうしたら、私と一緒に生きてくれるんでしょう?」
縫い立てのチュニックが破けそうなほどの力でしがみつき、潤んだ瞳でこっちを見つめるアリス。
どう考えてもプロポーズにしか聞こえない、可愛すぎるわがままに、僕の頬はつい緩んでしまう。
「うん、僕もそうしたいと思ってるよ。だから、その壁を破るためのヒントを見つけてきた」
「ヒント?」
「神気の霧のすぐ手前に、すごく古い街があったんだ。千年近く前に『聖都オリエンス』って呼ばれていた街がね」
「古の街……」
どことなくロマンチックなその単語に導かれ、再び『おとぎ話』の世界へ落ちていくアリス。
僕は講談師にでもなった気分で流暢に語る。
「その街は、今の『聖都』と比べても見劣りしないくらい立派だった。たぶん最盛期は一万人以上のひとが暮らしていたんじゃないかな。街並みもかなり近代的なんだ。結界付きの石垣に囲まれて、石畳の道が放射線状に伸びていて、大きな神殿があって、広場があって、家が整然と立ち並んで……それらの建物はすべて崩れて、砂に埋もれかけていた。まさに“死の街”って感じだったよ」
「そう……なんだか寂しいわね」
「ただね、一ヶ所だけ無傷で残っているモノがあったんだ。強い魔力で守られている、特別な石碑が」
「特別な石碑……?」
朽ち果てた街に思いを馳せ、切なげに眉を寄せていたアリスの顔が、パッと明るくなる。紙芝居の急展開にワクワクする少女の顔に。
僕はポーカーフェイスのまま、アリスにとっての“爆弾発言”を落とした。
「その石碑を残したのは、たぶん大巫女様だと思うんだ」
「――えっ、大巫女様が?」
「石碑に触れたとき、誰かの思念が見えたんだよ。まるで“魔法”みたいにね。そんなことをできる人物は、限られてるはずだろ?」
「確かに大巫女さまは、思念を扱うのが上手い方だけれど、まさか……」
零れ落ちんばかりに目を見開き、絶句するアリス。どうやら大巫女様は、自身の過去をアリスに伝えていなかったらしい。
というより、問題はもっと根深いようで。
「私、そんな話知らない。大巫女様はずっと王都にいらしたのだとばかり……ああ、そうよ……今ユウに言われて初めて気づいたわ。私は大巫女様のことを何一つ知らない。大巫女様がどのように生きてこられたのか、尋ねようともしなかった。私は大巫女様のお考えを知ることも、疑問を抱くことさえも、許されていなかった……」
独り言のように呟き、アリスが王都のある北の方角を見やった刹那。
――ざわり。
立派な楠の枝を大きく揺さぶる、強い北風が吹き抜けた。
僕らを包むやわらかな風や光――アリスの守護精霊をも押しのけてしまうほど、強烈な疾風が。
精霊たちを遠ざけられ、不安げに自分の肩を抱きしめるアリス。
波立ったその心が落ち着くよう、僕は乱れた髪を優しく撫でる。
触れた手のひらから、アリスの想いが伝わってくる。迷子の子どもみたいな心細さが。
……大巫女様は、幼いアリスに特別な教育を施してきた。
他人に興味を持たず、大巫女様だけを盲信し、その存在をアイデンティティにするように。
今アリスは、魔法が解けかけている。操られるだけのお人形から、一人の女の子に戻りかけている。
その魔法が完全に解けてしまう前に――アリスが“無限の器”の候補者であるうちに、僕は大巫女様と話さなきゃいけない。
「落ち着いて、アリス。まだこの話は事実と決まったわけじゃない、あくまで僕の想像でしかないんだ」
「ユウ……」
「だから、できれば本人に会って確認したいと思ってる。僕の見てきたことが真実かどうかを。たぶんそれが、死の霧攻略のヒントになる」
シンプルな言葉で結論を述べると、うつろだったアリスの瞳にスッと光がともった。
自我を取り戻したアリスは「ありがとう」と囁いて、僕の手をそっと押しやり、ふわりと宙へ浮かび上がる。
そして、すべてを見透かすような眼差しで、もう一度北の方角を見やって。
「私にも分かったわ。これは女神様の思し召しだって」
そのとき僕は、アリスの背中に一対の翼を視た。
大きく広げられた透明な――幻影というには美しすぎる、光の翼を。
祝詞を読み上げるように、アリスは清らかな言霊を空へと解き放つ。
女神の愛娘と呼ばれるに相応しいその姿を、僕の魂に焼き付ける。
「今の北風が――大巫女様の守護精霊が教えてくれたの。大巫女様はたった今、王都を発ったそうよ。私に“最後の試練”を与えるために」




