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リアリスフィア ~竜は孤高の花を望む~  作者: AQ(三田たたみ)


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八十一、罪人

「大巫女様、か……正直なところ、あまり良いイメージはなかったんだよな。アリスにとっては、母親代わりの大事な人だって分かってるんだけどさ」

 ポロリと漏れた本音が、吹き抜ける東風に掻き消されていく。

 今の風がアリスの遣わした“メッセンジャー”だとしたらちょっとヤバいな、なんて苦笑しつつ、独り言の言い訳を重ねる。

「だって大巫女様は、幼いアリスを『精霊術師』って枠に嵌めた人物だろ? アリスを利用しようとする狡賢い大人の筆頭といっても過言じゃない。もしアリスが本当の母親を失って傷ついてて、その傷を大巫女様が癒してくれたんだとしても……今の僕にそこまでの背景は汲み取れないしさ。アリスに母親の話は地雷だって分かってるから、あんまり深くは訊けないし」

 だから、目の前に並べられた確実な情報だけを使って、シンプルに判断するならば。

 ――大巫女様は、アリスを洗脳している。

 彼女に目をつけられてしまったせいで、アリスの運命は過酷なものになった。普通の女の子として生きることができなくなった。

 今のアリスは、甘いお菓子にも、綺麗な服やアクセサリーにも、何一つ心を動かさないただのお人形。

「でもさ……本当のアリスはそうじゃないんだよ。僕も最初は『一目惚れ』っていうか、ただ可愛い子だなぁと思ってドキドキしてたけど、話してるうちにどんどん分かってきたんだ。本当のアリスは、子猫みたいに好奇心旺盛で、笑ったり泣いたりくるくる表情が変わって、邪竜のことをトカゲ扱いするくらい強くて、初対面の僕に膝枕してくれるくらい優しくて、いっぱい人助けしてるのにいつも独りぼっちで、誰よりも寂しがり屋で……」

 だからこそ、僕はアリスを奪いたくなった。

 白百合みたいに綺麗なアリスをこの手で穢して、普通の女の子に変えてしまおうと思った。

 こうなると、大巫女様とは完全なライバル関係。

 一応アリスの育ての親だし、筋を通すために挨拶はしようと決めていたけれど、顔をあわせたところで仲良くなれる気はしなかった。

 だけど、今の僕は違う。

 大巫女様に会って、ちゃんと話を聞きたい。

 どうして精霊術師を育てているのか、アリスのことをどう思っているのか、これからアリスに何をさせたいのか。

 “無限の器”とはいったい何なのか……。

「まあ、だいたい想像はつくけどね。勝手にシンクロしたと思って、答えが間違ってたら恥ずかしいもんな」

 わざと茶化すように呟き、僕は肩越しに背後を見やった。

 空をも覆うほど高く舞い上がる、黄土色の砂塵の奥には、生き物をシャットアウトする『神気の霧』がある。

 あの霧は、精霊たちの楽園。

 ニンゲンと契約していないフリーの精霊は、ある意味魔物よりも残酷だ。うっかり足を踏み入れた獲物をからかって嘲笑って……その死に様を純粋に愉しんでいるんだろう。

 そんなトラップを壊すために必要なアイテムが、無限の器。

 アリスなら、あの霧に住まう精霊たちを魅了できる。無限に精霊を受け入れられる器となって、霧そのものを吸い込んでしまう。

 そうしてすべての精霊を従えたとき――アリスは“ジョブチェンジ”する。

 溢れんばかりの神気に満ちたアリスの背中には、たぶん純白の翼が生えている。

 精霊の力に頼ることもなく、ふわりと空を飛んで未来樹の元へたどり着いて、雲をも貫くほど高い枝の先にちょこんと腰かけて、好きなだけその実を食べて、どんな願いも叶えてしまう“天使”になる。

 ニンゲンには決して触れることのできない、本物の神様に……。

「……なんて、な」

 空想の世界に浸りながら、沈みゆく夕日に向かって歩いているうちに、景色は変わっていた。

 横一線、いびつに並ぶ灰色のラインは、罪人の街が終わることを示す西端の石垣。

 すぐ手前には柱の崩れた巨大な神殿があり、その傍らには高さ一メートルにも満たない漆黒の石碑が置かれている。

 半ば夢心地のまま、僕はふわふわとした足取りで石碑の正面へ。

「そうそう、この場所で僕は未来樹の実を食べたんだよな。死ぬ前にもう一回家族の顔が見たくなって、携帯取ろうとしてポケットに手を突っ込んだらあの実が出てきて……コレ食べたら絶対ヤバイって思った。そんで実際食べてみたら身体がぐわって光って、それこそ得体のしれない魔物に変化するんじゃないかと思ったし。光が消えたらいきなり文字が読めるようになってて、またビックリして……」

 錆びつきかけた記憶を言葉でなぞりながら、僕は石碑の前に屈みこんだ。

 ひび割れ苔むした石碑の、上部に彫り込まれた百合の花の紋章に、指先をそっと触れてみる。

 そのまま、指を真下へとスライドさせる。刻みつけられた文言へ。


『名もなき乙女の魂――罪人の街・オリエンスに眠る』


「これは、哀しい言葉だな」

 今までの僕は“名もなき乙女”のことばかり気にしていた。置き去りにされた憐れな生贄アリスに同情して、彼女を捨てて行ったヤツらに憤っていた。

 でも、この石碑にはもう一人の登場人物がいる。

 ここを『罪人の街』と名付け、この石碑が崩れないように強力な魔術をかけた人物が。

「大巫女様……この文字を刻んだのは、貴女じゃないのか?」

 ぽつりと落とした問いかけに返事はなかった。

 ひっきりなしに続いていた風音がふっと止み、完全な無音の空間が生まれる。

 静寂の中、失われた儚い命に祈りを捧げるべく、僕は目を伏せる。

 すると、瞼の裏に不思議な光景が映し出された。


 ――蒼穹。

 空の青と対になる純白の建物は、瓦礫になる前の立派な神殿。

 放射線状に敷かれた石畳みの上を、せわしなく行き来する人々。

 中央広場では、煌めく噴水の水を浴びてはしゃぐ子どもたち。

 ……すべては僕の妄想の産物だというのに、現実よりも色鮮やかに浮かび上がる。

 たぶんこれは、石碑に染みついた古の記憶。

 そこに颯爽と現れた主人公は、純白の法衣を身にまとい緑色の長い髪を風に靡かせた、若く美しい女性だった。


「――この街のさらなる発展に必要なのは、遷都です」

 神々しいまでの笑顔を作り、「すべては女神の思し召し」とうそぶいて、彼女は街の支配者である貴族を動かす。

 多額の投資をさせて造り出したレプリカの街へ、住民たちを丸ごと移動させるように、と。

 表向きは渋い顔を見せつつも、内心“霧の魔物”に怯えていた彼らは、すんなりとその指示に従った。

 その後、空っぽになった街へ舞い戻った彼女は、一人の幼い少女を連れてきた。

 世界を救う“無限の器”の候補者として見初め、手塩にかけて育てあげた少女を、瘴気に満ちた霧の前へ置き去りにする。

 迫りくる日没。

 しだいに数を増す魔物たちの唸り声に怯え、何度も背後を振り返る少女に、精霊を通じて「すべてを受け入れなさい」と命じ、その末路を影から見守る。

 残された少女は、か細い声で歌を歌い続ける。

 いつしか歌が途切れ、力なく大地に横たわる少女の姿を見つけても、彼女は涙の一粒も零さない。

 重たい足枷をつけるのはそのときだ。少しずつ細く軽くなっていく少女の身体が、万が一にも風に飛ばされないように、慎重に。

 そして、この石碑を立てて街を去る。

 倒れた少女には精霊が寄り添い続ける。主の肉体が完全に朽ち果て、大地に溶けて消えるまで、護る。

 たとえ壊れた器であっても、多数の精霊が留まったその亡骸は、魔石とは比べ物にならないほど強力な結界になる。

 そうして何十年、何百年……逃げた人々は次の街で平穏に暮らす。

 伝えられるべき記録は密やかに消し去られ、それを直接記憶する世代もいなくなり、『聖都』の住人は罪を知らずに生きていく――


 石碑の記憶は、そこで途切れた。

 僕は大きく息を吐き、破れた上着の襟元へと手をやる。チェーンの先に引っかかった、くすんだ指輪を握りしめる。

 そこにくくられていたはずの小さな紙片は、いつの間にか跡形もなく消えていた。

 それでも僕の胸には、アリスの残した言葉がしっかりと焼きついている。



 しがみつく

 百合と秘密は


 知らないなら

 分からないなら

 変わらないなら


 死は罪

 独り逝く罪が、死



「分かったよ、アリス……キミが想う相手は、大巫女様だったんだな」

 この詩を書き記したとき、アリスは全てを理解していたんだろう。過酷すぎる己の運命も、それを強いた相手の苦しみも。

 だからこの詩は大巫女様への――自分を殺めた“母親”へのメッセージ。

 神殿の奥深くに隠された、残酷な『人柱の儀式』をたった一人で継承し、愛しい娘を死なせてしまった罪を背負いながらも、また次の“器”を求めて生きながらえることしかできない不器用な母へ、無償の愛を込めて綴った詩……。

「やっぱり僕は、大巫女様に会わなきゃいけない」

 アリスの遺言を、僕は必ず伝えてみせる。

 そして、彼女が抱え込んだ千年分の罪も、苦しみも、願いも、何もかもをひっくるめて――僕は“アリス”を奪うんだ。

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