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七、男神

 その日、聖都オリエンスの北門前には、早朝から長い行列ができていた。

 出ていく者より入ろうとする者が圧倒的に多いのは、やはり昨日起きた『未曾有の大災害』の影響に他ならない。

 聖都には、高さ百メートルはあろうかという物見の塔がそびえ立つ。そこから降りてきた“邪竜襲来”の一報を耳にし、真っ先に逃げ出した住民――主に偉い貴族様ご一行が、護衛付きの立派な馬車で戻ってくる。街の内部からは出迎えの下っ端たちも押し寄せる。

 黒山のような人だかりを前に、門番の対応はある意味手慣れたもので。

 乗り合い馬車でわらわらと集まってくる一般市民をひとまず城壁脇の草地へ追いやり、街に必要な物資を運ぶ商人の幌馬車さえも道端へ止めさせて、怒らせたらメンドクサそうな人物を真っ先に通過させる。

 美しいアーチを描く門の中へ、二頭立ての瀟洒な馬車が次々と吸い込まれていく。

 上流階級である彼らの姿を眺め見たところ、ほとんどが欧米人のような面立ちをしていた。一番多いのが金髪碧眼。色白で彫が深く、すらりと背が高い。

 貴族様の顔を直接拝むことはできなかったものの、護衛の皆さんだけでも充分高貴な感じが伝わった。金糸の刺繍が入ったロングコートやサーコートを着ていて、まさしく『騎士』といった感じでカッコイイ。

 対して、一般市民のビジュアルはもうちょっと地味だ。

 金髪といっても色がくすんでいて、赤毛や栗毛が混じる。肌の色も、白だけじゃなく象牙色だったり褐色だったりする。

 服装はラフなチュニックがメイン。男性は細身のパンツと革靴やブーツを合わせるのが定番。女性はウエストを絞るタイプのロングワンピース等。

 色合いも、茶色やオリーブグリーンなど落ち着いたものが多い。中には異国情緒溢れるカラフルなデザインのものもある。

 そんな彼らと一線を画すのが、巡礼者のグループだ。

 頭にターバンのような白い布を巻き、ゆったりとした純白のローブを羽織るという分かりやすいいでたち。もちろん長旅の間に衣装は汚れて灰色になってしまっているのだが、それでも滲み出る高潔な空気が清々しい。

 専用の大型馬車でやってくる彼らは、貴族の横入りにイヤな顔をすることもなく、草地で長時間待たされている市民たちへ水や食料を配布する。あまりにも紳士的なその態度に、僕は『女神教』への好感度をワンランク上げた。

 彼らは信徒の証として、百合の花の紋章が刻まれたブレスレットをつけている。検問の際はそれがニセモノではないか、品質を厳しくチェックされているようだ。

 そして……指輪をつけている人物はゼロ。

 やはり『アリスの指輪』は特別なものなのかもしれない。しかるべき時まで――アリスの家族と対面するまで、あの指輪は隠しておいた方が良さそうだ。

 昼過ぎには巡礼者たちが城門の中へ消え、ようやく一般市民の番がまわってくる。

 えこひいきされる貴族がいれば、虐げられる庶民もいる……これはどこの世界でも必ずある格差で、受け入れるしかない現実だった。

 しかし、彼らは雑草のように逞しい。

 ぎゅうぎゅう詰めの乗り合い馬車から荷物のように乱暴に下ろされ、不安げに周囲を見渡しつつ列に並ぶ。そして「ようやく着いた」と表情を綻ばせる。

 いったいどこからやってくるんだろう……と思って聴き耳を立てると、ほとんどが『王都』からの定期便だった。

 王都は、今僕がいる『聖都オリエンス』よりだいぶ北にあるらしい。皆厚手の上着を手にしているから、かなり寒い場所なんだろう。

 僕がトリップしたエリアは温暖な気候で本当に助かった。北国だったらあっという間に凍死していた。

 ちなみに僕の旅のスタート地点となる大樹の位置はここからまっすぐ東で、到着した『開かずの扉』も東門。

 今朝はその東門から、城壁沿いにぐるりと回ってきた。

 より賑やかそうな方向を選んだら北門に着いたのだけれど、もし南門を選んでいたら、そこにはより薄着をした南国からの旅行客がやってきていたのかもしれない。明日にでも覗きに行ってみよう。

 ……なんて“高みの見物”を続けている僕自身は、いったいどういう状況かというと。

 門から三百メートルほど離れた、立派な常緑樹の木陰に潜んでいた。

 そして徐々に短くなる行列を眺めながら……ビビっていた。

 人と触れあいたい――ずっとそう思ってきたはずなのに、いざ目の前に人が大勢現れると、なぜか怖い。できることなら尻尾を巻いて逃げ出したい。

 この心理はもしかしてアレだろうか。妙齢の女性が患うという『マリッジブルー』的な……。

 なんて微妙な考察をしていると、腹の虫がきゅるっと鳴いた。そろそろ眠気と空腹で倒れそうだ。

 覚悟を決めて、僕は“脱ぼっち”への第一歩を踏み出した!

「ど、どこかヘン、じゃない、よな……?」

 気合いとは裏腹に足取りは重い。なめくじのごときスピードで進みつつ、僕はもう一度襟元のニオイを嗅いでみた。

 頭のてっぺんから爪の先までクリーニングは完璧。ハイスペックな嗅覚を駆使しても、今までのような野性味溢れるニオイはない。無味無臭だ。

 ただ、問題はこのいでたち。

 紺色のブレザーとスラックスは、元の世界ではごく一般的なデザインだけど、さすがにこの世界では珍しいっぽい。あと合皮のスニーカーも。他にちゃんとした服が無いからしょうがないとはいえ、かなり悪目立ちしてしまいそうだ。

 一瞬『商人の馬車を襲って衣類を奪う』というアイデアが浮かびかけ、慌てて頭を振る。

「そんな野蛮なことはしないぞ! 僕はゴブリンじゃないし! ゴブリンじゃないし!」

 ……とにかく、服装についてはもう開き直るしかない。見咎められたら「すごく遠い島国から来た」とでも説明しよう。

 あとは……この黒髪も珍しいかも。

 ただこの点については薄々覚悟していた。異世界において『黒髪黒目は異端』というのは、物語フィクションの王道パターンだから。

 その『異端』が珍しいってだけなのか、それとも不吉だといわれて迫害される色なのか……残念ながら、たった半日の社会見学ではそこまで判断できなかった。

 髪色に関しては、魔石で過酸化水素水を作れば脱色できそうだけれど、定期的にやらなきゃいけないのは面倒だし、頭皮にダメージを与えるのも避けたい。だったら巡礼者みたいにターバンでも巻いた方が……。

 なんて、考えたところで後の祭り。

 僕の存在はすでに門番の兵士に見つかってしまった。

 しかも“不審人物”としてロックオンされている、ような……?

「うう……なんか見てる。みんな僕のこと、めっさ見てる……列に並んでる人も、こっち指差してる……」

 おかしい。何かがおかしい。この格好がちょっと奇抜とはいえ、さすがに騒がれすぎな気がする。

 ひょっとして歩き方がヘンなのか? でも妙な前傾姿勢でもないし、スピードだって常識的だし、両手両足だって交互に動いてる。別にキモイ笑顔を浮かべてるわけでもない。

 だったらどうして――

「うわぁ、オガミサマだー!」

 不意に放たれたのは、小さな女の子の声。民族衣装っぽい華やかな刺繍が入ったワンピース姿の女の子が、人混みの中からぴょこんと顔を覗かせた。

 母親が「しぃー!」と咎めるも、子どもの好奇心は止められない。

 女の子は母親の手をするりと抜けて、僕の元へダッシュ!

「オガミサマーっ!」

「え、えっ、ええっ?」

 ドスッ、と僕の腰に飛び付いた少女は、真ん丸い目をキラキラさせながら僕を見上げてくる。その表情は子犬のように純粋無垢。背中まで伸ばした栗色の髪はやわらかで、両耳の脇に細く結わえた三つ編みが可愛らしい。

 とまどいつつも、僕は内心ホッとしていた。

 どうやら僕の容姿は、いきなり子どもが泣き出すような、ナマハゲ的な方向性ではないらしい。

 かといって、こんなに懐かれる理由もないはずなんだけど……。

 と考えている間にも、女の子はぐいっとブレザーの裾を掴み、一生懸命背伸びをして僕の顔をぺちぺち触ってくる。

「えっと、どうしたのかな? 僕の顔に何かついてたりする?」

「オガミサマ、リリのことむかえにきてくれた! ママがゆったとおり!」

 ……うん、言葉は分かるけど会話が通じる気がしない。

 とりあえずしゃがみこんで、少女の好きなように顔や髪を触らせてあげていると、放心していた母親が必死の形相で飛びこんできた。

「もっ、申し訳ございません――ッ!」

 スライディング土下座しかねないその勢いに、僕はかなりビビる。

 当然、僕にしがみついていた女の子もショックを受けたようだ。

 なにやら自分がとんでもない粗相をしてしまったのだと気づき、満面の笑みが一気に崩れる。小さな唇がへの字に曲がり、焦茶色の瞳にはぶわりと涙が浮かぶ。

「ちょっ、待ってください! そんなに謝られるようなこと、僕なにもされてませんから! それに、キミも泣かないで」

 可能な限り優しげな笑みを浮かべながら、僕は女の子の頭を撫でる。すかさず両腕を伸ばしてくるので、ぎゅっと抱きしめてやる。

 その瞬間――僕の中に、スイッチが入った。

 ……ああ、温かい。

 人と触れあってる。僕が抱きしめれば、抱きしめ返してくれる腕がある。僕はもう一人じゃない。

 こんなにも世界は、僕に優しい……。

 自然と熱いものが込み上げてくる。胸がいっぱいになって言葉が何も出てこない。

 涙の粒が零れてしまう前に、僕は慌てて女の子を離した。ここで泣いたりしたらおかしい。普通にしていなきゃ。

 それでも引き離された女の子は名残惜しそうに僕を見上げ、隙あらば腕に絡みつこうとする。母親が心底困ったという顔で頭を下げる。

「うちの子が本当に失礼なことを……すみませんでした」

「いえ、全然!」

 ――むしろ嬉しかったです、ていうかちっちゃい女の子を生まれて初めてぎゅっとしましたが、柔らかくて良い匂いで最高でした!

 という若干ヘンタイっぽいリアクションをぐっと堪えて、僕はポーカーフェイスのまま首を横に振る。

 母親の方は、よく見ると女の子と似ていてかなりの美人さんだ。身長も僕と同じくらいだし、西洋風というよりアジアンビューティな感じで親しみやすい。

 人と会話をするのはこの世界へ来て初めてだけれど、翻訳機能のおかげでネイティブなトークができるのも嬉しい。ありがとう、神様……!

 ぼっち卒業の感動に浸りつつ、僕は母娘と一緒に検問の列へ加わった。

 そして、女の子の行動の訳を尋ねてみると。

「わたしの故郷である、中央大陸アルボスに伝わるおとぎ話なのですが……男神様オガミサマという神様がおりまして。男神様は女神様とともにこの世界を作られたお方で、夜空のように黒い髪と黒い瞳を持つ、とても美しい少年神とされていて――」

 まだ二十代半ばと思しき母親は、言葉を紡ぎながら少しずつ頬を赤らめていく。斜め下から見上げる幼女のつぶらな瞳も、恋する乙女のようにうっとりと……。

 それは僕がレポートに書いた『異世界召喚ラノベ的お約束』においても、充分ありうるパターンだった。黒髪黒目が“神聖視”されるというものだ。

 もちろん迫害されるよりは全然嬉しいんだけど。

 男神様って……。

 ……。

 ……。

 さすがにちょっと、ハードル上がり過ぎじゃなかろうか。

 昨日まで僕、『ゴブリン』だったんですけど……。

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