七十八、寿命
そのときの僕は、頭の中がぐちゃぐちゃだった。
……アリスに、僕の秘密を知られた。
誰にも言わずに隠してきた、最大の秘密を。
そもそもこの件を隠すことにしたのは、さすがに非常識すぎると感じたからだ。
だから、まずは図書館に行って情報を集めようと思っていた。僕みたいな異世界人が他にもいると分かれば、皆にカミングアウトするつもりだった。
もし過去の事例が見つからなくても、いずれ打ち明けていたと思う。
その理由は、ただ一つ。
――元の世界に帰りたい。
僕を突き動かすエネルギー源は、それだった。
命を賭してこの街を守ろうとしたのも、ある意味神様に対する分かりやすいアピールで。
『頑張って人助けするから、代わりに僕の願いを叶えてください!』
なんて……意外と僕は腹黒い。女神教をさんざんこき下ろしておきながら、困ったときだけ神頼みだなんて。
でも、それが本音なんだからしょうがない。
この世界のことは決して嫌いじゃないし、ぼっちを脱出してからはそれなりに楽しく暮らしてきたけれど……やっぱり故郷のことが忘れられない。
これから年老いていくだろう両親や、陽花や、学校の友達のことが、抜けない棘になってズクズクと疼いている。
その痛みを消し去ることは、どうしてもできない。
今だってそうだ。
生まれて初めて人を好きになって、その相手から「傍にいて欲しい」と告げられて。
もしかしたらこれは『両想い』なのかもしれなくて。
なのに、より強く感じるのが喜びよりも罪悪感だなんて……サイアクだ。
「あー、ようやく分かった。なんで『転生モノ』がトリップモノより人気なのかって。主人公のこういう葛藤がウザいんだな。つーか今の僕がめちゃめちゃウザい。森鴎外の『舞姫』レベルでウザい。責任も取れないくせに現地の子に手出して悩むとかちょーウザい」
「ユウ……?」
突然意味不明なことをぶつぶつ呟き始めた僕に、戸惑いを隠せずおろおろするアリス。
とりあえず「正気ですよ」というアピールも兼ねて、ぺこりと頭を下げておく。
「ごめん、アリス。もうバレてると思うけど、僕にはいっぱい隠し事があります」
「うん……」
「もちろん、アリスが嫌なら何も言わないよ。ただ一つだけ言い訳させて欲しい」
「なに?」
「僕はもともとこの街の人間じゃなくて、旅人なんだ。だからいずれまた旅に出ると思う」
「ん……」
アリスは小さく頷き、欲しい玩具を我慢する子どもみたいな顔で僕を見つめる。僕の上着の裾をぎゅっと握りしめて。
嘘をつけない、正直なアリス。
何も望まないこと――欲望を完全に捨て去ることが精霊術師の条件だとしたら、そんなものはとっくに崩れてしまっている。
精霊術師だって、ワガママくらい言ってもいい。甘いお菓子を好きになったり、誰かに恋をしてもいい。
それを許さないほど、この世界の女神様は狭量じゃない。
なのに、アリスは気づいてない。
どこまでも一途に、自分で自分を追い詰めていく。
「旅に出たいなら、そうすればいいのよ。ユウの好きなようにすればいいんだわっ」
嘘をつけないアリスが、精一杯の虚勢を張る。
でも、涙に濡れて艶めく瞳が、言葉の代わりに気持ちを語ってくれる。
『どこにもいかないで。ずっとそばにいて』
悲痛な訴えが、胸の中で何度もリフレインする。
そんなにも、僕のことを望んでくれているのなら……。
「分かった。僕は決めたよ。やっぱり旅に出る」
「うそ、もう行っちゃうの? 本当に?」
「いや、今すぐじゃないよ。僕にはやることが残ってるから。それが無事に終わって、この街を出るときは――アリスも一緒に行こう」
「えっ」
「ていうか、絶対連れていくから覚悟しといて」
僕の誘いがあまりにも想定外だったのか、大きな瞳を何度もぱちくりとさせるアリス。僕はその手を遠慮なくニギニギして。
「とりあえず、“死の霧”を一緒にやっつけよう。今は苦戦してるけど、攻略のヒントは見つかったから、アリスの力を借りればなんとかなると思うんだ。それにアリスが直接動けば、神殿のヤツらも黙るだろうしさ」
「あ、あの……」
「それで、この街の問題が解決したらすぐ王都へ行こう。僕ちょっと王様に訊きたいことがあるし。あとアリスが育った大神殿って場所も見てみたい。ついでに大巫女様にご挨拶を……」
ご挨拶。
そのときは、たぶん例の台詞を言うことになるだろう。
――お嬢さんを、僕にください。
……。
……。
「うん、大丈夫。それまでに愛をフルチャージすればなんとかなる」
大巫女様から正式に許可をいただけたら、あとは自由だ。
まずはこの世界をぐるっと一周しよう。世界一乗り心地のいい馬車を作って『新婚旅行』するんだ。
ハネムーンのついでに中央大陸へ行って、戦争にかまけて命をないがしろにしているヤツらに、ガツンと一発お見舞いしてやる。
それから北と南の大陸へ寄って、最後は西の果てにあるネムスへ行く。
やりたいことを全部やり尽くして満足したら……元の世界へ帰ろう。
できれば、アリスと一緒に。
帰る方法は全く未知数だけど、賢者と名高いネムス人なら何か知ってる気がするし。
「よし、完璧な計画だなっ」
「どうしよう、さっきからユウが変だわ。頭がおかしくなっちゃったのかも……」
若干失礼なことを呟きながら、僕の頭をなでなでし始めるアリス。
その手のひらからは治癒術でも発揮されているのか、興奮状態の頭がすうっと冷めていく。
完璧な計画もとい『壮大な妄想』もしゅうっと音を立ててしぼんでしまう。
……ていうか、冷静に考えるとちょっと恥ずかしい。特にプロポーズのあたりとか、いかにも『若気の至り』っぽくて。
せめて僕がもう少し大人なら、説得力があるんだろうけど……。
例えば――この世界の成人となる二年後。
僕は世界を救った“勇者”として認められ、アリスの隣に立つのが相応しい存在になっている。
周囲の祝福を受けながら、僕はアリスに真っ直ぐ向き合って、隠していた全ての秘密を話すんだ。
この世界はとても広くて、理屈じゃ説明のつかない不思議なことがたくさんある。僕自身も遠い星から飛ばされてきて、役目を果たしたら元の世界へ戻るんだって。
そのときアリスは、離れ離れになると感じて嫌がるけれど、僕は「そうじゃないよ」と説得を……。
……。
……。
……なんだかこの妄想、どこかで聞き覚えがあるような?
「あのー、アリスさん」
「なに、ユウ。どこか痛い? 頭とか頭とか」
「頭は大丈夫なんだけど、ちょっとした疑問が……もしかしてアリスって、予知能力とかあったりする?」
「そうねぇ、精霊が先のことを教えてくれることはたまにあるけど、予知だなんて言われると少し大げさかも」
「そっか……」
どうやらアリス自身は無自覚らしい。
あの夢を見せたのは、やはり精霊の仕業なのか?
アリスに憑いてる精霊さんは、ときどき余計なことをしやがることがあるし、わざと予知夢でそのシーンを見せつけた……?
「ごめん、辛いかもしれないけど、もう一回さっきの夢のこと思い出して。『夢の中の僕』は本当にこんな顔してた?」
「ええ、そうよ」
「よく見ると微妙に違ったりしない? 顔つきが大人びてるとか、あと身長が高くなってるとか」
検証の意味も兼ねて、僕はすっくと立ち上がる。アリスも精霊の力でふわりと。
「んー……ちょっと待ってね、そのまま動かないで」
頭のてっぺんからつま先まで、アリスの視線が何往復もする間、僕は女神様に祈った。
できれば隊長みたいに渋い顔立ち……は二年じゃ無理だろうけど、せめてクロさんくらい大人っぽくなりたい!
あと身長二メートル……は厳しいとしても、十センチは伸びてて欲しい!
そんな切なる願いを受け、アリスが下した結論は。
「うん、全く変わらないわね。顔も身体も今のユウとぴったり同じよ」
「うっ……で、でもほら、僕と同じくらいアリスの方も背が伸びたって可能性もあるだろ? 二年あればお互い十センチくらいはっ」
「私はそんなに伸びないわよ。十センチも背が伸びるなんて百年かかっちゃうわ」
「百年……?」
「ううん、百年よりもっとかかるかもしれない。二百年か、三百年か……大巫女様はそのくらいで身体の成長が止まったとおっしゃってたし、私もそうなんじゃないかしら」
「え、えっと……アリスさん。今さらですが素朴な疑問が一点」
「なに?」
「アリスの寿命って、もしかして普通のひとより長めだったりする?」
「ええ、そうね」
「もしや……千年、とか?」
「具体的には分からないけれど、だいたいそれくらいかな? 精霊術師は契約している精霊に生かされるから、その精霊の寿命しだいね」
「ほぅ……ちなみにその間、外見的にはどんな感じで」
「今とあまり変わらないと思うわ。少なくとも大巫女様は、まだ成人前のように若々しいお姿よ」
――ロリババア設定きたー!
……とか言ってる場合じゃねー!
また一つ、精霊術師の新たな生態を知ってしまった……その結果、僕の完璧な人生設計もあっさり白紙状態に。
だって、向こうの世界で千年も生きてたらヤバい。十年単位で引っ越ししまくらなきゃ絶対ご近所さんの噂になる。
それに僕が死ぬほど頑張って百二十歳まで生きたとして、残り九百年を知らない土地でぼっちにさせてしまうのもマズイ。
やっぱりアリスの生きるべき世界はここなんだ……。
あ、でもロリババア設定は最高です、ありがとうございます。
となると、アリスは永遠に“アリス”ってことで、僕も立派なアリス愛好家に……?
「いや待て待て待て。僕の頭カンペキおかしくなってる! アリスさん、ちょっと頭撫でて!」
「う、うん!」
なでなでなでなで……。
アリスのゴッドハンドにより、速やかに冷静さを取り戻していく頭は、一つのポジティブな結論を導き出していた。
もはや己の顔が童顔なままだろうが、身長が百七十センチで止まろうが、どうでもいい。
「はぁ……とりあえず若さを保つためのサプリメントでも開発しようかな。なんか良い素材知らない?」
「ユウは長生きしたいの?」
「できればアリスと同じくらい生きたい。ていうか一緒に死にたい」
疲れ切った頭で、何の腹黒さもなく素直に漏らした言葉は、立派な『告白』になってしまったらしい。
ぽっと頬を染めたアリスは、花が綻ぶようにふんわりと微笑んで。
「ふふっ、そうねぇ、私くらい長生きするなら……『未来樹』かな」
「えっ、本当にそんなアイテムがあるの?」
「うん。未来樹っていうのは、どんな願いも叶えてくれる魔法の樹よ」
「おお……」
さすが異世界。まさにファンタジー。
しかし、いくらファンタジーでも、そのアイテムはちょっとチートな気がする。
どんな願いも叶えてくれるだなんて、大盤振る舞いにもほどがある。それこそ悪者が活用したら大惨事だ。
と考えたところで、僕の懸念はあっさり解消。
「ただ、未来樹がどこにあるかは分からないの。“世界の果て”とだけ言われていて、誰も見たことがないのよ」
「そっか、やはりスーパーレアか……」
「すーぱーれあ?」
「ううん、何でもない。その未来樹ってどんな樹なの?」
「古い神話に出てくる、女神様が初めて植えたとされる樹よ。もとは乾いた砂の大地だったこの世界を、緑豊かな土地に変えてくれたの。今も荒廃した場所を求めてあちこちに転移しているらしいわ」
「ほぅ……緑豊かに、ねぇ……」
「だから、未来樹は『魔物に荒らされた土地』にあるんじゃないかって言われているけれど、これだけ世界中に人が溢れていても見つからないってことは、どこかに隠れているのかもしれないわね」
「あー……例えば、死の霧の向こう、とか?」
「ああ、その発想はなかったわ。確かにそこなら見つからないかも。だって未来樹は、枝の先が雲に刺さるくらい大きいんですって。大神殿の楡の木より大きいなんて、私には想像がつかないわ」
「んー……そうだね、想像以上かもね」
「あとね、未来樹は女神様に守られている樹だから、この世界に仇なすひとには絶対その実を渡さないらしいの。真っ赤な実がたくさんついているけれど、鳥が突つこうとしても跳ね返されちゃうって」
「はー……そうだね、ぽたっと落ちてくるのを待つといいかもね」
「そう考えたら、未来樹を探すのは大変よね。もちろん私も協力するけど……もし見つからなくても、私は、その、気にしないから……ユウが普通に年を取って、おじいさんになっても……」
というアリスの告白めいた台詞も、残念ながら呆けた僕の頭には届かなかった。
……たぶん僕、未来樹の実、食べました。
ま、舞姫は傑作だから……(震え声




