七十四、贈答
「こういうの、ホント僕らしくないよなぁ……」
ゴールドラッシュで賑わう北の繁華街を背に、迷いのない足取りでサクサク進みながらも、僕はついぼやいてしまう。
最初は受付嬢のお姉さんに“賄賂”のドーナツを渡すだけでドキドキしていたはずが、今や女の子の部屋へアポも取らず押しかけようとしているなんて。
元の世界にいたときには考えられないくらい積極的というか、行動的というか、本能むき出しっていうか……。
――どうせ眠るなら、アリスの傍で眠りたい。
疲れ切った身体を動かす原動力が、その一念だった。
もしかしたら、アリスは今あの塔にはいないかもしれない。どこかへ遊びに行っているか、もしくは下神殿で治癒の仕事をしているかも。
否定的な意見をあれこれ並べても、通り過ぎる街並みの中に『宿屋』の看板を見つけても……それでも僕はどうしてもあそこへ行きたかった。
どうしても、アリスに会いたかった。
「ああ、そうだ。今のうちに声に出しておけばいいんだ。風の精霊に届けてもらえば――“今から僕が会いに行くから、部屋にいてくれると嬉しい”って」
メッセンジャーになることを承諾してくれたのか、小さなつむじ風が伸び放題な僕の前髪を揺らし、天空へと吹き抜けていく。
その風を追うように、僕は神殿エリアの最短ルートを突っ切っていく。
腕輪をつけた多くの人が出入りする、白い石柱が並んだ正門をくぐり、下神殿を抜けて上神殿へ。奥へ進むほど中はひんやりとしたキレイな空気へ変わっていき、あきらかな異物である僕はちょっと申し訳ない気持ちになってしまう。
たぶん僕は、まっさらな女神教の世界を汚す一点の染みだ。
でも僕が染みだとしたら、魔石狩りやオリーブさんを襲ったヤツらはいったい何なんだろう? 裏地にこびりついたヘドロだろうか?
なんて失礼なことを考える間にも、法衣を身にまとった偉そうな神官たちと何度もすれ違う。
「……大変だ、“アレ”が無くなったらしい……」
「……いったい誰がそんなことを……」
「……とにかく神官長様に申し開きを……」
以前潜入したときと違い、彼らはバタバタと慌ただしく動き回っていた。
感情が波立っているせいか、魔術を使いながらうろつく僕の気配にはちっとも気づかない。『アレ』という隠語から想像するに、また何か悪巧みでもしているんだろうか?
……正直、かなりイラついた。
こんなにも清らかな、むせ返るほどの神気に包まれた世界で暮らしておきながら、罪のない人たちを平気で傷つけるヤツらの神経が分からない……。
いや、きっとヤツらは自分の行いを『善行』だと信じているんだろう。
女神の存在は、ヤツらにとっての免罪符。
邪な欲望で根っこが腐っていても、『全ては女神の思し召し』の一言をくっつければ、何もかも許されてしまう。少なくとも罪悪感は抱かなくなる。
ヤツらはあの腕輪に――自身の魔力と一緒に、悩みや苦しみや葛藤や、ニンゲンらしい感情を全て吸い取られてしまっているんだ。
だから、ヤツらと対峙するべきは今じゃない。
戦うなら、女神の加護が届かない場所へ引きずり出してから。そして“腕輪”を奪って目を覚まさせた上で、最低限の対話を終えてからだ。
迷路のような上神殿の中、感情を失くしたロボットみたいな神官たちを眺めながら……僕はそんな風に結論付け、自分を律した。
◆
「――ユウ、いらっしゃい!」
塔の最上階まであと一歩というところで、突然天井板がガバッ!
そこから上下逆になった緑髪の女の子の頭が、ニュッ!
……というアリスらしい登場の仕方をしっかり予知していた僕は、反射的にサッと身をかがめた。
さすがに百メートル近いこの螺旋階段を転げ落ちるわけにはいかな――
「本当にユウだわ! 会いに来てくれて嬉しい!」
「うぉうッ!」
蝶のように宙をひらりと舞ったアリスは、落下の勢いを殺さないまま僕のボディへ激突!
僕は危うく螺旋階段をゴロンゴロンと転げ落ちそうに……いや、マジ勘弁してください。ふわっと浮かんでないときのアリスって意外と重いし。僕が死ぬほど足腰強化してなかったら確実にお陀仏です。
はぁっとため息を吐くも、当の本人はまったくの無頓着。
僕の肋骨がミシミシいうくらい強く抱きついたアリスは、白い頬を紅潮させ、エメラルドの瞳をキラキラさせながらこっちを見上げて。
「さっきね、風の精霊からユウが来るって聞いて、慌てて戻ってきたの。あと今日はユウに“お土産”があるのよ!」
「えっ、何だろう?」
「ふふっ、見てのお楽しみ。たぶん今ユウが一番欲しいものじゃないかしら?」
「へぇ、楽しみだなぁ……ちょっと不安な気がしないでもないけど……」
ぐいぐいと腕を引っ張られながら天井板を乗り越えて、最上階フロアへ上がる。
そこは一昨日の夜に見たままの、のっぺりとした何もない空間だった。カーテンのかかった窓が一つあるだけで、あとは灰色の壁に囲まれた狭苦しいスペース。唯一のインテリアは、アリスが愛用している古めかしい杖。
僕が今一番欲しいもの――ふかふかの布団が敷かれているという想像は、残念ながら外れてしまった。
でもまあ僕としては、多少床が硬くても“枕”さえあれば問題ないし……。
「あのさ、アリス。悪いけど僕ちょっと疲れてて、できれば先に」
仮眠をとらせて欲しい……という台詞は、中途半端なところで途切れた。
代わりに漏れたのは。
「――ふぁッ?」
という珍妙な叫び声。
目の前で見せつけられたありえない光景に、心臓が口から飛び出しそうになる。今すぐ目を閉じなきゃいけないと思うのに、身体が全く言うことをきかない。
アリスはなぜか僕の目の前で、トレードマークのずるずるした法衣をしゅるしゅると脱いで、ネグリジェみたいな薄手のノースリーブワンピース姿に――
「あ、あ、アリスさん、たしかに僕には青少年らしい健全な欲望がありますが、さすがに今日のところはそこまで望んでないとうかまだ早すぎるというか」
「ちょっと待ってね、この服ってモノを入れる場所がないから、下着のポケットに入れておいたの……はい、これあげる!」
ポスッ。
手のひらに何か硬くて丸っこいものを乗せられた気がしたけれど、僕の両目は衝撃的な光景から一ミリもずれることはなく。
僕が想像していた通り、アリスの肢体は眩しいくらい白くて細くて……細すぎた。
今朝方に目撃してしまった、オリーブさんの気だるげなネグリジェ姿とは雲泥の差……いやどっちも僕にとっては“雲”なんですが。
だけど――凹凸ゼロ!
標高ゼロです神様!
腕とか脚はそれなりに筋肉がついててイイ感じなのに、女子として肝心なところが!
「むぅ……せっかくイイモノあげたのに、あんまり嬉しそうじゃないみたい」
ぷうっと頬を膨らませたアリスが、風の精霊に手伝ってもらいながら十二単みたいに複雑な法衣をしゅるしゅると着直していく。
その光景を網膜に焼き付けながら、僕は完璧なアルカイックスマイルを浮かべて。
「めちゃめちゃ嬉しいよ、ありがとう。今度は僕がお土産あげるよ。アリスが食べたいって思うか分かんないけど、美味しいお菓子をたんまり持ってくる」
そうすれば多少は肉がつくだろうし。僕はふっくらした女の子ってキライじゃないし。アリスは僕と同い年だからまだ伸びしろがあるっていうか、今からでも頑張れば受付嬢のお姉さんくらいに……。
なんて邪なことを考えながら、手にした丸い何かをニギニギしていた僕は、ハタと気づいた。
この丸い物体、なぜだか分からないけれど僕の手にすごく馴染む。
表面はひんやりつるんとしていて、大きさ的にはちょうど“リンゴ”くらいで……。
チラッ。
アリスが元通りの巫女さんスタイルに戻るのを見届けた後、視線を軽く下へ落とした僕は、またもや絶句する。
……僕が握りしめていたのは、血のように紅く輝く一個の宝石だった。
ペロリと舐めたくなるくらい艶やかで美味しそうな、至高の一粒。
「え、えっと、アリスさん、いったいどちらでコレを……?」
「さっき神殿の中を探検してたときに見つけたの。ユウが欲しがってると思ったから、ちょうどいいかなって」
ニコッ!
光の精霊をまとい、後光が差すほど明るい笑みを浮かべたアリス。
そういえば、一匹目の邪竜を倒した後ダッシュで逃げ出した僕は、その後どうなったかなんてすっかり忘れていたけれど。
たぶんコイツは神殿側が速やかに回収し、本物の“お宝”として厳重に保管をしていた、はず……。
「あのー、このプレゼントはすごくありがたいんだけど……どこで見つけたかって覚えてる?」
「ええ、神官長の部屋よ」
「それって、勝手に持ってきちゃっても大丈夫なんでしょうか……?」
「いいのよ。だってそれは精霊たちがずっと“臭い”って嫌がってたゴミだから」
「ゴミ……」
「ごめんなさい、外の世界では大事なものなのよね? ただこの神殿では必要ないの。ユウが活用してくれたら私は嬉しいし、きっと死んだトカゲも喜ぶわ」
……。
……。
……うん、後でちゃんと犯行声明を出しておこう。いつも通り『お菓子小僧』名義で。




