六、浄化
「なんでだろ……なんで僕は、こんな目に……」
ぶつぶつと呟きながら、湿った沼地を独り歩く。一寸先も見えない霧の中は、まさしく僕のメンタルそのものだ。
本当は心の赴くままに叫びたかった。「こんなの絶対おかしいよ!」と。
でもそんなことをしたら魔物にターゲットリンクされて、さらに鬱陶しいことになる。
この霧の中にはぬめっとした水棲生物が多い。相棒がいない今、素手で殺さなきゃいけないのはツライ。
あの後――ラスボスである黒竜を倒してからすぐ、僕は『迷いの霧』の中へ戻ってきた。
せっかく出会えた天使……もとい生きている人間の女の子に、硬そうな杖で脳天をかち割られそうになって。
もちろん避けた。楽々と。目をつむっていても避けられる、巨大ネズミ程度の攻撃力だった。
だけど心が痛かった。正直めちゃめちゃ傷ついた。
僕の想像では――
『この街を黒竜から救ってくださってありがとうございます。貴方は本物の勇者です!』
と感激されて、握手の一つもしてくれるかと思ったのに。
なのに、まさか……。
僕まで“魔物”扱いされるなんて――!
あまりにも激しすぎる、理想と現実とのギャップ。
ショックのあまりパニック状態に陥った僕は、落ちていた荷袋を拾い上げ、ぶち壊した門からほうほうの体で逃げだした。
城門の外には、切ないオレンジ色の夕焼けが……広がっていなかった。
黒竜との激戦を繰り広げていた時間は、正味十五分といったところか。あまりにも短く、濃厚な時間だった。
雲ひとつない青空の下、痛々しい地割れの跡が残る荒野をフルスピードで駆け抜けた。砂が目に入って涙が止まらなかった。砂のせいで。砂のせいで。
住み慣れた霧の中の、岩山に囲まれた袋小路ポイントへ引きこもったら、ようやく気分が落ち着いた。
それから僕は荷袋の整理をした。
ガラクタを全部捨てたら、中身はスカスカだ。
残った荷物は、僕の思い出セット。制服、生徒手帳、自転車のカギ、壊れた携帯。
あとはお手製の狩猟道具。弓矢、釣り竿、投げ縄、ペティナイフもどきの尖った石。
大事な“クエスト”のアイテムである銀の指輪は、無くさないよう強化した革ひもに通して首にかけてある。
捨てたのは、大量の石ころ。
長きに渡る冒険の成果――魔石貯金は、ここにきて残高ゼロとなった。
「……別に、貯金が惜しかったわけじゃないんだ。ただ僕は“ありがとう”の一言がもらえたら、それで良かったのに……」
空気みたいに軽くなった荷袋を背負って「ふはぁぁぁ」とため息を吐いたとき、霧の中から巨大カエルが出現。僕はやけくそで足元に転がる石ころを投げつけた。脳天を貫かれたカエルが「ピギャッ!」と叫んでひっくりかえる。むわっと立ち上る強烈な腐臭。
そのニオイを嗅ぎつけ、巨大ザリガニが現れる。次に巨大サンショウウオが。
巨大ヒルは、沼地の傍の樹の上にぺったり貼りついたままだ。漁夫の利を得ようと、虎視眈眈と狙っている。昼からずっと。
そいつらに石を投げつけているうちに、僕はハタと気づいた。
……ここで殺しても、魔石が手に入らない。
貯金があったときは全部放置したけれど、今は一欠片でも惜しい。
せっかくの遠隔攻撃は無駄になった。僕はぬめぬめした魔物を素手で掴んで、せっせと霧の外まで運んだ。
単純労働で汗を流していたら、あっという間に日が暮れた。
そこで僕はマズイことに気づく。
夜になれば、この荒野にも魔物が現れる。獰猛な獣系の魔物たちが……。
「街は大丈夫かな……城門壊しちゃったし」
不安にかられた僕は、ぬめぬめの死骸を放置して、再び城壁へ。
案の定、壊れた門扉はそのまま放置されていた。二重の壁の内側から流れてくる声を拾ってみると、火災の後始末でそれどころじゃないらしい。
しょうがなく、僕は寝ずの番をすることに。
「眠い……ていうか、なんで僕がこんな目に……いや、自業自得か……」
そんな僕の独り言は、夜よりほかに聴くものもなし。
そうして数匹の魔物を狩りながら朝を待ち、できたてほやほやの魔石で城門を修復。急いで霧の端に戻ると、運んだぬめぬめのほとんどが消えていた。
結界を張らずに魔物の死骸を放置すると、たいていこうなる。魔物にとって他種族の血肉――そこに含まれる魔力は最高級のご馳走らしいのだ。
「はぁ……でも多少は残ったからヨシとするか」
砂の上にポロポロと転がる魔石の欠片を拾い上げる。たぶんヒルとかヒルとかヒルの魔石を。
それから僕が真っ先に行ったのは、食事でも睡眠でもなく――
「削れろ、岩! 現れろ、水! 温めろ、炎!」
霧の中の岩山にて、僕は一人露店風呂としゃれこんだ。
ちょうど夜明け前に雨が降ったから、『シャワー』は済ませてある。今までもそんな感じで、適度な清潔感は保ってきたつもりだ。
それでも長旅の汚れはそうとう蓄積されていたようで、透明だったお湯がみるみるうちに黒ずんで行く。
つまり、僕の肌がみるみるうちに白くなる。あたかもゴボウの皮をピーラーで剥くように……。
思い起こせばこの一年、“鏡”という存在に出会っていなかった。水辺に自分の顔が映ることはあっても、まじまじと見つめるようなことはしなかったし。
さっき湯船に張った水を覗き込んだときも、別に違和感はなかった。伸びた髪とか髭とか、日に焼けた肌がちょっとワイルドかなと思ったくらいで。
自分の身なりに気を使うといえば、せいぜい伸び過ぎてうざくなった前髪と爪を切るくらいだった。
だけど……慣れとは恐ろしい。
茶褐色の肌が、日焼けじゃなくて汚れだったとは!
一旦気になると徹底的に洗いたくなり、僕は貴重な魔石丸一個分を消費して己の身体を磨き抜いた。
ついでにペティナイフで髭を剃り、適当に髪を切り、爪を切り、木の枝で作った歯ブラシで歯磨きをした。
最後の仕上げは、着替えだ。
四番目の『罪人の街』で仕入れた服は、すでに原形をとどめないほどボロボロだった。そういえば、霧の中では一度も着替えなかったし洗濯もしなかったなと、今さら思いだす。
そんな姿のまま、僕は街に……。
……。
……。
もしかしたら、あの子の言うとおりだったのかもしれない。
脳裏をよぎるのは、ファンタジーではお約束の亜人である『ゴブリン』だ。風貌はニンゲンに近く、山奥に住んでボロを着て、ときどき人里を襲ったりするちょっと知的でえっちな魔物……。
「うん、もう考えるのはやめよう。僕は天使になんて出会わなかった。出会わなかった」
自分に言い聞かせながら“霧の秘湯”こと即席バスルームを出る。そしてくたびれたスニーカーと、革製の荷袋――特化の魔術をかけまくっても破れなかった、最初の街での掘り出し物――のクリーニングをした後。
僕は、一年ぶりに制服へ袖を通した。
あんなにもぶかぶかだった袖口がぴったりになっていることに感動する。そういえばこの一年、身長も計っていなかった。この分だと五センチは伸びている。
――念願の、百七十センチ突破!
これで陽花にも舐められなくてすむ。アイツにはいつも「ユウ君いいこいいこ!」とチビッ子扱いで頭を撫でられていたから。
「でも、アイツもたぶん背が伸びたんだろうな。僕よりいっぱい牛乳飲んでたし。こっちに比べて食料事情もいいし」
一方、僕の方は……肉、肉、魚、木の実、豆、草……。魚は骨ごと食べたから、カルシウムは摂取していたと思うけれど。
「そろそろ牛乳が飲みたいなぁ。甘い物も食べたい。チョコとか、ケーキとか、あとジュース飲みたい。炭酸は無いかもだけど、オレンジジュースとか。あとは」
ご飯。ほかほかの白米。
パン。ふわふわの焼き立て。
他にもカレー、ラーメン、シチュー、オムレツ……と考え出せばキリがない。むしろどうしてこんな大事なことを忘れていたのか不思議なくらいだ。
いてもたってもいられなくなった僕は仮眠をとりやめ、街へ向かって走り出した。いつもの全力ダッシュをすると確実に制服が破れるから、半分くらいのペースで。
……街についたら、まずお金を手に入れよう。
神殿で得られた情報によると、魔石は普通の宝石なんかよりよほど高価らしいし、いくつか売ればしばらく暮らせる資金が手に入る。
そしたら、手ごろな宿屋を確保して――食べ歩きだ!